2013.10.6 05:04(3/4ページ)

神様ありがとう!虎・桧山、万感フィナーレで「日本一」誓う 

阪神・桧山に花束を贈る巨人・阿部=甲子園球場(撮影・岡田亮二)

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 「父親はすべてにおいて厳しかった。怖かった。でも、野球の楽しさを教えてくれた」

 亡き父・隆一郎さん(享年75)と歩んだ野球人生だ。「まだ、残っているよ」。京都市内の実家の隣。父が経営する染色工場を半分壊して、作られた十畳ほどの練習場が原点だ。アマ球界で名をはせた隆一郎さんの手ほどきを受け、小学4年時から始めた野球。朝6時に起床し、ランニング。部活動を終え、帰宅後も、夜11時過ぎまで手作りのティーネットに向かって、打ち込んだ。気を抜けば、鉄拳が飛んできた。話は背筋を伸ばして、正座で聞いた記憶しかない。

 「顔が死んでるぞ!!」

 プロ入り後は、電話越しに打席での心構えの未熟さを叱責された。独身時代には、父の計らいで母・桂子さんが甲子園の主催試合の際は桧山のマンションに住み込み、料理を振る舞ってくれた。2005年に永遠の別れを告げてから8年。シーズン開幕前をはじめ、節目には欠かさず、父の墓前に花を手向ける。「丈夫な体に生んでくれた両親のおかげ。どんなときも明るく接してくれた家族。ありがとう」-。

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