10.ヴァリトール山
ヴァリトール山を進む。まずは麓に広がる森の中だ。鬱蒼と緑が生い茂る森。比較的背の高い針葉樹が立ち並び、足元にはそれほど背の高い草木は生えていない。おかげで楽に進むことが出来る。
だがそれは身を隠す場所が少ない事も意味している。既にここは『彼ら』のテリトリーなのだ。逸早く危険を察知できるように常に【心眼】を使用しながらの移動。緊張と集中のせいで神経がすり減らされていくのが自覚できるが、それは仕方が無い。
高レベルパーティでも苦戦するという竜。俺の勝率を少しでも上げる為には必ず先制する必要がある。
勿論今回は今まで貯めた財産に物を言わせ、高価な回復アイテムや一時的なブースト系アイテム等をたっぷり持ってきていた。その中には一時的にだが疲れを忘れさせ、集中力を増大させるというような現実ではちょっと危ない効果のアイテムも含まれる。
先程の謎の男の忠告が真実ならば、普段よりも竜達の戦闘力は上がっている。備えはいくらあっても困るものではない。戦闘になればそれらを躊躇無く使うつもりだ。
時折空気を震わせる獰猛な咆哮。
この山に住まう王達に気づかれてはいけないとばかりに森は異様な静けさで満たされ、動物達が動く様が全く見えない。まるで時間が止まっているかのようだ。
森の中には竜達の咆哮と俺の鎧がたてる微かな金属音、進む際の草地や土を踏みしめる音しか聞こえない。俺の装備は金属系の防具だが、急所を重点的に守り、あまり動きを阻害させない造りとなっているので全身鎧等に比べたらかなり金属部分は少ないといえる。それでも動く際の僅かな金属の擦れ合いは防げない。
竜達が音に対してどれだけ敏感なのかはわからないが、もしもを考えればやはりスキルの常時使用は止めれないのだ。
そんな森を慎重に進みながら俺は作戦をまとめる。
何も山をどんどん登っていく必要は無い。
確かに山の中腹には飛竜達が遠くからでも見えたし、他の竜達も高度が上がるにつれて増えていくことだろう。だからといって山を登っていくのは危険だ。
クエストのクリア条件は竜を一匹倒せばいいだけだし、帰路の事も考えなければならない。
わざわざ山を登り、竜に遭遇できたとしても複数の竜に囲まれたりしては目も当てられない。
麓の辺りを歩き回り、一匹だけでうろつく竜を探す。
そう考えながら進む俺の耳に何かが砕けるような音が微かに聞こえてきた。何かしら動く存在がいる。この場では竜である可能性が高い。
聞こえてくる音の方角に当たりをつけ、さらに慎重さを増しながら立ち並ぶ針葉樹の影を縫うように俺は進む。
しばらく進むと森の途切れ目が見えてきた。その先には緑が少ない岩地が続いている。音は先程より随分大きくなってきた。だが、音源はまだ確認できない。大分近いとは思うが、もう少し進む必要があるようだ。
そうして身を屈めながら岩地を進むとある光景が俺の目に飛び込んできた。
見つけた。
岩地の先で落ち着かなさそうに周囲を見渡し、時折尾を振り回して周囲の岩石に叩きつけている一匹の竜。
真っ赤な鱗が特徴的な見上げるような巨体。手足には鋭い爪、口元には大きな牙が並んでいる。背中には身体のスケールからすると小さめの翼。
レッドドラゴンだ。
竜種の中でも割とポピュラーな部類だろう。手足の爪や凶悪な牙による攻撃は強力であるし、尾の薙ぎ払いは攻撃範囲も広いので注意が必要らしい。だが、特に注意が必要なのはブレス攻撃だろう。
情報によるとレッドドラゴンは見た目通り火属性で火炎放射器のような炎を吐くという。現に今もあのレッドドラゴンの口元からは高温の吐息が漏れ出し、周りの空気が揺らいでいるのが確認できる。
魔術士でもいればブレス攻撃を含む属性攻撃の防御手段があるが、こちらはただの剣術士が一人のみ。
一応装備を強化してあるとはいえ、強力な属性攻撃に耐性があるかわからない。そうなると流派的に苦手な回避行動を取る必要が出てくる。
やはりいきなりレッドドラゴンに挑むのはリスクが大きい。ここはこのまま発見されてないうちに仕切り直して、レッサードラゴンを探すべきだろう。
レッサードラゴンは竜種の中でも最も弱い竜だと言われている。そうは言っても、他の竜との違いはブレス攻撃が出来ない事、空を飛ぶ事が出来ない事の二つだけだ。
依然として強力な爪や牙、尾による物理攻撃は侮れない。
だが、俺には対処の難しいブレス攻撃が無いだけでもかなり勝率が上がる。
この場を立ち去る為、ゆっくりと腰を上げようとした瞬間、レッドドラゴンは突如空を向き咆哮をあげた。
「GRRRRAAaaaaaaaAaaRRR!!!!!!」
多少距離があるにも関わらず、その凄まじい咆哮に心の奥底から恐怖が涌き出し思わず身体が硬直する。
近くで聞く竜の咆哮がこれ程とは!
