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  エデン 作者:川津 流一
8.奥義
 レオンとの試合から一夜明けて、早朝。
 何か夢を見た気がするが、よく覚えていない。だが、未だに気分が晴れないところを考えるとどうせ碌な夢じゃない。
 気分は最悪ながらも俺は日課である修練を行う為にバルド流の練武場へと向かっていた。

 昨夜あんなことがあったのに律儀に日課を繰り返そうとする自分にはちょっと笑ってしまう。確かにこれは他人から見れば馬鹿のように思えるだろう。
 だが最早俺には『バルド流剣術』しかない。未だ救いの無いこの『エデン』で俺が見出した心の拠所。
 最初こそ他流派への踏み台程度にしか思っていなかった。……いや、つい昨夜まで心の何処かにその思いはあった。煌びやかな装備を身に纏い、様々な型やスキルを披露する他流派のプレイヤーを見かける度に、さっさと『バルド流剣術』なんて卒業して俺もあんな風になりたいと思ったりしたものだ。
 強くなりたい……これは最初からずっと心に思っていたことだ。だが、『バルド流剣術』では強くはなれない……そんな相反する気持ちを持っていたのではないか。
 だが、気づいた。自分が思った以上に『バルド流剣術』は俺の中に根付いている。
 昨夜の手痛い敗北を経験し、俺は強さを、力を求めた。だがそれは他流派へ鞍替えすることで強くなることではない。あくまで『バルド流剣術』の使い手として誰にも負けない強さを求めたのだ。

 それを自覚すると俺の心の内には熱が生まれた。

 最早他流派なんて関係ない。俺は『バルド流剣術』で強くなる。そして、もう誰にも負けない。
 こんな貪欲さを俺は久しく忘れていた。早く練武場で剣を振りたい。
 俺の足は自然と早足になり、ついには駆け足となって練武場へと飛び込んだ。


 俺が異変に気づいたのは、何時ものように練武場で剣を振り始めてすぐだった。
 練武場の奥にある建物のドアが開いたのだ。これだけなら特に驚く事はない。今ではほとんど無いとはいえ、興味本位でプレイヤーが出入りすることもある。
 だが、ドアから出てきた人物が問題だった。出てきたのは、背が高く白髪を伸ばした老人。ゆったりとしたローブのような服を纏っているも、時折垣間見える腕や首筋には鋼を思わせる筋肉がついている。そして額にはNPCを示す紋章。
 彼はアシュレイ=バルド。その名でわかるように『バルド流剣術』のマスターNPCだ。

 『エデン』の最初期における『バルド流剣術』に人が溢れていた時期には教えを請う多人数のプレイヤーに対応する為か、練武場で見かける事が多かったが、今では奥の建物に閉じこもり出てくることは無い。
 少なくとも俺の記憶では2年以上に渡って、建物から出た姿を見たことは無い。俺は毎朝の修練後は勿論、暇さえあればこのNPCに会いに来てた。そして毎回同じ事を言われては項垂れる。
 それが俺にとっての常識ともなっていたので現在練武場を歩いて向かってくる老人の姿に酷く違和感を感じてしまう。
 思わず手を止め、彼が俺の元へと向かってくるのをじっと待ってしまう。彼が近づくにつれて俺の心がざわめく。これから一体何が起こるのか。

 彼がようやく俺の前に辿り着く。何時も通りの鋭い視線が俺を見つめる。一拍置いて彼が口を開いた。

「……よくぞここまで耐え抜いた。基本のみでその域に達するのは想像を絶する苦行だったことだろう。それでもお前は身体を鍛え、技を練り……そして心を磨いた。お前は成し遂げたのだ」

 自分の唾をゴクリと飲む音が大きく聞こえる。彼の言う事はつまり……そうなのか? 緊張と期待と不安で俺の頭が真っ白になっていく。
 そして決定的な言葉を俺は聞いた。

「奥義【心眼】を授ける」

 そう彼が語った瞬間、俺の視界の端に半透明のウィンドウが現れる。それを見たのが随分と昔だったので驚いたが、これはシステムウィンドウだ。流派に入門した時や型、スキルを獲得した時等に現れる。

 そこには「『バルド流剣術』奥義【心眼】を獲得しました」との一文。

 あまりの事に頭が働かず、ジッとそれを見つめてしまう。だが、段々と事実を認識してくると俺の胸の内に喜びが爆発した。

「――――――――――――――――――――――――!!」

 声にならない叫びをあげ、思わず座り込んでしまいそうになる。今までの苦労が走馬灯のように頭を巡る。ついに、ついに俺は到達した。
 喜びの余り震えていると、アシュレイの低いよく通る声が聞こえてくる。まだ話は終わってなかったらしい。

