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  エデン 作者:川津 流一
11.龍殺し
 巨龍の名にふさわしい威容に度肝を抜かれていた俺とヴァリトールとの視線が合う。
 その視線に俺をこれから狩るという明確な意思を感じ、俺の身体は震え上がった。ヴァリトールの威容に呑まれていた俺だったが、勝利を諦めていたわけではなかった。

 先程も勝てるかわからなかったレッドドラゴンをあそこまで追い詰めたのだ。自分の力を信じろ。俺は自分で思っていたほど弱くは無い。
 確かにヴァリトールのこの巨体相手ではリーチが違いすぎるし、攻撃の重さも違う。苦戦は必死だ。だが、諦めるな。これを乗り切れなければ俺は強くなれない。


 やってやる。


 そう心に刻んだ決意は残念ながらすぐに砕かれることになる。


 ヴァリトールが大きく口を広げる。巨大な牙が並ぶ様がよく見えた。スキル【思考加速】、奥義【心眼】を起動し、集中力を高める俺。
 ブレス攻撃なら吐き出すブレスの予兆が喉の奥に見えるはずだ。今はそれがない。となるとこれは咆哮。
 初めて咆哮をくらった時はさすがに面食らったが、既にレッドドラゴンとの死闘で何度か至近距離の咆哮はくらっている。もう棒立ちになるような無様な姿は見せない。
 咆哮中に少しでも距離を詰める。ヴァリトール相手でもレッドドラゴン相手でも基本的な作戦は同じだ。俺の武器が長剣である以上接近戦以外無い。恐怖を押し込め一歩先へ!

 そこまでを一瞬で思考した俺が走り始める。そして俺の予想通り放たれる咆哮。ただ予想外だったのは、その威力だった。

「GGGGGGGGGGGGRRUUUUUUUUuuaaaaAAAAAAAA!!!!」

 レッドドラゴンの咆哮とは違う圧倒的な轟音と衝撃。俺の意識を吹き飛ばすかのような衝撃が俺の身体を貫き、実際に物理的な衝撃波を伴って俺を吹き飛ばした。
 地面をゴロゴロと転がりながら慌てて立ち上がろうとする。

 なんだ今のは!?

 攻撃予測軌道が表示されなかったので物理的なダメージが発生する攻撃を予期してなかった俺は驚愕する。咆哮をくらっただけでがくがくと震える手足を押さえ、なんとか立ち上がる。
 【心眼】視界ではヴァリトールが既に攻撃体勢に入ってるのが見える。
 視界一杯に広がる攻撃予測軌道。
 これはさっきレッドドラゴンとの死闘で見た尾の薙ぎ払い。

 だが、圧倒的に攻撃範囲と速度が……速い!

 攻撃が来るとわかっていたはずなのに、気づいた時には目の前に巨大な壁のような尾が迫っていた。
 俺の普段の【烈牙】の剣速に似た速度。思考加速状態でさえ霞む様な速さ。あの巨体でレッドドラゴンを遥かに上回る攻撃速度など想像できるはずがない。
 辛うじて尾に対し剣を合わせるのが精一杯だった。

 「ぐぁあ!!」

 薙ぎ払いをくらった瞬間、身体が軋みをあげる音を聞きながら吹き飛ばされる。途中で防具が粉々になって消えていくのが見えた。
 実に十メートル以上を滑空し、大きな岩に轟音を響かせて激突する。生身でこれだけ空を飛ぶなんて初めての経験だが、それを楽しむ余裕は勿論無い。
 岩にめり込みながらすぐに自身の状態をチェックする。普段なら激痛で悶えてるのだろうが、今はブースト系アイテム『イモータル』を服用しているので痛みが無いのだ。

 左腕がありえない方向に曲がっている。考えるまでもなく骨折。他の手足は無事だ。内臓については特に吐血もないので問題ないと考える。防具は辛うじて下半身の装備が残っているが上半身の鎧とガントレットが失われている。剣は多少耐久度を減らしているようだが、まだ大丈夫。さすがは姐さん特製の剣。だが鎧も姐さん特製だった事を考えると、この耐久度の高さは+10のおかげか?
 +10にする苦労を考えると見返りが少なすぎる気がするが、この時点ではそれはそれで嬉しい誤算。だが……

 ただの一撃でこれほどのダメージをくらうなんて……。

 俺の希望に微かに影が差す。
 だが、ヴァリトールは俺のそんな思考など歯牙にもかけない。
 またも大きく開かれる口。その口腔の奥には燃え盛る炎の輝きが見て取れた。どうやらヴァリトールも炎のブレスを吐くらしい。

