書評・黒田篤郎著『メイド・イン・チャイナ』(東洋経済新報社)
丸川知雄(東京大学社会科学研究所)
日本では2001年に入ってから、中国の産業の実力に対する評価が一気に高まり、「中国は世界の工場」とまで言われるようになった。本書はそうした中国の産業に対する再評価の機運に先鞭をつけてきた著者によるこれまでの調査の集大成であり、同時に日本の経済社会に対してもっと危機感を持つべきだと訴える警世の書でもある。
著者の黒田氏は、1998年から2001年にかけてジェトロ産業調査員として香港に滞在し、現在は経済産業省資金協力課長の任にある。香港滞在中に黒田氏は中国やアジア各国でのべ300社もの企業を訪問するなど精力的な調査活動を行ったが、本書ではそうした調査のエッセンスが一般読者にも読みやすくまとめられている。
まず第1章では中国の企業形態が紹介されるが、平板な紹介ではなく、実際の見聞や写真なども引きながらわかりやすく書かれている。第2章では家電、IT製品、オートバイといった分野で中国の現地系企業(即ち外資が入っていない国有企業や民営企業)が日系企業のシェアを奪いつつ台頭しているとして、特に注目すべき10社として海爾、康佳、TCL、科龍、美的、格力、格蘭仕、華為、連想、北大方正を紹介している。第3章から第6章までは中国の3つの産業集積地、すなわち珠江デルタ、長江デルタ、北京中関村に焦点を当て、それぞれの特徴と優位性を分析している。なかでも圧巻は珠江デルタに関する部分であり、珠江デルタのなかで様々な産業がどのように波及し発展したかに関する歴史的分析や、珠江デルタの競争力に関する分析は興味深い。3つの産業集積の構造と特徴は特に電気電子産業に力点をおいて記述されている。それぞれの電気電子産業の特徴に応じて、珠江デルタは輸出志向、委託加工中心、中小企業中心、安価な人材と特徴づけられ、長江デルタは内需志向、合弁中心、大企業中心、高級な人材に特色を持ち、北京はソフトやR&Dが集積している、とする。3地域は産業の「頭脳・上半身・足腰」として相互に補完性を持っており、有機的に連携しあうことで中国の総合的な産業競争力を高めていくだろうと展望している。
第7章、第8章では、中国経済の台頭が東南アジアと日本に突きつける課題について述べている。従来、アジアでは最も人件費の高い日本にもっとも先進的な産業が立地し、日本で比較優位を失った産業は人件費がより安い韓国・台湾、タイ・マレーシア・インドネシア、中国、ベトナムへと次第次第に移転していく、といういわゆる「雁行型モデル」が成り立っていたのが、昨今は日本企業がデジタルカメラ、PDPなど先端的製品の生産拠点を日本からいきなり中国に移転するケースが増えており、中国の存在が雁行型モデルを乱している。中国はASEAN諸国に比べて一般ワーカーが豊富で低廉な一方、技術専門人材も多く、部品産業の厚みもあるため、日本企業は中国を生産拠点として高く評価している。さらに、ASEANの市場統合がもたついている間に中国の現地系企業がASEANに進出し始めている。中国は雁の群に現れた鵬のごとく、先行する国々が得意としていた産業分野を次々と飲み込んでいく一方、低コスト生産における優位性も一向に失わず、後続のベトナム、ミャンマーにいつまでもバトンタッチしない。このまま行くとアジアの産業が中国にどんどん集中し、中国の一人勝ちになる可能性がある、という。
こうした中国産業の台頭に対抗するには、ASEANは域内の市場統合を進めるとともに開発力を向上し、人材を増やしていく努力が必要であろう。日本はハイテクデバイス、素材、高度な産業機械など中国がまだ弱い産業を磨き、ソフトや研究開発の能力も高めていく必要がある。そのためには、外国人労働者を導入し、アジアからの優秀な人材も受け入れ、中国に学んで産学連携も進めていくべきだ。日本企業は競争力を高めるためには中国の優れた環境を活用すべきだし、中国人従業員の能力を引き出すためには経営の現地化を進めるべきだ、と提言する。
第9章では、中国が抱える国有企業問題、金融・財政・通貨の問題、政治の問題などに触れ、これらは確かに懸念材料ではあるものの、問題を克服できる可能性もある以上、中国はどうせうまくいかないから、と中国産業の脅威をみくびる姿勢を戒めている。
「はじめに」などでも触れられているように、著者の黒田氏は事実上香港赴任とともに中国に関する調査をスタートしたのであるが、わずか3年のうちにこのような素晴らしい報告をまとめられたことに敬意を表したい。本書に登場する中国企業の何分の1かは評者も黒田氏とともに訪れたが、その範囲で言う限り、中国産業の現状と競争力に関する本書の記述には些かの誇張もない。同時に、本書は中国の企業制度や中国産業の問題点などについてもきっちりと押さえている。中国経済研究の立場から見ると、珠江デルタ産業集積の成立史と競争力に関する分析は重要な貢献であるし、ASEANとの比較分析は中国ばかり見てきた評者にとっては新鮮な視点であった。本書でなされている日本、ASEAN、日本企業に対する提言には評者もすべて賛成だが、「中国の激しい産学連携競争の現場を見ると、日本の大学の競争意識の低さ、悠長さには歯ぎしりする思いだ」という指摘は耳が痛い。
