要旨: 着物の自然に関する図案と紋などから、日本人が自然が好きだということがちゃんと見られる。しかも、日本文化が感性の文化でもある。それから、着物の両面性から、日本人は模倣とともに創造が好きな民族で、日本文化も同時に進取の文化ということが分かる。最後は着物の伝統性という面から、伝統をしっかりと守り、伝統に対する熱烈な愛を持つ日本文化が見られる。
キーワード:着物 自然 模倣 創造 伝統
はじめに
桜と同じように、着物といえば誰でもすぐ日本を連想するだろう。着物はすでに日本の象徴として人々の頭の奥に深く残っていると言える。日本人の中に 大和民族に属する人が90%いることから名付けられたそうである。日本の伝統服装として、日本の伝統の色彩を色つけされた。昔々から、日本人の生活とお互 いに密接な関係にあって、日本人の習慣や美意識などに支えられ、今まで伝わってきたのである。
保温できるなど基本的な用途のほかに、芸術的に非常 に値打ちがある。特に女性の和服が芸術品と言えるほど色とりどりで華やかな上に、デザインも上品である。芸術への日本人の感覚を完全に表していて、鑑賞価 値と研究価値を大いに持っている。日本の伝統文化の象徴としても、日本という民族の象徴としても、世界中の多くの人々に納得されている。世界へ一番自慢で きる遺産である。仮に人が注目しなくなったとしても、掛け替えない位置に定着している。
さて、着物の背景に窺われる日本文化は一体どんなものだろうか、三つの方面から述べたいである。
一、豊かな自然性と自然好きの特徴
(一)着物に移る自然景色
着物というと、きっとそのエレガントな紋や美しい絵などが印象的だるが、着物の生地の上に付いた、多種多様な図案 が無意味な飾りというわけではない。その紋や絵はまるで自然の縮図のように、春夏秋冬や草、木、虫、魚など、私たちの目の前に生き生きと現れている。服の 上に花や草などをやきつけているということは普通なことではないか、どの国の服でもそうだろう、それが特別なこととは言えないだろう、といろいろ考えを持 つ人がたくさんいるだろう。着物を味わうことはあたかも芸術品の鑑賞のように、普通の人間の目で見るべきではない。その中に映る景色は日本人の本心ではな いだろうか。その中からこの国のある本質的な特徴と繋がっているものが掘り出されることができるようになる。それが自然に対する日本という国の人々の心持 ではないかと思う。自然との共存、あるがままの自然の享受と言える。
(二)自然好きの表現
地球上の多様な環境により、世界中には多様な衣装や飲食などの文化が存在するのである。着物はとりわけ恵まれ ている自然環境のおかげと言える。日本の人は自然を服装の上に集中して、世界中の人々に自然と密接な関係が見せているのである。着物の前身が中国の唐の代 の服という考えもあるが、自然性という面から見ると、日本の着物と肩を比べることができる服装を持つ国はないようである。満開の桜の木や重ねたしぶき、遊 び戯れている魚、秋の菊、北国の雪景色など、それらだけを思うと、目の前に自然の光景が広げられているのではないだるか。春夏秋冬の四季が次から次へと登 場してくるのである。着物文化は自然観がとても強く、また昔の人びとの知恵を織り込まれたオリジナリティ高いアートと言える。
日本人の中に、もし 「貴方は何故着物を着たくなるのだろうか」と聞かれたら、「着ていてとても気持ちがいいから」あるいは「何と言っても圧倒的にもてるから」という答えを出 す人が圧倒的に多いそうである。着物を愛着している人たちの共通なコメントだる。特に、女性にとっては、日本の四季の美しい花と草などの自然界の万物を身 に纏え、誰より艶やかになるからだろう。そこには日本人ならではの感性と身体感覚、自然感などにフィットした着物の着心地が語られている。自然についての 美意識は日本の文化形態と日本人の日常生活を支えているが、自然に対する感情はとても文字で表現できるものではない、たぶん、着物へ抱く気持ちはそれまで のことである。
(三)神様を守ること
日本人にとっては、自然は神様の存在するとことである。神は自然界の一草で、一木、小渓の中にいらしゃっるのである。 だから、日本人は自然な図案にある和服が着て、神様に保護しているようである。日本はまた神様を畏敬する国家で、神様のいない文化と生活は「文化と生活」 と呼ぶわけにはいかない。『古世紀』で、天皇は日本の天照大神の後裔です。だから、昔から、日本の戦争では、いつも天皇を名誉の首領として、神様の加護を 得ることを期待する。同様に日本人は着物を着て更に心の中で元気がある恵みを祈るようにしようか。
二、日本人の創造性
日本文化の中で、そもそも自分の持ち物が少なくて、その大部分は異文化から変えられてきたものである。日本文化の一つとして、着物文化もそうであ る。着物の文様、織りかた、染色、絞りなどは古い時期から、日本列島の外から取り入れたものが多い。中国の唐からも、朝鮮からも、天竺からもなど。そして 中世から近世にかけてはて、実際の情況と一致するところを探し求めて自分の物にした。南蛮から取り入れることが多くなる。
その上に、日本文化を「創造文化」と言ってもかまわないと思われる。創造性とは、これまで結びつかないと思われていたものともの、考えと考え、あるいは技と技とを結び合わせて、新しいもの、思想、芸術、技術などを創り出すことに成功することである、と心理学者は定義している。「成功する」というのは、それがほかの人びとの役に立ったり、感動を与えたりすることである。着物の歴史は異文化接触による創造の道筋を示している。それに着物を着ている人に暖かい感覚を伝えている。
