私――平野悠実(ひらのゆうみ)が宇宙人と直接関わるようになったのは、私が小学五年の春、桜が満開の頃だった。
宇宙人と言っても、テレビや映画で見るようなタコ型の火星人や、グレイと呼ばれるヒト型の金星人でもない。ましてやUMAでもない。完全、完璧、どこをどうとっても、誰がどう見ても人間の子どもにしか見えない。それどころか、人間の中ではトップクラスと言っても過言ではないほど、顔立ちが整っている。いわゆる完璧美少女というやつだ。
じゃあ、何が宇宙人なのかというと、実は物的証拠は何もない。本人がそう主張しているだけなのだ。
「えーっと、宮崎(みやざき)のえる、で良かったよね?」
新学期、新学年。
桜舞う春真っ盛りのこの季節、楽しかった春休みも終わりを迎え、名残惜しさもほどほどに、新しいタームが始まった。たなびく春風は桜吹雪を誘い、往路には黒と赤、ときどき青や緑と、最近はカラフルになったランドセルが季節を表しているかのように上下に揺れ動いている。
私もそうした例に漏れていない。一つ学年が上がって高学年となり、低中学年らに模範を示さなければならない年頃になったものの、二年に一度のクラス替えに私は気分ウキウキ、自分のクラスである5―2の教室に足を踏み入れた。8時を過ぎた辺りの教室はザワザワと落ち着きがなく、去年のクラスメイトもいれば、今年で初めて同じクラスになる人もたくさんいた。早くも小さなグループを作って喋り合っている者もいて、私とおんなじ気持ちになっている人は少なくないとどこかしらの安堵感を覚えたりもした。
本当は、一学年100人足らずの少ない母集団のため、顔も名前もすでにほとんど知っている人ばかりなのだが、何というか、その、クラス替えはワクワクするものというのは世間一般の共通認識だと思う。だからといって普段私は口数の少ない方(だと信じている)なので、こういうときだけ一人心の内ではしゃいでいるのは悪い癖なのかもしれない。
何はともあれ、自分の名前が書いてある机に座り、こうして珍しく自分から隣の女の子に喋りかけたわけだ。言った後気付いたが、その〝宮崎のえる〟なる者はものすごくきれいな顔をしていたので、もしかしたら、四年生の時ウワサになっていた、「4―1でべらぼうにかわいい女の子」はこの子のことかもしれないと直感的に思った。白を基調としたシンプルな服装も、つややかなセミロングの黒髪と相まって一つの絵にすら感じられた。
だから、私に向かって放たれる彼女の第一声に、私は初め空耳だと思わずにはいられなかった。
ピンと背筋を伸ばしていた宮崎のえるは、その状態のままこちらにピッタリ90度顔を回転させ、わざとやってるんじゃないかと思えるほどの無表情でたった一言、
「私は宇宙人だ」
と言ってのけたのである。
「はい……はい?」
これには私も聞き返さずにはいられなかった。いや、だって、宇宙人って言われても……。
「ワレワレハウチュウジンダ」とよく冗談でやるのは耳にするものの――それでさえこのご時世冷ややかな視線を浴びる行為である――至極真面目な顔で、何の前振りもなく唐突に自称宇宙人を宣言されたことなど一度もなかった。私は大いにたじろいだ。
辺りを少し見回してみたが、幸い、このやりとりを聞いている者はいないようだ。なぜそれが分かったのかというと、誰もこちらを向いて不審がっている人がいなかったからである。
宮崎のえるは戸惑う私の態度を汲み取ったのか、続けざまに言った。
「私は――星からやってきた視察団の一人だ。この地球を植民地にするためにやってきた」
説明になっているようで、なっていなかった。というか、〝――星〟の〝――〟の部分の発音があまりに謎すぎた。ついでに言うと、その発音の時に無表情だった彼女が急に顔全体を使って発音していたので、何となく滑稽に思えて笑いそうになった。
だが、笑いそうになったことと状況の打破とは全くの無関係である。彼女としては一通り説明を終えたらしく、気づくと話しかける前の状態に戻っていた。そもそも、さっきから彼女がやっている両の手を触手のようにうねうね動かしている行為も意味不明だ。
とにかく、私は今自らに貼り付いているであろう能面のような苦笑いを引っぱがすため、しばし考えることにした。
この〝自称宇宙人〟をどう対処するか。
真っ先に消去した選択肢は、『宇宙人ということを否定する』ことだ。宇宙人であることを主張する〝人間〟に対して、「それは違います」ときっぱり否定することは、人格を否定することと同じなのでよろしくない、気がする。だからといって「そうだねー宇宙人だねー、あ、私も宇宙人かも」などと抜かすのはバカにしてるみたいでおかしい。
