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  エデン 作者:川津 流一
14.戦士の産声
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、夜も随分更けてきている。
 俺達は談笑を止め、そろそろ寝ることにした。
 一応フィールド上やダンジョン内での野宿の際は、例え【結界魔術】を設置していても危険に早急に対処する為交代で見張りを立てるのが一般的だ。
 それはこのパーティでも例外ではなかったようで、今晩の最初の当番はキースとレオンがつるんでいるメンバーの一人、大きな杖を持つ魔術士の男だった。
 魔術士の男はレオン達の傍、キースは俺達の傍でいつでも動けるように片膝を立てて座り周囲を警戒する。
 
 焚き火が周囲を照らしているが、少し先は全くの闇で何も見えない。時折、獣の鳴き声や何か草木のようなものが擦れる音、そして焚き火の薪が弾ける音以外に何も聞こえない。
 
 【サンクチュアリ】のおかげで領域の外からは俺達はおろか焚き火の輝きも見えることはないだろうが、探知系の魔術やスキルを持つ者には通用しない事がある。【結界魔術】は便利だが、絶対ではないのだ。
 だが、今は『シルバーナイツ』の面々が揃っているのだ。キースやあの魔術士の実力はまだ見たことがないが、少なくとも俺達に警告を与える前にやられたりするような無様な真似はしないはず。
 
 一人旅の野宿では味わえない安心を感じながら俺は身体を横たえた。身体の力を抜くと、強烈な睡魔が俺を襲う。
 考えてみれば今日一日でいろいろな事があった。
 レッドドラゴンとの遭遇、巨龍ヴァリトールとの死闘。今でもあれが実際に起こったことなのか、それともただ夢が覚めていないのかわからなくなる。
 こうして寝てしまって起きてみるとまだ俺はヴァリトール山の近くのホルンで寝ているだけだったんじゃないかという不安もあった。
 だが、身体が強烈に要求する睡眠欲には勝てず、俺はあっという間に意識の手綱を手放してしまった。
 
 
 
 微かな話し声で目を覚ます。うっすらと瞼を開くとキースとレオンが二人で何か話し合っているのが見えた。
 俺は半身を起こし、眠気を飛ばすように頭を軽く振る。それだけで随分意識がはっきりとした。
 周囲は寝る前より一層闇の濃さを深めたように見える。時間にしてまだそれほど経っていないようだ。
 俺が目を覚ましたことにキースが気付く。
 
「お、悪い。起こしちまったか」
 
 申し訳なさそうな顔をしてキースが謝ってくる。
 
「いえいえ、気にしなくて大丈夫ですよ。元々一人旅が多かったので眠りは浅い方なんです」
 
 俺が一人で野宿するときは【結界魔術】も見張りをしてくれている仲間もいない。一応『結界符』というアイテムを周囲に張り巡らせば簡単な認識遮断程度は出来るが、所詮はアイテムなので大した効果は望めない。それでも使わないよりはマシだったので、俺は使っていた。そして、『結界符』の効果の弱さを補う為に熟睡することを避ける。
 おかげで俺は随分と眠りが浅くなってしまったわけだ。
 いつもなら流石に全快とまではいかなくて多少疲れが身体に残った目覚めとなるのだが、今回は違った。
 身体の疲れは完全に取れ、むしろ今までに無い力強さを感じさせていた。
 いつもと違う身体の調子に若干疑問を覚えるが、悪いことではないのでとりあえずは無視する。
 
「なるほどな。……じゃあ、ついでにちょっと頼み事していいか? レオンが一瞬この周囲で何かの反応を感じたらしくってな。もしかしたら件の強盗プレイヤーが俺達を覗っている可能性もある。俺とレオンで軽く調べてくるから俺達が席を外してる間見張りを代わってて欲しいんだ」
 
「それはもちろん構いませんけど……二人で行くのは危険じゃありませんか?」
 
 こんな低レベルのフィールドで、トップギルドのプレイヤーに何を言っていると思うかもしれない。だが、今キースが言った通り周囲にはリン達が探す強盗プレイヤーがこちらを覗っている可能性もあるのだ。
 ログアウトできなくなった事に関して様々な可能性が噂され、死へのリスク感も薄かった初期には誰にも憚ることなく大手を振ってプレイヤーを襲う輩も多かった。だが彼らの多くは淘汰され、今残るのは狡猾な者がほとんどだ。
 狡猾故に彼らの多くは隠密系のスキルや魔術を修めている。己を狙うリン達のようなパーティから逃れる為に、そして己の獲物に気付かれずに近づく為に。
 一応【心眼】、【気配察知】で周囲を窺ってみるもプレイヤー等の反応は感じられない。だが、用心に越したことは無い。
 
「まあ、お前の言いたい事もわかる。でもまだプレイヤーの反応だったかどうかも定かじゃないんだ。それにレオンは探知系のスキルに長けてるからな。そうそう奇襲をくらう事はないはずだ。そうだろ? レオン」
 
