宗像 直子
RIETI上席研究員
今年1月に署名された日本とシンガポールの自由貿易協定(FTA,正式には「日本シンガポール経済連携協定」)は日本にとって初めての二国間FTAであり、今後、ほかのアジア諸国と経済関係を強化していくうえで、多くの貴重な経験を得た。
筆者は通産省(現経済産業省)で、マレーシアのマハティール首相が1990年暮れに提案した「東アジア経済協議体(EAEC)」構想以来、東アジアのフォーラム(地域的枠組み)をめぐる論議に携わってきた。89年に創設された「アジア太平洋経済協力会議(APEC)」には、アジアが安全保障も経済も依存する米国も加わった。一方のEAECは米国抜きであり、APECとは異なる選択肢だった。
米政府の強い反対、東南アジア諸国連合(ASEAN)内の主導権争いもあり、この構想が当時実現する可能性はなかったとはいえ、日本はこの問題について明快な姿勢をとれなかった。当時、「アジアだけのフォーラムは日米同盟をないがしろにするもので、戦前に国を誤った、忌むべきアジア主義に通じる」というのが支配的論調だったように思う。その後も、米国の参加しないアジアのフォーラムを語ることは、一種の「タブー」であった。
状況が転換するのは、97年のアジア通貨危機だ。
危機の「伝染」がアジア経済の相互依存の深さ、利益の共同性を実感させた。国際通貨基金(IMF)の伝統的緊縮政策が経済危機を深め、米国が中南米の場合とは異なり、二国間支援に消極的だったことが反発を生んだ。APECでは通貨危機への対応は議論されず、危機に翻弄される国々のAPECへの関心が決定的に低下した。
97年暮れ、ASEANプラス3(日・中・韓)の最初の首脳会議がマレーシアで開催された。その後、FTAも選択肢とする日本、韓国など北東アジア諸国の政策転換、中国の経済的台頭と地域外交の活発化などで、東アジアの枠組みの検討が活発になってゆく。
アジア通貨危機は、タブーを変え、米国も政府として反対を表明しなくなった。10年前には考えられなかった変化だ。
しかし、東アジアの経済統合が実現するかどうか、本当に重要なのはこれからである。筆者は、東アジアという枠組みが、重層的な国際関係の一つの選択肢として有効に機能してほしいと考える。また、日本経済の将来は東アジアの成長機会への参画なくしては希望が持てないと確信している。だからこそ、一筋縄ではいかない東アジアの現実を直視し、内外の障害を一つひとつ取り除いていく息の長い取り組みと、これを支える強い覚悟が必要だと思う。
日本とシンガポールのFTA締結を1つの節目として、日本が東アジアの地域秩序の形成に積極的に関与するため、どんな姿勢が求められるのか。本稿では現状を分析したうえで、問題点を指摘して、最後に具体的な提言を試みたい。
経済統合統合の構想は80年代から
東アジア経済統合に向けた動きは、大きく4つの時期区分が可能だ。簡単に振り返ってみよう。
第1期は、80年代から始まった構想間の競合。米ASEAN・FTA、APEC、EAEC、ASEAN自由貿易地域(AFTA)等があった。ASEANの既存の経済協力を基礎とし、位置付けが異なるAFTAを別とすれば、実現したのはAPECだった。
米ASEAN・FTAは、急激な自由化を懸念するASEANの反対で実現しなかった。同時にこれは、米国が安全保障とともに経済でも「ハブ・アンド・スポーク」の地域秩序をつくる予兆と捉えられた。これ対し、「スポーク」の先の国々も対等に参画するものとしてAPECが構想された。この時期は、内容よりもむしろ構成国が争点の時代だった。
第2期は、クリントン政権誕生とともに93年に始まる、APECの優位の確立期だ。ASEAN諸国の抵抗を乗り越え、APECで貿易投資自由化を進めることになった。94年の首脳会議で、先進国は2010年、途上国は2020年までに貿易投資を自由化するという「ボゴール宣言」が出された。一方、アジアの途上国が期待した経済協力の位置付けは低かった。同時に、北米自由貿易協定(NAFTA)が完成し、米州自由貿易地域(FTAA)が打ち出され、APEC内の米州とそれ以外の非対称性が意識されるようになった。