そこで私の脳内に「華麗にスルー」という案が浮かび上がった。
とりあえずここはそれなりの友好を示しておいて、宇宙人に関することはスルーするのがベストではないか、と。うん、たぶんそれがいい。
そういうわけで、「のえるちゃんって呼んでいいよね? あ、あと、私のことはゆみじゃなくてゆうみって呼んでね?」と強引に話しかけた後(のえるちゃんは何も反応しなかった)、私は8時30分から始まる始業式までクラスにいた他の友達とダベることで残りの時間を過ごすことにした。
「えーっと……」
いまは始業式中だ。中のはずなのだが、これは、ええと、どうしたらいいんだろう……。
体育館で行われている始業式は校歌を斉唱し終え、例のごとく『校長先生のお話』に差し掛かっている。長話以外に特徴のないうちの校長先生は今日も平常運転で、生徒らを立たせているにも関わらず、すでに話は10分くらい経過している。話の峠はすでに越えているようなので、もうすぐ終わるのは何となく分かるのだが、周りを見てみると、うんざりした顔、呆れた顔、寝ている顔があちらこちらに見えた。小学生相手にそんなに語ることもなかろうに。
しかし、それ以上に私の注意を全面的に集めていたのは、隣にいる〝宇宙人〟だった。何を隠そう、さきほどの〝うねうね〟をとりもなおさず続けているのだ! 校歌の斉唱中も、下手したら教室から体育館へ移動するときもやっていたかもしれない。これまで「華麗にスルー」してきた私だったが、とうとう観念せざるを得なかった。
「えっと、のえるちゃん何やってんの?」
勇気を出して、言ってみた。しかし、反応はない。聞こえなかったのかと思い、もう一度言ってみる。
「えっと、のえるちゃん――」
「黙って見てろ、集中して練成できない」
「……」
ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコんでいいのか分からなかった。そもそも、これはツッコんでいいのか。分からないことだらけだった。唯一分かったとすれば、それは「のえるちゃんが何を言おうとしてるのかさっぱり分からない」ということだった。
――別に、見たくて見てるわけじゃないんだけど。
――ここ集中するタイミングじゃない……
――まず練成ってなに……?
言いたいことは山程あったが、結局全部言わずじまいになった。どれを言っても意味がないと思ったからだ。
『お話』が終わる頃、担任の先生の「ちょ、ちょっとだけ止まっててくれないかな?」という優しい注意でのえるちゃんはようやく〝練成〟をやめたが、それから1分も経たないうちに、今度はスリープモードに入った。背筋がピンと伸びたままだったので不自然極まりなかった。
「これで、始業式を終わります」と教頭先生が言い、一年生からずらずらと体育館を出て行くのを流し目で見ながら、しばらく私はのえるちゃんの様子を観察することにした。相変わらず直立不動で眼だけが釈迦像のように閉じたままになっている。周りからはおしゃべりの雑踏が絶え間なく続いており、その音も次第に大きくなっているのだが、まるでそれが子守歌になっているかのような雰囲気すら醸し出しており、聞き耳を立てると、スースーと幸せそうな寝息を立てていて、こんなところでよくもまあ寝れるもんだということと、宇宙人でも一応呼吸しているのかということと、二重の意味で私は驚いた。もちろん、後者は未だに半信半疑だ。
四年生の退場が指示されても全く起きる気配がなかったので、試しに、肩をトントンと叩いてみたら、何事もなかったかのように一瞬で目を覚ました。寝ぼけている様子もなかったので安心していたが、五年生の退場が指示され、少し目を離しているうちにまた〝練成〟を始めていた。その妙に滑らかな手の動きが注目を惹いているのか、単に意味不明だから注目が集まっているだけなのかは知らないが、周囲の関心を一手に引き受けているのが分かって、なぜか自分が辱めを受けているような気がした。私は教室に戻るまで終始うつむき加減だった。
のえるちゃんは私の様子などお構いなしに、かの〝練成〟の作業を黙々と続けていた。〝練成〟中に、時々あるちょっとした段差を飛び越えたり、向かいから来る人を紙一重でかわしたりしているところを見るとどうものえるちゃんの運動神経は良さそうなのだが、それでも私は溜め息をついて、思わずにはいられなかった。
――いったい何なんだこの子は。