 視線を向ければレオンがこちらを小馬鹿にしたように見下ろしていた。
 
「そうっす。お前さ、弱いからわかんねーかもしれないけど、俺とキースさんだぜ? 少なくともキースさんが簡単にやられるわけねーだろ」
 
 小声でそう語るレオン。その声は小さいながらも自信に満ち溢れていた。だが、若干違和感を覚える。
 今まで俺はともかく、キースまで無視しているかのようにレオンは振舞っていたのだ。
 それが、ここでキースと二人で索敵に行くという。
 何故いつもつるんでいるメンバーを連れていかない?
 今はキースが見張り番だからと割り切ったのだろうか。
 まだ一日しかこのパーティに在籍していないので、キースとレオンの付き合い方がはっきりとはわからなかった。
 俺にはレオンの態度が判断しかねてキースを見てみると、興味深いとでも言いたげな顔で顎の無精髭を撫でている。
 
「お前が俺を持ち上げるなんて珍しいじゃないか、レオン」
 
「同じギルドメンバーっすからね。一応は認めてるんすよ」
 
 さすがに俺の事はまだ馬鹿にしたままのようだが、やはりキースに対しては多少なりとも仲間意識があるのかもしれない。
 俺の考えすぎか……。
 
 キースはレオンの答えを聞くと軽く頷いた。
 
「よし、じゃあ男同士親交を深めに行くか!」
 
 そう言ってニヤリと笑ったキースはレオンと連れ立って夜の闇の中へと踏み入っていった。
 二人が去っていくのを何も言わず見送ってしまった俺だが、今になって若干の後悔が胸によぎる。何か言い知れぬ胸騒ぎのようなものがあったのだ。
 だが、俺に何が出来たかというと……答えは見つからない。ただの胸騒ぎだけで騒ぐには俺は部外者過ぎた。
 今更時間は戻らない。何も起きない事を祈るばかりだ。
 
 しばらくキース達が歩いて行った先を眺めていたが、ふと周囲を見渡す。そこでもう一人の見張り当番の男がこちらを見ていることに気付いた。
 一瞬俺を見ているのかと思ったが違う。男の視線は俺を通り過ぎ、さらに後方へと向かっていた。その先にいるのは、あどけない顔で眠る女性プレイヤー二人。
 俺が見ていることに気付き、男はハッとなって視線を別に向けるも俺はしっかりと見てしまった。
 リンとミーナを見つめる男の尋常ではない様子。
 普段は目が開いているのかわからないような糸目を見開き、内に潜む欲望が透けて見えるような輝きを放っていたのだ。断じて仲間としてのパーティメンバーを見る目付きではない。
 確かにリンとミーナは皆が美人だと答えるような容貌をしている。彼女達の傍にいれば多少なりとも下心が生じるかもしれない。
 だが、男の様子はあまりに生々しかった。
 
 まるでもうすぐ食べられるご馳走を目の前にしているような……。
 
 先程の不自然なレオンの態度、そしてこの男の異様な目付き。治まったはずの胸騒ぎが否応無く掻き立てられる。
 何かおかしい。
 周囲を敵に囲まれているかのような感覚に陥った俺は、思わず脇に置いていた剣を手繰り寄せた。
 スキル【気配察知】で周囲を探るも、プレイヤーの反応は焚き火の傍にいる俺達七人と少し離れた場所にいるキース達二人のみ。
 と、そこで俺の耳が微かな声を捉える。
 
「……ぅぅ……」
 
 声の出所は……リンとミーナ! 二人は苦悶の表情を浮かべて呻き声を漏らしていた。だが、その表情に反して身体は全く動いていない。俺とリンの視線が交差する。俺が二人の様子に気付いた事を理解したリンは必死に何かを伝えようとするも、その口から漏れるのは微かな呻き声のみ。
 俺は思わず立ち上がり、二人の傍へ寄ろうとした。
 
 そこで耳に入る『詠唱』。
 
「大地よ 鎖をもって 彼の者を 縛れ 【アースバインド】」
 
 その『詠唱』が聞こえた瞬間、俺の周囲の地面六箇所から巨大な鎖が勢い良く飛び出し俺に襲いかかってくる。
 俺がリン達の様子に驚いた瞬間を狙った不意をついた攻撃。
 加えて情報としての知識はあるものの実戦での魔術に縁のなかった俺は、『詠唱』に気付くも理解までに一瞬の隙を晒してしまい結果として鎖に捕らわれてしまった。
 魔術によって召喚された鎖はまるで意思持つかのように俺の四肢に巻き付き、ギリギリと締め上げて地面へと引き倒そうとする。
 全身に力を込めてそれに対抗しながら俺は『詠唱』が発せられた先、こちらに大きな杖を向ける糸目の男を睨んだ。
 
「これはどういうことだ?」
 
「せっかく極上の獲物が罠にかかったっていうのに邪魔されちゃ困るからねえ……ヒヒ」
 
 男の顔が醜くゆがむ。
 そして男の周囲ではレオンとつるんでいたメンバー達が次々と立ち上がった。どうやら全員起きていたようだ。この状況に驚く者は一人もおらず、皆一様にニヤニヤと笑っている。
 
 罠? 裏切り? 様々な考えが俺の頭をよぎる。だが、一つはっきりしているのはこいつらが俺やリン達に対してろくでもない事をしようと考えている事だ。
 俺の違和感は間違ってなかった。そして、こいつらが敵ということはレオンも同様。
 先程二人で夜の闇に消えていった光景が頭に浮かぶ。
 ……キースが危ない!
 