例 え、日本の空気は湿度が高いから、着物はうまく温度と湿度との調節をするように工夫されている。幾重にも布が重なり合っているので、寒い時はきれときれと の間の空気が、体温によって温まり、暖房の働きをする。熱い時には涼風を誘い込む。そして寒い時も熱い時も、適当に湿度を調整する。おのずから空調の役割 を働いているのである。着物の帯は飾りの働きをするというよりも、もしろ女の体を暖かく守ってくれると言う。だから、日本という民族は「実用主義」の実行者と言っても過言ではないだろう。
そして、着物の特徴の一つは直線裁ちということである。直線的なデザインの和服は、都合のいいことに、あちこちに無駄な空間が自然とできることや重ね着が簡単なことで、熱や空気の出入りなどを洋服よりも簡単に調節することができる。着物が日本の風土に適したものだとはよく言われることであるが、これは物理的な構造と素材の効力を含め、非常に合理的な服であるからこそだと言えるだろう。
要するに、日本人は外来のものを真似して新しいものを作る創造力がその着物から見られる。
三、着物を大事にする愛国心
(一) 激しく変わる時代
50年代後の世界は激しく変わる時代である。グローバラゼーションというのはこの時代の一番著しい特徴のことであ る。先進国であろうと発展途上国であろうと、世界各地の様相が極めて大きく変わっているところであるが、それにその様相は大体同様ということが分かってい るだろう。日本では、洋服はその姿が現れたばかり、身軽というメリットで日本人の間で人気を呼んできていた。それに、周りの景色を見回すと、到る所でも現 代化の色彩を帯びたビルなどはずらりと並んでいるが、伝統的 な建築はすでに寥寥としていくらもなくなったことが見られている。多くの民族服は大体においてテレビや映画などでしか見られないのではないか。日本は世界 の一員としてその運命を免れることができなかったに違いない。それにもかかわらず、着物はグローバラゼーションの嵐の下に完全に残されてきた。
ヨーロッパ主義を盲目的に崇拝するおそれがあるから、西洋の文化を 排斥する声があちこちから湧き上がってきた。そこで、和服は再び日本人の身辺に戻ったわけである。それにしても、厳しいグローバリゼーションの試練に耐え ているところである。そのパワーが勢いよく激しくなっているといっても、着物をはじめとする伝統文化はほったらかされることではない。重要なお祭りなどの 華やかであるいは厳かでしめやかな場合に、必ず着物の姿がよく見られる。
着物を日常生活の中で活発にさせることができるように、そんなに伝統文化 を完璧に保護することができるのは、伝統を重んじる日本人の態度に密接な関係があるからである。ある民族の伝統的な資源を完全無欠に守ろうとするなら、そ の民族の人々の態度とやり方が何よりだと思われている。日本人は伝統を守る強い意識を持っている上に、どんな時でも、どんな場合でも、自分の文化を進んで アピールすることがよくある。日本の家庭の主婦は機会があれば、臨時のグループを作って外国人に着物などの知識を紹介してあげて、必要になったら自ら着物 を着る方法などを見せることが時々あるそうである。
(二)伝統文化を大事にする
伝統文化は精神上の頼りだけではなく、祖先から伝えられてきた貴重な宝物なのである。日本人が伝統を尊敬し伝統 を保護する、という意識はわれわれがまねるべきである。掛け替えない頼りにするよりも、守ろうという気持ちのほうが伝統文化の保存された原因なのではない だるか。それに対し、伝統祭りよりもバレンタインデーやクリスマスなどの西洋の祝日をえこひいきする中国人の若者が沢山いる。旧正月つまり中国人にとって は最も大事な伝統的なお祭りまで、2、30年前よりあまり賑やかではなくなった。中国の正月を無形文化財に申請するというニュースを聞くとは夢にも思わな かった。「どのように正月をちゃんと過ごしたらいいのかは国民自身が作るのだ。」と、国家非物質文化遺産保護委員会の副主任資氏がこのように言った。遺産 申請で伝統を守るとは、話にならない。遺産申請がなければ、国の伝統が何もかもなくなるわけだろう。
グローバラゼーションはもちろん逃れられない が、自分の文化を保護するのも同様に重要なことである。いずれにせよ、伝統文化がその国と民族のシンボルと精髄でもあり、各国の歴史の発展の目撃者でもあ る。着物文化の固守と相続こそ日本という民族の最も本質的なものを具体的に表している。たとえ現代の日本社会に着物という華やかな花が消えたら、日本人は 寂しくバランス悪く感じるだろう。
おわりに
上記のとおり、着物から見れば、日本文化の性質は一目瞭然である。自然にコンプレックスと呼ばれんばかりの感情を持つことからは感性の豊かな日本人、異文化を模倣す るだけではなく、それを改造して自分に応じる文化を創造することからは進取の気性に富んだ日本人、今まで伝統文化を完璧に保存してくることからは伝統的な 日本人、その三つから、異なった日本人の姿が私たちの前に現れてくる。そのような日本人から、日本文化が感性の文化、進取の文化、そして伝統の文化という ことが明らかになる。
参考文献:
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(编辑:Alan)