97年7月に発生した通貨危機が転換点となり、第3期が始まる。この時期に東アジアのフォーラムがタブーでなくなった。さらに、世界貿易機関(WTO)の最恵国待遇原則の例外であるFTAが、日本、韓国など北東アジアでも政策の選択肢として認知された。
98年秋、日韓FTA構想が金大中大統領の訪日を契機に検討され始めた。韓国は同年11月、明確にFTA推進政策を打ち出した。シンガポールはニュージーランドの提案を受け、独自のFTA交渉を決断した。99年秋にはシンガポールが日本にFTAを提案し、約1年後に交渉開始が合意された。米国もシンガポールとのFTA交渉を開始した。メキシコやチリと東アジア諸国とのFTAも検討された。
WTO加盟交渉を進めていた中国は、アジアの二国間FTAの活発化を苦々しく見ていたようだ。WTO加盟のめどがつくや、2000年11月にASEANとのFTAの研究を提案、翌年11月には10年間でFTAの交渉を完了することでASEANの合意を取り付けた。
こうして、現在に続く第4期が始まる。中国は、米中関係が緊張した99年夏ごろから、「多極化戦略」の一環として近隣諸国との関係強化に力を入れ始めた。ASEANをはじめ近隣には中国脅威論がある。中国は、FTAを活用して自ら先に関税を引き下げ近隣諸国に市場機会を提供することで、その脅威感を軽減することができると認識するようになった。
「中ASEAN・FTA」への動きは域内外を刺激した。ASEANをめぐり、日本の包括的経済連携構想、韓国ASEAN・FTA研究、米タイ貿易投資枠組協定、米フィリピンFTA、豪州タイFTAなどの取り組みが動きだした。日韓は今年3月、FTAの公式検討に合意した。香港は対中国FTAを検討し、台湾は、米国、日本、シンガポール等にFTAを打診している。
東アジア経済統合の求心力と遠心力
二国間FTAに加え、地域レベルでも「東アジアコミュニティ」の構想がASEANプラス3の首脳会議で取り上げられ、今年の首脳会議に向け検討されている。しかし、二国間の動きの方が活発だ。それは、この地域に求心力と遠心力の両方が働いているためである。
第1の求心力は、欧米の地域統合の進展に取り残されてはならないという意識である。第2に、貿易摩擦時の一方的措置、通貨危機時の対応等、折々の米国の理不尽さに対しアジアが団結して立ち向かうというものだ。これは時に欧州との共同行動に結びつく。第3に、深まってきた東アジアの相互依存関係を反映し、頻繁に企業取引のあるところで各種の取引コストを下げたい、という実態的な必要である。GATT/WTO体制は、先進国の関税引下げに大きく貢献したが、途上国の関税引き下げはこれからだ。また、国内制度とかかわるルールづくりは、百数十カ国も加盟するWTOでは技術やビジネスの変化に対応して十分迅速に動けない。
他方、東アジアには遠心力も働く。第1に、域内大国間の経済的・政治的競争関係と、域内各国の発展段階・政治体制・外交姿勢の多様性だ。第2に、アジア諸国は安全保障、経済の両面で大きく依存する米国を疎外できない。第3に、アジア諸国は、欧州統合のような厳格な制度化に懐疑的だ。
求心力と遠心力が作用する中、今後も一気に東アジア諸国を束ねた統合が進むのではなく、二国間FTA等がアジア域内外で同時並行的に締結されるだろう。そして第1期と異なり、二国間、地域、全世界の各レベルが相互に影響し合う競争的、重層的な協力が続くだろう。各種フォーラムが共存しつつ、地域の現実にあった枠組みを模索する過程だが、拙速に将来の姿を「決め打ち」するよりも、できるところから相互依存関係と信頼関係を深め、各国の利害の収斂を着実に促すことができ、望ましいと思う。日本にとっても、アジアの一員として根を下ろすことと対米関係とが緊張関係に立たない、成熟した国際関係を築くうえで重要な道程になるだろう。