 と、そこで【気配察知】がこちらに走ってくるプレイヤーの反応を捉えていた。数は二つ。恐らくはキースとレオンだ。
 少しの間を置いて広場に飛び込んでくる人影。
 全身を切り傷で赤く染めた姿。息を大きく乱しながら必死の形相をしているのは、やはりキース。
 キースは広場に駆け込みながら大声を発した。
 
「お嬢達逃げろ! レオンの野郎が……っ!?」
 
 キースの視線が鎖に締め上げられる俺、苦悶の表情で地面に転がるリンとミーナ、そしてニヤニヤと笑う男達に向けられる。一瞬で状況を理解したらしいキースの顔に驚愕と苦しげな表情が浮かび、動きが止まった。
 そしてそんなキースの背後に忍び寄る人影。俺の【心眼】と【気配察知】はそれをしっかりと捉えていた。しかもその人影の片手には抜き身の剣。
 俺は目の前の状況に囚われ、背後に気付いていないキースに対して警告を発する。
 
「キース! 後ろだ!」
 
「えっ」
 
 キースがそう呟くのと、キースの腹から剣身が飛び出るのとはほぼ同時だった。人体を切り裂く鈍い音をたてて飛び出したのは、剣身に複雑な模様が描かれた直剣。見覚えのあるその剣はキースの体内を通った証とばかりに真っ赤に染まっている。
 キースは己の腹から生えた物体を不思議そうに見下ろし、間を置いてゆっくりとこちらを見上げた顔には絶望が張り付いていた。
 キースの腹から生えた剣が引き抜かれる。
 支えをなくしたキースの身体は腹から盛大に血を流しながら地面へとうつ伏せに倒れこんだ。
 
「キーーース!!」
 
 目の前で起きた惨劇に硬直してしまったが、キースが倒れるのをきっかけに俺は思わず叫んでいた。
 キースは地面に倒れたままピクリとも動かない。
 つい先程まで楽しく話していた相手のあまりの姿に頭が真っ白になる。

 倒れたキースの背後から現れたのは血塗られた直剣を持つ男、レオン。
 レオンは縛られる俺を全く意に介さず、剣を一振りして剣身についた血糊を飛ばし腰の鞘に収める。
 そこへ大きな斧を担いだ男が声をかけた。
 
「上手くいったようだな。随分時間がかかったみたいだが、手強かったか?」
 
「ああ、腐っても『シルバーナイツ』だったわ。でも所詮ノロマな『スパルト流槍術』だから俺の敵じゃなかったけどな。はは」
 
 笑いながらキースの身体を踏み付けるレオンに対し、怒りが込みあがる。思わず罵りそうになるが堪えた。
 冷静になれ。熱くなっては状況を打破するチャンスを見落としてしまう。
 罵る代わりに拳を握り締めると、纏わりつく鎖が軋んだ。
 そこでレオンの視線がこちらに向く。
 
「で、あれ何? あれってゲイスの【アースバインド】だろ?」
 
 レオンの顔が魔術士の男へと向いた。あの男はゲイスという名前らしい。
 
「どうやら薬が効いてないようでねえ。我々の獲物に近づこうとしたから縛らせてもらったよ」
 
 それを聞いたレオンは眉を顰める。
 
「ああん? このおっさんと違ってあいつはスープ飲んだだろ? 何で効いてねーんだよ。……後で、解毒剤でも飲んだか? お前には一度盛ったことあるしなあ」
 
 ニヤニヤ笑いながら俺を見るレオン。
 薬……食事に何か混ぜられていたらしい。何故食事の時にレオンが大人しくしていたのかこれで合点がいった。
 しかし、一度盛った事がある? 
 俺の脳裏に思い出されるあの日。レオンとの試合の日。食後の不自然な腹痛。あれの事か? しかし、あの時点ではまだレオンとの面識はなかったはずだが……。
 心当たりを得てレオンを睨むも疑問は残る。
 
「試合の日か」
 
「そうそう当たり~! あの店には俺の言うこと何でもきく奴がいてなあ。リンとミーナを探してたら、わけわかんねえ男と飯を食おうとしてやがる。しかもスカーレットまで一緒にいるしよ、よく見たら男はダラスの笑い者だしな。俺らの獲物に手を出す馬鹿に一服盛って無様な姿を晒してもらおうと思ったわけよ。苦しそうにしてたお前は笑えたぜ~」
 
 ギャハハとレオン達が笑う。あの日の裏事情を知った俺は押し黙ってレオン達を睨んだ。確かに卑怯な方法だが、引っ掛かった俺も悪い。人の欲望がエスカレートしつつある『エデン』ではこういうプレイヤーもいるという話も聞いてはいたのだ。未熟ゆえの結果、文句を言うつもりは無かった。
 
