2006年03月05日

レイディアント シルバーガン

LINK 100000B.C. -RADIANT SILVERGUN

「ものすごくとってもひじょうにすばらしく」さんで知った、レイディアント シルバーガンの隠しメッセージについてのページです。マニアの方には有名なのだと思いますが、僕は初めて知り、とても興味深く感じました。

レイディアント シルバーガンのストーリーはこちらのサイトが詳しいです。「カモフラージュ文」になく「原文」の最後にはある文章は、ストーリー最後(エンディング)のクリエイタのモノローグにあたるものです。

サターン版発売当時のゲーム業界

レイディアント シルバーガンのサターン版は、極めて激しかったプレイステーション、セガサターン、ニンテンドウ64による三つ巴の次世代機競争において、PS勝利が誰に目にもハッキリしていた頃に発売されました。

ゲーマー向けの良質なゲームに恵まれていたサターン、64に対し、ゲーム業界では新参者で経験不足だったはずのSCEが、数々のライトユーザー向きの斬新なゲームでゲーム業界を席巻し、誰も予想できなかったほどの大成功を収めていた頃でした。まさに経営者、プロデューサーたちが

視野の狭い商売人:
「これからは視野を広く、ライトユーザーを中心としたゲーム作りが必要なのだよ」

と連呼していた時代だったと思います。思うに「ライトユーザー」という単語がゲーム業界のマーケティング用語として使われるようになったのも、この頃が最初だったのではないかと思います。

しかしサターンは、3D表示こそ弱かったものの2D表示が強かったため、2D格闘ゲームやシューティングゲームなどは独壇場でしたので、ゲーマー層の支持は根強い物がありました。そんな中で、元々セガ寄りだったトレジャーが、レイディアント シルバーガンをサターンで発売させたのも当然のことでした。そんな、言わば「負け組」からの発売を強いられたレイディアント シルバーガンは、僕の記憶では、当初の期待ほどのセールスは挙げられなかったと記憶しています。

切り捨てられた「ゲームらしいゲーム」

そんな時代が、ディレクターの井内さんに以下のメッセージを吐かせたのでしょう。

ただ、経営者、営業職、開発職、販売職、そしてユーザーの方々にも考えてほしいのです。この切り捨て文化であるゲームの事を・・・
正しき主観を持つ者:
「この最悪の市場を見てみろ、これが自業自得の現状なんだよ」
客観的代弁者:
「争いを止めることはできない。創造者も商売人もお互いが正義だと思っているからな・・・」
時代にとり残された私にできることは・・・
再びゲームを再生させること・・・

「面白い」ゲームらしいゲームが売れなくなり、その代わりに「ライトユーザー」向けのゲームがバカスカ売れる、そんなゲーム業界に未来はあるのか?というようなメッセージですね(個人的には、SCEのPS時代にヒットした一連のライトユーザー向けゲームは、とても「面白い」と僕は思ってます。念のため・・・)。

頑固一徹に「ゲームらしい骨太なゲーム」を作り続けてきたトレジャーの開発者たちにとって、まさに「時代にとり残された」と身につまされる時代だったのだろうと思います。

当たっていたことと、外れていたこと

しかし面白いのは、まさに当時ライトユーザー向けのゲーム、たとえばパラッパ・ラッパーやIQ、Xai、どこでもいっしょ、みんなのゴルフなどで大成功を収めていたSCEが、PS2以降になるとソフト提案力が失速し、逆にゲームらしいゲームの権化のような存在だった任天堂が、SCEのお株を奪うようなライトユーザー向きゲームで市場を席巻するという、逆転現象が起きていることです。

そういう意味で言えば、レイディアント シルバーガンに込められたメッセージは当たっていたとも、外れていたとも取れます。

当たっていたのは、視野を広く、ライトユーザー向けにゲームを作ろうという戦略は、逆に視野が狭く(というより認識が浅い)、じきに行き詰まりを見せるだろうということです。SCEのその後を見れば、まさに予言が的中したと言えます。

しかし井内さんに「視野の狭い商売人」と断罪された

「これからは視野を広く、ライトユーザーを中心としたゲーム作りが必要なのだよ」

という言葉は、まさにDSにおいて任天堂が何度も繰り返しアピールし、そして実現したことそのままです。

つまりゲーム業界を閉塞状況から救ったのは、ゲームらしいゲームのクローンではなく、従来のゲーマー層以外をターゲットにした、ライトユーザー向けのゲームだったということです。

歴史は繰り返す?

しかしDSにおいてミリオンヒットを連発させる、かつての黄金期を彷彿とさせる状況を作り出した任天堂も、レイディアント シルバーガンのラストで語られた通り、所詮繰り返される歴史の一部に過ぎないのかもしれません。個人的にもそのように感じる部分があります。ブームというものは、必ず過ぎ去るからこそ「ブーム」なのですし。

これは、始めから決まっていたこと・・・
そう、幾度となく繰り返されていること・・・
時代にとり残された私にできることは・・・
再びゲームを再生させること・・・
そう、幾度となく繰り返されていること・・・

結局、レイディアント シルバーガンにおいては、歴史の輪廻から脱出することは叶いませんでした。しかし恐らく、そこから脱出するためには、以下のメッセージが鍵になると、井内さんは考えておられたのでしょう。

希望的観測者:
「しかし、世の中が移り変わっていっても・・・変わらないものが一つだけあるはずだ」

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/arere/tb.cgi/2971204
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※半角英数字のみのトラックバックは受信されません。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
__ どうも、僕たちの好きな「ゲーム」が変わってしまっている気がする。______ 1998年の初夏、unformatの打ち上げで入った渋谷のいろはで、酩酊したままわっと君にこんな事を話し
ちょっとExTENDについての主観を。【ExTEND】 at 2007年04月10日 12:50


 
※半角英数字のみのコメントは投稿できません。