国同士の信頼関係構築が不可欠
東アジアの経済統合を実際に進めるに当たっては、具体的に克服しなければならない課題がいくつかある。
第1は、自由化が政治的に困難な分野である。WTOは無差別原則の例外であるFTAを認める条件として、「実質上すべての貿易」を対象とすることを定めている。具体的基準は明確でないが、欧州連合(EU)などの相場観は90%だ。
東アジア諸国はおのおの、農業やサービス業に自由化が難しいものを抱えている。また、先進工業国は構造調整の遅れたかつての基幹産業(例えば繊維や素材)の自由化が難しい場合がある。先進国の自由化困難分野は往々にして途上国の主要輸出産業であるため、先進国が政治的困難を克服して自由化に取り組まないと途上国を含む域内統合は難しい。
第2は、途上国の能力である。途上国がグローバリゼーションの恩恵を受けて経済を発展させるには、外貨を獲得できる産業が不可欠だ。途上国も含めて経済統合を進め、貿易・投資の自由化を促すなら、途上国が投資を誘致し、産業を育成し、自由化の便益を享受できるよう、制度設計、インフラ整備、官民の人材育成等の支援を併せて行うべきだろう。
第3は、日本のリーダーシップに対する信頼の欠如だ。日本は、戦後、冷戦構造下の米国の世界戦略に従い経済復興に専念する中で、近隣諸国に十分向き合ってこなかった。歴史問題は、被害者側では必ずしも時間とともに希薄化しない。わだかまりがある間は、記憶は次代に継承される。加えて冷戦後、民主化、言論の自由が広がり、インターネットが各国の動向を瞬時に伝え、手軽な議論の場を提供するようにもなり、歴史問題が国民感情において新たな重みを持ってきている。また、域内の勢力均衡が急速に変化する中で、日中間の相互不信が克服できなければ、安定的な東アジアの枠組みは成立しない。
地域統合という営みは、相手を選んで特別の関係を結ぶことである。WTOのようなグローバルな枠組みとは異なり、客観的条件を満たせばそれで加盟できる、というものではなく、国と国との信頼関係が前提になる。
日本は「二重構造」をどう解消するか
長引く経済停滞の中で存在感が小さくなっているが、日本は今なお東アジアの経済の3分の2を占める圧倒的経済大国である。以上述べた課題のいずれも、日本の対応がその解決の成否を左右する。その日本の将来展望は、発展するアジアがもたらす新たな機会を日本がいかに享受できるかに左右される。企業は近隣諸国に生産拠点を置いて現地の豊富な若手人材を活用し、国内では付加価値の高い活動に集中することで競争力を高める。消費者は低価格を享受する。日本に輸出を拡大する発展途上国は、豊かになり、日本にとっても魅力的な市場として成長する。
日本の戦後の経済構造は、国際競争力のある一部セクターが経済を牽引し、多数の保護された非効率なセクターにさまざまな手段で富の再配分をする「二重構造」だった。右肩上がりの成長では、競争力あるセクターが伸び、その富が配分されて、国民の所得水準が高まり消費も増えて好循環が期待できた。再配分が非効率セクターを経由することによる損失も気にしないで済んだ。しかし、グローバリゼーションと情報技術の普及により、競争力ある経営資源は、組織も国境も超えて、自らの価値を最大化できるところに向かうようになった。日本は今後、高齢化が進み、内需の拡大は限られる。二重構造はもはや維持できないのに、非効率な産業は国内にとどまって保護と補助金を求め続け、経済構造改革を妨げる力となる。
この二重構造は、日本のアジア諸国との経済統合と本質的に相いれない。アジアの経済統合に向けた政策努力は、日本に自由化困難な分野への取り組みを促し、日本経済を活性化する。加えて、人々や情報の交流が拡大すれば、日本は近隣諸国に残る不信感を払拭すべきだという圧力が高まると予想される。その中で日本の国家戦略、日本がアジアで果たす用意のある役割を明示することが求められるだろう。日本は、近隣諸国の信頼を得ることによって対外交渉力が高まり、地域の安定により効果的に貢献できるようになる。
