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  エデン 作者:川津 流一
18.休息
 ブラートがいつも露店を開く広場へと足早に移動する。
 昼食時のラッシュはとっくに終え、いくらか落ち着きを見せる時間帯。多少は通りを歩くプレイヤーの数も減っている為、歩きやすくはなっているはず……だが始まりの街ダラスの人口密度のなせる業か、一向に大通りのプレイヤー達の数に変化は見られない。
 そんな混雑の中を縫うように歩く。
 昼食を取っていないので、身体が空腹を訴えているがあえて無視。恐らくは途中で道草を食う時間は無い。
 そうやって忙しなく足を動かし続けてしばらく……やがていつもの日課で見慣れた広場へと足を踏み入れた。

 すぐにブラートの露店を探す。
 いつも彼が露店を出す場所へ目を向ければ……こちらへ背中を向け、露店の影に半ば隠れながらゴソゴソと作業をしている男性プレイヤーの姿が視界に入る。ちょうど露店をたたむ為に片付けをしている所な
のだろう。
 ブラートは昼時を過ぎれば、夜と翌朝のメニューの為に食材の仕入れへと出掛けると以前聞いたことがある。
 それがあって、なるべく急いでやってきたのだがどうやら間に合ったようだ。
 久しぶりの親友の姿を見て頬が緩むのを自覚しながら露店へと近づく。
 カウンターへと辿り着くと、ブラートが背中を見せたままで声をかけてきた。

「あ~、お客さん。申し訳ないが、今一旦店仕舞い中でね。また夜にでも来てくれないか」

 恐らくは『バルド流剣術』に入門していた時代に磨いたスキル【気配察知】で俺の接近を知ったのだろう。

 スキル【気配察知】は視界の片隅に自分を中心としたミニマップが表示され、レーダーのように周囲のプレイヤーやモンスターを光点で表示する。プレイヤーとモンスターの区別は光点の色で判別できるが、その光点が誰なのか、もしくは何のモンスターなのかは判別できない。

 だからこそ、ブラートは店の前に立つのが俺だとは気付いていなかった。
 一ヶ月程のブランクだが、ブラートの声が何とも懐かしく感じられる。
 俺は微笑みながらブラートの背中へと声をかけた。

「おいおい、もう店仕舞いなのか? こっちは腹ペコなんだ。余り物でも良いから出して欲しいな」

 作業をしていたブラートの動きがピタリと止まる。
 やがてゆっくりとその首が回って顔が俺の方へと向き、視線が俺の顔を捉えた。
 そんなブラートへと手を挙げ微笑む俺。
 久しぶりに見るブラートの顔が驚愕に染まる。

「お、おまっ! 師範代!?」

 余った食材なのか、調理器具なのか、手に持っていたアイテムカードの束を放り出したブラートは、転びそうになりながら慌てて店裏から飛び出してきた。
 そのまま俺に飛びつき、襟元を締め上げてくる。

 そういえば以前もこうしてブラートが大声を張り上げて周囲の注目を集めそうになったよな。

「お前っ……んぐぐ!?」

 俺の懸念が現実になりそうだったので、すかさず彼の口元を手で塞いだ。案の定大声を張り上げようとした所で口を塞がれたブラートは、俺の襟元を掴む手を離して目を白黒させながら暴れる。
 それでも俺の筋力ステータスの高さ故か、がっちりと彼の口周りに食い込んだ俺の手は外れない。
 ますます暴れるブラートだが、それを軽くいなして店の裏へと引っ張り込んだ。
 店裏まで来た所でパッと手を離す。
 その途端、荒い息を吐きながら崩れ落ちるブラート。

「く……そ! なんだその馬鹿力は!? また俺を殺す気か!?」

 呼吸を乱しながらジト目でこちらを睨むブラートに俺は慌てて謝る。

「いやあ、悪い。ちょっと騒がれたくなかったんでね」

 俺の謝罪を聞いてもしばらく睨み続けていたブラートだが、やがて視線をそらして溜息をついた。

「わかったよ……」

 その言葉にホッとする俺。だが、ブラートの言葉は終わらない。

「それよりもだ……!」

 再び俺の襟元へとブラートの腕が伸びる。

「お前、一ヶ月も音信不通になってるんじゃねーよ! てっきり失敗して死んだのかと心配したじゃねーか!」

 俺の頼みを考慮してくれたのか小声で怒鳴りながら、襟元を掴んでガクガクと揺らすブラート。
 揺れる視界の中でしばらくブラートの好きにさせる。

 やはりブラートにもかなり心配をかけたようだ。ここはちゃんと説明して謝らないとな。

 なんとかブラートの腕を掴み揺らすのを止めると、俺は謝罪を始めた。

「それは本当に悪かった。言い訳になるけど、奥義【心眼】の習熟訓練に結構時間がかかったんだよ。本当ならダラスで訓練してから向かうべきだったのだろうけど、あの時はどうも焦っててね」

 俺がそう説明すると、何か悟ったのか納得の表情で俺の襟元からブラートが手を離す。

「まあ、あんな状況じゃ仕方なかったか。……それで、クエストはどうだったんだ? ちゃんとクリアできたのか?」

 手を離したと思ったら今度は俺の肩へと手を回すのと同時に腰を落とし、顔を引き寄せてボソボソと尋ねるブラート。周囲に聞こえないように気を遣ってくれているようだ。
 俺もそれに倣い、膝を折ってボソボソと答える。

「それはバッチリ。かなり危なかったけどな。派生流派については入門を今朝無事に済ませて来た」

 その瞬間、ブラートの瞳が驚きで見開かれた。

「お、おお……本当にあの難題をやり遂げるとはなあ! 本当にすげーぞ! ……ちなみに倒したのはやっぱレッサードラゴンか? さすがにレッドドラゴンとかあの辺の化け物相手にするのは無茶だもんな」

