芝竹夫さんを悼む声続々 差別と闘った半生 [福岡県]
朝鮮人炭鉱労働問題や被差別部落の生活改善に取り組み、2日に78歳で亡くなった添田町の元中学教諭、芝竹夫さんの葬儀が4日、川崎町で営まれた。差別問題と半世紀以上闘い続けた故人を多くの参列者が悼んだ。
芝さんは名古屋市出身。中学3年時に、父親が就職した旧古河大峰炭鉱(川崎町)の炭鉱住宅に移住。朝鮮人労働者や被差別部落の問題に関心を持ち調査を続けた。1997年には自宅に研究拠点「筑豊塾」を開設し、集めた資料を市民や学生に公開。朝鮮人労働者の遺骨収集や、慰霊するための無窮花(ムグンファ)堂(飯塚市)の建立にも尽力した。
40年以上の付き合いがある大西広幸さん(63)=川崎町=によると、芝さんは何度も被差別部落に通い、相手を納得させた上で話を聞き出していたという。「だれも話したがらないことでも、芝さんにはみんな心を開き話していた」と語る。
NPO法人「無窮花堂友好親善の会(無窮花の会)」の吉柳順一理事長(65)=飯塚市=は「頑固もんで実直な人。差別問題には特に厳しかった」と振り返る。最後に会った9月20日、体は弱っていたものの、10月にある無窮花堂での追悼式への参加を頼むと「車いすででも行こうかな」と笑顔が返ってきたという。
無窮花堂建立に尽力した在日1世〓来善(ペレソン)さん(故人)の長男雅彦さん(56)=福岡市=は「父や母が病気の時は、私たちの面倒をみてくれ、最後まで気にかけてくれた。父と芝さんは互いを尊敬し、心を許し合う仲だった」と惜しんだ。
※本文中の〓は「衣」の「なべぶた」の下に「非」
=2013/10/05付 西日本新聞朝刊=