「……なんだ。みっともなく騒ぐかと思いきや反応無しかよ。つまんね~」
 
 チッと舌打ちするレオンに俺は先程から気になっていた疑問をぶつける。
 
「リン達が獲物とはどういうことだ。お前達は同じ『シルバーナイツ』のメンバーだろう? こんなことをしては流石に他のメンバーが黙ってはいないはずだ」

 それを聞いたレオン達が一斉に吹き出す。
 
「こいつ馬鹿だろ! 俺らは別に『シルバーナイツ』に入りたくて入ったわけじゃねーし。元々この二人を頂くのが目的だったんだよ。街中で見かけていつか俺のモノにしてやろうと思ってたんだわ。苦労したんだぜ~。疑われないようになるべく猫被ってよ~。『シルバーナイツ』に入ってもなかなか同じパーティ組めるチャンスが見つからねえ。頃合を見計らって嘘情報を流してようやくこのメンツで遠征できたわけよ」
 
「強盗プレイヤーの情報か」
 
「その通り。まあ嘘ってわけじゃなくて、俺らがその強盗プレイヤーだって事なんだけどな。ほんと馬鹿正直に信じちゃって、ずっと笑い堪えるのに必死だったっつーの」
 
 またしても盛大に笑うレオン達。
 リンとミーナを見れば悔しそうに顔を歪めてレオン達を睨んでいる。

「まあ、そういうわけでお前が加わるのは完全に想定外だったんだけどな。でもお前みたいな雑魚が一人増えても影響ねーし、計画を実行に移したってわけ」
 
 こちらの自由を奪って既に計画は完了したとでも思っているのか、ベラベラと話してくれたおかげでよくわかった。
 レオン達は自分達の勝利を確信して油断しきっている。
 リン達を見れば、必死に周囲に視線を飛ばし状況を立て直す手筈を探っていた。だが身体が動かせない現状、彼女達に出来る事は回復を待つ事以外にない。
 そしてキース。
 【心眼】で見れば、彼の腹部からの出血が随分と少ないのが確認できる。それがレオンの剣による効果なのか、それともキースの何らかのスキルによるものかはわからない。だが、もしかしたら未だ命を繋いでいる可能性がある。
 リン、ミーナ、キースを回復させる為にはどうしてもレオン達が邪魔だ。こいつらをどうにかしなければ3人を救えない。
 
 全身にゆっくりと力をこめる。四肢を拘束する鎖がミシリと微かな音をたてた。
 そう、俺は既にわかっていた。
 
 
 この程度の鎖では俺を拘束することなど不可能だということを。
 
 
 だが、相手は五人。しかも裏切ったとはいえ『シルバーナイツ』に在籍できるだけの実力を持っているのだ。
 俺一人が戦いを挑んだとしても無駄死にする可能性が高い。ここは何とかしてリン達を回復させる手立てを……。
 
 ――――――本当にそうか?

  
 俺の頭の中で囁かれる声。俺の判断を疑問視するその囁きは、俺が無意識に避けていたもう一つの判断を浮かび上がらせた。
 それは……俺一人でこいつらに勝てるのではないかという判断。
 ヴァリトールはおろかレッドドラゴン程の脅威もレオン達からは感じられない。絶望的な戦いを経て感覚が麻痺してしまったのか、まるでレオン達を軽く一蹴できるような感覚がある。
 初心者剣術を修めているだけに過ぎない俺が何を考えているのだと意識にセーブをかけるも、戦闘を意識すればするほど力強く猛る肉体が俺のもう一つの判断を後押しした。
 だが、俺には相手を拘束できるようなスキルも魔術もない。そしてこの人数差。戦うということは相手を殺すということ。
 俺にプレイヤーを……人を斬れるのか。
 
 俺が自問自答を繰り返す間に、レオンの元へメンバーの一人である武士のような格好をした男が詰め寄った。
 
「なあ、もういいだろ!? 早くやっちまわねーと、【サンクチュアリ】の効果で回復しちまう!」
 
 男の目はこれから起こる事に興奮しているのか血走っており、息も荒い。
 レオンがニヤニヤしながら答える。
 
「それもそうだな。やっちまっていーぜ」
 
 レオンの許可を得た男は喜び勇んで腰から日本刀を抜き、リン達の元へ歩き出す。興奮した男の様子を見てリン達の顔に恐怖が浮かんだ。
 
「何をする気だ!?」
 
 日本刀を手にリン達へ近づく男に不安を覚えた俺は叫ぶ。
 
「んん? ああ、リン達の手足を切るんだよ。今は強力な麻痺毒で動けなくしてあるけど、いつ回復するかわかんねーからな。今のうちに抵抗できなくしとくんだよ。その後俺達で楽しむ。サービスでお前は最後に遊んでやるから、しっかりリン達が嬲られるのを見とくんだな!」

 欲望を前面に押し出したレオン達の顔は醜かった。話には聞いていたものの実際に『エデン』の裏側を垣間見て心がざわめく。歯止めを失った人はここまで堕ちるとは……。

 日本刀を片手に持った男は、リン達にたっぷりと恐怖を埋め込むつもりなのかゆっくりと歩く。リン達の顔は絶望に包まれ、それを見るレオン達は愉悦に浸っていた。
 それを眺める俺は未だ迷い、戦いに踏み出せない。
 ついに男はリン達の目の前に到達し、日本刀を振り上げた。
 ミーナは観念したかのようにギュッと目を閉じて迫る苦痛に耐えようとしている。
 だが、リンは恐怖の色が垣間見えるもののしっかりと目を開き頭上で禍々しく輝く刃ではなく、俺を見ていた。
 リンの眼差しを受けてドクンと一際大きな鼓動が鳴る。思い出されるリン達との出会い、先程までの楽しい歓談。
 記憶が掘り返される内に何故かふと思った。