 俺の返事を聞いて興奮した様子を隠せないブラート。そんな彼の様子に苦笑する。

 喜んでくれるのは嬉しいがまだまだ驚くのには早いぞ、ブラート。

 ニヤリと笑った俺は懐に手を突っ込み、アイテムカードの束を取り出しながら口を開いた。

「それに答える前にこのアイテムカードを見てくれ。食材なんだが、これはお前でも調理可能か? 可能ならちょっと頼みたい事があるんだ」

 ブラートが俺の手からアイテムカードを受け取る。

「ん? お前が食材を持ってくるなんて珍しいな。どれど……れっ!?」

 手に持つアイテムカードへと視線を落とした瞬間動きが止まったブラート。だが、しばらくしてわなわなと震えだし、ゆっくりと顔を上げる。
 その顔にはかつて無い程の驚愕の表情が貼り付けられていた。

「お、おまっ! なんだこれ!? アイテムランクSだぞ!? しかも『巨龍の肉』っておい!」

 ブラートがそこでハッと何かに気付く。一瞬の静寂の後、ボソリと呟いた。

「最近ダラスで騒がれてるあれって、まさか……」

 頼むから否定してくれと言わんばかりの表情で俺をみつめるブラート。
 だが、残念な事に俺はブラートの思いに応える事はできない。

「そのまさかだ。俺がクエストクリア条件として倒したのはヴァリトール山のユニークモンスター『巨龍ヴァリトール』だ」

 それを聞いたブラートは顎をカクンと落として停止。数秒後に再起動を果たしたが、顔を引き攣らせながら笑い出す。

「はっはっは、冗談言うなよ師範代。まさか、なあ、あれを倒すなんて……はは」

 だが、俺が神妙な顔で沈黙を保っていると段々とブラートの笑い声が失速してきた。頃合を見計らって現実逃避するブラートに止めを刺してやる。

「信じられないのはわかるが、そのアイテムカードが何よりの証拠だ」

 顔を引き攣らせるブラートの肩を叩きながら告げた。ブラートが再び手元のアイテムカードをマジマジと見つめる。
 しばらく見つめ続けた後で、盛大に溜息を吐いた。

「これがあるってことは本当なんだよな~。……畜生、お前いつの間にそんだけ強くなったんだよ。奥義【心眼】ってやつがやっぱり肝なのか?」

 若干疲れを見せるブラートだったが、信じてもらえたようだ。
 ブラートの言葉で思い出したが、そういえばブラートには【心眼】の名称しか伝えていなかった。

「いや、【心眼】はただ視点が自分を見下ろす鳥瞰視点に切り替わるだけだ。死角が無くなるという点で優秀なスキル系の奥義だと思うけど、それで劇的に戦闘力が増加するって類のものではないな」

 俺の説明を聞いて怪訝そうな顔をするブラート。

「じゃあ、どうやって倒したんだよ。お前が今まで相手にしてたのはせいぜい死者の洞窟のアンデッド共程度だろ? レッサードラゴンならブレス攻撃も飛行能力も無いからアイテムを使いまくれば何とかなるかって思って送り出したんだからな。それでいきなりヴァリトール倒しましたって……レベルが違い過ぎるぞ」

 ブラートの疑問も尤もな所だ。リン達は俺とレオン達との戦闘を見た後に俺がヴァリトールを倒した事を知ったのでそれ程疑問に思わなかったようだが、ブラートは俺の今までの生活を良く知っている。
 そのブラートも俺が死者の洞窟でどんな戦い方をしてるのかまでは目の当たりにした事はないので、俺のヴァリトール討伐という情報が余程不可解に聞こえるのだろう。

「実は、ヴァリトールに殺されかけた絶体絶命の瞬間に俺の眠っていた力が目覚めてだな……」

 真剣な顔で語り始めた俺の頭からパコンと軽い音が鳴る。ブラートがいつの間にか握っていたオタマで俺の頭を殴った音だ。
 僅かな痛みに頭を押さえながらブラートを見た。

「何をする」

「お前な~、絶体絶命の瞬間に覚醒だとか何処の漫画の世界だよ。冗談言うにしてももっとマシなの持って来い」

 ブラートが呆れの混じった顔で手に持つオタマを俺の眼前でブンブンと振った。

 ……一応真実に近い話だったのだが、確かに客観的に見ればシステムが支配する仮想世界では冗談のような話だ。

 派生流派入門クエストでその派生流派の奥義を使用する……そんな事が有り得る筈が無いのだ。システムのバグ? それとも俺が知らない内に特殊なイベントのフラグを立てていた? いろいろ可能性を考えたりしたが、『真バルド流剣術』へと入門してから更に混乱するようになった。
 入門直後なのに身体が知っている様々な動き。これではまるで以前に『真バルド流剣術』を訓練していたかのような……。
 と、そこで意識に霞がかかった。

「……おい、師範代? どうした?」

 反応の無い俺を不審に思ったらしいブラートが俺の肩を揺する。おかげで虚ろだった俺の意識がはっきりとした。

 あれ、今俺は何を考えていた? もう少しで何か掴めそうな気がしたんだが……。

 意識がはっきりするのと同時に俺の異常を紐解く糸口もするりと手の内から零れてしまった気がする。 またしてももどかしさが俺の胸の内に溜まった。
 だが、今はブラートへの説明が優先だ。【神脚】についてはまだ伝えない方が良い気がする。まだまだ俺でも判っていない事が多すぎるのだ。中途半端に説明して、違法者の類だと変な嫌疑を持たれても困る。

 心配そうにこちらを見るブラートへ俺は笑いながら口を開いた。

「ああ、悪い悪い。ちょっとぼうっとしてたよ」

「おいおい、激戦過ぎて変な後遺症残ってるとかじゃねーよな? 大ダメージ食らった奴が稀に変な夢を見ておかしくなるって話もあるからな」

 俺の返事にブラートは苦笑しながら答える。
 ブラートの語った内容に強く興味が惹かれた。ダラスに定住している為にそれなりの情報は耳にしていた筈だが、これは聞いた事が無い。

「その話は初耳だな」

「まあ、そうだろうな。……俺の昔の常連にいたんだよ。普段の狩り中に意識を失う程の大ダメージを受けてな、その場でパーティメンバーが回復させて大事には至らなかったらしいんだが、次の日になって急に変な事を口走るようになったんだよ」

