地下鉄駅を出て右手へ。なんと電飾つきの赤い看板がこうこうと輝く「なか卯」、その隣の黄色い看板が目立つ「松屋」のすぐ先は真っ暗。やはりやっていないのかと思いきや、「牛」をテープで隠した、あの「丼太郎」はその夜も健在、営業していた。
10日ほど前、ネット上で【悲報】として伝えられたのが、「牛丼太郎」をチェーン店として展開する(株)深澤(埼玉県和光市)が倒産したとのニュース。帝国データバンクの9月20日付配信記事によると深澤は、同月6日にさいたま地裁より破産手続き開始の決定を受けていたことがわかったという内容だった。
同配信を引用すると、深澤は1983年設立。「牛丼太郎」は都内を中心にピーク時は10店舗を運営し、99年12月期に約5億6000万円の年間売上高を計上した。しかし、BSE問題やデフレを受けた業界内の低価格競争で経営が悪化し、合理化も実らず。2008年12月期の年間売上高は約1億6500円まで落ち込んだ。昨年には店舗の営業を停止。負債は約2億2000万円になるという。
その後、代々木や茗荷谷の店が看板の「牛」の上にテープを貼って「丼太郎」として継続。その健気なまでの敢闘精神はファンの共感を呼び、今日まで営業してきた。今回の倒産で何らかの影響が及ぶのか。そこで茗荷谷店へ向かったわけだが、冒頭のように看板は電光を放っていなくとも、お店は健在だった。
低価格の牛丼やカレー、「みそ汁30円」「おしんこ10円」といったサイドメニューが豊富なのも変わらない。ご飯大盛りのやっこ定食は並々と肉が盛られた牛皿に生卵がついており、500円はかなり良心的だと言っていい。1人でやっていた男性店員に倒産の件を尋ねると「もう会社が変わっているから。ただ、24時間営業はやらなくなるかもしれない」とのことだった。
倒産したのに「会社が変わった」? 事情がよくわからないため、破産管財人の弁護士に電話で尋ねると、こういうことだった。
「深澤は去年の8月に店舗の営業を停止していた。その前に、従業員が設立した会社に、5つ残っていた店舗のうち2つを譲渡した。それが代々木と茗荷谷。その経緯、どういう形で事業の譲渡が行われたのか、書類が残っていないのでわからない。(譲渡された)会社の登記簿はとっているが。そういう経緯も含めて現在、調べている」
2店舗ある「丼太郎」が帳簿上、いまも深澤の財産なのか、きちんとした形で別会社への事業譲渡がなされ、同社とは切り離された存在になっているのか。それをはっきりさせるための帳簿類が残っておらず、管財人も困惑している話しぶりだった。破産申立の審尋で裁判所に姿を見せた深澤の社長も、管財人によれば「要領を得ない話をしていた」。
ということで、深澤の破産が丼太郎に影響する可能性は分からない。確実なのは、深澤の資産が少ないこと。「税金の滞納があまりにも多くて、資産を回収しても、一般債権者への配当は見込めそうもない」(管財人)
前面いっぱいに「牛」と書かれたレスリングのシングレットのような服を着た女の子が、ペコちゃんのように舌なめずりする「丼太郎」のシンボルマーク。これが消滅するのはもったいない。