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2008.11/26 [Wed]
■「移譲ありき」医師去る 佐賀 武雄市民病院
佐賀では
武雄市民病院の民間移譲問題で
大量辞職。
一時、救急返上を行っています。
「改革路線」っていえば
聞こえはいいですが、
あちらこちらで破綻が聞かれませんか?
「移譲ありき」医師去る
asahi.com 2008年11月23日
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000000811240004
市長リコールの動きから、出直し選挙にまで発展した武雄市民病院の民間移譲問題。この間、当の市民病院では何が起きていたのか。同病院を去った医師や、同病院の最高責任者の医療統括監ら関係者に話を聞いた。
08年1月に12人いた常勤医師が、6月には5人に。この極端な大量退職で、武雄市民病院は救急病院指定を一時返上せざるを得なくなった。
「私たちが心血注いできた医療はいらないということか――。そうと分かって、気持ちが切れた」。今年6月、市民病院から佐賀市内の病院へ移った内科医が振り返る。
市民病院の経営をどうするかの議論が続いていた昨年12月。市議会の一般質問で樋渡啓祐市長(当時)は「(武雄市がある)この西部地区は救急医療の空白地帯」などと発言し、既に医療法人池友会と接触していることも認めた。
常勤医師らは「ぎりぎりで救急対応を維持している現場の努力を踏みにじるものだ」「民間移譲ありきで事を進めている」と反発。今年1月、院長を除く11人が辞職願を出した。
このうち10人を派遣していた佐賀大医学部も「交代要員を派遣できない」と市側に伝えた。ただし、「一度に辞めたら影響が大きい」と、おのおのの退職時期はずらした。
移譲先に決まった池友会からは医師が派遣され、救急救命センターの24時間体制は復活したが、移譲が決まる前からいた医師は、院長・副院長を除き皆無になった。
この内科医の元には、武雄市民病院で受け持っていた患者50人余が武雄市やその周辺から通ってくる。「遠距離通院を強いて申し訳ない」と言いつつ、こう問いかけた。「結局、この患者さんたちに必要な医療を、武雄市は提供できていないことの現れではないか。市長は地域医療を壊したことの意味を考えて欲しい」
□ □
「患者さんを政争に巻き込みたくない。私は思ったことをストレートに口にするし、武雄市の非常勤特別職のままだと、前市長を応援するための地位利用だと追及される恐れがある。25日に医療統括監の退職届を提出し、無給の特別アドバイザーとして従来通り病院経営を続ける」
10年2月の民間移譲先に決まっている医療法人「池友会」(鶴崎直邦理事長、北九州市)から派遣され、武雄市から市民病院の医療統括監に任命されている蒲池真澄氏(68)=写真=は、朝日新聞社の取材に胸の内を明らかにした。
蒲池氏は74年、山口県下関市内で医院を開院して以来、福岡県内で和白、新小文字、新行橋、新水巻の各病院を相次いで開設。医療界では歯に衣(きぬ)着せぬ発言と、経営手法の剛腕さで知られる。
民間移譲に反対し、リコール運動を支持してきた武雄杵島地区医師会を「地元医師会から反発があるのは計算内。福岡では医師会幹部から開業医の収入を減らさないようにと言われたこともある。武雄できちんとした医療をしたら患者を奪われて困るのではないか」と切り捨てた。
選挙後について「現職が再選され、市の要請があれば、医療統括監を引き受ける。私を悪者扱いする人もいるが、武雄に世界基準の医療を持ってくる『白馬の騎士』だ」と自信に満ちた口調だった。
◇
「樋渡市長(当時)が医師らの意見を聞かずに民間移譲を進めたことが医療崩壊を招いた」。武雄杵島地区医師会の古賀義行会長は反論する。
市民病院の開院前に「内科、小児科、産婦人科は必要ない」と医師会が反対した過去を挙げ、「今回も既得権を守るための反対だ」との批判がある。これに対しては「地域で足りている機能を公的病院が担う必要は無い。市民病院は地域に無い医療を担って欲しい」と説明した。
伊関先生のご意見も
載っております。
民間移譲めぐり出直し選
asahi.com 2008年11月24日
