何が、日本の輸送船を壊滅させたのか
(何故かあまり知られていない史実)


 

太平洋戦争における日本の輸送船の壊滅の原因について述べる前に、まず、次の二つの表を見ていただきたい。

 最初の表は、太平洋戦争中における第1海上護衛隊(門司〜シンガポールを担当)の護衛下にあった輸送船団とアメリカ潜水艦の会敵率と損害の推移である。(戦史叢書「海上護衛戦」防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 P237、P354、P463、ちなみに、1942年9月以前、1943年12月、1944年12月、1945年4月以降のデータは戦史叢書には無い。)
 見ていただければ分かると思うが、ばらつきはあるが、会敵率と損害は、概ね比例している。会敵しない限り、撃沈されることはないのであるから、これは当然のことであろう。
 また、時と共に会敵率が増加し、1944年8月、9月、10月、1945年2月、3月には、100%を越えている。出航したら必ずアメリカ潜水艦に見つかる訳である。これは、どう見ても異常な数値であるが、とりあえず、ここではそれに関する検討は置いておいて先に行くことにする。

 次の表は、太平洋戦争中におけるアメリカ潜水艦による輸送船の撃沈数の推移である。(「海上護衛戦」附表第7)ここでも、1945年以降のずれを除けば、ばらつきはあるが、撃沈数は、概ね、第1海上護衛隊の会敵率に比例している。

 以上の二つの表を見れば、すべき事は明白である。

 1.会敵率を上げている原因を分析する。
 2.会敵率を下げる対策を講じる。

 会敵率が下がれば、攻撃を受ける事も無くなるので、自ずと損害も下がる、この辺は誰でも分かる理屈である。(その筈であると思うのだが。)

 しかし、日本海軍海上護衛総司令部参謀の大井篤大佐の「回想録」(「回想録」の書名は「海上護衛戦」であるが、これは戦史叢書「海上護衛戦」と書名が被ってややこしいので、以下「回想録」と表記することとする。)を見ると、会敵率について検討した様子は無い。
 どうやら、日本海軍は、会敵率が増加していることにすら気がついていなかったようである。

 会敵率が上がっている事に気づいていないのであるから、当然、会敵率を下げる対策を講じることもない。
 ちなみに、会敵率の表を載せている、「海上護衛戦」では、会敵率の増加をどう分析しているかというと、単純にアメリカ潜水艦の活動が活発化したためとしている。

 プロの判断に素人が口を挟むのはあまりよろしくないとは思うのだが、これは、あまりにも、アメリカ潜水艦というか、当時の潜水艦というものを過大評価しているというのか、理解していないのではないだろうか。
 潜水艦は、見えない兵器とよく言われる。だが、こちらから潜水艦が見えないということは、潜水艦からもこちらが見えないということなのである。

 音響兵器が現在ほど発達していなかった第二次世界大戦当時の潜水艦は、敵を見つけるためには、目視かレーダーを使用せざるを得ない。
 潜望鏡では視界が限られるし、レーダも使えない。このため、敵を探すには、浮上する必要がある。浮上すれば敵からも見える。つまり、敵を見つけるためには、自分も姿を見せざるを得ないのである。
 しかも、地球は丸いので、見える範囲は限られ、背の高い方が遠くまで見通すことができる。これは、目視であろうとレーダーであろうとかわらない。このため、背の低い潜水艦は、策敵という点でそもそもハンディを負っているのである。
 潜水艦が、敵を見つけるということは、そんなに簡単なことではないのだ。

 レーダーを使えば、簡単ではないかと思われるかもしれないが、レーダーにしても水平線の彼方は探れないことには変わりは無い。(目視よりは若干、遠くまで探れるそうであるが、それにしても限度がある。)

 レーダー探知距離は、Rr(mile) = 1.23 × (√ho(ft) +√ht(ft)) で表される。
ここで、Rrは水平線上の最大探知距離、ho はレーダーアンテナ高、ht は目標の高さ、mileはノーティカルマイル=浬、ftはフィートを表す。)
(http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/gaisetsu/gaisetsu_radar.html)


