STAY GREEN〜GREENのブログ〜

京都市在住で京都の近代史を勉強している者です。なお、ブログの趣旨に添わないコメントは削除させていただく場合があります。

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井上源吉『戦地憲兵−中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)−その1

〈初年兵への体罰について(1937年3月)〉
 
 
 三月中旬の北京の風は骨身にしみるほど冷たく、枯れ葉をすっかり落とした車長安街の合歓(ねむ)の並木は寒々としていた。その並木の下で中年の女をともなった三人の若者と二人の少女がたちどまって私たちの教練をながめていた。きれいな姑娘(クーニャン)だなァ、とうっかり見とれていた丸田二等兵の頬にいきなりピンタがとんだ。   
 
 「こら!何をみとろんなら。今年の初年兵は態度が太い、まったくたるんどるんじゃけん」   
 
 初年兵係の岡崎次郎上等兵が岡山弁でどなった。初年兵のなかの一人がヘマをやると、共同責任だというわけで、夜の点呼後に初年兵全員がピンタをとられる。今夜がまた恐いな、と思うと、午後五時に近く教練を終えて帰営する足が重かった。こんなとき西の空に沈んでゆく真っ赤な太陽を見ていると無性に故郷が恋しくなる。  
 
 兵営に帰れば自分のことはあとまわしにして上等兵の巻脚絆をとり、靴をみがき、小銃の手入れをしなければならず、自分のものはそこそこに炊事場ヘメシ揚げ(炊事場へ食事を受領に行くこと)にかけつける。そして班長への食膳運びに先を争うわれわれ初年兵にとっては、自分のメシはいつのどを通ったかわからないほどのあわただしさである。炊事場へ食器を返納するのも一苦労でメシつぶひとつでもついていれば、容赦なく炊事兵からピンタを頂戴するのだった。   
 
 「第何班○○二等兵はメシあげに行ってまいります!」   
 
 「第何班△△二等兵はただいま厠(かわや=便所)から帰りました!」   
 
 班室の出入りには必ず精いっぱいの大声で報告しなければならない。緊急の場合にそなえて所在をあきらかにしておく必要かおるのはわかるが、それならなぜ二年兵にはその必要がないのか。   
 
 「第二班井上二等兵はただいま入浴から帰りました」   
 
 「遅いぞ!今ごろまで何をぐずぐずしとったんなら!」   
 
 早いといってはどなられ遅いといってはどなられ、初年兵は一体どうしたらよいのかわからなくなり、ただおどおどするばかりだった。   
 
 午後八時までに二年兵の寝台をととのえ、軍衣の整頓をする。そして午後八時、点呼をうけて員数をしらべられる。点呼のときには班の先任下士官が一,二年兵を整列させ、「第何班総員何名、事故何名、事故の何名は衛兵勤務何名、公用出張何名、炊事勤務何名、異状なし」などといって週番司令の将校に人員を詳細に報告する。点呼がすみ週番司令の将校の足音が遠ざかると、特っていましたとばかりに初年兵係上等兵のどなり声が私たちに襲いかかる。   
 
 「初年兵は二列横隊に整列!」   
 
 私たち初年兵が、さあおいでなすったとばかりに恐る恐る整列すると、   
 
 「前列まわれ右!今日のおんどらの態度はなっとらん。一人の失敗は初年兵全員の共同責任だ。むかい合い同士で対抗ビンタはじめ!」   
 
ときた。おたがいに故郷を遠くはなれともに苦しんでいる仲間同士がどうして力いっぱいなぐれよう、形ばかりの
ビンタをはりあうと、   
 
 「そんなことで何の役にたつか、ビンタとはこうしてやるんだ、見とれ!」   
 
 二年兵が一人の初年兵の頬を皮のスリッパで力いっぱいなぐりつけた。見る見るうちに、彼の頬は紫色にはれあがり、痛さをこらえる顔がゆがみ、目にはうらみの涙が光っている。   
 