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000390811250002
伊関友伸・城西大准教授(行政学)
出直し選挙になる武雄市民病院の民間移譲問題。辞職に至るまで樋渡啓祐市長の進めた改革はどこでつまづいたのか。公立病院への問題意識は正しいが、手法には課題もあった――。病院経営問題に詳しい伊関友伸・城西大准教授(行政学)は「公立病院改革の進め方を考える上で重要な事例だ」と注視し、こう指摘した。(聞き手・市川雄輝)
□
――全国で医師不足が問題になっている。武雄市民病院はその典型例か
むしろ市長の病院マネジメントの問題だ。現場で献身的に働いている医師を無視するような改革の進め方が、勤務医と市との信頼関係を壊し、大量退職を招く結果になった。
――なぜ医師が離れたのか
市長は市民病院の問題点として救急体制の弱さや経営難を強調した。だが、救急医療は、ぎりぎりの人数で維持されていたし、コスト縮減の取り組みも進んでいた。「市側が現場の努力を酌もうとしない」と医師らが不信を募らせたのも無理はない。
――改革は必要だったのか
公立病院は一般に無駄が多い。意思決定にも時間がかかり、時代の変化に対応しにくい。改革を進めようとした市長の問題意識自体は正しい。
――進め方に問題があったのか
改革には、首長の強いリーダーシップが不可欠だ。一方、改革に意欲を持つ首長は、ともすれば独善に走り、現場の医師からの反論を「世の中を分かっていない」と退けてしまいがちだ。武雄でも、そんなところはなかったか。
――うまく進めるには
病院の譲渡にしろ、公設民営の運営方式をとるにしろ、通常、経営形態の変更を行う場合、病院で働く勤務医の立場を尊重し、快く現場に残ってもらいながら段階的に移行する。強引に進めて勤務医が退職すれば、患者とのかかりつけの関係も、患者を紹介し合う開業医との連携も、すべて壊れる。地域医療にとって大変大きな損失だ。
――市は移譲先選定で、救急医療や高度医療を重視した。この方向性はどうか
佐賀県西部地域には、国立病院機構嬉野医療センターもあり、県立病院好生館も近く移築され、今より数キロ近くなる。必ずしも、武雄だけで救急を担う必要性はない。もともと、高齢者の利用が多い病院。温泉のまちなんだから、回復期のリハビリや療養に重点を置く考え方もある。
――武雄の改革は、地元医師会との衝突も招いた
地域医療を守っていくには、中核病院、開業医、そして保健行政の連携が欠かせない。互いにパートナーとして尊重しあう関係が壊れてしまうのは市民にとって損失だ
――医師会側に問題はなかったか
大きな医療法人が来ることへの警戒感や、「市は意見を聞かなかった」という感情的反発もあろう。だが、反対運動が一般市民にも広がったのは、「地域医療が大丈夫か」との不安感が市民の側にもあったからだ。医師会のエゴとは切り捨てられない。
――樋渡氏は再び立候補して信を問う方針だ
市民の命を預かる責任者として、こうした混乱を招いた自らの施策を真摯に見つめた上で、自身の考える医療再生のあり方を丁寧に市民に説いて欲しい。
□
伊関友伸(いせき ともとし)
87年埼玉県入庁。同県立精神医療センター総務職員担当主幹などを経て、04年から現職。著書に「まちの病院がなくなる!? 地域医療の崩壊と再生」など。
誰もが
白馬の騎士が
さっそうと現れるのを
期待しているのかもしれませんが、
現実はあまり、そう上手くはいきません。
地道な努力を重ね、
きちんとした方向性を見定めないと
積み上げてきたものを
単純にたたき壊すことになるでしょう。
現在は、
国の大借金が
社会福祉で出来たものではないのに、
”社会福祉がお荷物だ”
というヤクザ理論で社会福祉を
国が切り刻んでいます。
…いったい誰が、何で借金をこしらえたのですか…?
病院や介護で
借金まみれになったはずではないでしょ?
来年度も2200億円の
社会福祉費の抑制が
決定しているようです。
地方のあちらこちらで
いざこざがあるのも
こうした国の”ヤクザ的取り立て”で
医療が崩壊しようとしているからです。
武雄市民病院の民間移譲問題で
大量辞職。
一時、救急返上を行っています。
「改革路線」っていえば
聞こえはいいですが、
あちらこちらで破綻が聞かれませんか?