 ブラートがオタマで自分の肩を叩きながら語る。その表情はどことなく寂しげだ。

「『俺はもうブース霊洞でも余裕で戦える』ってな。当時ブース霊洞はグランドクエストでの攻略の真っ最中、トッププレイヤー達でもまだまだ苦戦していた頃だった。そいつのパーティもブース霊洞が解放された際に一度挑んだらしいが命辛々逃げ帰ったらしい。それでしばらくは狩場のランクを落としてレベル上げに努めるって話でまとまってたそうなんだが……目を覚ましたそいつが強硬に『もう十分だ』って主張してな。仕方なくパーティで再びブース霊洞に挑み……そして、誰一人帰ってこなかった」

 ブラートがやるせないように大きな溜息をついた。悲劇を止められなかった自分を悔いているのだろうか。だが、戦闘系流派を退いて久しいブラートではそのパーティがブース霊洞に適正な実力を備えているかは判断出来なかっただろう。

 ブース霊洞は先日のリン達との会話でも登場したが、中ランクと高ランクの境目と言われるダンジョンだ。始まりの街ダラスから北へいくつかの村を経由して到着する洞窟系ダンジョンであり、主に上級アンデッドが敵として出現する。その中に非実体系モンスターであるイビルゴーストというモンスターがいるのだが、こいつの対処が出来るかどうかで高ランクダンジョンへと挑める資格があるのかが決まる。というのも、これ以降の高ランクダンジョンには必ず非実体系のモンスターが登場するのだ。
 非実体故に属性攻撃以外ではダメージを与えられない。つまり魔術士の存在が必須。だが、魔術士だけでは他のモンスターの猛攻を凌ぎ切れない。
 だからこそパーティの連携が必要不可欠であり、ブース霊洞ではその洗練度合いが試されるのだ。

 ブラートの話を聞くに、分不相応の高ランクダンジョンに手を出して全滅してしまったパーティという事か。それだけならたまに聞く話だ。だが、その常連プレイヤーの言動が気になる。

「そいつらがブース霊洞に挑む直前、たまたまそのおかしくなった奴が一人でうちの店に来たんだ。その時にチラッと聞いたんだよ。『俺はスゲー強いんだ。もっと高ランクのモンスターとも戦った事があるんだ』って言っててな、正直何言ってるんだと思ったが訊いたんだ。『どこでそんなモンスターと戦ったんだ?』ってな。するとそいつは『夢の中で戦った』なんて言いやがる。俺が怪訝そうな顔をしたらすぐに『冗談だよ』って笑って結局そのまま答えは教えてくれなかったんだが……あいつはきっと意識を失っている間に何かを見たんだ。あいつは元々慎重な奴で、本来なら馬鹿な判断を下す事は絶対にない筈なんだよ」

 ブラートは何かを思い出すかのように遠くを見ていた。
 そんな姿を横目に俺は今の話を反芻する。

 彼は一体何を見たのだろうか。
 慎重だった筈のプレイヤーの判断を狂わせ、死に追いやった夢。たかが夢を見た程度でそんな事が起こり得るのか?
 それに……戦った筈の無いモンスターと戦ったと主張するプレイヤー。使える筈の無い奥義を使う俺。何か不思議な共通点が見えてきそうな関係だ。
 だが、俺は夢なんて見ただろうか……ヴァリトールとの戦いで白昼夢らしきものを見たが、あれが原因か? だが、あれが一体何を意味する?
 ……くそ、判らない。
 思考に行き詰まりを感じた。……今はこの情報を得ただけでも良しとするか。

 俺がそう結論付けた所で、ブラートが苦笑しながらこちらを向く。

「おっと、悪い。暗い話になっちゃったな。そういうわけでちょっと心配になったんだよ。さすがに最強のユニークモンスター相手に無傷で勝てるとは思えないからな」

 ブラートが見せる相変わらずの人の善さに微笑みながら返事をした。

「そうか。確かに酷い傷は負ったけど、俺は大丈夫だ。心配はいらないよ」

 俺の答えを聞いて安堵の表情を浮かべるブラート。

「なら良いんだけどな。……で、結局どうやって倒したんだ? 俺にはどうも想像がつかん」

 ブラートが不思議そうな顔で俺に尋ねる。
 さて、どう説明するか。
 とりあえずはリン達との会話で判明した事実を織り交ぜてみよう。

「結果から言えば急所になる頭部への一撃死判定で倒したんだ。かなり危険な戦いだったけどな。どうやら知人の話によると俺は随分と筋力ステータスと頑丈さのステータスが高いらしい。そのおかげで勝てたみたいだ」

「なるほど、確かに急所攻撃なら可能性はあるな。……しかし、その知人ってのは誰だ? 俺と姐さん以外にそんな相談できるような知り合いがお前にいたっけ?」

 納得したかと思えばまた怪訝そうな顔をするブラート。
 大変不本意ながら、そこは突っ込んでくるとは思ってた。

「失礼な。俺にも知人の一人や二人……ああ、判ってるよ! 新しくできたんだよ! ヴァリトール山からの帰り道でな!」

 俺がすました顔で語っている途中、何言ってるんだお前とばかりにブラートがジト目で睨んできたので思わず本当の事を話してしまう。
 それを聞いたブラートがニヤニヤ笑っているのが腹立たしいが、仕方ないのでこのまま依頼をしてしまおう。

「さっき頼みたい事って言ったのはそれに関係するんだ。ヴァリトール討伐で騒がれている今、こんな食材なんか他人に売り捌けないからな。お前や姐さん、今話した知人達で消費しちゃおうって考えたんだよ。ちょうど今夜皆が俺の拠点宿屋に集まるから、そこで調理を頼みたいんだ」

 俺の言葉を聞いていたブラートが満面の笑みで俺の肩を抱く。

「おうおう、仕方ないな。せっかく親友に新しい友達ができたんだし、俺でよければ存分に腕を振るいますよってんだ。さすがにアイテムランク高いからレパートリーの制限はあるが、なんとか今の俺のレベルでも調理可能だしな」

 それを耳にして俺はホッとする。ブラートが調理できなかったらどしようかとかなり心配だったが、どうやら計画通りに行きそうだ。
 そんな俺の肩をさらに叩いてブラートが立ち上がった。

