悲観的な見方は、そのような方法で財務省のキャッシュフローを管理することは違法であり、かつ不可能かもしれない、というものだ。特に、現金収入は大きく変動するためだ。だが、度胸試しのチキンゲームをする財務省は、たとえ事態に対処できると思っていても、悲観的な見解を主張するだろう。
債務上限を引き上げられなければ、よくても支出の大幅削減が必要になる。最悪の場合、米国はデフォルトする。バンクオブアメリカ・メリルリンチのアナリストらは、債務が上限に達したら、米国は即座に予算を均衡させねばならず、歳出を約20%、GDP比で4%削減する必要が出てくると主張する。そうなれば、米国は再び景気後退に追い込まれる。たとえデフォルトがなかったとしても、だ。
実際にデフォルトが起きた場合、特にデフォルト状態がしばらく続いた場合の影響は計り知れない。政府機関の閉鎖とは異なり、デフォルトには前例がない。それは、もっともな理由があってのことだ。そんな考えは自殺行為だ。
政権側は譲歩してはならない
では、政権はどうすべきなのか? 民主主義国においては、人は選挙に勝つことによって法を覆す。政府機関の閉鎖や全面的なデフォルトの脅しで覆すのではない。このような恐喝の脅しを受けている重要国の政府を運営するのは不可能だ。政権は譲歩するたびに自ら困難をさらに抱え込むことになる。譲歩はやめなければならない。
一部には、「法によって認められた米国の公的債務の有効性は・・・問題にされることはない」と定めた米国憲法修正第14項は、国債償還のための借り入れに必要な権限を大統領に与えると主張する人もいる。だが、そのような大統領の行動はリスクが高い。最高裁は大統領を支持するかもしれないが、憲政の危機そのものが有利な条件で借り入れを行う米国の能力を損ないかねない。
さらに言えば、1兆ドル硬貨を鋳造して、これを米連邦準備理事会(FRB)で担保として利用するという例の巧妙な提案も、大騒ぎを引き起こす恐れがある。
確実に無謀な人々を相手にするチキンゲームは、常に恐ろしいものだ。だが、政権は譲歩するわけにはいかない。ウィンストン・チャーチルのように、筆者はなお楽観している。米国は最後には正しいことをする。ただし、ほかの選択肢をすべて使い果たした後のことだが・・・。