自分の話。
絵本やらDVDやらにしこたま散在してきたが、最近そろそろ親子英語をやめたくなってきた。息子の日本語の発達も気になるといえば気になるし、いい加減、英語で語りかけることにも飽き飽きしてきた。
自分の母語でない言語を、一番近しい家族に、自分の意思でもって自発的に話しかけることに、精神的な限界を感じる。自分の英語力がどうとかではなく(英語に問題はない)、そういうことをしている自分へのなんともいえない嫌悪感と違和感だ。
語りかけ開始当初から感じ続けてはいたが、今も感じるし、それならばやめてしまったほうがよいような気がする。ちょうどタイムリーな記事も読んだことだし。いよいよ潮時か。約一年ほど語りかけをおこなった。そのうち熱心にやったのは数ヶ月だった。
絵本の読み聞かせは、まだたくさん残っていることだし、まあ続けようかと思う。早まってたくさんの児童洋書を買い込んでしまっていて、小学校時代はラクに持ちそうなくらい在庫がある。
DVDもあらかた見たが、見せてもこどもがまだ喜ぶうちは見せておこう。
ただ、母語以外の語りかけは、やはり何をどう考えても、私の本能がやんわりと拒否をしているのが分かる。そういう不自然なことはやめておこう。直感というのは、たいていにおいて正しいのだから。無理をして続けたことは、あとで必ずガタが来る。
語りかけに抵抗がない人は続ければ良い。わたしはやめる。
英語は高校からやっても、全く遅くない。自分は、高校から開始して、十分すぎるくらいの英語を獲得した。ただし、獲得したからどうということもない。どうということがある人もいるだろうが、自分には当てはまらなかった。かくに、英語とはそれくらいの立ち位置なのだ。それに一喜一憂しながら子育てするのも、馬鹿げている。
やりたければ、どんなに止められたとしても、自分の意思で、然るべき年齢に始めるだろう。逆に必要なければやらないだろう。それが英語であろうが何であろうが。その選択権は、こどもに与えていいと思う。
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