ここでは本書を批評するというよりも、本書で示された論点について少し展開してみたい。第一は「雁行型モデルを乱す中国」という点である。この指摘は非常に興味深いが、もともと赤松要が1930年代に着想した雁行形態論のオリジナル・バージョン(これを雁行形態論Ver.1と呼ぼう)と、本書で批判されている雁行型モデル(これを雁行形態論Ver.2と呼ぼう)とは異なることに注意する必要がある。赤松要が1935年に打ち出し、その後色々な論文で繰り返し書いている雁行形態論Ver.1とは、一つの後発国における特定の近代産業の発展過程を記述するものである(赤松[1945],[1965])。まず、先進国からの輸入によって新しい産業に対する需要が拡大し、内需の拡大は民族資本による投資を誘発して国内生産が始まり、生産が発展すると輸出も始まる、というように後発国における近代産業は輸入→生産→輸出という発展段階をたどると赤松は論じた。
ただ、赤松は1962年の論文(Akamatsu[1962])において、雁行形態論Ver.1を精緻化すると同時に、その派生系として二つのタイプの雁行形態に言及している。第一に後発国において、まず粗放的な工業製品の輸入からスタートし、粗放的製品が国内で生産されるようになると、粗放的製品の輸入は減少してより精緻な製品の輸入が増え、続いてより精緻な製品も国内で生産されるようになる、という粗放的製品から精緻な製品への雁行形態的発展である。第二は、先進国は技術革新によってより高度な製品の生産へと移行する一方、後発国も先進国を追いかけて工業を発展させるという世界経済の雁行形態的発展である。
後に小島清が先進国において労賃の上昇によって比較劣位化した産業が直接投資により後発国に順次移転していくという「日本型直接投資」論を雁行形態論に加えたのがおそらく雁行形態論Ver.2の原形である(小島[1975])。ところが、その後広まった雁行形態論Ver.2は、なぜかアジア諸国が日本を先頭に整然と隊列を組んで発展していくというものになってしまっており、これに対して小島(1990)は「雁行形態論の真意をいささかも解しない」と批判している。
本来、先進国の労賃上昇で比較優位を失った産業は人件費が最も安い国に移転する方が有利であるはずであり、雁行形態論Ver.2がいうようにアジア諸国が列をなして成長していく理論的根拠は薄い。黒田氏の議論は、アジア各国の産業発展を規定する要因として市場や人的資源の「規模」が重要な意味を持つということを指摘しているが、これは各国のレベルだけをみる雁行形態論Ver.2の問題点を的確についている。
もともと赤松要は、雁行形態論Ver.2のように各国が雁の群のごとく整然と発展してくというようなビジョンを持ってはいなかった。むしろ赤松は各国の経済が時には「異質化」し、時には「同質化」する弁証法的プロセスとして世界経済の発展をとらえていた。即ち、先進国は技術革新によって後発国に対して産業の「異質化」を図るが、後発国も技術や資本財の導入によってキャッチアップすると、産業が「同質化」し矛盾(=競争)が高まる。黒田氏の議論を赤松流に言い換えれば、中国が巨大であるために、先端的産業においては日本、韓国、台湾とも同質化する一方、電子電機産業などではタイ、マレーシアとも同質化する一面を持ち、さらに労働集約的産業ではベトナムなどとも同質化していることが、アジア経済における矛盾を高めている。各国は中国との異質化を図るという課題に共通して直面しているといえる。
第二の論点は、中国産業の台頭に対する日本という国の対応と日本企業の対応とについてである。本書ではこの二つはきっちり分けて論じられているが、併せて読むと些か二律背反の感がなきにしもあらずであった。本書は日本企業が競争力を高めていくためには最適地に生産拠点を移していくべきであり、とりわけ中国の生産基盤を活用すべきだ、と提言する。たしかに、日本での雇用維持にもこだわらず、優秀な人材は国籍に関わらず登用し、いわば「日本企業でなくなる」ことも厭わずに多国籍化へ突き進むことが日本企業の課題であろう。だが、こうした企業行動の結果、中国の産業はますます強大になり、日本の産業空洞化が進む。かつては日本企業の競争力強化が日本の産業発展に直結していたのが、今後両者はむしろ矛盾する可能性が高い。この矛盾を認識した上で、日本政府としてははっきりと日本という国の競争力強化に軸足を据えた方がよいと思われる。日本企業が中国を活用するのであれば、中国企業にも日本を活用してもらえるよう投資環境の整備や人的資本の増大に努めるべきだろう。かつて日本の強すぎる産業競争力がアメリカとの貿易摩擦を引き起こした結果、ここ20年間は国の競争力強化は控えてきた感もあるが、中国の台頭の前で再び政策のギアを切り替えるべき時に来ているのではないだろうか。
中国経済と日本経済の異質性が高かった時代には中国経済研究は異質なものとして中国を理解することに努めていればよかったのかもしれない。だが、中国と日本の同質化が始まっているいま、これからの中国経済研究は日本というものを意識せざるをえないのではないか、と本書を読みながら感じた次第である。
(参考文献)
赤松要(1945)『経済新秩序の形成原理』理想社。
Akamatsu, Kaname,(1962) “A Historical Pattern of Economic Growth in Developing Countries,” The Developing Economies, Preliminary Issue No.1.
赤松要(1965)『世界経済論』国元書房。
小島清(1975)「雁行形態論の新展開」『海外事情』1975年6月号。
小島清(1990)『続・太平洋経済圏の生成』文真堂。
(2001年11月刊,294ページ,1700円)