 まずい。こんな状態でブレス攻撃なんてくらったらひとたまりも無い。

 軋む身体に鞭打ち、めり込んだ岩から慌てて降り立つと全速力で走り始める。同時に腰のポーチから俺の所有する最高級の回復アイテムカードを抜き出し具現化。
 現れたのは一個の木の実だった。だが、見た目がただの木の実でない事を証明している。
 黄金色に輝くその木の実の名は『生命の実』。食べることで、ありとあらゆる負傷はおろか状態異常も瞬時に回復する。強化用宝石と同様にボスモンスターを倒すことで稀に手に入るこのアイテムは、死へのリスクが高いこの世界で非常に高価だ。
 その『生命の実』を何個も仕入れたおかげで俺の財産は底をついた。さすがにちょっと抵抗があったのは否めないが、今はそれをやっておいて正解だったと感じている。

 木の実を飲み込むと同時に身体が輝く。次の瞬間には無傷の肉体を確認できた。この即効性が重要なのだ。
 【心眼】視界ではヴァリトールの口からついにブレス攻撃が放たれたのが見えた。
 レッドドラゴンのブレス攻撃は火炎放射器のような炎だったが、ヴァリトールのブレス攻撃は言わば炎の砲弾。
 ジャイロボールのような回転をしながら高速で巨大な炎球が迫る。
 視界に映る攻撃予測軌道では何とか直撃は免れるだろうが、あんなのが着弾したら周囲がどうなるか想像がつかない。
 ぎりぎりまで走り続けると着弾の直前に地面に飛び込み伏せる。

 着弾と同時に凄まじい爆風と炎が周囲を吹き飛ばした。それは俺も例外ではなく、炎で全身を炙られる感覚を感じながらまたも空を飛ぶ。
 僅かな浮遊感の後に地面へと俺は叩きつけられた。

「うぐぐ……」

 痛みは無いものの、衝撃で頭がくらくらする。呻き声をあげながら自分の身体を見れば焼け爛れ、ボロボロになっているのが判った。ブレス攻撃は属性攻撃。物理防御があまり意味を成していない。
 焼け爛れた腕で再び『生命の実』を具現化。そのまま口に含む。
 身体が輝き再生。身を起こすとヴァリトールは最初に着地した位置から一歩も動かずこちらを見下ろしていた。

 奴は一歩も動かずにこちらを蹂躙できる。

 そのあまりの事実を理解すると心が折れそうになった。

 こんな相手に勝てるのか?……いや、弱気になるな。まだ回復アイテムも大量にある。ヴァリトールの攻撃を捌ききれていないが、一撃で殺されてはいない。まだ出来ることはたくさんあるはず。


 それに、負けるのはもうたくさんだ。


 ……そして、俺の絶望的な戦いが始まった。




 どれ程時間が経っただろうか。
 回復アイテムを湯水のように使いながら、ヴァリトールへと挑む。もう何度ヴァリトールの尾の薙ぎ払いに、ブレス攻撃に、爪に吹き飛ばされたかわからない。
 既に防具は全て消滅し、僅かな襤褸切れを纏っているだけ。剣だけはまだなんとか耐久度を保っていた。だが、さすがに剣身にも傷が目立ってきている。もう後何度の激突に耐えれるかわからない。

 幾度と無く繰り返された突撃で何度かヴァリトールの懐に潜り込み、攻撃をすることに成功している。だが、ヴァリトールの鱗はレッドドラゴンの竜鱗よりはるかに硬度が高いようで通常攻撃では全く刃が通らない。
 【烈牙】を使ってようやく刃がめり込む程度だ。それもあの巨体のせいで大したダメージにはならない。

 戦えば戦うほど絶望を知るようになる。

 つい先程、手持ち最後の回復アイテムを使用した。効果の高い物から使用していった為、最後に残っていたのは飲めば多少傷口が塞がるポーションだ。最初に使用した『生命の実』とは比較にならない僅かな回復量。
 満身創痍。骨折などはしてないので動きにはまだそれほど支障がないのが救いだが、最早勝てるビジョンが浮かばない。
 度重なる衝撃で意識が朦朧とする。

 俺は何の為にここまで頑張っているんだっけ……。

 霞がかかる視界には俺の止めを刺す為か、大きく腕を振り上げるヴァリトールの姿。あれをくらえばさすがにもう死ぬ。だが、それでも身体は動かない。動く気力はとっくに尽きていた。