「じゃあ、他にいろいろ食材仕入れないとな。お前も発起人なんだし買い物に付き合えよ」

「ああ、もちろんだ」

 俺とブラートの二人は露店の周りを手早く片付けると、今夜の為の食材を探しに大通りへと歩き出したのだった。






 俺とブラートの二人が俺の拠点宿屋『アイアンハンマー』に到着したのは、もうすっかり日も暮れた頃だった。
 食材と合わせて、カードホルダーとしてのポーチや雑貨等を買っていたら随分と時間が経ってしまったのだ。
 街灯の淡い光が照らす通りには疎らなプレイヤーの姿。
 常に活気溢れる大通りから大分外れたこの付近は、店舗や大きな宿屋等が少ないせいもあって訪れるプレイヤーの人数も少ない。おかげで随分落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 姐さんの店やブラートの露店と同じく久しぶりに帰ってきた我が家とも言える場所に懐かしさが込み上がってきた。

「相変わらず寂れた宿屋だな」

何度か訪れた事があるブラートがしみじみと語る。だが、内容が酷い。

「うるさいな。そこを気に入ってるんだよ。それにお前の拠点も似たようなものだろう。馬鹿な事言ってる暇あるならさっさと準備するぞ」

「違いない!」

 くだらない掛け合いをしながら二人で入り口をくぐった。
 一階のカウンターにはいつもと変わらず、NPCの主人が仏頂面で立っていた。かなり迫力ある強面だが、慣れた身にとってはむしろ安心できる。
 何度かここへ来た事もあり、そんな見かけにもすっかり慣れたブラートが即座に主人と交渉を開始した。

「厨房を借りるぞ」

 その声に主人は僅かな頷きを見せた。

 調理系流派の使い手はこうしたNPCの店舗で厨房を借りて料理アイテムを生産する事ができる。このランクの安宿ならば使用料金は取られないが、規模の大きな店舗になると使用料金を請求されることもあると聞く。
 だが両者の生産設備としての性能は変わらないらしい。その為、必然的に後者の大規模店を利用する場合は大規模ギルドの定例集会等で人数が集まった時に、ギルドお抱えの調理系流派の使い手が利用するといった例が殆どだ。

 ブラートは先程買い集めた食材アイテムカードと『巨龍の肉』のカードを手にカウンターの奥の厨房へと姿を消した。
 この先はさすがに手伝う事はできない。他に俺ができる事は料理が完成するのをただ待つことばかりだ。
 カウンターの脇に置いてある椅子に座り、ボーっと店内を眺める。二十人程も入れば一杯になって窮屈さを感じてしまうような狭い店内。だが、今回集まる人数を考えればこの程度の広さで十分だろう。
 カウンターの向こう側では相変わらず主人が無言でコップを磨いている。
 そんな姿も既に見慣れてしまって特に面白いわけではないので、視線を移す。カウンターの奥からは作業を開始したらしく調理音が響いた。

 そういえばブラートの露店で昼食を取ろうと思っていたのに、すっかり食いそびれてしまった。食材集めの道中で多少食べ物を口にしたが、とても満足する程ではない。
 思い出すと途端に身体が空腹感を訴えてくる。だが、もうすぐブラートの料理もできるのだ。ここは我慢我慢……。

 やがて食堂内に美味しそうな香りが漂い、俺の空腹感が限界を迎えようとした時、スキル【気配察知】がこちらへと近づく三人のプレイヤーの存在を捉えた。
 時間帯、人数から考えても恐らくはリン達だろう。

 しばらく待つとその三人が宿屋の前に到着し、出入口のドアが開いた。そこから顔を覗かせたのはやはり予想通りのメンバー。
 最初に入ってきたのはリンだ。深い色合いのワンピースを身に纏い大人びた雰囲気と美貌を見せている。
 リンは食堂内を物珍しそうにキョロキョロと眺めていたが、手を振る俺に気付くと笑顔を浮かべて歩いてきた。
 その後ろからはミーナの小柄な姿。明るい色合いのシャツにホットパンツ。どうにもその生足が眩しい。ミーナも笑顔で手を振りながら近づいてくる。
 最後はキース。シャツとズボンというラフな格好だ。旅の途中では鎧を着込んでいたのでわからなかったが、シャツを盛り上げる筋肉は中々のもの。体格も良いし、頼れる兄貴という雰囲気を感じさせる。

「やあ、師範代君。随分待たせてしまったね」

 リンの鈴のような声が響いた。

「いえいえ、色々とこちらも用事がありましたからね。まだ帰り着いてそれ程経っていないんです」

「それなら良かったけど……なんだかとても良い香りがするね。他にも誰かいるのかな?」

 そう言いながらカウンターの奥を覗うリン。そこからは相変わらず調理音が響き、香ばしい香りが漂っている。

「ええ、実は友人に頼んで料理を作ってもらっているんです。時間帯を考えると夕食時かなと思いまして」

「本当!? 良かった~。私達お腹ぺこぺこだったのよね」

 ミーナがお腹を押さえて安堵の溜息をついた。横ではリンとキースも苦笑しながら頷いている。
 彼女達も昼食を取り損ねたのだろうか。
 俺が疑問に首をかしげた所でカウンターの奥から声がした。

「お~い、師範代。できたぞ~」

 湯気を立てる皿を両手に持ちながらブラートが奥から出てくる。自然とリン達三人の視線がブラートへと向かった。調理に集中していてリン達が来た事に気付いていなかったのか、三人の視線を受けて驚いたように後ずさる。

「おおっと。もうお客さん来てたのか……って、えええ!?」

 突然奇声をあげたブラートは手に持つ皿をカウンターに置くとそのままカウンターに身を乗り出した。

「ああ、ブラート。丁度良かったこちらが……」

「まさか……『シルバーナイツ』のリンさんにミーナさん!? 師範代の新しい知り合いって……」

 驚愕するブラートを見て苦笑するリンとミーナ。やはりトップギルドの一員ともなると有名になるのだろう。流派や攻略に関する情報は集めていたが、プレイヤーに関する情報には疎かった為俺は最初彼女達の事は知らなかったのだが……ブラートはしっかり知っているようだ。