「移譲ありき」医師去る
asahi.com 2008年11月23日
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000000811240004
市長リコールの動きから、出直し選挙にまで発展した武雄市民病院の民間移譲問題。この間、当の市民病院では何が起きていたのか。同病院を去った医師や、同病院の最高責任者の医療統括監ら関係者に話を聞いた。
08年1月に12人いた常勤医師が、6月には5人に。この極端な大量退職で、武雄市民病院は救急病院指定を一時返上せざるを得なくなった。
「私たちが心血注いできた医療はいらないということか――。そうと分かって、気持ちが切れた」。今年6月、市民病院から佐賀市内の病院へ移った内科医が振り返る。
市民病院の経営をどうするかの議論が続いていた昨年12月。市議会の一般質問で樋渡啓祐市長(当時)は「(武雄市がある)この西部地区は救急医療の空白地帯」などと発言し、既に医療法人池友会と接触していることも認めた。
常勤医師らは「ぎりぎりで救急対応を維持している現場の努力を踏みにじるものだ」「民間移譲ありきで事を進めている」と反発。今年1月、院長を除く11人が辞職願を出した。
このうち10人を派遣していた佐賀大医学部も「交代要員を派遣できない」と市側に伝えた。ただし、「一度に辞めたら影響が大きい」と、おのおのの退職時期はずらした。
移譲先に決まった池友会からは医師が派遣され、救急救命センターの24時間体制は復活したが、移譲が決まる前からいた医師は、院長・副院長を除き皆無になった。
この内科医の元には、武雄市民病院で受け持っていた患者50人余が武雄市やその周辺から通ってくる。「遠距離通院を強いて申し訳ない」と言いつつ、こう問いかけた。「結局、この患者さんたちに必要な医療を、武雄市は提供できていないことの現れではないか。市長は地域医療を壊したことの意味を考えて欲しい」
□ □
「患者さんを政争に巻き込みたくない。私は思ったことをストレートに口にするし、武雄市の非常勤特別職のままだと、前市長を応援するための地位利用だと追及される恐れがある。25日に医療統括監の退職届を提出し、無給の特別アドバイザーとして従来通り病院経営を続ける」
10年2月の民間移譲先に決まっている医療法人「池友会」(鶴崎直邦理事長、北九州市)から派遣され、武雄市から市民病院の医療統括監に任命されている蒲池真澄氏(68)=写真=は、朝日新聞社の取材に胸の内を明らかにした。
蒲池氏は74年、山口県下関市内で医院を開院して以来、福岡県内で和白、新小文字、新行橋、新水巻の各病院を相次いで開設。医療界では歯に衣(きぬ)着せぬ発言と、経営手法の剛腕さで知られる。
民間移譲に反対し、リコール運動を支持してきた武雄杵島地区医師会を「地元医師会から反発があるのは計算内。福岡では医師会幹部から開業医の収入を減らさないようにと言われたこともある。武雄できちんとした医療をしたら患者を奪われて困るのではないか」と切り捨てた。
選挙後について「現職が再選され、市の要請があれば、医療統括監を引き受ける。私を悪者扱いする人もいるが、武雄に世界基準の医療を持ってくる『白馬の騎士』だ」と自信に満ちた口調だった。
◇
「樋渡市長(当時)が医師らの意見を聞かずに民間移譲を進めたことが医療崩壊を招いた」。武雄杵島地区医師会の古賀義行会長は反論する。
市民病院の開院前に「内科、小児科、産婦人科は必要ない」と医師会が反対した過去を挙げ、「今回も既得権を守るための反対だ」との批判がある。これに対しては「地域で足りている機能を公的病院が担う必要は無い。市民病院は地域に無い医療を担って欲しい」と説明した。
伊関先生のご意見も
載っております。
民間移譲めぐり出直し選
asahi.com 2008年11月24日
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000390811250002
伊関友伸・城西大准教授(行政学)
出直し選挙になる武雄市民病院の民間移譲問題。辞職に至るまで樋渡啓祐市長の進めた改革はどこでつまづいたのか。公立病院への問題意識は正しいが、手法には課題もあった――。病院経営問題に詳しい伊関友伸・城西大准教授(行政学)は「公立病院改革の進め方を考える上で重要な事例だ」と注視し、こう指摘した。(聞き手・市川雄輝)
□
――全国で医師不足が問題になっている。武雄市民病院はその典型例か