「この奥義を得たことにより、お前には死角がなくなる。【心眼】はお前に新たな視界をもたらすに過ぎない。だが……この域に至る過程でお前の肉体、特に筋力、頑丈さは人としての限界まで鍛えられ、基本のみなれど技も同様に練り上げられている。それに【心眼】が加われば無類の強さを発揮するだろう」

 どうやら『バルド流剣術』は流派的に筋力と頑丈さが上がりやすい流派だったらしい。他のプレイヤーとステータスを比べる事などなかったので気づいてなかった。他のプレイヤーとの交流が少ない俺は自分のステータスがどの程度のものなのかも理解してない。アシュレイの言葉を信じるのならば筋力と頑丈さは結構高い数値であるようだが……。
 アシュレイの言葉はまだ続く。

「そして、【心眼】は奥義なれど奥義にあらず。【神眼】へと至る通過点に過ぎない。お前は今『バルド流剣術』を極め、ようやく真の『バルド流剣術』を会得する資格を得た」

 この言葉の意味することは……派生流派!? リンの『ヒテン流剣術』に代表されるようにある流派の奥義を獲得することや、いくつかの流派の熟練度を上げることで入門出来るようになる派生流派と呼ばれる流派がいくつか確認されている。
 まさか『バルド流剣術』に派生流派が存在するとは……予想してなかった展開に俺の肌が思わず粟立つ。確かにNPC達から聞ける設定によると、『バルド流剣術』は『竜殺し』として名を馳せた英雄アラン・バルドが開いた流派。かつて悪名を轟かせ、幾度の討伐を退けてきた巨大な竜を単身打ち滅ぼしたと聞く。
 チュートリアルで学ぶ流派だとはいえ、基本技ばかりの割に設定が大仰だとは思っていた。

「真の『バルド流剣術』は強力故に、扱う者は相応の肉体と基礎を必要とする。『バルド流剣術』を極めたお前はその条件を満たした。……だが、まだ最も重要な条件を満たしていない」

 ……恐らくはクエストだ。前提条件として奥義獲得があり、その後にクエストをクリアすることで入門できる。話に聞く他の派生流派のほとんどで見られるパターンだ。

「初代が竜を倒したことはお前もよく知る所だろう。故に歴代の『バルド流剣術』を極めた者達はワシも含め、皆竜を倒すことが決まりとなっている。……ダラスよりはるか西に竜達が住み着く山がある。そこで竜を一匹、お前一人で戦い倒すのだ。それが成されればお前に真の『バルド流剣術』を教えよう」

 そこまで聞くと、アシュレイは身を翻し奥の建物へと帰っていく。俺はあまりの展開にしばらく動けなかった。奥義獲得だけでも頭が一杯になったというのに、派生流派への入門クエストまでも起きた。俺の胸の内に沸々と喜びとやる気が沸いてくる。
 ついに報われる時が来たのかもしれない。正直、クエストのクリア条件である竜を一人で討伐する事は厳しい条件だ。だが真の『バルド流剣術』と言われては引き下がるわけにはいかない。何がなんでもこのクエストはクリアする。
 そう強く心に刻んだ俺は練武場を後にした。


 宿に戻った俺は保管してあるアイテムカードの束から今まで少しずつ貯めてきた高価な回復アイテムカードを軒並み抜き取り、回復系デッキとしてまとめて腰のポーチにしまう。
 クエストの目的地は始まりの街ダラスから西へ数日かけて進んだ先にあるヴァリトール山。ダラスからもその姿を眺めることができるこの山は、アシュレイが言っていた様にレッドドラゴンやブラックドラゴン等の竜種のモンスターが数多く出現する高レベルフィールドだ。
 さらに稀にだが山の主として巨龍ヴァリトールが現れることもある。山の名前の由来にもなったこのユニークモンスターは厄介な事に決まった出現場所が存在しない。常時山を徘徊しているようで、どこで遭遇するかは運次第であり、出会ってしまうと生存は絶望的だとも言われている。
 現在のトッププレイヤーのパーティでもこのフィールドで狩り続けるのは難しいと言われており、まだ序盤の地域である周囲のフィールドと強さのレベルが釣り合ってないと疑問に思われていたが、このクエストのための舞台だったようだ。

 倒せばいいのは一匹だけで良いとはいえ、かなり危険極まりない場所での狩りだ。備えはいくらあっても足りない。
 予備の装備カードをまとめ、ポーチの各カードデッキを点検する。どれだけのダメージを食らうか想像できないのでもう少し回復アイテムを補充しておきたいところだ。後で店に寄る事にしよう。
 装備の整備は昨夜姐さんに頼んであったので特に必要はない。姐さんには『バルド流剣術』の奥義をついに獲得したと伝えたい。だが、奥義【心眼】は強力な型等ではなく、補助的なスキルのようだ。これを得た俺が本当に強くなっているのかわからない。
 無様な姿を見せてしまった俺としては真の『バルド流剣術』に師事し、もっと強くなったと自覚できるようになってから報告したかった。