「はじめまして。もう知っているようだけど、『シルバーナイツ』のリンだ。流派は『ヒテン流剣術』。よろしく」

「同じく『シルバーナイツ』のミーナよ。流派は『カイン流魔術』を修めてるわ。よろしくね」

「俺も『シルバーナイツ』所属のキースだ。流派は『スパルト流槍術』。よろしくな」

 次々と自己紹介をする三人。流派まで紹介に含めたという事はかなり信頼してくれているという証だろう。

 普通、ただ自己紹介をするのに流派までは含めない。扱う流派を知るということは相手の戦い方を知るという事。先日の強盗プレイヤーの話もあるように、プレイヤー同士で戦う機会も少なくない現状の『エデン』では流派情報だけでも命取りになる可能性がある。
 その為、自己紹介で流派まで語るのは余程その相手を信頼していなければ行われない。今回は俺の友人という事で伝えても良いと判断したのだろう。
 勿論、有名人であるリン達は今更流派を隠した所で知られているだろうという思惑もあるのだろうが。

「あ、ええと。し、師範代の友人のブラートです。流派は『ジル流調理術』です。……ちょっと失礼」

 傍目にもブラートが緊張しているのがよく判る。柄にも無く敬語を使いながら自己紹介をしていたのでニヤニヤしながら見ていたのだが、突如打ち切ってカウンターを迂回し俺の下へ走ってきた。そのまま俺の肩を担ぐと後方の壁際まで引っ張り込む。

「てめぇ! あんな有名人が来るだなんて聞いてないぞ!」

 小声ながら猛然と俺に詰め寄るブラート。俺は苦笑しながらそれを抑える。
 食材集めの最中に俺の新しい友人は誰なのかと話題にはなったが、実際に会う時まで楽しみにしとくと言ってブラートは詮索しなかったのだ。

「いや、どうせ後で会うから別に教えなくて良いって言ってたのはお前じゃないか。……というか彼女達そんなに有名人なのか?」

 軽く反撃しながらも疑問を口にする。確かにトップギルドのメンバーということで驚くとは思うが、どうも驚き方が予想以上に大きい。ブラートでも露店でトップギルドのメンバーと多少は交流があるはずなのだが……。
 俺の言葉を聞いたブラートは顔を引き攣らせて絶句。

「おまっ! 『銀騎士』の三美人って知らないのかよ!? めちゃくちゃ可愛いのに実力もあるってことで男性プレイヤーの憧れの的なんだぞ!? 一体どんな魔法を使えば拠点宿屋に彼女達を呼び出せる程仲良くなれるんだよ!」

 ブラートの鼻息が荒い。ちなみに『銀騎士』とは『シルバーナイツ』の略称だ。確かにリンとミーナはかなりの美人だとは思っていたが、ブラートがここまで興奮する程の有名人だったとは……。なんだかブラートの俺を見る目が怖い。

「ちょっとヴァリトール山からの道中いろいろあってね。一時的にパーティ組んでもらえたおかげで仲良くなったんだよ」

「お前、あの二人とパーティ組めるだなんてなんと羨ましいことを……夜道気をつけろよ。いつか刺されるぞ」

 努めて軽く説明したつもりだったのだが、ブラートから思いがけない返事が来て思わず固まる。刺されるってなんだ。

「ははは、まさかそんな……ちなみに三美人って事はあの二人以外にもう一人女性プレイヤーが『シルバーナイツ』にいるって事?」

 笑って流そうとするもブラートの目付きは変わらない。なんだかこれ以上聞くのは危険な気がしたので、仕方なく強引に話を変えた。
 するとブラートの目が一瞬輝いたような幻想を見る。

「もちろんだ! 『銀騎士』お抱えの調理士! あのオドオドした態度が堪らない! 俺のベストアイドル、シェリーちゃんだ!」

 いきなり拳を突き上げ熱血し始めたブラートを俺は唖然として眺めた。

 あれ、この人こんな人だったかしら……。

 俺がブラートとの今後の付き合い方を考え始めたその背後から、俺達に声をかける者がいた。

「盛り上がってる所申し訳ないけど、シェリーはうちのマスターにゾッコンだから脈は無いと思うわよ」

 その声に思わず固まるブラート。振り向くとそこには、困ったような顔で苦笑するミーナの姿。

「あ、あの……聞こえてました?」

 恐る恐るブラートがミーナに声をかける。ミーナは残念そうな顔をして頷いた。

「ばっちりね……あなた達、コソコソ話をするのはいいけどちょっと長過ぎじゃない? せっかくの料理が冷めちゃうわよ」

 そう言って指差す先はカウンターに放置された皿。確かに先程に比べて湯気はなくなっている。
 それを確認するや否や身体を跳ねさせたブラートは慌てて皿を手近な大きなテーブルに置き直し、すぐにカウンターの奥へと取って返した。
 おかげで俺とミーナがその場に取り残される。自然と俺とミーナの視線が交差した。
 見つめるミーナの大きな瞳に悪戯っぽい光が灯る。

「ほんとは師範代さんの好みも知りたかったな~」

 いきなり耳元に顔を寄せ、そっと呟かれた言葉に思わずドキリとした。頬を撫でる彼女の長い髪がなんともくすぐったい。

「……なんてね」

 一瞬で顔を離したミーナがクスリと笑う。今のやり取りに目を丸くする俺。それが面白かったのか、さらにクスクスと笑いながらミーナはリン達の下へ歩いて行った。リン達はどうやら出てきた料理に目を奪われていたようで今のミーナとの一件は目に入っていないようだ。
 それにしてもあんな美人顔が間近に迫るとびっくりしてしまう。若干鼓動を速めた自分の胸を押さえ、戸惑いながら俺もリン達の下へ歩き出した。

 
 テーブルに並べられた数々の料理。パスタやサラダ、ピザ等洋風のメニューが並ぶ。
 それぞれの皿から漂う香りが空っぽの胃を刺激した。
 だが、まだメインディッシュとも言うべきものが登場していない。
 俺達は食卓の準備をしながらも思い思いにくつろぎながら時間を潰していた。

