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かつては米国のエンジンとまで言われたデトロイトが破産

2013/07/19 22:15

 

 かつては米国のエンジンとまで言われたデトロイトが破産

 

 米ミシガン州デトロイトは18日午後、連邦破産法の適用を申請した。自動車の首都および一時は音楽の発信地としても知られたデトロイトは不動産バブルや、政府補助金の削減、住民の郊外への移転が打撃となった。

 

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323809104578614561460494792.html#slide/1

 

<引用終り>

 

 

デトロイトが破産しましたね。

破産理由は色々言われています。みんなそれなりの理由なのでしょう。

しかし究極の理由はデトロイトとクルマメーカーが人々に夢を与えられなかったことではないでしょうか。

 

 

デトロイトに夢が有った頃。

 

 

1960年10月のナショナル オート ショー、

デトロイトのコボホールにて。

この頃の車はバカでかい、ガソリンがぶ飲み。でもカッコよかったですね。

 

そしてテレビではこんなモノ

 

 

テレビ映画サンセット77(1958年ー1964年)

今見ると安全性クソくらえのクルマ、でもこんなモノがカッコよく見えた時代でした。

 

 

間もなく参院選挙の投票日、麻生さんも安倍さんも「先ず選挙に勝たなければ始まらない」と言っていますが、問題はその先ですね。

経済の再生、そして日本人に夢を与えられるような政策が実行できるかが課題。

そしてその先には

「そのために私たち一人一人が何ができるか、何をするか」、これを皆で考えていかねばならないと思います。

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 海外

コメント(6)

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2013/07/20 05:54

Commented by taigen さん

ハードウェア (hardware)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハードウェア
「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」という川柳では、「箱」の部分がハードウェアに相当する。なお、ハードウェアとソフトウェアの中間的なものにファームウェアがある。これはソフトウェアをハードウェアの形に格納したもので、外見上はハードウェアの一部であるが、ユーザーから見るとソフトウェアとして機能する。
転じて、空港などの施設、企業、都市、軍事、国家などの分野でも、物理的な設備・施設・車両などを「ハードウェア」、直接目には見えない規則・運用・教育などの人間面を「ソフトウェア」と呼ぶことがある。

 私は工場で勤務していて、ハードウェア側の人間だったので「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」と言うのに対して「ソフトウェア ハードなければ ただの板(その当時はOSもアプリケーションもフロッピーディスクやCD-ROMで供給されていた)」と返したくなりましたが、よく考えればソフトウェアは情報そのものであり、ディスクは入れ物に過ぎませんね。

 ハードウェアというよって立つものが無いで存在しうるソフトウェアなんて有りうるのだろうか?肉体というハードウェアが無くても霊魂というソフトウェアは存在しうるのだろうか?と形而上的な事まで思いをはせました。

 アメリカがハードウェアを軽視するようになったつけがきているような気がします。

 
 

2013/07/20 10:27

Commented by kazk さん

常々アメリカ人というのは少しおかしな連中ではないかということを思ってるのです。物の本によると、太平洋戦争の淵源は日本とアメリカの支那市場の争いにあったとか書いていて、戦前は海外市場の取得に貪欲でした。

しかし戦後自分たちが世界の市場を握りどうにでもできるとなった時にとたんに努力を止めてしまいました。もし50年代のアメリカに海外の低開発国向けの自動車なんてのを作られていた日には日本や豪州の自動車メーカーは打つ手がなかったはずです。

ところが勝った途端に努力をやめた、国内市場だけを相手にしほとんど詐欺同然の商売を続けたわけでしょう。米国車のスペックを見れば50年代、60年代を通じてほとんど向上がないはずです。こんな状態で世界で勝てるはずもない。製造業の衰退は明らかだったはずです。

国内市場がいっぱいなら取りに行くのは世界だ、となるのが当たり前だし外国市場の1/4程度を確保し、自国のGDPの15%程度に輸出があるというのは健全だろうと思うのです。アメリカの資本家達にこういう「強欲」さはなかったのでしょうか。もしこれがあったならば米国の衰退はなかったでしょう。現実に競争力が圧倒的な航空機産業など世界で勝った産業はさんざんあるわけでこの辺りが不思議でなりません。

そこに行くと金融資本家たちは、資本主義の原則に忠実なようです。実に「強欲」で世界に出てきてくれました。製造業は少なくとも対価としてモノを残してくれます。金融資本家たちが去った後はどうでしょうか。

デトロイトの衰退はアメリカ人がまともな資本主義を失った反映のような気がしてなりません。

 
 

2013/07/20 10:38

Commented by kazk さん

連投失礼

まあ、もし自動車の技術の発展に限界が来ればものはコモディティ化し、電気自動車のようなものが主体になれば、搭載PCのソフトの性能で優劣が決まるということな将来的にはあるかもしれません。

将来自動車はどうなるでしょうか。これは基本資源との関数だろうという気がしてなりませんがそうそうバラ色ではないだろうと思います。なにかとんでもないブレークスルーがない限り有限な資源との折り合いで産業を考えねばならない。

それを誤った時に今日のデトロイトが明日の豊田ではないという保証は何もない気がします。

アメリカの一部ではシェールガスの他にシェールオイル、大西洋岸の海底油田の開発ができるはずだから10年後にはまた資源大国化するんだなどという観測が出てるようです。真偽の程は不明でしょうが本当だとしても国の繁栄に結びつくのか本当にわからない、そういう気がします。

 
 