 ……俺はこの光景を知っている気がする。

 リンと俺との視線が交差した。見詰め合うのも束の間、やがてリンはゆっくりと目を閉じ俯く。
 だが、俺の瞳はしっかりと捉えていた。

  

 

  
 彼女の口が、「助けて」と動いた事を。

 

 

 その瞬間、俺の迷いは吹き飛んだ。

 何を悩む必要がある。
 彼女を救う為ならばたかが五人、斬ってみせろ!
 心の奥から湧き上がった激情は、そのまま俺の口から迸った。

「おおおおぉぉぉoooOOOOOOO!!」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ミーナが絶望に目を閉じるのが見えた。
 私達の頭上には今にも振り下ろされんとしている日本刀。
 そんな状況でも未だ全く動かない身体。かろうじて顔は動くものの、声すら出せない状態では何も出来ない。
 常々レオン達の素行が悪いとは感じていた。だが、まさか『シルバーナイツ』の一員となった者がこんなことを考えるなんて……。
 キースが刺された瞬間が今でも目に浮かぶ。
 私がもっと気をつけていればこんなことにはならなかったかもしれない。
 後悔と悲しさで胸が一杯になる。

 そしてこんな惨状に巻き込んでしまった彼……師範代君。

 彼は私達の仲間だったはずのゲイスの魔術、『マルス流魔術』第3階位【アースバインド】によって拘束されている。
 【アースバインド】は階位は低いが、術者の熟練度次第で拘束力が大幅に変わるという特性を持つ優秀な魔術だ。ゲイスの場合、直接ダメージを与える魔術より敵の拘束や弱体化、味方の強化など補助系の魔術に力を注いでる事もあって【アースバインド】の拘束力はかなり高い。
 事実、ボスモンスターすら一時的に拘束することに成功しているのを見たことがある。
 彼を拘束しているのはそんな魔術だ。地面に引き倒されないで立っているだけで驚きだが、これ以上彼が何かをすることは不可能だろう。

 今も必死の表情でこちらを見つめる師範代君。
 思えば最初に会った時から彼の事が気になってはいた。何故か初めて会った気がしなくて。
 それは話をすればするほど、強く感じるようになった。
 レオンとの試合のせいでどうなってしまったのかと心配していたが、話をしてみたところ彼は元気だった。あんなことがあっても信念を曲げずに生きようとしている。私にはちょっと眩しい。
 彼ならばどんな困難を前にしようとも構わず突き進んで道を作ってくれる。……そんな気がしていた。

 だからだろう。今もこの状況を彼が何とかしてくれるなんて都合の良い願望が頭に浮かぶのは。
 現状を見ればそんな事はありえないのに。

 私と師範代君との視線が交差する。
 その力強く輝く黒い瞳を見ているとそんな馬鹿らしい願望が実現してしまうんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。いつからそんなに夢見るようになってしまったのだろうか私は。馬鹿な考えを胸に押し込み、ゆっくりと目を閉じる。

 

 でも……でも、そんな事が本当に起きるなら……私達を……。

 

 
「助けて」

  

  
 私がそう呟いた瞬間だった。

「おおおおぉぉぉoooOOOOOOO!!」

 師範代君の口からとてつもない大声が飛び出る。何か獰猛な獣の咆哮を思わせる叫びが空気をビリビリと震えさせ、その衝撃で息が詰まった。日本刀を振り上げていた男、ラッシュが思わず一歩後ずさる。
 長い叫びを終えると師範代君はラッシュに向かって飛び出した。師範代君を拘束していたはずの鎖は呆気なく引き千切られ、光の粒子となって消える。

 ボスモンスターすら拘束する【アースバインド】を引き千切る!?

 私達の常識を覆す光景にラッシュも対応が遅れた。あっと言う間に間合いを詰めた師範代君は駆け寄る勢いそのままにラッシュの顔面へと拳を突き出す。
 ラッシュも慌てて避けようとするが、師範代君の動きに比べると致命的に遅かった。
 ラッシュの顔面へと拳がめり込む。
 ズドンッとおよそ人体を殴ったとは思えない轟音を響かせてラッシュの身体が舞った。血を噴きながら舞ったラッシュはゴロゴロと転がってレオン達の傍で止まる。

 拳を振り切った状態で静止する師範代君。
 彼は私達の前でゆっくりと身を起こし、レオン達に相対した。
 私の位置からは顔は見えず、背中しか見えない。だが、仰ぎ見る背中は広く、そして揺ぎ無い。束の間だけれども私達を包む絶望を切り裂いたその姿はまるで私の願望が現実になったよう……そんな背中に私は何故か既視感を感じた気がした。