 これに数値を当てはめれば、レーダー探知距離が分かる訳なのであるが、これが意外に難しい。
 第二次世界大戦当時の潜水艦の船体のデータは、判で押したように「排水量、全長、全幅、喫水」で全高はない。色々と調べてみて、「Uボート・コマンダー」(ペーター・クレーマー初出1982年 翻訳1994年 早川書房)のP104に、「Uボート司令塔の眼高は約五メートル」という記述を見つける。外に適当な資料が無いので、とりあえず、Uボートの数値をそのまま使うことにして、高さは5.0mとしておく。(正確な数値をご存じの方がいればお教えください。)
 次に、目標の高さであるが、どうやら、船舶にとって、高さというのはあまり意味のない情報であるらしく、輸送船の船体のデータも、「排水量、全長、全幅、喫水」で全高のデータはない。
 やむを得ず、ネットで調べていると、「国総研研究報告 第31号 統計解析による船舶の高さに関する研究 −船舶の高さの計画基準(案)−」
(http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/rpn/rpn0031.htm)というデータが見つかった。
 しかし、これは2006年11月作成の資料である上、そもそもの元データは、Lloyd's Register Fairplay Data 2006.9である。第二次世界大戦当時と現在では、船のスタイルは大きく変わっているし、Lloyd'sのデータであれば、当然外国船が主体になるだろう。しかも、この資料そのものも実測ではなく(前述の「研究」によると高さのデータは「全長、満載喫水等の他の諸元と比較して、得られるデータが著しく少な」く、「船舶の高さに関して基礎データから得られる値の信頼性が低い」ので、「個別に分析された全高(Hkt)と満載喫水(d)の値を用いて海面上高さ(Hst)を推計」したものであるという、三重苦であるが、外に適当な資料が無いのも事実なので、とりあえず、この資料を使うことにする。(適当な資料をご存じの方がいればお教えください。)
 この資料によれば、現代の1万トン級の貨物船の50%は高さ27.5m以下である、同様に、現代の1万トン級のタンカーの50%は高さ16.7m以下である。従って、現代の貨物船、タンカーの半分は27.5m以下であり、これらの船舶の平均的な高さは、27.5m以下であると考えられる。そこで、目標の高さは、27.5mとする。
 この数値を、上の計算式に当てはめると、最大探知距離は約12.7浬≒約23.5kmになる。

 一方、視認距離はRv(mile) = 1.15 × (√ho(ft) +√ht(ft)) で表される。
ここで、Rvは水平線上の最大視認距離、ho は水面からの眼高、ht は目標の高さ、mileはノーティカルマイル=浬、ftはフィートを表す。)
(http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/gaisetsu/gaisetsu_radar.html)

 同じ条件を当てはめると、最大視認距離は約11.9浬≒約22.0kmになる。(ちなみに、前述の「Uボート・コマンダー」のP104には「澄んだ大気中でも、マスト頂部はせいぜい一万から一万二〇〇〇メートルの距離でしか視認できない。」と書かれているから、当時の船の高さはもっと低かったのだろう。)

 つまり、レーダーを使っても探知できる距離は、1,500mしか増加しない。無論、レーダーには夜間や悪天候に影響されないメリットがあるから、見逃す危険性は大幅に低下するが、探知能力が大きく増えるわけではない。
 以上、述べてきたことから明らかなように、たとえ、レーダーを使っても、レーダーだけでは、会敵率を大きく上げることは、無理なのである。


 では、アメリカ海軍は、どうやって、会敵率を上げていったのか。延々と引っ張ってきて恐縮なのだが、答えは簡単である。

 アメリカ海軍は、日本海軍から、輸送船団の「船の数、船名から積荷、護衛の仕方のみならず、とるべき航路や、航海中ほぼ毎日の正午の位置」に関する情報まで得ていたのである。(「日本の暗号を解読せよ―日米暗号戦史」ロナルド・ルウイン 初出1982年 翻訳1988年 草思社 P215)

 アメリカ海軍のJICPOA【太平洋方面統合情報センター】の次長であった、J・W・ホルムズ大佐はその回想録「太平洋暗号戦史」(J・W・ホルムズ 初出1979年 翻訳1980年 ダイヤモンド社 1985年 朝日ソノラマ)で、「一九四三年初頭、暗号解読の分野で一連の著しい業績が上がった。それらの中でもっとも重要なものは、日本の商船暗号【海軍暗号Sのこと】の解読であった。この結果、太平洋艦隊潜水部隊司令部に情報を伝える」ようになったことを記している。(P237、【】内は筆者注記)

