オーストリアの首都ウィーンは舞踏会でも有名だ。一年中舞踏会が開かれているが、特に1-2月にはタキシードやドレスでおめかしした男女で街中がにぎわう。大統領が出席する国立オペラ劇場の舞踏会から、カフェ店主・医師・ハンターの舞踏会まで、歴史ある舞踏会が一斉に開かれるためだ。
国立オペラ劇場の舞踏会は入場料が250ユーロ(約3万3000円)で、 4人用テーブルは720ユーロ(約9万5000円)が別途に掛かるが、チケット入手は夢のまた夢だ。オーストリアはウィーンの舞踏会を国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界無形遺産に登録するため2010年に立候補した。
ところが、12年1月にウィーンの舞踏会は世界無形遺産候補のリストから消えた。候補対象となった17の舞踏会の一つ、男子大学生同好会連合(WKR)の舞踏会が原因だ。この同好会はナチスを連想させる極右政党「オーストリア自由党」と連携した組織だった。オーストリアの人権団体が「ホロコーストを否定し、人種主義を掲げた同好会の舞踏会がなぜオーストリアの文化遺産になり得るのか」と抗議したのがきっかけだ。
ナチズムに融和的だったと非難されてきたオーストリアだが、この件で国中が大騒ぎになった。ノーベル文学賞受賞者であり、オーストリアのユネスコ委員のエルフリーデ・イェリネク氏は抗議の意思表示として委員を退いた。ユネスコのオーストリア委員会は結局、WKRの舞踏会だけでなくウィーンの舞踏会全てを無形文化遺産の候補から外した。
こうした欧州での出来事を再び思い出したのは、隣国・日本のニュースに触れたからだ。日本政府はこのほど、八幡製鉄所、長崎造船所、「軍艦島」と呼ばれる端島炭坑を2015年にユネスコ世界文化遺産に推薦する方針を明らかにした。「19世紀後半に日本が工業化を達成するのに貢献した施設だから、世界文化遺産に登録する価値がある」というものだ。
問題は、この施設が日本の軍国主義により始まった太平洋戦争で徴用により連行された韓国人が犠牲になった場所だということだ。長時間労働と賃金未払いに苦しみながら亡くなった人々はもちろん、長崎造船所で軍艦建造に動員された韓国人の多くは、1945年8月の原爆投下で絶命した。端島炭坑も1944-45年に韓国人約800人が連行され、このうち122人が事故などで死亡した。
日本はアジア諸国で唯一、19世紀末に産業化を達成した「近代化の模範国」だ。こうした成功の歴史が詰まっている産業革命の遺産を自慢したい気持ちは十分に理解できる。過去の歴史を持ち出し、世界文化遺産申請にまで盾突く韓国が恨めしいかもしれない。しかし、数千万人の命を奪った戦争の記憶が残る遺跡を世界文化遺産に申請するなら、ユネスコの精神を一度は確認すべきだったろう。オーストリアのユネスコ委員会が昨年、ウィーンの舞踏会について論議を巡らせていた時に述べたように、ユネスコは他文化の寛容と尊重、人権と平和を最優先価値として考えているからだ。