 予想外の出来事に凍りつく空気。
 いち早く我に返ったのは大きな斧を持った男、ザンス。

「てめぇ! よくもラッシュを!」
 
 ザンスは確かラッシュと仲が良かったはず。恐らくラッシュを襲った惨劇に血が上ってしまったのだろう。斧を担ぐと師範代君へと猛然と駆けた。
 地響きをたてながら迫るその姿はまるで大型トラックが猛スピードで突っ込んでくるかのような感覚。
 『ダイバーン流斧術』七の型【グランロデオ】。発動条件としてある程度の距離が必要とされるが、魔術を抜きにすればその攻撃力は『シルバーナイツ』でも指折りの型だ。
 突進の勢いを叩きつける一撃から続く4連撃なのだが、斧という武器自体が攻撃力が高くザンス自身もステータスに恵まれている為、連撃の初撃で片が付いてしまう事も多い。それもあって『シルバーナイツ』では切り込み役として活躍していた男だ。
 無手で立つ師範代君には荷が重過ぎる攻撃。せめて剣で受ければ多少はマシかもしれないけど、キースが渡した『ブロンズロングソード』は【アースバインド】に捕われた時に落としたのか、少し離れた場所に転がっている。
 迫るザンスの姿を捉えていないはずはないのに、師範代君に動く様子は全く無い。【グランロデオ】の迫力に気圧されて動けなくなっているのだろうか。
 既にもうこの距離では避ける事は難しい。私の脳裏に血みどろになって吹き飛ぶ師範代君の姿が浮かんだ。
 ザンスもレオン達も同じ想像をしたのだろう。顔が残虐な笑みに染まっている。

「死ね! 雑魚が!」

 叫びながらザンスが斧を振り下ろす。ラッシュをやられた怒りも相まって、その勢いは今までに無いほど凄まじい。
 それに対する師範代君の動きは僅かだった。

 ただゆっくりと右手を上げただけ。
 唸りを上げて襲い掛かる一撃に対し右手一本で何ができるというのか。

 
 だが、結果は誰もが予想し得なかった光景となった。 

  
 刃を避けるように突き出された右手が斧の柄を掴む。
 右手ごと粉砕すべく力を込めるザンス。
 だがガシリと柄を掴まれた瞬間、ザンスの突進は巨大な壁に衝突したかのように停止した。
 師範代君の足元が受け止めた衝撃で捲れ上がる。

 だが、それだけだった。
 ただそれだけであれ程の勢いが嘘のように静止している。

 

 またしても空気が凍った。
 有り得ない光景に私自身、自分の顔が驚愕で強張っているのがわかる。ミーナも目を見開いて私達を守る背中を凝視していた。

 あの【グランロデオ】を右手一本で受け止める!? どうすればそんなことが可能になるのだ!?

 ザンスを見れば、自身の必殺の一撃を難無く受け止められた事に驚愕しつつも何とか押し切ろうと斧を持つ両手に力を込めていた。

「がぁぁぁぁぁ!」

 叫びながら斧を振り下ろそうとするザンスの筋肉に筋が浮かび上がるのが見える。恐らくは全力を振り絞っているのだろう。
 だが、斧はピクリとも動かない。
 斧の柄を掴み続ける師範代君は俯き、ザンスの顔すら見ようとしない。その身体にはとても力が入っているようには見えず、余裕が感じられた。ザンスの必死さと対照的に師範代君の無関心さが異様な雰囲気を醸し出している。
 次第に現状を把握してきたらしいザンスの顔に戸惑いと恐怖がちらついてきた。

 ザンスは『シルバーナイツ』で最も筋力ステータスが高いと言われていた男だ。そんな男が全力を尽くしても彼の右手一本にかなわない。

 非現実的なその光景に戸惑いを覚える私達を他所にレオン達は動き出していた。
 ミーナが私の後方を見て何かに気付く。
 慌てたように顔を動かし、必死に何かを伝えようとしていた。
 私も僅かながら感覚が戻ってきた身体に鞭打ち、ミーナの視線の先を見る。

 そこには師範代君の死角となる左後方で弓矢の狙いを定める一人の男、ケイ。
 弓術系流派は一般的に隠密系スキルが豊富な場合が多い。
 ケイもやはり多くの隠密系スキルを修めており、今もそれを駆使して師範代君の死角に移動したのだろう。
 豪華な装飾が成された弓に番えられているのは3本の矢。
 あの構えは恐らく『イーオス流弓術』六の型【バーストスパイラル】だ。螺旋を描きながら3本の矢が高速で的を抉る強力な型。
 さすがに【グランロデオ】に比べれば威力は落ちるが、それでも防具を纏っていない相手へ致命傷を与えるには十分な威力だろう。しかも死角からの攻撃なのでさらにダメージは大きい。
 私もミーナも何とか師範代君に危機を伝えようとするも、未だそこまでの動きは出来ない。身体が動くまではまだしばらくの時間が必要なようだ。

 私達の奮闘虚しく【バーストスパイラル】が放たれる。
 ミーナの口が大きく開かれ、呻き声が漏れる。声が出るならば悲鳴が聞こえていただろう。
 師範代君はまだザンスの斧を掴んで俯いたままで、とても後方からの攻撃に気がついている様子は無い。
 視認するのも難しい速度で飛来する3本の矢が螺旋を描いて無防備な師範代君の背中に牙をむく。