FTAは改革の手段になる
日本国民の多くは「この国がいつまでも非効率な分野を保護する費用を払い続けるわけにもいくまい」と感じ始めているのではないか。他方で、政治の世界では、政党の違いが政策の違いに対応せず、大きな政策転換を決断し、強力に進めることが難しい状況にある。
しかし、「政策を軸に政界が再編成されるまでは何も進まない」と努力を放棄すべきではない。大きな方向転換ではなくても、問題の少ないものから徐々に自由化し、制度を変える作業は、若い世代に新たな挑戦を可能にする。既得権を有する人々にとっても、子供や孫の将来の問題であり、受け入れられやすくなっているのではないか。
日本とシンガポールのFTAは、そんな地道な取り組みの1つだった。シンガポールは日本にとって自由化が困難な輸出品目は少ないうえ、国際競争力ある事業環境を整備し続けることが「国家の生命線」と切実に感じている国だ。最初の成功事例を作る上で大切な相手であった。
難しい輸出品目が少ないという点を取り上げて、日シンガポール協定は現状維持の協定だと批判されることがあるが、実際はそうではない。日本は石油化学や繊維など、製造業で自由化が困難とされていた分野において関税撤廃を盛り込むとともに、聖域とされていた農業等についても分野を完全に例外とすることなく、いくつかの品目についてはWTOで認めた以上の関税撤廃を約束している。特定分野を丸ごと聖域として一切議論しない状態から踏み出し、品目ごとに何をどれだけ自由化できるか、という具体的な議論に進んだ。
どの国にも政治的に自由化が困難な品目はあるが、日本のように特定分野を丸ごと聖域扱いし、それ以上議論をしないことによって、実態以上に閉鎖的なイメージをつくって損をしている国はほとんどない。品目ごとの具体的議論をすることによって、政策の合理性も理解しやすく、説得力を持つようになる。
シンガポールの次にFTAの可能性が公式に検討されているのはメキシコである。NAFTAやEU−メキシコFTAによって、メキシコの主要な貿易相手国が無関税で様々な製品・部材を輸出できるようになったのに対し、日本だけが輸出品に10〜20%という関税を払わなければならない。日本から遠く、気候も異なるメキシコの産品は、日本にとって、どちらかといえば競合的というより補完的だ。FTAが成功する可能性に希望が持てる。
FTAの可能性を公式に検討し始めた第3の相手国が韓国である。日本に最も近い隣国であり、ともに米国の同盟国であり、経済協力開発機構(OECD)加盟国であり、多くの利益を共有している。この共通の利益に着目し、歴史的な反目を乗り越えたい、という願望が両国にある。発展段階が近いせいか、政治的に自由化困難な品目も似ているところがあり、互いに対する脅威感は存外小さい。
これらのFTAを締結できるかどうか、現在のところはわからない。しかし少なくとも、対象を慎重に選んで、成功の確率を高めようとする工夫がなされていると思う。比較的実現可能性の高い改革の成功体験は、周囲の期待を変え、より困難な改革への道を拓くことになる。
日本とシンガポールのFTAの設計思想は、両国のビジネスにとって具体的な障害は何か、どうすれば取引コストが下がると企業は考えているか、などを調べ、解決策を提供することだった。交渉相手国の政策の成功事例、課題、その国の希望や日本やアジアに対する認識等を深い実感を持って学べる。協定自体とともに、それをつくる過程も日本の対外政策の貴重な資産になる。
こうした作業は、外圧とは異なり、相手国と内容を主体的に決める点で、自己決定による改革である。日本の改革にはずみがつき、アジア諸国との協定を締結する過程を通じて、日本がアジアの繁栄と安定に整合的な役割を果たすようになることを期待したい。
日米の国益は合致する