 また、アメリカ太平洋艦隊情報参謀であった、エドウィン・トーマス・レートン少将も回想録「太平洋戦争 暗号作戦―アメリカ太平洋艦隊情報参謀の証言〈下〉」(エドウィン・トーマス・レートン他 初出1985年 翻訳1987年 TBSブリタニカ)において
「(前略)われわれは一九四三年の初め以降彼らのおもな海軍作戦暗号に食い入ることができた。これには日本の商船が使う四ケタの暗号も含まれていた。(中略)マル暗号【商船暗号・海軍暗号Sのこと】を読むことによって、われわれは日本の商船隊の進路を、それらの毎日正午の位置の報告から予測できた。商船の船長たちは毎日八時と二〇時に規則正しく報告を送信した。敵の商船隊の向かう位置を正確に知る能力は、われわれの潜水艦戦を成功させるうえで重要な要素となり、一九四四年末までに、分散した大日本帝国の海の生命線を効果的に分断できた。」(P315〜316、【】内は筆者注記)と述べている。

 日本の輸送船団が、いつどこにいるのか判っている訳だから、それを補足するのは極めて容易である。会敵率の上昇を阻むのは、攻撃を行う潜水艦の数と情報を活用するノウハウの不足だけである、潜水艦の数が増え、ノウハウが蓄積されるにつれ、会敵率が上昇し、挙げ句の果てに、100%を越えるに至ったのも不思議でも何でもない。

 「日本の暗号を解読せよ―日米暗号戦史」によれば、「ハワイとオーストラリアの参謀らは、護衛船団の航路と正午の位置がわかっていたから、その特定地点に然るべき数の艦艇を直航させるだけでよかった。敵はちゃんとそこにいてくれたのである。」(P215)とある。

 「太平洋戦争 暗号作戦―アメリカ太平洋艦隊情報参謀の証言〈下〉」にも「マル暗号を解読できたことによって、われわれは潜水艦に指示を与えて、足が遅く護衛が不十分な敵の輸送船団を経済的かつ効果的に攻撃させることができた(中略)
 日本の輸送船団の進路に関する最新情報が送信された。これによって、長い時間をかけて空しく目標を捜し回る作業が省かれたので、われわれの部隊にとって非常に有益だった。(中略)
 マル暗号の解読が、敵艦の年間撃沈率【ママ】を一九四三年末までに一五〇万トンに押し上げるおもな要因となった。」(P318、【】内は筆者注記)と書かれている。

 「米国諜報文書ウルトラin the パシフィック」(ジョン・ウィントン 初出1993年 翻訳1995年 光人社)のP266では、アメリカ太平洋艦隊潜水艦部隊の指揮官だったチャールズ・ロックウッド中将が「提供された情報によって、潜水艦をもっとも効果のありそうな哨戒海域に配備することが可能になっただけではなく、特定の場所と時間に配備し、編成と重要度、そしてしばしばその針路、速力が正確に判明した船団と接触することが可能となった。同様にして日本艦隊の戦闘艦も発見できた場合が多かった。【中略】敵発見、撃沈のカーブは、入手できる通信情報のカーブとほとんど正確に致した。」と述べている。


 「無惨」としか言いようのない話である。日本の輸送船団は、日本海軍によって、熨斗を付けて、アメリカ潜水艦隊に差し出されていたようなもので、殉職した海員(60,331人)、戦死した護衛艦の乗組員(詳細不明)、海没戦死した陸軍の将兵(11万人以上)、水死した軍属を含む便乗者(5万6千人以上)は、日本海軍に殺されたようなものである。
 「馬鹿な大将、敵より怖い」とはよく言ったものである。



 情けないことに、日本海軍は、この件についても(この件に限らないが)、暗号解読に全く気づいていなかった、疑問に思うことさえ無かったようである。
 「回想録」にも、「海上護衛戦」にも、暗号解読に対する懸念は全く見あたらない。
 例えば、「回想録」のP217に、第32師団と第35師団を上海からニューギニアへ増援として輸送する「竹船団」の話が出てくる。石炭を焚く旧式の機雷敷設艦「白鷹」に護衛された9隻の船団は、上海からマニラへ向かう途中、アメリカ潜水艦に補足されて、1隻が撃沈され、陸軍将兵約2000名以上が海没戦死する被害を出している。
 マニラからニューギニアへは、アメリカ潜水艦の攻撃を避けるため、通常の輸送船が使用を禁止されたルートを取ったにも関わらず、再び、アメリカ潜水艦に補足されて、3隻が撃沈され、陸軍将兵約2000名が海没戦死する被害を出している。
 こんな場合、暗号が解読されて情報が漏れているのではないかと疑うのが普通だと思うのだが、大井大佐は、暗号解読の可能性を全く検討していない、懸念すらしていない。ただ、護衛兵力の貧弱さと護衛部隊指揮系統の不明確さを指摘するのみである。何かずれているとしか言いようがない。