 とその瞬間、師範代君の左腕がぶれた。

 一瞬の間をおいて現れたのは3本の矢を掴み取った左手。

「なっ!?」

 ケイの口から驚愕の呻きが漏れた。
 私から見ても今の【バーストスパイラル】は完璧な不意打ちのタイミングだった。それを見向きもせずにまたしても素手で掴み取るなんて……。
 私とミーナはもがくのも忘れ、完全に一人の男に目を奪われていた。

 左手をおろした師範代君がゆっくりとケイの方を向く。ザンスがチャンスとばかりに斧から片手を離し殴りつけようとするが、それよりも一瞬早く師範代君がケイに向かって斧を放り投げた。驚くことにザンスごとだ。
 あまりに師範代君が無造作に行ったので一瞬何をしたのかわからなかった。ケイもそうだったのだろう。自身に向かって人が降って来るという光景に固まっていた。

「うわぁぁ!」

 ザンスは悲鳴をあげながら宙を舞い、ケイに激突。地面に倒れこんだ二人からくぐもった悲鳴が聞こえる。

 師範代君はザンスを投げると同時に駆け出していた。向かう先は隅に転がる『ブロンズロングソード』。一足飛びで剣の元へたどり着いた彼は、駆けながら地面に転がる剣を足で跳ね上げて掴み取りそのままザンスとケイの元へ。
 二人が慌てて身を起こした時には師範代君が剣を振り上げて目の前に立っていた。

 焚き火の光を反射して剣身が鈍く輝く。
 そして響くズドンッという轟音。
 剣身の輝きがぶれたかと思いきや、いつの間にか師範代君は剣を斬り上げた状態で静止していた。
 一歩踏み込んだらしい右足が地面を陥没させているのが見える。

「あれ?」

 そう呟いたのがザンスの最期の言葉だった。その呟きと同時にザンスの身体が真っ二つに裂け、血の海に沈む。それは隣にいたケイも同様だった。
 プレイヤーが目の前で殺される。やらねばやられるから仕方ないとは理解できるが、その衝撃的な光景に私の胸が痛んだ。『シルバーナイツ』として戦ううちにもう何度もプレイヤーが殺される光景は見てきたというのに未だに私が慣れることはない。

 だが、そんな感傷を吹き飛ばすかのような驚きが私の脳を揺さぶっていた。
 白い輝きの軌跡が微かに一瞬闇に残ったから判る。あの軌跡は確かに知っていた。
 かつて習得したある型が脳裏に浮かぶが、同時に有り得ないという即座の否定も頭に浮かぶ。
 それでも私の頭は答えを導き出した。

 

 あれは……間違いなく『バルド流剣術』一の型【双牙】。

 

 
 だが、だが! 速過ぎる! 私が知る【双牙】は断じてあんなものではない! 【双牙】は連続攻撃のいろはを知る為に教わる初歩中の初歩の型だ。連続攻撃に慣れてしまえば他流派の通常攻撃にも劣るとさえ言われてたはずなのに。
 なのに! なんだあれは? 私ですら残像でしか捉えられなかった剣速。彼は一体何者なんだ……?

 先程から続く有り得ない光景の連続に私の背筋がゾクゾクと震えた。ミーナも驚愕を顔に貼り付けているが、若干の困惑が見て取れる。恐らく彼女の目では何が起きたのか捉えられなかったのだろう。

「【フレア・ミサイル】!」

 いつの間に詠唱を終えたのか、ゲイスが大声で叫びながら魔術を放つ。放たれた魔術は『マルス流魔術』第5階位【フレア・ミサイル】。第一階位【ファイア・アロー】の上位魔術だ。
 灼熱の炎球が五つゲイスの周囲に出現するやいなや、その全てが凄まじい勢いで師範代君へと殺到する。属性攻撃なのでこれまでのように素手で掴むことは不可能。武器で叩き落とすこともできない。

 属性攻撃……これが武術系流派に対する魔術系流派の大きなアドバンテージだ。属性攻撃は物理防御をある程度無視してしまう。完全に防ぐ方法は属性攻撃による相殺か防御魔術によって防ぐしかない。
 味方の魔術士による支援を受けれなければ、頼れるのは自身の体力のみとなるが……耐えれるか師範代君!

 殺到する炎球に焦ることなく、師範代君は両腕で頭部を庇う。そこへ着弾する【フレア・ミサイル】。破裂した炎球は爆煙と轟音を撒き散らし、師範代君の身体を覆い隠した。
 一瞬周囲へ広がる爆風。私達も思わず目を閉じた。
 パラパラと爆風で吹き上げられた礫が転がる音がする。

「ひひ、やった」

 引きつった笑いを浮かべるゲイス。師範代君の姿は未だ黒煙に覆われ確認できない。
 不安が私の胸に募る。あの威力の魔術を受けて無事でいられる姿を想像できない。
 と、そこで一瞬煙の合間から場違いな輝きが見えた。
 一対の金色の輝き。まるで瞳のような……?

