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「日本人が不幸になったのは…」山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪”

産経新聞 10月5日(土)12時44分配信

「日本人が不幸になったのは…」山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪”

山田洋次監督(栗橋隆悦撮影)(写真:産経新聞)

 日本映画界の巨匠、山田洋次監督(82)が、「男はつらいよ」全48作を順次放送するBSジャパンの新番組「土曜は寅さん!」(土曜午後6時54分)が10月12日から始まるのを前に、産経新聞のインタビューに応じた。山田監督は「男はつらいよ」の主人公、寅さんが最近、若者を中心に人気を集めるようになった事情や、56年の時を隔てて行われる2度の東京五輪についての考えなどを語った。

 −−なぜ寅さんは今でも愛されているのでしょう

 「今でもというか、ずっと人気があったんじゃなくて、近年また人気がありますね。どうしてなのかな。

 一つは東日本大震災の後、あちこちで寅さんの上映会をずっとやってきて、つらい時、悲しいことがたくさん起きたときって、その人たちが求めるのは笑いなんだなって。その笑いも、バラエティーのような笑いじゃなくて、寅さんの持っている笑い。寅さんのような人間に会いたい、なぐさめられたい。そういう役割を寅さんは持っているということを、一昨年の震災後に感じたことはあります。

 それがきっかけになって、映画館でもちろん見たことのない若い人、おじいさんが好きだったとか、父親がテレビの再放送を見て笑っているのを見て『なんでうちの親父はあんなもの見て笑っているんだろう』と言っているような若者が、寅さんを見てみたら面白かったって。『寅さんって面白いな』という感じが、スクリーンから離れてフィードバックを始めている。それを僕も面白いと思っている。

 じゃあ人気の理由は何なんだ、と。一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。今の時代は、本当に日本人がどんどん厳しく管理され始めている。映画館に行ったって、指定券見せて入って、入ったら私語は交わさないでくださいとか、盗撮は犯罪ですとかいろいろとある。そういう窮屈さを今、日本人は感じ始めているのではないか。それは今のこの国の政治状況からいって、どんどん窮屈になるんじゃないかと思う。そんな中で寅さんは自由で、なんの拘束も受けない。それは発想が自由ということ。考え方がだんだん管理されているということが一番怖いことです。寅さんの発想は管理されていないから、極めて自由である。そんなことへの憧れが今、改めて若者たちに、寅さんを通して感じられる気がする」

 −−BSジャパンの番組(10月8、15日午後9時から放送の「昭和は輝いていた」)では、「寅さんを作った理由は渥美清さんに会ったから」と言われていますね

 「(寅さんのキャラクターは)2人で作ったんだよ。渥美清という人間から触発されて、この寅さんというキャラクターはますます膨らんでいった。渥美さんは自由な人だったんじゃないかな。あの人はおそらく、どこにも所属したことがないんじゃないか。拘束されるのは似合わないし、誰にも縛られない。考え方も縛られない」

 −−「男はつらいよ」で描かれた昭和という時代について聞かせてください

 「昭和といったって、3種類ある。まず戦前。戦中はない。これは消えてしまいたい時代。全く最低な時代。戦中は昭和に入らない」

 −−戦後は

 「復興の時代。(昭和39年の)オリンピックまで。このころ、もう一回自分たちの生活を回復しようと思って、日本人は一生懸命頑張った。それまで日本人が築いてきた生活をもう一度取り戻そうと。昭和20年代から30年代にかけて、あの時代が僕は本当に懐かしい。みんな元気で、子供がいっぱいいて。あのころの写真は本当に子供がいっぱい写っているよね。小さいお店がたくさんある。乾物屋さんとか、小間物屋さん、魚屋さん、八百屋さん。あの時代は日本人は元気だったんじゃないかな。労働組合も元気だったし、学生運動も盛んだったし。そういう活気にあふれていた」

 −−では東京五輪以後は…

 「高度成長になって、競争社会になっていく。学歴社会になり、管理社会への道が始まっていくんじゃないかなあ。風景もどんどん味気なくなってきたし」

 −−番組では「オリンピックが日本をめちゃくちゃにした」と言われてましたね

 「めちゃくちゃにしましたよ。この国がどういう国であるべきかというイメージがあのとき作られなかったことに問題がある。だから、モータリゼーションもあるし、日本中に高速道路を走らせ、何千億も金をかけて道をつくり、車に乗って日本中が移動しだす。どんどん線路が消えていく。そのことで幸せになったのか、ということがある」