 ただ、大井大佐も、全く情報漏洩について考えていなかった訳ではない。輸送船の多くがマニラ湾を経由するため、ゲリラからアメリカに、輸送船の運行情報が漏れているとは考えていた。
 しかし、ゲリラがマニラ湾を監視していたとして(実際はしておらず、アメリカ海軍は、全て暗号解読から情報を得ていたそうである。)、船団の規模、編成、出航日は判っても、船団補足のために必要な、目的地、航路、日程等は判らない。ましてや、普段使っていないルートを使用することなどは判りようもない。
 そういうことを検討しない、というより、思い当たらないという時点で、根本的に、何かがずれていると思わざるを得ない。

 前述の、竹船団に関する暗号もアメリカに解読されており(アメリカでは「竹一号」と呼ばれていた)、輸送船団の護衛部隊の旗艦「白鷹」が石炭を焚く「黒煙を吐いている船」であることまで把握されていた。そして、アメリカ潜水艦は「黒煙を吐いている船」を目印に、竹船団を待ち伏せた。(「日本の暗号を解読せよ―日米暗号戦史」P218)
 これを読んだ時、正直脱力した。無邪気というのか、単純というのか、わざわざ、目印になることを連絡するその無神経さにあきれ果てた。
 輸送船に「毎日正午の位置」を報告させていたことと合わせ、情報の漏洩や暗号解読への懸念は欠片も感じられない。恐るべき無神経さである。
 まさに「馬鹿な大将、敵より怖い」である。

 日本海軍のやった事で、輸送船の護衛に役立たなかったどころか、有害であったことは外にもある。
 海上護衛総司令部は、軍令部の反対を押し切り、様々な困難を乗り越えて、対潜機雷の敷設による機雷堰の構築を実施したが、その効果についての、チャールズ・ロックウッド中将の評価は以下の通りである。
 「敵の機雷原に関連する情報が完璧だったため、敵が敷設した防御機雷原は敵よりもむしろわが軍に役立った。わが潜水艦が危険水域を避けることができただけでなく、同様に避けなければならない日本艦船は狭い水路を航行することを余儀なくされ、わが潜水艦による発見、攻撃を容易にしたのである。」(「米国諜報文書ウルトラin the パシフィック」P267)
 やる必要のないことをして、かえって、事態を悪化させたわけである。

 蛇足になるが、航空機による輸送船団の損害の増加にも日本海軍の情報は「貢献」している。
 ウルトラ情報の管理責任者であったイギリス空軍情報部SLU(特別連絡部)の部長を務めたF・W・ウィンターボーザム大佐は、「ウルトラ・シ−クレット」(F・W・ウィンターボーザム 初出1974年 翻訳1978年 早川書房)のP251で「私はロンドンと話をつけ、護送船団その他の物資輸送に関する日本海軍のウルトラ通信はカンディーの特別連絡班にも送らせるようにした。(中略)いささかまわり道ではあったが、この方法はうまくいき、シェノールトは日本軍の護送船団を攻撃してかなりの成果をあげることができたものと、私は信じている。そのため、イギリス軍のビルマ侵攻作戦にあたり、日本軍は物資不足に悩まされることになったのである。」と記述している。
 中国に展開していたアメリカ陸軍航空隊は、イギリス経由で、輸送船団に関する日本海軍の情報を得ていたのである(この辺をみると、アメリカ軍でも、陸海軍の協調はそう簡単ではないことが判って興味深い。)。陸軍機による輸送船の損害260隻、約78万トン内、どれだけが、中国に展開していたアメリカ陸軍航空隊によるものであるかは不明であるが、輸送船の損害を増やしたことは明らかである。