「そういえば、リンさん達も昼食取ってないようでしたね。そんなに忙しかったんですか?」

 食堂に入ってきた時のリン達の言葉を思い出し、疑問を投げかける。

「ああ、ちょっと事情説明に時間がかかったのとマスターにかなり心配されてね」

 苦笑しながらリンが答える。それに肯定するように大きく頷くミーナ。

「リンってば、ほんとにマスターに気に入られてるわよね。いつも冷静沈着で傍目には冷酷そうにも見える人なのにリンにだけは態度違うものね」

「だよな~。俺あの人が笑う所なんてリンと話してる時以外で見たことないぞ」

 ミーナとキースがしみじみと語る内容にリンが困ったような顔をした。

「ヤクモさんは父の知り合いだから、私を気にかけてくれているだけだよ」

 どうやら『シルバーナイツ』のマスターとリンは現実世界からの知り合いのようだ。

「『シルバーナイツ』のマスターとリンさんはリアルでの知り合いなんですね」

 俺の言葉にリンがこちらを向く。

「うん。と言っても、何度か父に会いに来た時に挨拶をされた程度だけどね。それでも現実で知ってる人とこちらで会えたのは心強かったよ」

 そう言ってリンが微笑んだ。
 推定で六万人近いプレイヤーがいるこの『エデン』で現実世界での知り合いと巡り合えるのはかなり運が良いと言って良いだろう。

「そういえば『シルバーナイツ』のマスターって確か魔術士でしたっけ。しかもレア属性持ちの」

 俺が記憶を探りながら三人に尋ねる。
 確か俺の記憶が正しければ、『シルバーナイツ』のマスターは【雷】というレア属性を操る魔術士のはずだ。

 通常、魔術における属性といえば【火】、【水】、【風】、【土】の4つを差す。これらを基本属性とプレイヤー達は呼んでおり、下級の魔術系流派ではこの基本属性の魔術しか扱えない。
 これが上級流派になると基本属性に加えて更に上位属性と呼ばれるいくつかの属性を操れるようになる。
 一般的に上級流派でも習得できるのは、基本属性の上位版と言える【炎】、【氷】、【嵐】、【地】の4つの内のいくつか。だが、稀にこの4つ以外の属性魔術を習得できる流派が存在する。それこそが魔術系流派におけるレア流派と呼ばれ、【炎】、【氷】、【嵐】、【地】以外の上級属性はレア属性と呼ばれている。ちなみにミーナの『カイン流魔術』はレア属性【光】を持つ魔術系流派だ。
 そんな中で【雷】というレア属性はある意味特別な存在と言えよう。
 属性はそれぞれで特性とも言うべきものを持っているのだが、【雷】のそれは他に比べ特殊なのだ。

 その特性とは、魔術の発生から目標への着弾までのタイムラグがほぼ無い事。

 他の属性魔術攻撃では、魔術の発生から着弾まではどんなに短くても数秒のタイムラグがある。そして、それだけの時間があればスキル【思考加速】にスキル【見切り】を持つ戦闘系流派の使い手達は対処できてしまう。もちろん、武術系流派ならば迎撃する武器や防具に予め属性付加魔術をかけて貰ったり、魔術系流派ならば相殺用の属性攻撃魔術を用意しておく等の準備は必要であるが。
 それが【雷】属性の攻撃魔術となると、もはや一度放たれてしえば防御は不可能。全身を覆うタイプの防御魔術によってダメージを軽減する事は可能だが、一般的にそういったタイプの防御魔術は効果が低く、ピンポイントで急所を狙われれば即死は免れない。
 そう、【雷】属性は対モンスター戦はおろか対人戦において非常に強力な属性なのだ。
 イメージとしては『カイン流魔術』に代表される【光】属性も似た特性を持っていそうだが、【光】属性は補助系の魔術が殆どで攻撃系の魔術は光弾を高速で飛ばすといった程度のものしかないのだ。

 そんな【雷】属性だが、現在扱える流派は『ユピテル流魔術』しか発見されていない。そしてその唯一の使い手が『シルバーナイツ』のマスターだ。
 強力な属性故に皆血眼になって入門方法を探しているそうだが、本人も入門条件が正確に判っておらず未だ第二の【雷】属性の使い手は現れていないらしい。

 
「そうよ。【雷】属性の魔術士。うちらの頼れるリーダーね。分野は違うけど、多分師範代さんでも勝てるか怪しいくらい強いわよ」

 椅子に座ってテーブルに肘をついたミーナが答えてくれた。その瞳は何を想像してるのか面白そうに輝いている。

「確かにあの人が負ける所なんて想像つかないな」

 顎に手を当てたキースがミーナに続くように呟く。

「【雷】属性と【思考詠唱】のコンボ。相当凶悪らしいですね」

 俺が苦笑しながら語った言葉に三人が大きく頷いた。

 『シルバーナイツ』のマスターが有名なのは何も【雷】属性のせいだけではない。もう一つあるのだ。
 それがレアスキル【思考詠唱】。
 魔術系流派選択者の全プレイヤー垂涎の的とも言われるこのスキル、効果は第3階位以下の魔術を『詠唱』や『紋章』を描く事なく思考操作のみで起動できるようになるというものだ。
 このスキルにより、魔術起動に関して武術系流派と同等以上のアドバンテージを得ることになる。
 出回っている情報によるとグランドクエスト攻略中のとある報酬の一つとして手に入れたらしい。

「敵対すれば文字通り瞬殺だからな。あの人の敵にだけはなりたくないね」

 その戦いぶりを見た事があるのだろうか、何かを思い出しながらキースが語る。俺もこの組合せには一人で勝てるビジョンが思い浮かばない。
 俺がキースの言葉に頷いた所で、食堂のドアが開いた。
 皆の視線が食堂の入口へと向かう。
 そこには目に鮮やかな真っ赤な髪。先程会った時と同じ装いの姐さんの姿があった。

「ごめんなさい~。来るのが遅れちゃいました~」

 申し訳なさそうに謝りながら姐さんが歩いてくる。

「いえいえ、まだ準備中ですから大丈夫ですよ」

「ほんとですか~? 良かった~」

 俺の言葉にホッと一息つく姐さん。そこにリンが声をかける。

「やあ、スカーレット。君も師範代君に誘われていたのかい?」

「リンさん、こんばんは~。先程師範代さんがうちの店に装備を新調しに来たんです~。その時に誘われたんですよ~」

「装備を新調? もしかしてあの素材を使ってかしら?」

 二人の会話に興味を惹かれたのかミーナが加わってきた。

「あら~、もしかしてミーナさん達は知ってるんですか?」

 不思議そうに姐さんが周囲を見渡し、俺と目が合う。

「ええ、ここにいるメンバーだけには俺がヴァリトールを倒した事を教えてあります。騒ぎになるのは避けたいのでこのメンバー以外には口外無用でお願いしますよ」

 俺の言葉に頷く面々。

「そこはまかせて。……でも、もし誰かに言っちゃったとしても信じてもらえそうにない可能性が高いわね」

 ミーナがそう言うと皆が頷きながら笑った。

「師範代君の強さを垣間見た私達も証拠を見せられなければ信じれない思いが強かったからね。ところで装備はどんな物が出来たのかな?」

 やはりユニークモンスターの素材でどんな装備が作られるのか気になるらしい。リン達三人が興味深そうに姐さんの言葉を待つ。
 姐さんはというと、視線を受けて困ったような顔をしていた。