 宿での準備を終え、近くの露店やNPC店で回復アイテムカードを買い込んだ俺はブラートの店へと向かう。
 料理露店スペースの端にいつもの露店が見える。険しい顔をしながら料理をしているブラートだが、俺の姿を見つけるとあからさまにホッと安心したような顔をした。

「今日は随分と遅かったじゃないか。心配したぞ。いつものでいいか?」

「ああ、頼む。今日はいろいろとやることがあってね」

「……聞いたぜ、師範代。『シルバーナイツ』の奴とやりあったんだって?」

 いつものようにスープとパンを渡しながら尋ねてくるブラート。やはりあの試合の話は広く伝わってしまってるようだ。

「もうそんなに話が広がってるのか」

「まあな、お前も相手も結構有名人だからな。……でも気にするなよ。相手は装備からして大きな差があるトッププレイヤーだ。勝つのが難しいのは当たり前さ」

「……心配してくれてありがとう、ブラート。俺は大丈夫さ。なんせMっ気があるからこんなことじゃへこたれないよ」

「そんな減らず口が叩ける様なら大丈夫そうだな」

 お互いにニヤリと笑う俺達。『バルド流剣術』を修練し続ける事の苦労をよく知る俺達だからこそお互いの気持ちはよくわかっている。彼にはちゃんと伝えておくべきだろう。

「今日もこれからまたあのダンジョンへ行くのか?」

「いや、今日は別の場所へ行く。ヴァリトール山だ」

「ヴァリトール山!? なんでそんな危険な場所に!?」

「……実はついに奥義を獲得してね。派生流派の入門クエストが始まったんだ。そのクエストの為に……って、ブラート?」

 俺の話の途中で口を大きく開けたまま硬直したブラート。思わず話が途切れてしまった。気遣う俺に段々とブラートの眼の焦点が合ってくる。次の瞬間、ブラートの口からとんでもない大声が出た。

「何ぃぃぃぃい……ムグぐ!?」

 大声を出すブラートに慌てて口を塞いで取り押さえる俺。喧騒が止み、周囲の視線が一瞬俺達に集まるも、すぐに興味を無くしたかのように喧騒が戻る。

「頼むよ、ブラート。奥義を獲得した事はまだ秘密にしておいて欲しいんだ」

 俺の腕を叩きながら必死に首を振るブラート。そこでようやくブラートを解放すると、彼は俺の腕を掴んで店の裏に引っ張り込んだ。
 そこでブラートは小さく喚きながら俺の肩をつかんでガクガクと俺の頭を揺らした。

「お前俺を殺す気か!? いや、そんなことより奥義獲得ってどういうことだよ!? いつだ、いつ獲得したんだ!? 奥義はどんなのだったんだ!?」

 興奮してる様で、矢継ぎ早に聞いてきた。俺は肩を掴むブラートの腕を掴んで落ち着かせる。頭が揺れて気持ち悪い。

「ちゃんと教えるから落ち着け、ブラート! ……奥義を獲得したのは今朝だ。あの爺さんが練武場に出てきて、奥義を授けるって言い出してな。奥義は【心眼】っていうスキルだ。効果はまだ試してないからわからん」

「……【心眼】かあ。やったじゃないかよ~。ついに奥義を獲得じゃないか。……良かったなあ」

 若干涙を浮かべながら喜ぶブラート。苦労を知ってる身として感じるところがあるようだ。俺も再び練武場で感じた喜びが沸いてくる。

「ありがとう。……だけどまだ終わりじゃないんだ。さっきも言ったが派生流派が出た。今度はそれを極めるつもりだ」

「その為にヴァリトール山か。……ちなみに条件は?」

「竜種モンスターを一人で撃破」

「一人で!? パーティでも難しいって聞くぞ!? 大丈夫なのか?」

「……正直厳しいと思う。けどやれることは全部やって俺は必ずやり遂げる」

 心配するブラートだが、俺の意志の篭った強い視線を受けて納得したようだ。

「あの師範代がこんなに燃えてるなんて珍しいな。……そこまで言うのなら俺は頑張れとしか言えん。無理をせず、勝てないなら逃げろ。生きてさえいればチャンスは巡ってくる」

「ああ、肝に銘じておく。……いつもありがとう、ブラート」

 そう言っていつも通り弁当を受け取り、手を掲げながら挨拶を交わす。
 そして俺は街の門へと向かって歩いていった。


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