 輸送船の護衛に熱心でなかったことを批判される日本海軍であるが、実際は、日本海軍が、輸送船の護衛をやったがために被害が拡大したわけである。
 もし、日本海軍が、輸送船の護衛を行わず、輸送船の運航に一切関わらなかったとすれば、アメリカ海軍は、日本海軍から輸送船に関する情報を得ることが出来ず、その補足に苦労することになり、輸送船の被害も史実ほど酷くならなかった可能性は高い。少なくとも、会敵率100%などという馬鹿げた数字は出てこないだろう。


 前にも書いたが、潜水艦が、敵を見つけるということは、そんなに簡単なことではない、前述のように、潜水艦はたかだか半径約24kmの円内しか監視できないのである、これは、広い海上では点にすぎない。
 そのため、あのドイツ海軍でさえ、輸送船の捕捉に苦労したのである。有名な狼群戦法にしても、攻撃力の強化もあるが、多数の潜水艦を横一列に配置し、策敵範囲を広げることも目的の一つであった。
 ドイツ海軍のB部隊は、イギリス海軍の暗号を解読して得たイギリス輸送船団の情報をUボートに提供することで、Uボートの戦果に多大な貢献をしていたし、一方、イギリス海軍は、ドイツ海軍のM暗号を解読して、Uボートの位置を把握し、Uボートへの攻撃、輸送船団の保護に活用した。
 これは、いわゆる「大西洋の戦い」、Uボートによる通商破壊戦を書いた文献(「呪われた海」(怪談めいたタイトルであるが、第二次世界大戦におけるドイツ海軍の包括的な戦記である)、「Uボート・コマンダー」等)には、割と出てくる話なのだが、同じようなことが、太平洋でも起こっていたのではないか、と誰も思わないというのも不思議な話である。

 また、数の問題もある、ドイツのUボートの建造隻数は1,181隻、これに対し、アメリカ潜水艦の建造隻数は最大208隻で僅かに17.6%に過ぎない。

 更に、戦場の広さの問題もある。太平洋の面積は、全地表のおよそ3分の1にあたる1億6524万6千平方km、これに対して、大西洋の面積は8325万4千平方kmで、太平洋の50.3%、およそ半分でしかない。
 逆の言い方をしよう、太平洋は、大西洋の約2倍の広さがあるのだ。

 広い戦場に少ない戦力とくれば、どうしたって効果的な戦果を上げるのは難しい。

 それは、以下の証言からも明らかである。

「太平洋海域は、護衛船団がよく利用する地中海のような小さな内海や帯状の大西洋と比べて途方もなく広く、しかも群島や海峡が無数にあって、いくらでも航路が変えられる。通信諜報による的確な誘導なしに日本の護衛船団を効率よく叩くには、星の数ほども潜水艦を常時哨戒させなくてはならなかったであろう。索敵機をいくら飛ばしても、到底手に負えるものではない。」(「日本の暗号を解読せよ―日米暗号戦史」P215)

「もし通信情報がなかったならば、はるかに多数の潜水艦がいないかぎり、広大な太平洋をかくも完全にはカバーできなかったのである。」(チャールズ・ロックウッド中将の証言「米国諜報文書ウルトラin the パシフィック」P267)


 仮に、日本海軍が、一切、輸送船護衛を行なわず、輸送船に関する情報をアメリカ海軍に提供しなかったところで、フィリッピンが実質的に制圧された時点で、日本のいわゆる南方航路は封鎖されただろうが、それまでは、史実より多くの南方資源が日本に還送され、また史実より多くの戦力や資材が前線に送り込まれただろう。

 更に、輸送船の損害の減少は、日本軍の戦略の柔軟さを増し(マリアナ沖海戦の前、タンカーの不足が、作戦の選択肢を制限したケースや、陸軍徴用船を巡って、東条英機首相を田中新一作戦部長が罵倒したケースは有名である。)還送資源、第一線の戦闘力の増加と相まって、太平洋戦争はもう少しましな戦いが出来たかもしれない。
 しかし、そうなると、戦争が史実より長期化することになり、長引いた分、日本の被害も史実より増えた可能性は否定できない(原爆の追加攻撃、ソ連の北海道侵攻等)。そうなると、犠牲になった多くの海員や陸海軍将兵の方々には申し訳ないが、結果的には、日本海軍が無能でよかったのかもしれない。