 今までの日々が脳裏に浮かぶ。

 最初は楽しかったなあ。あの練武場にも溢れる程人がいて、切磋琢磨する同志がいて……いつから一人になったんだっけか。

 ブラートの奴も最初に作った飯は旨いとは言えなかったな。あいつが料理屋を開くなんて想像もしてなかった。

 姐さんは最初から変わらないな。初めて見たときもうたた寝してるかと思ったし。

 ミーナは気が強そうだけど、きっと世話焼きだな。レオンとの試合でも助けてもらった。

 それにリン。彼女にも助けてもらったな。できるなら彼女達に恩返ししたいところなんだが……。

 それから……それから……。

 次々と走馬灯のように映っては消えていく過去の情景。その中に、とある風景が一瞬混じった。


 ――――――無数の刃を突き立てられる一人の女性。


 なんだこれは……こんなの俺は知ら……ない!? 突如心に沸き起こる感情の爆発。思わず胸を押さえる。

 ――――――絶対に守ると誓ったのに

 なんだ?

 ――――――俺は君を守れなかった!

 なんなんだ!?

 コントロールできない感情の発露に俺は振り回される。

「――――――――――――――――――っ!!」

 声無き声をあげ、わけもわからず慟哭する俺の脳裏にはっきりと、ある言葉が響いた。

 ――――――負けない。もう俺はどんな相手にも負けない。次こそは彼女を救う!

 その誓いとも言える言葉は砕けかけた俺の心を満たし、ゆっくりと溶け込んだ。

 そうだ、こんなたかがモンスター相手に負けてなんかいられない。こんなところで終わるわけにはいかないのだ!

 俺の心身に活力が灯る。だが頭上を見上げれば俺を押し潰さんと振るわれる腕が目の前に迫っていた。絶望的な距離。死に瀕しているためか、思考加速状態でも先程までは霞むようにしか見えなかったヴァリトールの攻撃がゆっくりと見える。
 だが、それに対処しようとする俺の動きは呆れるほど遅い。これでは間に合わない。
 動かぬ身体に無理やり力を込める。身体が軋む。だが気にしない。さらに力を込める。
 それでも……遅い。

「あああぁぁぁぁっ!!!」

 自然と叫び声もあげていた。
 全力で刻一刻と迫る死の運命に抗う。

 ――――――おかしい。

 何がおかしい。

 ――――――俺は何故こんなにも遅い。

 これが俺の全力だ。

 ――――――いや違う。あれを獲得した俺は時間に縛られぬ領域に至ったはずだ。

 あれとは?

 ――――――決まっている。【神眼】へと至る道。

 

 

 

 ――――――奥義の壱【神脚】。

 





 自然と俺の意識が切り替わる。
 頭の中でスイッチを押すイメージ。今まで何十万回と繰り返したその動作。俺の脳裏にイメージされるいくつものスイッチ。今まで使ってきたそれらを無視し、さらに奥へと手を伸ばす。
 闇に隠れたその向こう。そこにあるのはわかっている。
 伸ばした手の先にはいつの間にか一つのスイッチが現れていた。

 だが、それをイメージした瞬間、俺の頭は凄まじい激痛に襲われた。

 視界が真っ赤に染まり、一瞬視界に「SYSTEM ALERT」の文字が明滅。だが、極限状態の俺はそれらを一切無視しスイッチを押しこむ。

 バチリと何かが弾ける音。



 



 瞬間、世界から音が……消えた。




 



 もどかしい程動かなかった俺の身体が急に普段通りの自由を取り戻す。だが、依然としてヴァリトールの腕はゆっくりと動いていた。
 全てがゆっくりと動く中、俺だけが普段通りに動ける。
 そんな異様な世界。
 だが、目の前の敵を屠る事に全てを集中する俺は疑問を持つことなく動き出す。
 ヴァリトールの腕をすり抜け、この絶望的な戦力差を挽回できる唯一の目標へと駆けた。

 ……これだけの巨体。いくら手足を切ろうが意味が無い。俺が勝てる可能性は唯一つ。

 急所攻撃による一撃死。

 急所への攻撃による一撃死は何もプレイヤーに限った現象ではない。モンスター達にもそれは当て嵌まる。
 そして曲がりなりにも生物の形態を取る場合、その急所の多くは首や頭部。