EAEC構想以来、米国がアジアの枠組みを評価する基準は、米国参加の有無だった。米国が参加しないもの、例えばASEANプラス3は排他的だとされた。しかし、米国の対応は急速に変化している。少なくともブッシュ政権は、アジアの取り組みを外側から批判して妨げるのではなく、これに自ら積極的にかかわろうとしている。この変化は、EAECへの反対にもかかわらずASEANプラス3ができたことの反省に立つ戦術的なものかもしれない。日本の停滞と米国経済の再生で東アジアの統合が脅威でなくなったという面もある。しかし、より根本的に、東アジアが成熟し、統合されるよう支援することは、そのための枠組みにおける米国参加の有無にかかわらず、米国の国益に合致するものだ。
第1に、日本経済の将来展望は、アジアのダイナミズムに依存する。その日本経済は、世界経済とともに、アジア太平洋における平和と安定を維持する米国の努力に大きな影響を及ぼす。従って米国としては、日本がアジアからの競争を受けて立ち、経済構造改革に取り組み、アジアの挑戦を機会に転ずることを奨励することが得策なはずである。
第2に、相互依存は相手の繁栄が互いの利益になることであり、相手をより予見可能で信頼できる存在にする。これは緊張を緩和し、米国の安全保障負担を軽減する。すでに東アジアでは、多様な接触や交流が進み、相互理解が深まっている。経済統合の枠組みができれば、物やカネのみならず、人、サービス、情報(思想や文化も含め)の交流がさらに増え、この動きを加速するだろう。貧しい国々をうまく統合できれば、政治的安定につながり、新たなテロの温床発生も防げる。
第3に、日本がアジア諸国に信頼される存在になれば、米国の同盟国としての価値が高まる。第二次世界大戦後、日本は、米国の傘の下で隣国からの風圧から守られてきた。米国抜きの地域的枠組みの中では、日本が戦後の歴史の中で置き去りにしてきた問題に直面せざるを得ない。日本がアジアの地域統合に取り組む過程で、アジアにしっかりと組み込まれて隣国に信頼されるようになれば、米国にとってもより価値ある同盟国となるだろう。アジアにおける日本の指導力を認めることは、米国の影響力を減ずるものではなく、米国の同盟ネットワークの有効性を高めるのではないか。
米国にはアジアの発展に貢献しつつ、自国の利益を増進できる方策がある。第1は、グローバルなリーダーシップだ。WTO新ラウンドの成功、国際金融機関におけるアジアの発言力拡大など、アジアをグローバルな枠組みにしっかりと組み込むために、これらの枠組みの強化が重要である。
第2に、アジアでの主要な二国間関係、特に日本や中国との関係のいっそうの強化である。また、米国とアジア諸国との二国間FTAは、アジアの経済統合によい刺激を与える。
第3に、かつて欧州の和解と統合を支援した米国は、類似の役割をアジアでも果たせないか。例えば、アジア経済統合の構成要素となる日韓FTAやASEAN統合に推進力を与えることが考えられる。また、日本がより自立して責任ある同盟国となり、同時に、隣国の信頼を得られるようになることを促す整合的なメッセージを送ることが期待される。
日本は、以上のような米国にとっての利益と貢献の可能性を堂々と主張すべきだ。それは、日本が米国にもほかのアジア諸国にも信頼されることにつながる。
東アジアのフォーラムが、米国はもちろん、日本からもほかの東アジア諸国からも祝福されないという事態に筆者が衝撃を受けてから10年余り。東アジアの情勢は大きく変化し、制度的な経済統合に向けた機運が高まっている。これは喜ばしい半面、日本は重い課題を突きつけられる。しかし、東アジア経済統合に取り組む過程を通じて、日本は戦後の忘れ物を取り戻し、国家としても社会としてもあるべきバランスを回復できるのではないかという希望がある。日本という国が貢献できることについて世界の、中でもアジア諸国の期待がある間にこの挑戦に取り組むことが、日本が最終的に20世紀を卒業し、未来への出発点に立つ所以であると思う。