4.死者の洞窟
薄暗い洞窟。ゴツゴツとした岩肌にはうっすらと輝くコケが張り付き、照明がなくてもなんとか周囲を認識できる程度の明るさはある。普段ならば至る所に光の届かない暗がりが存在し、索敵の為にも強い照明が欲しい場所ではあるが、今はその薄暗さがちょうど良い。
というのも俺は周囲を数えるのも馬鹿らしくなるほどの動く死体に囲まれているからだ。
白骨化した死体であるスケルトン系ならまだしも、腐肉の残るグールやリビングデッド系となると照明の下で直視するのはあまり気分が良いものではない。
加えてそれが見渡す限りの大群で迫ってくるのはかなりの恐怖だ。
死者の洞窟。安易なネーミングのこのダンジョンは始まりの街ダラスから徒歩で約1時間程歩いた山の麓にある。
かつて始まりの街ダラスで伝染病が流行った際に感染者は生死を問わずこの洞窟に投げ捨てられ、洞窟内は無数の遺体で溢れかえった。生前苦痛に喘いだ挙句、粗末に扱われた為に長い時間を経ても浄化されぬ魂が朽ちた肉体を揺り動かし、やがて洞窟は死者の王国と化した。
始まりの街ダラスの住人に聞き込みをすれば、そんな話と共に場所を教えてくれる。『エデン』では比較的初期に発見され、グランドクエスト上の攻略もされたダンジョンだ。
出現する敵の強さはステータス的に言えば初期に登場するゴブリンやコボルトといった初心者用の雑魚敵とそう大差ないと考えられており、そういう意味では初心者用ダンジョンと言えるかもしれない。
だが、このダンジョンは初心者には易しいとは言えない。敵の出現率が高く、加えて数も非常に多いのだ。対多数の戦闘に慣れていなければなかなか進むのは難しい。
そして何より敵の外見。カタカタと音を立てながら軽快に動き回る白骨死体。腐臭と腐肉を撒き散らしながらおぞましい怨嗟の叫びをあげるグール達。液晶テレビ越しの3D映像や特殊メイクとは一線を画する生々しさはプレイヤー達を震え上がらせる。かくいう俺も初めてこのダンジョンに挑戦した時は無様な悲鳴をあげて逃げ回った記憶がある。
『エデン』の初期において「入れば必ず小便をちびる」とまで言われたこのダンジョン。攻略されるまではそれなりの数のプレイヤーが出入りしていたが、攻略されてからは急速に人気がなくなり、今では一部のコアなホラー好きが出入りするぐらいだ。
そして俺の現在の主狩場でもある。始まりの街ダラス周囲のダンジョンはいくつか確認されているが、死者の洞窟以外のダンジョンはかなり攻略が楽である事、途中で様々な生産材料を獲得できる事、そして何より始まりの街ダラスに近い為に強盗プレイヤーが出現しにくい事が人気を呼び、連日生産系プレイヤー達によって賑わっている。
始まりの街ダラスには生産系プレイヤーの大多数が生活している為に高位の戦闘系プレイヤー達も集まる。他人のアイテムを略奪し、殺しすらも厭わない強盗プレイヤー達は多数のプレイヤー達によって忌避されており、発見され次第有志のパーティによって殲滅される事も少なくない。おかげで始まりの街ダラス周囲は比較的安全と言えた。
だが俺にとっては必ずしもそうではない。ログアウト出来ず、仮想世界に押し込まれている現状。ストレスを溜め込んでいる者は多い。
そんな者達にとって初心者剣術も極められずパーティを組めないでいる俺は格好のストレス発散の的だ。
さすがに表立って俺を直接攻撃するような愚か者はいないが、難癖をつけてくることは多い。
おかげで俺は人を避けに避け、ついには死者の洞窟に辿り着いてここに篭り続ける事になった。
今日も俺はスキル【気配察知】によって周囲のプレイヤーの有無を確認しながらフィールドを進み、死者の洞窟へと突入した。
無数に湧き出るアンデッド達を切り崩して進むこと数時間。
現在位置は死者の洞窟最下層地下4階の広場だ。
死者の洞窟最奥でもあるこの広場にはダンジョンボスが出現する。
ボロボロの全身鎧を身に纏い、肩に巨大な大剣を担ぐスケルトン。周囲には鬼火のような青白い炎がいくつかフワフワと浮いている。
固有名『メイザースケルトン』。かつて始まりの街ダラスを何度も救うも伝染病によって没したが為に死者の洞窟に葬られた英雄メイザーが、洞窟内の邪悪な雰囲気に染められ復活を遂げた姿と言われている。
全身鎧の堅牢な防御と大剣を枯枝のように振り回す膂力がやっかいなアンデッドだ。救いは大して技巧を凝らした攻撃をしてこない事。力任せに大剣を叩きつけてくることが大半だ。
だが最も厄介なのはボスが周囲の雑魚敵を呼び出す事だ。他のダンジョンボスにもよく見られるこの特性は、死者の洞窟においては凶悪な物となる。
だが俺はそれこそを求めていた。『バルド流剣術』は防御主体の剣術。防御の技術を磨くには、この無数の敵からの攻撃はうってつけだった。
もっとも、勿論保険はかけてある。長い時間をかけて少しずつ攻略しながら検証した結果、今の俺はこのダンジョンの敵の攻撃を受けても急所でなければ致命傷にはならない事がわかっている。
現在の俺の数値的なステータスはわからないが、少なくともスケルトンに殴られたり、グールに引っ掻かれたりしても骨折や大出血を引き起こすことは無い。だが急所はわからない。