「実はその事で師範代さんに相談があるんです~。長剣と全身鎧を作る予定だったんですけど、製作材料として思った以上にオリハルコン鉱石が必要で全然数が足りないんですよ~。最近市場でもオリハルコン鉱石は品薄状態ですから、装備完成までかなり時間がかかりそうなんです~」

 姐さんが申し訳なさそうに俺に話す。
 オリハルコン鉱石とは主に武具製作に使用される製作材料の一つだ。高ランクの武具を製作するのに必須となるこのアイテムは入手難易度の高さのせいで他材料に比べて非常に高価な上に希少だ。
 この鉱石は高ランクダンジョンの採掘ポイントでのみ入手可能であり、更に【採掘】スキルに高い熟練度を必要とする。
 必然としてギルドお抱えの生産系流派プレイヤーがギルドメンバーに守られながら採掘したり、護衛を雇ったプレイヤーが採掘するのが一般的となっている。
 姐さんもコネのあるギルドに護衛を依頼して度々オリハルコン鉱石を採掘しに出かけていた。これからそれをやるとなると、高ランクダンジョンはダラスから遠い為に結構な日数が必要だろう。

「それは仕方ないですね。一応予備の剣もありますし、焦らなくても大丈夫ですよ」

 腰のポーチから『迅剣テュルウィンド』のカードを抜き、姐さんに見せながら話す。 
 いくら予備とはいえ、ランクAのユニークアイテムだ。本当はメインの武器として使っても十分な一品。
 『精霊武装』として生まれ変わる俺の相棒の姿を早く見てみたい思いはあるが、元々初期装備に毛が生えた程度の性能の装備を使っていた俺にとって装備が無いからと焦る状況ではない。

 と、そこで厨房の奥からブラートが顔を出した。手には湯気を立てる大皿。

「メインディッシュができたぞ~」

 野菜類の付け合せに彩られた大皿にはこんがり焼けた巨大な肉塊が乗っている。そのあまりのボリュームと香ばしい香り、そして何より後光を感じさせる微かな輝きに皆の動きが止まった。

「そのお肉……もしかして……」

 視線を肉塊に固定しながらミーナが引き攣った声を出す。
 それに対して自慢するかのように頷きながらブラートが答えた。

「そう、師範代が倒したヴァリトールの『巨龍の肉』を使用したドラゴンステーキだ! 俺の技量じゃステーキにするのが精一杯だったが、出来は最高だぜ!? さすがはランクSの食材としか言いようが無いな」

「……おいおい、何となく予想はしてたが本当にランクSの食材を俺達なんかに振舞っていいのか? 調薬士に流せばとんでもない効能のブーストアイテムとか作れるかもしれないし、そうでなくとも売れば相当な財産になるぞ?」

 汗を一筋流しながらキースが俺に問う。リンやミーナも同意見だったようで思った以上に真剣な目で俺を見ていた。
 ちなみに姐さんは目を輝かせて涎を垂らし、こっちの事なんか最早眼中にない。

「秘密を守ってくれるような調薬士が知り合いにいませんでしたし、こんな街の状況じゃヴァリトール関連の素材は売り捌けないですからね。それならばここで消費してしまって、皆に恩を売っておいた方がいいかと思いまして」

 ニヤリとしながらそう言うとキース達三人が一瞬唖然とする。だが、すぐに三人とも笑い出した。

「こいつ、なかなか言いやがる! それじゃあ、仕方ないな。遠慮なく頂くぜ」

 キースがそう言うと、リンとミーナも笑いながら頷く。
 あまり遠慮されても困るので一芝居打ったが上手くいったようだ。
 ブラートも今の会話と姐さんの姿に笑いながら皿をテーブルまで運び、ようやく食事の準備が整った。
 席に着こうとテーブルを見渡した所で、急に腕を引っ張られる。
 誰かと思えばリンだった。

「師範代君は私の隣だ」

 清清しく微笑みながらリンが俺の腕を引っ張り、着席させる。テーブルの奥の席にリン、その隣に俺だ。

「私はここにしようっと」

 それを見たミーナがすかさず動き、俺のもう片方の隣に座った。

「じゃあ、私はここに~」

 そう言いながら姐さんが俺の真正面に座る。

「おお、師範代両手に花だな」

「……師範代ぃ、羨ましいぞ~!」

 ガハハと笑うキースと、敵意を滲ませたブラートが姐さんの隣に座った。
 俺は苦笑するしかない。
 ブラートにずっと睨まれるのも嫌なのでさっさと食事を開始しよう。

「皆さん席に着きましたし食事を始めましょうか。……じゃあ、乾杯!」

 皆が飲み物が入ったグラスを手に取るのを待って、乾杯の声をあげる。それに対して皆も口々に乾杯の言葉を発しながらグラスを合わせた。

 一口グラスをあおった所で、姐さんが動く。勿論狙いはドラゴンステーキだ。

「お肉~! お肉~!」

 だが、それを制するミーナ。

「スカーレット! そんなにがっつかないの。とりあえずこれ取り分けちゃいましょ」

 涙目になる姐さんを無視して、ミーナが手際良く肉を切り分けて各人に配る。ミーナが小柄なせいもあって子供に叱られる大人のような倒錯感があった。
 思わず笑ってしまったら姐さんに睨まれてしまう。俺は慌てて視線をそらした。