 「上官の命今はすなわち天皇陛下の命令である」「上官の命令はその理由の如何を問わず、ただちにこれに服従すべし」というのがかれらのいい分だった。白を黒だといわれても、黒を白だといわれても、初年兵はただ黙ってこれに服従せねばならず、ひとことのいいわけも許されない。初年兵をしごくのが「天皇陛下のお心」とはけっして思わないが、この命全権を悪用するいわゆる上官なるものを勝手にのさばらせておくのは、私には何としても承服できなかった。   
 
 やがて午後九時の就寝時間となり、"新兵新兵靴すって寝、また寝て泣くのかよ−"という消灯ラッパがきこえてくる。私たち初年兵にとり消灯ラッパは一日のしごきの終わりを告げる福音ともいえるものだが、その音は何ともものがなしくざびしいものだった。ようやくぐっすり寝こんだころになると今度は「おい○○二等兵交代だよ」と低い声で揺りおこされ、綿のように疲れた体で眠い目をこすりながら不寝番に立つ。一時間の立番を終えて毛布にくるまっても、手足が冷えていてなかなか寝つかれない。これが初年兵の一日なのだった。   
 
 入営して数日後のことであった。夜の点呼がすむと私は初年兵係上等兵に呼びつけられた。軍靴の手入れが悪いというのである。   
 
 「天皇陛下からおあずかりしておる軍靴を粗末にあつかうとは犬にもおとるやつだ。底の土をきれいに口でなめて取れ。それから、軍靴をくわえて各班へ挨拶まわりをしてこい!いいか、人間ではないんだから立って歩いちゃいかん、はっていけ。各班の入口で、第二班井上二等兵は軍靴の手入れが悪く犬になってご挨拶にまいりました。以後必ず気をつけますのでなにとぞお許しを願います、といってまわるんだぞ!」と命じられた。ばかばかしくて腹わたが煮えくりかえる思いだが、反抗は許されない。泣く泣く各班をまわれば、「犬が来た、犬が来た。水をぶっかけろ!」と掃除バケツの水を頭からあびせかけられる。「シッシッ、犬め早く出ていけ!」と思いきり尻を蹴とばされるなど、いやはやとんだ災難だった。   
 
 当時陸軍の兵営内ではこのほかいろいろな体罰が行なわれていた。たとえば、休憩時間のない初年兵が便所に隠れてタバコを吸えば、火事だとどなって窓からバケツで水をぶっかける。洗濯物を盗まれればセミだといって物干し場の柱に登り、ミンミンと鳴きながら小便をたれさせる。小銃の手入れが悪ければ整頓棚の下にはいり中腰になって捧げ銃をし、「三八式歩兵銃殿、○○二等兵はあなたの手入れが悪くてまことに申しわけありません。今後はゆめゆめ粗末には扱いませんのでなにとぞお許しを願います」と点呼後から消灯までの約一時間このままの姿勢をとらされた。   
 
 せめてものなぐさめは、戦友の二年兵西内三郎一等兵がやさしくて、よく面倒を見てくれることだった。   
 
 「井上よ、つらいだろうがしばらくのあいだだ。我慢するんだよ。一期の検閲が過ぎれば、だいぶちがってくるからな。軍隊はどこの隊へ入営しても皆これなんだ。俺も初年兵のときにはさんざんしごかれたものだったよ。俺は上等兵候補(上等兵に進級できる見込みのある成績優秀の者を選び特別教育する)に失敗して今でも二つ星だが、お前はよくできるんじゃけん、一所懸命やって早く上等兵になってくれ。軍隊ではなんといっても星の数がモノをいうからな。この連隊では、満一年で二人だけ伍長になれるんじゃけ、来春には一選抜(第一回目の選抜)で伍長になり衛兵司令になってやつらを見返してやれよ。お前には充分その素質があると中隊長殿がいっていたよ」   
 
 人目をさけたところでよくこのようにいって慰めはげましてくれた。(17-20頁)
 
 

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