プレイヤー達の検証によると急所、特に首に対する攻撃は格下からの攻撃であっても一撃死の可能性が高い事が判明している。
なので例え威力の弱い攻撃だとしても油断はできない。
俺は集中力を切らさず無数の攻撃を捌く。スキル【見切り】によって俺の視界には俺が受ける被攻撃予測軌道が赤い線となって表示される。
敵の数も相まって無数の軌道線が表示されるも、スキル【思考加速】によって思考速度が加速され周囲の動きがゆっくりと感じられる俺は落ち着いて軌道線をなぞる様に防御を重ねていく。
スケルトンの打撃を剣身で受け止め押し返す。グールの引っ掻きをガントレットで弾く。
いくつか雑魚敵の攻撃を捌くと周囲のアンデッドを押しのけながらメイザースケルトンが迫り大剣を振り下ろすが、俺は既に受け流す構え。
甲高い金属音を響かせながら俺の剣を滑る大剣。
攻撃を受け流されたメイザースケルトンはたたらを踏み、決定的な隙が生じるが俺は動かない。
攻撃はせず、ただ防御を繰り返す。
『バルド流剣術』には回避するという動きがない。基本的に重心を低くどっしりと構え、受け止めるか、受け流すか、弾くかである。
アンデッドの大群に囲まれ無数の攻撃を受けながらも俺はほぼ位置を変えていない。広場にはアンデッド達の怨嗟の声と俺が防御する金属音のみが長時間鳴り響く。
かなりの時間が経過し俺にも疲れが自覚できるようになると、ようやく攻撃へと転じる。
最初の目標はメイザースケルトンだ。
こいつを先に倒さなくては周囲の雑魚敵は減る事がない。
何度も繰り返された大剣の振り下ろし。それを何時もの様に受け流しながら、大剣が滑る途中で力強く弾く。
両手で持つ大剣が大きく弾かれ、その勢いで体勢を崩されたメイザースケルトン。そのがら空きの胴体へ俺は『バルド流剣術』二の型【烈牙】を起動。
剣を跳ね上げながら全身の筋肉が膨張した。そして床を砕く程の勢いで一歩踏み出すと同時に剣を振り下ろす。
スキル【思考加速】で加速されている俺の視界ですら捉えきれない剣速だ。
俺の斬撃はメイザースケルトンの頭部は勿論鎧すら楽々と切り裂き、見事に真っ二つにして彼に二度目の死を与えた。
メイザースケルトンの残骸には目もくれず周囲の雑魚敵へと向き直る。こいつらには【烈牙】程の攻撃は必要ない。
俺がメイザースケルトンへと攻撃した隙を突いて無数のアンデッドが俺へと牙を剥く。だが俺は数体のアンデッドからの攻撃を力強く弾いて体勢を崩させ、周囲のアンデッド達への壁にする。そこで今度は、『バルド流剣術』一の型【双牙】を起動。上段からの切り落としで目の前のグールを斬り裂くと鋭く剣先を跳ね上げ、横にいたもう一体のグールを逆袈裟に斬り裂いた。
俺は次々と【双牙】で敵を仕留めていき、広場に動かぬ死体を量産する。
無数とも言えた敵の全てを倒す頃には相当な時間が経過していた。
さすがに乱れた呼吸を整えながら俺はドロップアイテムの回収を始める。
モンスターの死体は倒したからと言ってすぐに消滅するわけではない。モンスターの死体に手を触れカード化をすることでドロップアイテムをカードとして入手でき、その後に死体は消滅する。
俺はなるべく急ぎながらドロップアイテムを回収していく。内容はほぼ換金用の採取アイテムだ。早く回収しなければまたメイザースケルトンが沸いてきてしまう。次の戦闘までもう少し休んでおきたい。
手早くアイテムの回収を終えた俺は剣を手に洞窟の壁に寄りかかる。
しばらく休んだ所で広場の中央に青白い鬼火が現れるのが見て取れた。やがて、鬼火が舞う地点の地面から白骨の腕が飛び出る。カタカタと骨を鳴らしながら土を掻き分け、メイザースケルトンがその姿を現した。
メイザースケルトンの頭部、暗い眼窩の奥で輝く赤い光が俺を見つめる。
メイザースケルトンが手に持つ大剣を大きく掲げると、その周囲で先程同様に地面から無数の腕が突き出てきた。
途端に広場に満ちる生者を怨む死者の怨嗟。配下のアンデッド達の登場を待たずにメイザースケルトンが俺へと駆け出してくる。
さて、休憩は終わりだ。再び哀れな死者達へ更なる死を与えよう。
結局あの後、同じような戦闘を二度程繰り返し死者の洞窟から出てきた。周囲はすっかり夜の帳で覆われている。
今日の成果は換金すれば約2万ルビー。それにメイザースケルトンがドロップした大剣『メイザーズオナー』と装備強化用の宝石が二つ。まあまあの成果だ。
対して俺の装備の損害だが、『スチールブレスト+9』にはほぼ傷は無く、『スチールガントレット+9』と『スチールグリーブ+9』に多少の傷、そして最も攻撃を捌いた『スチールロングソード+9』はかなり傷だらけで刃こぼれも目立つ。
鍛冶系流派を師事してない俺には正確な耐久度はわからないが、大体の目安は経験上わかる。街に帰ったら修復を頼まなければならないだろう。
スキル【気配察知】によると何匹かモンスターが近くをうろついている様だが、プレイヤーの存在は感じられない。
それでも念を入れカードから黒い外套を具現化し身を覆うと始まりの街ダラスへと俺は歩き出した。
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