 と、そこで俺の肩が叩かれる。振り向けばリンが満面の笑み。その手には肉の刺さったフォークが握られていた。

「はい、あ~ん」

 リン以外の全員の動きが止まる。俺もわけがわからず思考が止まってしまった。だが、リンはそんな周りの状況などお構い無しにフォークを俺の口元に近づけてくる。
 思わずフォークの先を口にし、肉を噛み締めた。途端に口内に広がる途轍もない旨みととろけるような食感。

「美味しい……」

 呆然としながら感想を口にする。
 それを見たリンは微笑みながら頷き、再び手元の小皿の肉をフォークで刺す。今度は自分の口へと運んだ。
 そして、リンの微笑が深くなる。

「これは……確かに素晴らしく美味しいね。こんなに美味しい物が食べられるとは思って無かったよ」

 そう語るリンを皆が見つめていた。
 いち早く再起動したのはミーナ。

「ちょ、ちょっと、リン! 何やってるのよ!?」

 それに対するリンは怪訝そうな表情を浮かべた。

「何って、師範代君にステーキを食べさせてあげただけじゃないか。恩人をもてなさないなんて、女がすたるからね」

 当然の如く語られた言葉にミーナが一歩圧される。

「……くっ、なんてストレートな……」

 ボソリと何か呻いていたミーナだったが、すぐに気を取り直して動き出した。
 ガバッと勢い良く俺の方へと向き、上目使いで俺を見つめる。なんだか顔が近い。

「師範代さんは、ああいうの好き……なのかな?」

「いや、そりゃ嫌いなわけはないですけど……」

 グイグイ迫られて、思わず本音で答えてしまった。それを聞いた途端ニコリと笑うミーナ。

「じゃあ、私も食べさせてあげるわね! はい、あ~ん」

 ミーナが先程のリンと同じようにフォークを差し出してくる。周りの視線が痛いが、食べないわけにはいかない。顔が若干引き攣るのを自覚しながら、肉を頬張った。

「美味しい?」

 ミーナが俺の顔を覗き込みながら尋ねてくる。俺は勿論頷いた。
 それを見たミーナが嬉しそうに微笑む。

「へえ……」

 すると隣のリンから興味深そうな声が響いてきた。横目で覗うと微笑んではいるが、視線は鋭い。

「何かしら、リン?」

 対するミーナはリンの視線を真っ向から受け止め、大胆不敵にニヤリと笑う。
 一瞬二人の間で火花が散った気がするが気のせいだろうか。

「あ~、リンさんもミーナさんもずるいですよ~! 私も師範代さんにあ~んってやりたいです~」

 空気が緊迫したかと思ったが、姐さんの言葉で霧散した。
 リンとミーナも姐さんを見て苦笑する。

「ほら、師範代君。スカーレットだけ仲間外れにするわけにはいかないだろう?」

「そうよ~。こんな美人三人にもてなされるなんてなかなかないんだからしっかり堪能しなさいね」

 リンとミーナがクスクス笑いながら勧めてくる。勿論言われなくともやらないわけにはいかないだろう。

「う、わかってますよ」

「師範代さん~、あ~ん!」

「ああ、姐さん! そんなに乗り出したら胸元にソースが着いちゃいますよ!」

「……馬鹿なっ。クール系美女にロリ系美少女、更に天然系美女にモテモテだとっ!? 師範代め、奴は一体どんな魔法を使いやがった!?」

「ガハハ、お嬢達がこんなことするなんて面白いな。ギルドの男共が知ったらどんな顔をするか……ククク」

 こうして楽しい時間は過ぎていった。

 

 

 

 
 食事も大体胃の中に納まった所でリンが俺へと声をかけた。

「そういえばお礼はどうしようか? 最初は装備でも贈ろうかと思ったけど、ヴァリトールの素材で新調するみたいだしね。お金でも良いのだけど、何か欲しい物でもあるかな? 大抵のものなら融通が利くと思うよ」

 リンの言葉に考え込む。と言っても既に答えは決めてあった。

「そうですね……さっきから考えてたんですけど、姐さんの鉱石採掘を手伝ってもらえませんか? 出来れば俺も連れて。『シルバーナイツ』の皆さんなら護衛として姐さんも安心できるでしょうし、俺もパーティ戦の経験を積んでみたいんです。どうですか?」

 皆をぐるりと見渡す。

「リンさん達が護衛してくれるならすごく安心です~!」

 姐さんが嬉しそうに答えてくれた。

「それは勿論構わないけど……そんな程度で本当に良いのかな? 元々師範代君とはパーティを組んでダンジョンに行く約束だったのだし、これでは全然お礼にならない気がするが」

 リンの言葉にミーナとキースが頷く。
 俺としては別にパーティを組んでくれるだけで、十分なお礼になるのだが彼女達としては物足りないのかもしれない。
 遠慮しすぎて気を使わせるのも良くないか……。

「う~ん、では回復アイテム等の消耗品を揃えて貰えますか? ヴァリトール戦で消耗品も軒並み失ってしまいましたので。後、俺の装備が完成するまでの間防具を貸して下さい」

 とりあえず要求をしてみる。彼女達程のプレイヤー達なら消耗品と言えど高ランクのアイテムを揃えてくれそうだ。
 オリハルコン鉱石を要求するという手もあるが、元々ダンジョン攻略に行くという話もあったことだしどうせなら採掘も兼ねて行った方が良い。姐さんとしても余分に鉱石を確保しておきたい所だろう。

「……よし、わかった。私達が揃えられる最高のアイテムを揃えよう。期待していてくれ」

 あえて鉱石をお礼にするという話をしなかった所を見ると、リンも俺とある程度同じ思考をしたのだろうか。

「はい、じゃあお願いします」

 俺が頭を下げようとすると、ミーナが待ったをかけた。

「師範代さん、ずっと言おうと思ってたんだけど、良い機会だから言うわね。これから敬語は無しよ。パーティを組むのだから、堅苦しく接する必要は無いわ」

 ニコリと微笑みながらミーナが語る。周りを見れば他の皆も微笑みながら頷いていた。
 確かにもう敬語は必要ないかもしれないな。

「……ああ、わかった。改めてこれからよろしく頼む」

 俺がそう言うとリン達は笑顔で歓迎してくれた。

 仲間……か。

 皆を見ながら俺の胸の内に何か暖かい物が満たされていくのを感じる。

 

 和やかな雰囲気のままダラスの夜は更けていった。

 


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