俺の気配を感じたのか、こちらに顔を向けるレッドドラゴンと俺の視線が交錯する。
……気づかれた!
すぐに竦む身体に喝を入れ、今来た道程を森へと走る。逃げ切れるなら逃げて仕切りなおす。だが、保険はかけておこう。走りながら腰のポーチのカードデッキからブースト系アイテムカードを抜き取り具現化させる。
一時的に疲れを忘れさせ、集中力を増大させる『アドレナン』、一時的に痛覚を無くす『イモータル』、一時的に筋力を増大させる『ブルマッスル』。栄養ドリンクのような容器に入れられたそれらブースト系アイテムを片っ端から喉に流し込む。
効果はすぐに現れた。今までの移動でどんよりとした身体のダルさが消え、意識がはっきりし始める。同時に身体中の筋肉が膨張し、防具を押し上げる。
先程とは比べ物にならない速度で走る俺だが、背後を覗う俺の【心眼】には絶望的な光景が映っていた。
俺を発見したレッドドラゴンはさらに一声咆哮をあげると翼を広げ、なんと空を飛び始めた。高度はそれほど高くないが、滑空しながら迫る速度は俺の走る速度より圧倒的に速い。
さらにレッドドラゴンの胸が大きく膨らむのを【心眼】で確認する。
ブレス攻撃!
ゴウッとレッドドラゴンの口腔から吐き出された熱風を感じながら、とっさに横っ飛びに身を投げ出す。なんとか受身らしきものを取りながら転がる俺の脇を灼熱の塊が通り過ぎた。
【心眼】により、周囲一面炎の海と化しているのがわかる。
攻撃範囲が広すぎる!
……今のは距離が近かったおかげか、ブレス攻撃が広がりきる前に避けれた。距離を取られてしまうと俺には回避することすら危うい。
翼をなびかせて自らが作り出した炎の海に悠然と降り立つレッドドラゴン。炎の照り返りにより一層鮮やかな赤を纏うその姿はある意味荘厳さを兼ね備えていた。
王国への愚かな侵入者たる俺を見下ろしながら牙を剥き出す。
……退路は断たれた。事ここに至ってはこいつに勝たねば帰ることもできない。
覚悟を決める。俺は立ち上がると、腰に差していた愛剣を抜き放つ。黒光りする剣身はレッドドラゴンの牙にも負けぬ凶悪な輝きを放った。
神経を研ぎ澄ませる。俺の攻撃範囲、奴のブレス攻撃範囲を考えると勝つためには奴の懐に飛び込まねばならない。凶悪な牙と爪、堅牢そうな赤い竜鱗が目に映る。身体を引き裂かれズタズタにされる光景が思わず頭に浮かぶ。
だが、死中に活あり。気力で恐怖と不安を押し込め、俺はレッドドラゴンへと一歩を踏み出す。
「おおお!!」
己を奮い立たせる為に雄叫びを上げながら突進する。既にスキル【思考加速】が起動されており、周囲の風景がゆっくりと後ろへ流れる。
そして俺の視界に表示される太い攻撃予測軌道。俺の身体の幅程もある赤い線。恐らく初撃は俺から見て左からの爪攻撃。
丸太のような腕を振り上げ、鋭い爪が俺へと振るわれる。
【思考加速】起動中の俺の視界でもその速度は速い……だが、見える。
攻撃予測軌道通りに振るわれた爪に合わせ、左下から剣を振り上げ叩きつける。爪に対し横から叩きつけられた衝撃でレッドドラゴンの腕が泳いだ。
おれはそのまま振り上げる形になった愛剣を目の前のレッドドラゴンの腕へと振り下ろす。
激突の瞬間感じる竜鱗の硬い感触。高級生産材料として有名な竜鱗。金属よりも硬いとの噂だが、俺の剣は姐さん特製の剣。負けはしないと信じ、俺は無理やり力を籠める。
すると一瞬強い抵抗を感じたものの、俺の剣は竜の腕の中へと沈んでいく。そのまま腕の太さの半分ほどを切断して振り抜かれた。
「GYYYRRAAAAaaaaaaa!!!」
考えてもいなかった激痛に悲鳴をあげるレッドドラゴン。腕からは盛大に血が飛び散る。これをチャンスと捉え追撃をくらえようと迫る俺の視界にまたも攻撃予測軌道。右横一杯に広がる長大な赤い線。
