着物のみらい-粋な女性がつむぐ日本文化-

Vol.2 前半 文筆家・コラムニスト
      井嶋ナギさん

今となってはいけ花は女性の文化・教養、というイメージが定着していますが、その歴史に女性が登場するのは実は江戸時代の後期。それまでは男性が担い手だったのです。

いけ花の歴史を調べる文献で出会った江戸時代に花をたしなむ遊女たち。花より何より、その彼女たちの美しさと艶やかな着物の世界に魅了され、安直にも翌日には日本舞踊花柳流、花柳美嘉千代先生の門を叩いていた私。
そこで出会った井嶋ナギさんは『色っぽいキモノ』の著者であり、日本舞踊花柳流の名取「花柳なぎ嘉乃」として舞台にも立つ、とても素敵な女性です。

日頃から女性として、また着物初心者としてたくさんの指南をいただいているナギさんに、改めて着物や江戸文化の魅力、またそこに居る粋な女性たちについてお話を伺いました。

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『色っぽいキモノ』に込められた思い

出版社、編集プロダクションを経て、アンティーク着物販売の会社に転職したナギさん。着物の知識を一通り習得した後、フリーライターに転身直後の2006年、『色っぽいキモノ』を刊行されました。日本映画、歌舞伎、美人画などに表現される“色っぽい”着物姿とその色気の所以を解説しながら、着付けのコツまで習得できてしまう…すっかり着物に縁遠くなった私たちにとって、着物への価値観が覆される一冊です。執筆にはどんな思いがあったのでしょうか?

ナギ:着物というのは一つの文化だと思うんですね。実用性やファッションというカテゴリーだけじゃなくて、生活に密着している文化の一つとしての着物に興味があったんです。着物を普段着として着ていた時代の思想や美意識や暮らし方にリンクしている、そんなリアルな部分を伝えたかったんです。
そこで、昔の人たちが暮らしの中でどのように着物を着こなしていたのか、男女関係なく、着物を着る着ないに関係なく、興味を持ってもらえる本ができたらいいなぁと思い、この本を執筆しました。

 

日本文化はあくまでも価値観の一つ


ナギさんが着物に興味を持ったのは学生時代。大学では最終的に「江戸文学」を専攻されていますが、何がきっかけで日本文化に興味を持たれたのでしょうか?

ナギ:日本文化に興味を持ったのは、単純にそういう暮らし方で育ってきていないからなんですよね、きっと。海外で暮らしていたこともあって、子どもの頃から海外文化に囲まれていて、両親からも海外の良いものをたくさん与えられてきた…けれども、「日本には良いものはないの??」という疑問がどこかであったんです。日本人として生まれて、日本人として育ったにも関わらず、日本文化を知らないことにずっと違和感がありました。
そこで出会ったのが、浮世絵や小説、映画など、魅力的な日本の歴史に残る作品たち。外国人的な視点での発見ですね。

そこから、江戸文学、歌舞伎、着物などを中心に日本文化の研究へと傾倒していかれたのですね。

ナギ:ただ、あまり強い憧れのような感情はないんです。その時代にタイムスリップしたいとも思わない。現代において、現代のことばかり見ていると、価値観が一つに固まってしまう気がしませんか?私は価値観が固定化されてしまうのが嫌で、色々な視点を持っていたいと思っているのですが、日本文化もその一つです。

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「ニッポンの色気」とは?

外見だけでなく内面からも滲み出る“色気”。日本の着物文化にまつわるその全てがつまった一冊が『色っぽいキモノ』ですが、この“色っぽい”というところにこだわった理由を伺いました。

 ナギ:若かったこともあるのですが…(笑)、自分がセクシーな女性になりたい!と、色気のある女性に憧れる感情があったんです。フランス映画に見るシモーヌ・シニョレ、ジャンヌ・モローのようなセクシーでかっこいい女性像って、日本だとどんなタイプになるのかな?と探していたところ、歌舞伎や小説の世界に見つけたんです、色っぽくてカッコイイ女性を。
特に惹かれたのが、映画『鬼龍院花子の生涯』。岩下志麻さんや夏木マリさんのかっこよさに魅了されて…こういうセクシーでカッコイイ着物の着こなしについての本がないかと探し始めてみると、参考書がない!何故!?というわけで、結局自分で研究するしかありませんでした。

ナギ:日本の女性と言うと「やまとなでしこ」的な、一歩引いて、おしとやかで…という一辺倒なイメージしかないのが解せない部分が前からあって。そんなはずはないだろう!と(笑)。そう思って調べてみると、やっぱり存在していたんですよね、西洋で言う“セクシー&グラマラス”な女性が。

でも、西洋のセクシー&グラマラスとはやはり違いがあるそうで…日本に存在する“カッコいい女性”の魅力とはどのようなところにあるのでしょう?