 やがて黒煙が晴れる。そこには多少腕が焼け爛れているものの五体無事な師範代君の姿。
 【フレア・ミサイル】をまともに受けて五体無事な事にも驚きだが、それ以上に驚くべきはその瞳。
 先程垣間見えた通り金色に輝いていたのだ。
 目を凝らせば縦長の瞳孔が見える。あれではまるで……ドラゴン!?
 かつて『シルバーナイツ』での狩りの際に見たレッドドラゴンが思い出される。
 今でもあの瞳で見下ろされた時の事を思い出して震えてしまう。
 その記憶と同じ無機質な瞳がギロリとゲイスを睨んだ。

「ひ、ひぃ!」

 ゲイスもあの時の狩りのメンバーの一人だ。当時の恐怖を思い出したのか、悲鳴をあげながら尻餅をつく。
 そんなゲイスに向かって師範代君が駆けた。
 だが、師範代君の前に滑り込んでくる人影。
 両手に長剣を持って立ち塞がるプレイヤー。今まで静観していたレオンだった。

「あんま調子に乗ってるんじゃねーぞ、てめぇ!」

 吼えたレオンが猛然と師範代君へと襲い掛かる。
 それに対するは正眼に剣を構えた師範代君。
 一歩で間合いを詰めたレオンが腕を振るう。左右の剣が霞み、無数の斬撃となって師範代君を襲った。
 あらゆる方向から息継ぐ暇も無く降って来る斬撃に師範代君も両手で握る剣を縦横無尽に振り回して迎撃する。
 飛び散る火花と、金属音。
 攻め続けるレオンに防御一辺倒の師範代君。

 それはいつか見た試合の巻き直しだった。
 だが、あの時と違うのは二人の表情。
 最初から焦りが見て取れるレオンに対し、無表情で黙々と防御し続ける師範代君。
 今だからこそ二人の間にある地力の差がよくわかった。
 レオンの、『ガーランド流剣術』の真骨頂たる連続攻撃が全く通用していない。
 レオンにもそれがわかったのだろう、攻撃の手は休めず背後のゲイスに叫んだ。

「ゲイス! 援護しろ!」

 二人の見事な剣戟に呆然と見とれていたゲイスが慌てて『詠唱』を開始する。

「大地よ 鎖をもって 彼の者を 縛れ 【アースバインド】!」

 再び放たれる【アースバインド】。大地から飛び出した鎖が師範代君の身体を縛り上げた。だが、それでも師範代君に焦りは見えない。

「っ!」

 無音の気合を師範代君が吐き出すと同時に呆気なく千切れ飛ぶ鎖。やはりさっき見た光景に間違いはなかったようだ。
 だが、そのおかげでレオンは一瞬の間を得ていた。
 絶好の機会を得て、レオンが行った動作は腕を稼動限界まで引き絞ること。
 試合で師範代君を打ち倒した型、『ガーランド流剣術』八の型『スラッシュウェーブ』だ。
 レオンが習得している型で最大の攻撃。
 攻撃開始前に一瞬の溜めが必要というデメリットがあるが、その威力はデメリットを補って余りある程。
 一瞬で叩き込まれる無数の斬撃に防御は不可能とまで言われる型だ。
 余程自信があるのか、レオンの顔から焦りが消え笑みが戻った。

「これで終わりだ!」

 勝利を確信したレオンが叫び、振るわれた腕がぶれる。師範代君へと左右から波濤のように迫る無数の斬撃。
 私が噂に聞いていた『師範代』君の実力ならここで先日と同じ結果になっていただろう。
 だが、レオンが戦っている相手は恐るべき実力を秘めた男。
 これで終わるはずなどなかった。

 迫る攻撃に対し、師範代君に避ける素振りは全く無い。師範代君の瞳が大きく見開かれ、腕が霞む。驚くことに、あの【スラッシュウェーブ】を防ぎきるつもりらしい。凄まじい速度で師範代君の剣が飛び交い、レオンの攻撃を次々と撃ち落とす。

 空間に金属音の多重奏が響き渡った。

 一撃、また一撃と自身の斬撃が撃ち落とされる度に驚愕と恐怖の表情が染み出してくるレオン。
 対してとてつもない手数を誇る筈のレオンの斬撃を、恐るべき速度で撃ち落とす師範代君。
 戦いの終焉は少しずつ近づいていた。

 やがて、無数とも思えたレオンの攻撃が遂に最後の一撃を迎える。
 交差する剣と剣。

 

 
 直後には、ザンッという肉を断つ音と共に一本の腕が飛んだ。

「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 失った腕を押さえ、悲鳴をあげるのはレオンだった。
 腕を押さえながら後ずさるレオンに対し、さらに一歩踏み込む師範代君。
 頭上には既に振り上げられた『ブロンズロングソード』。
 レオンが信じられないものを見たかのような顔でそれを見上げる。

「嘘だ……こんなの……」

 師範代君の腕がまたもぶれた。遅れて響く轟音。
 最低ランクの武器である『ブロンズロングソード』がレア装備であるはずのレオンの鎧を容易く粉砕し、レオンの身体を切り裂く。
 斬撃の衝撃で自身の血と共にレオンが吹き飛んだ。
 地面を転がり、やがて止まる。
 即死かと思われたが、驚くことにまだレオンは生きていた。

「……シ……ね……ん」

 僅かに口を震わせ何事か呟くのが聞こえる。
 だが、それが最期の力だったようでそれ以降動くことは無かった。


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