これは尾の薙ぎ払いか!? 俺の【心眼】はレッドドラゴンの身体に隠れた背後で振り上げられる尾をしっかりと確認していた。追撃を中断し、攻撃に俺は備える。
悲鳴をあげて身を引いたかのように見えたレッドドラゴンはそのまま身体を一回転。スナップを効かせた長い尾が先程の爪とは比較にならない速度で襲ってくる。
攻撃範囲が広いので受け流しは厳しい。
剣を立て、剣身に手と肩を添え、足を踏ん張る。そして激突する尾の薙ぎ払い。
「ぐっ……!」
その衝撃に思わず呻き声をあげる俺。踏ん張った足が地面に埋まるが、全身の筋肉に力を籠めて何とか受け止めきる。
すると目の前には無防備な後姿を晒したレッドドラゴン。俺の攻撃がこいつの竜鱗にも通用することは先程の攻撃でわかっている。ここは邪魔な尾を何とかしておきたい。
攻撃意思を感知したシステムがアシストを開始する。ブースト系アイテムの使用で普段より膨張している筋肉がさらに膨張し、着ている防具が軋みをあげた。
『バルド流剣術』二の型【烈牙】。
籠められた踏み足の力で地面を爆発させながら猛烈な速度で剣を振り下ろす。狙いは尾の付け根。レッドドラゴンが攻撃を回避しようとするが俺の剣速に比べると圧倒的に遅い。
【烈牙】は狙い通りレッドドラゴンの尾の付け根に命中し……全く抵抗を感じさせずに尾を斬り飛ばした。
腕の時とは比較にならない程血が周囲に飛び散り、俺の顔や装備も汚す。
「―――――――――――――――――――――――――――!!!」
声にならない悲鳴をあげるレッドドラゴン。尾を失ったせいでバランスを崩したのか、そのまま地面へと倒れこむ。
地響きをたてる地面。だが重心を低く保っている俺には何の影響も無い。
やれる!
俺は自分の力に自信を持ち始めていた。あのレッドドラゴンとも対等に戦えている。確かに攻撃は鋭く、重いが対処しきれないほどではない。対してレッドドラゴンは腕を負傷し、尾を失い、攻撃力を大きく失っている。
このまま畳み掛けて止めを刺す!
脳裏に微かに見えてきた勝利という二文字が俺の身体をさらに奮い立たせた。急所であろう首を狙いに走る。
と、その時周囲が突然影に包まれた。
「!?」
思わず立ち止まる俺。空を仰ぐと同時に言い知れぬ悪寒が俺の背中を走る。
……何か巨大なものが俺達の上空にいる!
その何かが急降下してきているのを感じた俺は全速力でその場から逃げ出す。
俺が数十メートル走った所でその巨大な何かは未だに倒れていたレッドドラゴンの上へと急降下の速度そのままで着地した。
その瞬間、文字通り世界が揺れた。俺はかろうじて倒れはしなかったものの、さすがにバランスを取る為に立ち止まってしまう。
そして揺れが収まったところでゆっくりと後ろを向く。
【心眼】でわかってはいたが、肉眼で見ると一層迫力があった。
一言で言うと、そこにいたのは動く『山』だった。俺が見上げていたレッドドラゴンが玩具に見えるほど大きい。
『山』の着地点はクレーターのように大きく抉れている。これではレッドドラゴンの肉体は跡形も無く粉々になった可能性が高い。せっかく追い詰めた相手だったが、悔しがる余裕は今の俺になかった。
その『山』は先程まで俺と死闘を繰り広げていたレッドドラゴンと非常に形が似ている。大きさもさることながら、レッドドラゴンと決定的に違うのはその色だ。
レッドドラゴンは目の覚めるような赤い竜鱗だったのに対し、この山が纏う色は黒。まるで黒曜石のような輝きを放つ鱗をびっしりと身体中に纏っている。
思わずゴクリと唾を飲み込む。
これほどの巨体、そして闇を纏うかのような黒。これに該当する存在を俺は一つしか知らない。
巨龍ヴァリトール。
ヴァリトール山の王の中の王。出会うことは死を意味すると言われる存在。
俺が想像していた中で最悪の可能性が現実となった瞬間だった。
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