 ナギ:私が個人的に素敵だなぁと思うのは「粋な女性」。ここで言う“粋”とは、九鬼周造の言葉を借りると、諦めを伴っている、ということです。ちょっと寂しい感じ、切なさや、やるせない気持ちが伴っていると、粋でセクシーだと思うんです。

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※ナギさんオススメの、日本文化を知るための3冊。九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫)、泉鏡花『春昼・春昼後刻』(岩波文庫)、橋本治『風雅の虎の巻』(ちくま文庫)。

 ナギ:私は、九鬼周造の『「いき」の構造』にある、「運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である」という一文がとても好きなんです。粋というのは、男女関係における概念だと九鬼周造は仮定しているのですが、「媚態」というのは異性に対する想い、「意気地」というのは強気なさまを表していて、この「媚態」「意気地」「諦め」という、全てが互いに反発する方向に向かっているようなものがうまくバランスを取っている状態、それが「粋」だと思うんですよね。生きていれば誰だって、諦めないといけない状態に遭遇することってあるじゃないですか。もちろんそれは、男女関係以外にもあることで、そういう状態に陥った時には、この一文をふっと思い出すんです。

ナギ:西洋は欲望でも意欲でも、どんどん、とことんまで突き詰めるという思想があるように思いますが、日本はそこまでではなくて、「どうせ無理だよね」とか、「どうせあの人好きになっても添われないわよね」っていう感覚があると思うんです。それでも自信喪失状態になるのではなく、強気で色気を保ちつつ頑張るっていうアンビバレントなところが好きですね。

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※ナギさんのコレクションより、秋から冬にかけて活躍するという、紅葉や菊花が染めと刺繍であらわした縮緬の帯。

 

日本にある“調和の美学”

相反するもののバランスを取る、こうした思想は恋愛だけでなく、日本文化の随所に見られます。日本人が得意とする“調和”の美学についてお話を進めると、それは現代に暮らす私たちにも、とても大切な価値観のように思えてきました。

 ナギ:微妙なバランスを保つということは西洋にはあまりない価値観で、逆に“追求すれば追及するほど良い”みたいな、エスカレートする感覚って日本にはあまり根付いてない。例えば、海外セレブリティなんかは、結婚していたとしても、誰かを好きになったら離婚してまた結婚したりしますよね(笑)。こうした理想の追求を、日本人はあまりできないと思うんですよ。どこかで微妙なバランスを保とうとする美学があると思うんです。恋愛だけじゃなくて、例えば、茶室のしつらえにしても、書院造の室内にしても、過剰な部分はもちろんあるけれど、だけど全体としては調和した空間になっていて。

ナギ:だけどもちろん、日本にも、“行き過ぎ”てしまう感覚は、ある。例えば、日光東照宮なんてその最たるものですし、個々人を見ればそういう過剰な部分ってたくさんある。今の日本だったら、アキバ文化とかギャル文化なんて、その過剰さのひとつだと思うんですけど。それは生命力でもあり、それはそれで私はすごく好きなんですよ。

ナギ:私自身はとことん突き詰めて、攻めて行きたいと思っても、結局行けない自分がいたりして、どこかでバランスを取ろうとしてしまうところがあるんです。だから、過剰さにもすごく憧れる。だけどその一方で、“粋の美学”という“バランスを作るという美学”もある、ということに救われるなぁと。

「バランスを取る」というのは、最近では後ろ向きな意味合いで使われることも増えてきましたが…前出の「粋な女性」に見るバランス感覚、これは学ぶべきことがありそうです。

ナギ:そもそも究極的な目的として、人は死んでしまう、だったら楽しく生きたい、なるべく嫌なことを取り除いて、充実した時間を過ごしたい、そう思いますよね。そのためには自分自身が心地よいと思えるバランスを作る“考え方の選択”ができることが、実は結構重要なんじゃないかな、と思うんです。その考え方の軸さえずれなければ、強く楽しく生きられるのではないでしょうか。

ナギ:また、女性で言えば、何をもって美しいとするか?それは個々違う価値観が今の時代にはあると思います。その理想像は、一人の中にいくつも持っていていいと思うんですよ。理想の範囲が狭いと、ダメだった時にポキっと折れてしまうこともある。破天荒な女性、落ちるだけとことん落ちちゃう女性、おとなしい感じの女性…それぞれ素敵な側面がありますよね。だから「こうでなければ!」と決め付けずに幅を持たせておくこと、そこから自分のバランスを見つけることが大切だと思うんです。

 

※ヘッダー画像はナギさんのコレクションの中から、鮮やかなオレンジ色地に芍薬や鳳凰などが描かれたアンティークの長襦袢。

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