 −−7年後にまた東京で五輪が開かれます

 「期待していない。オリンピックが終わった後がどんなに悲惨かというのは、ロンドンであり北京であり見えているんじゃないかな。施設のあとが荒涼としてしまう。東京もああなるかと思うとぞっとする。今大切なのは、オリンピックじゃなくて、福島じゃないですかね。この国は安全だって宣言しちゃったけど、本当にそうなのか。絶対そうじゃないと僕は思うな。だって毎日汚染水が見つかって海に流れ込んでいるんでしょ。何の見通しもなくて、どうして100%安全だって言えるのだろうか」

 −−東京五輪に反対だったのですか

 「オリンピックがいいとはあんまり言わないね。だってあれは日本人が言い出したことじゃないでしょ。政治主導で言い出したことでしょ」

 −−来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか

 「戦前の昭和です。東京の郊外のサラリーマンの家庭で、そこにはある穏やかな生活があった。それは戦後の昭和とはだいぶ違う。物語の中身は、人妻が若い青年に恋をする危ない話。そういうことを含めて、戦前の昭和のサラリーマンの家庭の穏やかな暮らし方を思い返したい、見つめてみたいということ。これは僕の少年時代の思い出でもあるわけだ」

 −−監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと

 「理想というと大げさだけれど、一つの形があった。つつましく暮らすということ。オリンピック以降は、うんとぜいたくな暮らしをしようとか、海外旅行だとか、豪華マンションとか、欲望が果てしなくなり、日本人が欲望の充足に貪欲になっていった。それが僕はとても不幸だと思う」

 −−「男はつらいよ」のDVDマガジンで、監督は寅さんの子供時代について小説を書いています。あれを映画化するという話は?

 「そういう夢もありますけどね」

 −−今の時代に、新しい寅さんを見てみたい

 「(寅さんの子供時代は)昭和10年代だからね。今の若者は、東京というか、日本の暮らしのなかで、お店屋さんを知らなくなっているんじゃないかね。日本の子供たちはかつてお店屋さんに育てられた。お豆腐屋さんにお豆腐買いに行ったり、八百屋さんにネギ買いに行って、豆腐屋のおじさんや八百屋のおばさんにしかられたり、『お父ちゃん元気か』って言われたり。

 今は不便になって、この前、鉛筆買いに行ったら、近くに文房具屋がありゃしない。コンビニ行きゃあるんだけど、もうちょっと面倒くさいものだとコンビニに売ってないでしょ。文房具屋がなくなる、本屋がなくなる、金物屋でちょっとした針金、トンカチ、くぎとかを買うために、なんとかセンターまで行かなきゃいけない。ネット(通販)になったり。昔はそれをお店に買いに行った。お店がなくなってしまったということは、日本人は大事な文化を失ってしまった。オリンピック以後だな。国の発展、人々の暮らしの形が変わった。(「東京物語」などの監督)小津安二郎は、ぜんぶ戦後の昭和20〜30年代でしょ。かつての日本人の暮らし方を表現しているね。今度は、お祭り騒ぎはこの国には似合わないと思うな。静かに暮らしたいと思う」

 −−大事な文化を失ってしまったということですが、映画で描きたいのはそういう部分ですか

 「そんな風に大げさに考えているわけじゃないよ。そういう思いをいつも抱いているわけで、それぞれの映画にはそれぞれのテーマがある。小津安二郎の映画が世界で大変な評価を受けているのは、それじゃないかな。日本人の暮らしに驚くっていうか。日本人の暮らしにあるさまざまな礼儀作法とか、たたずまいとかしぐさとか。それを外国の人は驚くんじゃないのかな」

 −−今年1月に公開された「東京家族」では、そういう部分にこだわった

 「そうですね。暮らしというか、ちゃんと見るということをしようと思った。だから、日本人の文化っていうか、日本人を簡単に表現するにはどうすればいいかは、これから先、戸惑うことになる気がする。オリンピックの話を聞いたとき、最初に思ったのがそれよ。オリンピックの開会式なんて何をやるのだろう。最も日本人を表現するものとは。阿波踊りとかになっちゃうのかね」

 −−監督は開会式の芸術監督になる気は?

 「全くその気はない(笑)生きてないよ、そのときは」

 −−監督にとって映画とは何でしょう

 「あまりそういうことを考えたことはない。君にとって新聞記者とは何か。僕の仕事よ、商売よ。僕は映画を作ってそれで生計を立てている。新聞社の試験を通っていれば新聞記者になっていた。そういうものですよ」(聞き手 本間英士)

最終更新:10月5日(土)13時59分

産経新聞

 
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