 首は剣の長さに対して太すぎる。狙うは頭部。

 ヴァリトールの腕を伝い、肩に乗り、頭部へと一気に駆け上がる。その間もヴァリトールは動こうとするが、俺の動きに比べると呆れるほど遅い。

 頭部へと到達した俺は『バルド流剣術』一の型【双牙】を起動。斬り下ろし斬り上げと高速で振るわれた二段攻撃はヴァリトールの頭上の龍鱗を易々と削り取る。意識はおろか動きすらも加速されているせいで攻撃力も増大しているのだ。
 だがそれも長くは続かない。感覚的に恐らく次の一撃を放てばこの世界は途切れて終わるだろう。そしてそれは、ボロボロになって耐久度の限界を迎えつつある俺の愛剣についても同様だ。

 剥き出しとなった頭骨へと剣を振り上げる。

 止めは『バルド流剣術』二の型【烈牙】。俺の最大の攻撃でこいつを、ヴァリトールを仕留める!

 俺の壮絶な攻撃意思を感知したシステムが俺の肉体をアシストし始める。
 傷だらけの筋肉が隆起し、全身から血が溢れる。おかげで俺の身体が真っ赤に染まった。

 これだけの出血……ヴァリトールを倒せたとしても生きて帰れるか。

 思考の片隅を過ぎる微かな不安。
 だが、それを一瞬で振り払う。

 こいつを倒さねばどっちにしろ俺に未来は無い!

「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 咆哮を以って全ての雑念を吹き飛ばし、俺は剣を振り下ろした。
 文字通り俺の全霊を賭けた斬撃。
 最早誰も捉える事ができぬであろう速度で振るわれた剣はヴァリトールの頭骨を砕き、中に守られていた脳を衝撃で完全に破壊した。
 そして、砕かれたのは何もヴァリトールの頭骨だけではなかった。

 バキリと音をたて、刃の根元で真っ二つに折れる俺の愛剣。剣先はヴァリトールの頭に残り、俺の手元には柄だけが残される。
 傷だらけで俺を支え続けた相棒。頑丈さだけが取り柄で攻撃力は初期武器に毛が生えた程度だろう。それでもずっとこいつと苦楽を共にしてきたのだ。

 俺の今までの生き方が詰まった愛剣は巨龍を道連れに俺の手元から去った。
 ……剣身が折れた瞬間、何かが俺へと微笑んだ気がしたがそれは俺の幻想だろうか。

 
 愛剣への別れを惜しむも、世界が通常の時間の流れを取り戻す。


 盛大に頭部から血を溢れさせるヴァリトール。その目は既に光を失っていた。ゆっくりと傾き始める『山』。
 ヴァリトールの頭部に立つ俺は力を絞りつくした反動か、指一本動かせない。だが、なんとか目の前に広がるヴァリトールの頭骨の中へ身体を躍らせ、破壊された脳をクッションに落下の衝撃に備える。

 そして、傾いた『山』はゆっくりと倒れ地面に激突。激しく揺れる世界の中で限界を迎えていた俺は意識の手綱を手放した。
 だが完全に意識が闇に沈む直前、俺の視界の端に半透明のウィンドウが見て取れた。
 そこにはこの一文。


「ユニークモンスター『巨龍ヴァリトール』単独撃破ボーナス:特殊アビリティ【龍躯】を獲得」

 

 

  
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 

 

 『師範代』と巨龍ヴァリトールとの死闘場所からかなり離れた丘の上。一人の男が人と龍との激戦を眺め続けていた。闇が滲み出たかのような真っ黒なフードとローブ。顔は影に包まれ、見ることが出来ない。
 近くにはレッサードラゴンがたむろしているものの、男に対する反応はなく。何故かその存在には気づいていないかのようだ。
 男は死闘を見届けると、ポツリと呟く。

「まさかこの段階でヴァリトールを打倒するとは……君にはいつも驚かされるな『師範代』君」

 男は何かを思い出すかのように空を仰ぐ。

「先程発動したスキル……あれは紛れも無く『真バルド流剣術』奥義の壱【神脚】。使えるはずのないスキルを使う……これが力を求めた君の答えか」

 男の視線は遠く、巨龍の頭骨の中で眠る一人の剣士をじっと捉える。距離があるにも関わらず男の視界には、剣士の顔……そして何故か消滅せずに剣士の手の内に残る柄が映っていた。

「……恐るべきは人の執念か。かつての絶望を背負った今回の君にはこれまでにない力が集まっている。今度こそこの『楽園』が終焉を迎えるのだろうか。……期待しているよ、『師範代』君」

 そう言い残すと男の身体は影に沈み、その場には風に揺れる草木と竜達の咆哮のみが残った。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


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