 すっかり話がそれた、そろそろ本稿の結論を述べよう。

 平洋戦争において、日本の輸送船を壊滅させたもの、それは、アメリカ潜水艦の性能でも、日本の海上護衛兵力の貧弱さでもない。
 日本海軍の情報に関する無配慮と、通信の安全確保への無関心こそ、太平洋戦争において、日本の輸送船を壊滅させた最大の原因である。

 海上護衛において、日本にとって致命的であったのは、ハード面の問題では無く、ソフト面の問題であったということである。




 ※注記

 当サイトの閲覧者の方から、「太平洋戦争 日本の敗因1 日米開戦勝算なし」(NHK取材班 初出1995年 角川書店)のP163〜170に商船暗号(マル・コード)についての記載があることを、教えて頂きました。
 リサーチ不足で、誤った主張をしたことを、深くお詫びします。

 「余談」については、事実に基づいた修正を行いますが、それまでの取敢えずの処置として、當該部分については、削除いたします。




 さて、ここで話は変わって、以降は余談である。

 アメリカ海軍が、1943年初頭から、商船暗号(海軍暗号S)を解読し、潜水艦部隊に情報を提供し、その結果、日本の輸送船が壊滅的な打撃を受けたことは、秘密でもなければ、新発見の情報でも何でもない、前述のように、30年も前に市販されている本に書かれている当たり前の史実だ。
 であるのだが、どういうわけか、日本の海上護衛戦に関する資料や書籍でそのことに触れているものはほとんど無い。

 「回想録」や「海上護衛戦」は、古いので、そのことに触れていないのは、理解できないことはない。(もっとも、プロの軍人でありながら、暗号解読の可能性を検討すらしていないという点は、非常に問題ではある。また、「回想録」は5回も出版し直されているのだから、1983年、1992年の朝日ソノラマ版では、暗号解読に触れるべきではある。)

 しかし、最近のものでさえ、暗号解読に触れていないのはどういう訳なのか。
 少し古くなるが、NHKの「ドキュメント太平洋戦争 第1集 大日本帝国のアキレス腱 〜太平洋シーレーン作戦〜」(1992年12月6日放映)でも暗号解読の話は出てこなかったし、最近では、21世紀になってから出た、大内建二の「輸送船入門」「戦時輸送船隊」「悲劇の輸送船」といった輸送船シリーズにも、暗号解読の話は出てこない。
 2010年7月に出た最新の「戦時標準船入門」でも、日本輸送船の被害の原因として、アメリカの「大規模な潜水鑑戦力の整備」(潜水艦の建造、欠陥魚雷の改善)と「効果的な作戦方法の開発」(狼群戦法の採用)を挙げ「日本の商船の敵潜水艦により被害が昭和十八年四月頃から急速に増えだした大きな原因はアメリカ海軍潜水艦隊の周到な準備と効果的な戦法にあったのである。」(P43〜44)と書いており、暗号解読については、全く触れていない。
 唯一の例外は「太平洋戦争 喪われた日本船舶の記録」(宮本 三夫 2009年 成山堂書店)だが、これにしても、P2で、色々と損害の原因の分析をした後で、たった一行「米軍による暗号解読も被害拡大の一因と考えられる。」と簡単に記載しているだけである。どう見ても、余り重視しているようには思えない、
 恐らくこれは、可能性を示唆しているだけで、暗号解読の実情を把握していないのだろう。

 これ以外の研究者が、暗号解読に全く触れていないのは、暗号解読が、日本の輸送船の壊滅に何の影響も与えていないという判断なのか、しかし、そのような判断は、明らかにアメリカ側の記録に反するし、暗号解読自体に関して全く触れていない理由にもならない。

 うすると、いやな想像になるが、日本人は、未だに「情報」や「暗号」を「無視」ないし「軽視」しているのではないかという疑いがわいてくる。
 つまり、輸送船の壊滅に、「情報」や「暗号」が関係しているとは思ってないから、「情報」や「暗号」関係の資料を調べていないのではないか。
 もっといえば、そもそも「情報」や「暗号」について、何の関心も持っていないため、はなから「情報」や「暗号」に関する資料を調べようとも思っていないのではないか。