むしろ市長の病院マネジメントの問題だ。現場で献身的に働いている医師を無視するような改革の進め方が、勤務医と市との信頼関係を壊し、大量退職を招く結果になった。
――なぜ医師が離れたのか
市長は市民病院の問題点として救急体制の弱さや経営難を強調した。だが、救急医療は、ぎりぎりの人数で維持されていたし、コスト縮減の取り組みも進んでいた。「市側が現場の努力を酌もうとしない」と医師らが不信を募らせたのも無理はない。
――改革は必要だったのか
公立病院は一般に無駄が多い。意思決定にも時間がかかり、時代の変化に対応しにくい。改革を進めようとした市長の問題意識自体は正しい。
――進め方に問題があったのか
改革には、首長の強いリーダーシップが不可欠だ。一方、改革に意欲を持つ首長は、ともすれば独善に走り、現場の医師からの反論を「世の中を分かっていない」と退けてしまいがちだ。武雄でも、そんなところはなかったか。
――うまく進めるには
病院の譲渡にしろ、公設民営の運営方式をとるにしろ、通常、経営形態の変更を行う場合、病院で働く勤務医の立場を尊重し、快く現場に残ってもらいながら段階的に移行する。強引に進めて勤務医が退職すれば、患者とのかかりつけの関係も、患者を紹介し合う開業医との連携も、すべて壊れる。地域医療にとって大変大きな損失だ。
――市は移譲先選定で、救急医療や高度医療を重視した。この方向性はどうか
佐賀県西部地域には、国立病院機構嬉野医療センターもあり、県立病院好生館も近く移築され、今より数キロ近くなる。必ずしも、武雄だけで救急を担う必要性はない。もともと、高齢者の利用が多い病院。温泉のまちなんだから、回復期のリハビリや療養に重点を置く考え方もある。
――武雄の改革は、地元医師会との衝突も招いた
地域医療を守っていくには、中核病院、開業医、そして保健行政の連携が欠かせない。互いにパートナーとして尊重しあう関係が壊れてしまうのは市民にとって損失だ
――医師会側に問題はなかったか
大きな医療法人が来ることへの警戒感や、「市は意見を聞かなかった」という感情的反発もあろう。だが、反対運動が一般市民にも広がったのは、「地域医療が大丈夫か」との不安感が市民の側にもあったからだ。医師会のエゴとは切り捨てられない。
――樋渡氏は再び立候補して信を問う方針だ
市民の命を預かる責任者として、こうした混乱を招いた自らの施策を真摯に見つめた上で、自身の考える医療再生のあり方を丁寧に市民に説いて欲しい。
□
伊関友伸(いせき ともとし)
87年埼玉県入庁。同県立精神医療センター総務職員担当主幹などを経て、04年から現職。著書に「まちの病院がなくなる!? 地域医療の崩壊と再生」など。
誰もが
白馬の騎士が
さっそうと現れるのを
期待しているのかもしれませんが、
現実はあまり、そう上手くはいきません。
地道な努力を重ね、
きちんとした方向性を見定めないと
積み上げてきたものを
単純にたたき壊すことになるでしょう。
現在は、
国の大借金が
社会福祉で出来たものではないのに、
”社会福祉がお荷物だ”
というヤクザ理論で社会福祉を
国が切り刻んでいます。
…いったい誰が、何で借金をこしらえたのですか…?
病院や介護で
借金まみれになったはずではないでしょ?
来年度も2200億円の
社会福祉費の抑制が
決定しているようです。
地方のあちらこちらで
いざこざがあるのも
こうした国の”ヤクザ的取り立て”で
医療が崩壊しようとしているからです。
- at 09:06
- [■【医療崩壊・佐賀県】]
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確かに現場の医師たちは頑張ってきたんでしょうが、その頑張りはもちろん患者に対しての責務を果たしたのは間違いないものの、本当に病院の経営を改善する方向に働いていたのか、は確かに疑問だと思います。
今の医療行政は、患者のために頑張れば頑張るほど、経営的にはマイナスになっちゃうような制度に落ちぶれていますから。
そんな中、これ以上病院の赤字に自治体の財政を食い荒らされたくない、と市長が考えてもおかしくはないと思います。
しかし、これからの行政の長は、むしろ「社会福祉の充実」を本気で考えなければいけないとは思います。そのためには、自分の自治体のことだけでなく、都道府県、そして国に対して横の連携を取って、もっと積極的に「病院・医院が傾かなくて済む医療システムの再構築」を働きかけてもらいたいものです。いまの「上からこう言われてるんだから仕方ない」的なやり方だけでは、お前ら本当に地方自治の拡大を希望してるのか?と疑問で仕方ないんですが。