2013/07/20 11:26

Commented by 短足おじさん さん

To taigenさん
>ハードウェア (hardware)
>http://ja.wikipedia.org/wiki/ハードウェア
>「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」という川柳では、「箱」の部分がハードウェアに相当する。なお、ハードウェアとソフトウェアの中間的なものにファームウェアがある。これはソフトウェアをハードウェアの形に格納したもので、外見上はハードウェアの一部であるが、ユーザーから見るとソフトウェアとして機能する。
>転じて、空港などの施設、企業、都市、軍事、国家などの分野でも、物理的な設備・施設・車両などを「ハードウェア」、直接目には見えない規則・運用・教育などの人間面を「ソフトウェア」と呼ぶことがある。
>
> 私は工場で勤務していて、ハードウェア側の人間だったので「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」と言うのに対して「ソフトウェア ハードなければ ただの板(その当時はOSもアプリケーションもフロッピーディスクやCD-ROMで供給されていた)」と返したくなりましたが、よく考えればソフトウェアは情報そのものであり、ディスクは入れ物に過ぎませんね。
>
> ハードウェアというよって立つものが無いで存在しうるソフトウェアなんて有りうるのだろうか?肉体というハードウェアが無くても霊魂というソフトウェアは存在しうるのだろうか?と形而上的な事まで思いをはせました。
>
> アメリカがハードウェアを軽視するようになったつけがきているような気がします。


面白い話ですね。
精神か肉体かの議論と同じで精神の無い肉体は物体として存在しますが、肉体の無い精神は存在しません。
でも肉体が無くなっても精神・心は次の世代に引き継がれて連綿と残ってゆく。
そんなモノだと理解しています。

デトロイトは人の住む町としての心を失ったんでしょうね。
私に言わせるとGMのクルマ造りも心の無い車作り、
トヨタはGMと縁を切りましたが、これが大正解だったと思っています。

 
 

2013/07/20 11:46

Commented by 短足おじさん さん

To kazkさん
>常々アメリカ人というのは少しおかしな連中ではないかということを思ってるのです。物の本によると、太平洋戦争の淵源は日本とアメリカの支那市場の争いにあったとか書いていて、戦前は海外市場の取得に貪欲でした。


確かにシナ市場問題もあるのでしょうね。
しかし私は最大の問題は日本の平等を貴ぶ文化と白人の人種差別文化の問題に帰する、その引き金が日本が国際連盟へ提案した人種差別撤廃案だと思っています。
がしかし、この話は長くなるのでまた別の機会に。

>しかし戦後自分たちが世界の市場を握りどうにでもできるとなった時にとたんに努力を止めてしまいました。もし50年代のアメリカに海外の低開発国向けの自動車なんてのを作られていた日には日本や豪州の自動車メーカーは打つ手がなかったはずです。
>
>ところが勝った途端に努力をやめた、国内市場だけを相手にしほとんど詐欺同然の商売を続けたわけでしょう。米国車のスペックを見れば50年代、60年代を通じてほとんど向上がないはずです。こんな状態で世界で勝てるはずもない。製造業の衰退は明らかだったはずです。
>
>国内市場がいっぱいなら取りに行くのは世界だ、となるのが当たり前だし外国市場の1/4程度を確保し、自国のGDPの15%程度に輸出があるというのは健全だろうと思うのです。アメリカの資本家達にこういう「強欲」さはなかったのでしょうか。もしこれがあったならば米国の衰退はなかったでしょう。現実に競争力が圧倒的な航空機産業など世界で勝った産業はさんざんあるわけでこの辺りが不思議でなりません。
>
>そこに行くと金融資本家たちは、資本主義の原則に忠実なようです。実に「強欲」で世界に出てきてくれました。製造業は少なくとも対価としてモノを残してくれます。金融資本家たちが去った後はどうでしょうか。
>
>デトロイトの衰退はアメリカ人がまともな資本主義を失った反映のような気がしてなりません。

全く同感です。モノづくりを捨て、高利貸に走った。これが今のアメリカの姿です。

 
 

2013/07/20 11:58

Commented by 短足おじさん さん

To kazkさん
>連投失礼
>
>まあ、もし自動車の技術の発展に限界が来ればものはコモディティ化し、電気自動車のようなものが主体になれば、搭載PCのソフトの性能で優劣が決まるということな将来的にはあるかもしれません。
>
>将来自動車はどうなるでしょうか。これは基本資源との関数だろうという気がしてなりませんがそうそうバラ色ではないだろうと思います。なにかとんでもないブレークスルーがない限り有限な資源との折り合いで産業を考えねばならない。
>
>それを誤った時に今日のデトロイトが明日の豊田ではないという保証は何もない気がします。
>
>アメリカの一部ではシェールガスの他にシェールオイル、大西洋岸の海底油田の開発ができるはずだから10年後にはまた資源大国化するんだなどという観測が出てるようです。真偽の程は不明でしょうが本当だとしても国の繁栄に結びつくのか本当にわからない、そういう気がします。


自動車より先にオートバイがそのコモディティ化の洗礼を受けました。
ホンダのミニバイク「スーパーカブ」がいい例です。
基本設計はほとんど変えずに未だに生産している。凄いもんです。
しかし今オートバイ乗りは徐々に増えています。
ただ単に人をA地点からB地点に運ぶだけなら正にコモディティですが、今は全く違ってきました。

トヨタの社長が株主から危ないからレースを止めてくれ、そんなこと言われながらも参加しているのはその新しい動きをにらんでの事と思います。

今その動きがいろんな分野で出てきていますね。テレビや携帯電話などもその一環だと見ています。