 極論だと言われるかもしれないので、別の事例を挙げよう。

 アメリカの駆逐艦イングランドは、1944年5月19日〜30日までの12日間で、伊16と「ナ」哨戒線に展開していた7隻の呂号潜水艦のうちの5隻の合計6隻を次々と撃沈している。12日間で6隻の潜水艦の撃沈というのは世界記録だそうで、潜水艦史では有名な話である。(戦史叢書「潜水艦史」防衛庁防衛研修所戦史室 1979年 朝雲新聞社 P313)
 「潜水艦史」では、その原因として、モリソンの「第二次世界大戦における米海軍作戦史」によるとして「米軍は哨戒機の発見、無線方位の状況、日本軍の目的に対する理論上の推理等から、日本潜水艦の捜索線を割り出し」たとある。(「潜水艦史」P319)
 この件に触れた、日本の資料や書籍は、私の知る限り、この戦史叢書の見方を踏襲している。

 しかしこれも、「太平洋暗号戦史」によれば、日本海軍が出した「ナ」哨戒線の移動命令を傍受したJICPOAが、苦心の末解読し、新しい「ナ」哨戒線の位置を割り出し、それを対潜グループに伝えた結果、達成できた戦果である旨書いてある。しかし、そのことに触れた日本の資料も書籍も見たことがない。

 ここでも、30年前の本に書かれていることが、未だに反映されていないのだ。
 これでは、今に至るも、日本人は、情報を「無視」ないし「軽視」しており、その重要性に気づいていないと思わざるを得ない。かっての日本海軍を笑えない、情けない話である。



 最後に、余談の余談として、自戒の意味も含めて、以下の文章を引用したい。

どうして日本軍は自軍の艦船が行く場所に、これほど多くの潜水艦がいることを、すべて偶然や敵情報部の予想のせいにはできないことに気づかなかったのか、不思議である。敵にとって有利に働く何かほかの要素がなければならないのである。
 信じられないことだが日本の幕僚たちは、太平洋のように広大な大洋でたんに幸運や好判断だけでこれだけ撃沈するには、アメリカの資源をもってしてもまかなえないほどの大潜水艦隊を必要とする、という計算をしなかったらしい。
 この問題には別のアプローチもあったはずだった。すなわち米太平洋潜水艦部隊の潜水艦の数をしっかりと推定し、次いでこれだけの数で、これほど多くの場所で、これほど多くの攻撃に成功することがどうしてできよう、と計算してみるのである。いずれの方法にせよ、これらは基本的にありそうにない数字であることが明らかになったであろう。
」(「米国諜報文書ウルトラin the パシフィック」P274)

 文中の「日本軍」「日本の幕僚」を「歴史研究者」に置き換えれば、残念ながら、現在でも十分通用する。


参考文献(初出順)

大井篤「海上護衛戦」初出1953年 日本出版共同、1975年 原書房、1983年 朝日ソノラマ、1992年 朝日ソノラマ、2001年 学習研究社 参照したのは1992年の朝日ソノラマ版
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防衛庁防衛研修所戦史室「戦史叢書 海上護衛戦」 1971年 朝雲新聞社
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防衛庁防衛研修所戦史室「戦史叢書 潜水艦史」1979年 朝雲新聞社
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NHK取材班「太平洋戦争 日本の敗因1 日米開戦勝算なし」初出1995年 角川書店
「世界の艦船」No.337 1984.6増刊「第2次世界大戦のアメリカ軍艦」海人社
エドウィン・トーマス・レートン他「太平洋戦争 暗号作戦―アメリカ太平洋艦隊情報参謀の証言〈下〉」初出1985年、翻訳1987年 TBSブリタニカ
NHK「ドキュメント太平洋戦争 第1集 大日本帝国のアキレス腱 〜太平洋シーレーン作戦〜」1992年
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ジョン・ウィントン「米国諜報文書ウルトラin the パシフィック」初出1993年 翻訳1995年 光人社
サイモン・シン「暗号解読」初出1999年 翻訳2007年 新潮社
大内 建二「輸送船入門」2003年「戦時輸送船隊」2005年「悲劇の輸送船」2007年 「戦時標準船入門」2010年 光人社
宮本 三夫「太平洋戦争 喪われた日本船舶の記録」2009年 成山堂書店


参考ウエブサイト

「桜と錨の海軍砲術学校」(http://navgunschl.sakura.ne.jp/)
「戦没した船と海員の資料館」(http://www.jsu.or.jp/siryo/sunk/tairyou.html)
「国土交通省国土技術政策総合研究所」(http://www.nilim.go.jp/)
 


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