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<遠藤誉が斬る>朱建栄氏拘束の謎を解き明かす―「ネット言論」の落とし穴!

Record China 10月1日(火)7時0分配信

<遠藤誉が斬る>朱建栄氏拘束の謎を解き明かす―「ネット言論」の落とし穴!

7月17日に上海に戻った東洋学園大学教授の朱建栄氏が中国国家安全部に拘束された。その原因に関して多くの憶測が飛んでいる。事件の全貌を解き明かしたいと思う。写真は上海空港。

2013年7月17日に上海に戻った東洋学園大学教授の朱建栄氏が中国国家安全部に拘束された。その原因に関して多くの憶測が飛んでいる。「在日中国人を懲らしめて見せしめとする」や「スパイ説」、はたまた「中国政府の内部抗争に巻き込まれた」とする分析まで出ている。しかし9月27日(2時42分)になると、時事通信社が、かなり正しい情報を配信した。

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それは朱建栄氏が「沖縄県・尖閣諸島に関する非公開の中国外交記録を、政府研究機関・中国社会科学院の学者から入手していたことが26日分かった。それを日本の政府当局者や記者、企業関係者を含めた360人以上にメールで送付していた」というもの。

これまで筆者は朱建栄氏のプライバシーがあるので沈黙してきたし、取材もお断わりしてきた。しかし時事通信社がここまで報道したのであれば、事件の全貌を解き明かしたいと思う。

朱建栄氏が拘束される直前まで、筆者は朱建栄氏から直接メールをもらっていた。彼は複数の相手にBCCで不定期に中国に関するニュースをメール送信していた。そのタイトルは「参考消息」。90年代後半から数年間送信し中断。2012年3月31日から再び開始。「新・1号」として送ってくるようになった。

問題の一つは、この「参考消息」というタイトルにある。

実は「参考消息」というのは、毛沢東が1931年に中国江西省の瑞金で始めた刊行物の名称だ。発行母体は新華通信社の前身である「紅中社」。1949年の建国後も発行し続け、中共中央の中枢トップが「参考にする内部情報(消息)」として絶大な力を発揮していた。

1957年に雑誌から新聞形態の日報になり、ごく一部の指導者の内部資料からより多くの関係者が閲覧できるように変化していき、改革開放後は中国人なら誰でもが閲覧できる新聞へとなっていく。

そうは言っても「参考消息」は新華社が管轄する新聞だ。その同じ名前を使うこと自体、本来なら処罰の対象となる。これまで朱建栄に対してお咎めがなかったのは、限られた知り合いに送信していた程度だったからだろう。

しかし2012年3月に再開した「参考消息」はネットで閲覧できるようにURLで示されている。そのため中国国内にいるネットユーザー、特に政府当局も閲読できる。おまけに国家の権威ある「参考消息」という名称を借用しながら、内容的には中国批判を堂々と行うアメリカ在住の華人華僑が運営するウェブ情報を数多く含んでいる。これは相当に危険だ。

2013年1月29日、危険水域を越えると判断される「参考消息新・9号」なるものが送信されてきた。テーマは“中国側の「棚上げに関する暗黙了解」に関する資料”。曰く:

<中国に「档案法」があり、50年以内の公文書は公表できないことになっている。それで一部の学者はそれを自ら入手して明らかにしているが、筆者も、中国社会科学院の学者経由で、外交部档案(公文書)に記載された「棚上げ」に関するほかの一部の記録を入手した。(原文のママ)>
(「档案」(ダンアン)とは「永久保存用の機密公文書や記録」のこと。筆者注)

その上で、以下の4つの項目に関するやや詳細な機密情報が中国語で書いてあった。
(1)1974年11月:韓念龍副外相と東郷外務次官との談話内容
(2)1978年4月:堂ノ脇公使と王暁雲アジア局長との談話記録
(3)1978年4月:廖承志・全人代副委員長と宇都宮徳馬議員らとの談話
(4)1978年10月:トウ小平副総理の訪日(福田首相との会談および記者会見)

▼「七不講」に抵触か

内容自体は中国側に有利なものであるが、問題は50年という年月。文書が送信されたのは、2013年。どう計算しても50年は経っていない。違反だろう。
朱建栄氏は7月4日に「参考消息」の「新・14号」を送信してから上海に行った。しかしこの時すでに中国大陸では大きなうねりが動き出していた。

5月13日に「中弁9号文件」が通達されていたのである。「中弁」は「中共中央弁公庁」の略。通達名は「現今の意識形態領域の状況に関する通報」だ。ここで言う「意識」とは「精神思想」(イデオロギー)のこと。西側の価値観により「中国の特色ある社会主義的価値観」を国内外から汚染させるなという指示を軸に、「七つの語ってはならないこと」が書いてある。そのため中国語のネットでは「七不講」(チーブージャーン)と俗称されている。

七カ条の最後には「海外においてインターネットや地下活動を通して間違った思想を中国国内に浸透させようという動き」および「国内のネット言論における間違った主張」という言葉があり、特に注意が喚起されている。
「七不講」通達とともにネット空間における多くのオピニオンリーダーが次から次へと拘束された。主として新公民運動を唱えて「憲政、民主、公正」を主張する知識人だ。アメリカ国籍の華人も含めて、その数100名を超える。

薄熙来裁判を控えて、中共中央は毛沢東時代の「社会主義的価値観」を掲げて思想統一の強化を図ろうとしていた。そのため弾圧の対象はネット言論で影響力を持つ知識人ばかりだ。その中に朱建栄氏もいたということだ。

朱建栄拘束の謎を解く鍵は「URL」。そしてBCCの中に日本政府関係者もいたのだろう。それでも彼がニュース配信をネットにアップしていなかったら、拘束されなかったかもしれない。(<遠藤誉が斬る>その1)

遠藤誉(えんどう・ほまれ)
筑波大学名誉教授、東京福祉大学国際交流センター長。1941年に中国で生まれ、53年、日本帰国。著書に『ネット大国中国―言論をめぐる攻防』『チャイナ・ナイン―中国を動 かす9人の男たち』『チャイナ・ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ・ギャップ―噛み合わない日中の歯車』、『●(上下を縦に重ねる)子チャーズ―中国建国の残火』『完全解読「中国外交戦略」の狙い』など多数。

最終更新:10月1日(火)7時0分

Record China

 
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