12年ぶりに開発(かいはつ)された日本の新型(しんがた)ロケット「イプシロン」が今月、鹿児島県の内之浦(うちのうら)宇宙空間観測所(うちゅうくうかんかんそくじょ)から打ち上げられました。コスト削減(さくげん)をめざしてさまざまな新技術(しんぎじゅつ)を導入(どうにゅう)しています。トラブルで打ち上げを2度、延期(えんき)しましたが、衛星(えいせい)を無事(ぶじ)に軌道(きどう)へ投入(とうにゅう)することに成功しました。
■新技術で費用を大きく削減
イプシロンは9月14日午後2時、鹿児島県肝付町(きもつきちょう)にある宇宙航空研究開発機構(JAXA〈ジャクサ〉)内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、東の空に向かって飛んだ。1時間後、南米(なんべい)の上空で、太陽系の惑星(わくせい)を観測する宇宙望遠鏡「スプリントA」を切り離し、任務(にんむ)を成功させた。
イプシロンは固体燃料(こたいねんりょう)を使っており、地球を周回(しゅうかい)する低い軌道へ1・2トンの荷物を運ぶことができる。先代の固体燃料ロケット「M(ミュー)5」は世界最高性能(せいのう)と言われたが、75億円という打ち上げ費用が高すぎ、廃止(はいし)された。そこで、イプシロンの開発では、コストを抑(おさ)えるための新技術が導入された。
その代表例が、コンピューターによる自動点検(じどうてんけん)システム。発射前(はっしゃまえ)の70秒間で300の項目(こうもく)を点検し、パソコン2台で管理する「モバイル管制(かんせい)」を世界で初めて採用した。今回、管制室で打ち上げを管理したのは8人。管制室に人がひしめいていたアポロ計画などから、管制室の風景は一変(いっぺん)した。作業の手間と人件費が大幅(おおはば)に省(はぶ)かれ、イプシロンの打ち上げ費用は38億円に抑えられた。
ただ、こうした技術の導入は初めての取り組みだったため、試験機扱(しけんきあつか)いの1号機はトラブルもあった。当初は8月22日に発射する予定だったが、地上設備の配線(はいせん)ミスが明らかになり、5日間延期された。
その27日には、発射19秒前にコンピューターの判断(はんだん)で突然(とつぜん)、打ち上げが中止された。調べてみると、機体とコンピューターを結ぶ配線で、信号に0・07秒の遅れがあった。信号が回路(かいろ)を通るのにかかる時間を設計時に想定(そうてい)していなかったためだ。人間の目による管制なら問題がないレベルの遅れだが、機械にとっては大きなミスだった。
イプシロンはこうした課題(かだい)を克服(こくふく)し、数年以内に打ち上げ費用を30億円以下に減らしていく計画だ。
■世界への売り込み狙う
イプシロンを発射した内之浦宇宙空間観測所は、鹿児島県の東端、太平洋へ開けた大隅半島(おおすみはんとう)にある。種子島(たねがしま)から打ち上げるH2Aなどの大型の液体(えきたい)燃料ロケットに対して、内之浦から打ち上げるのはひと回り小さい固体燃料ロケットだ。
日本の宇宙開発の父・糸川英夫(いとかわひでお)博士が開いた基地(きち)で、日本初の人工衛星「おおすみ」を1970年に打ち上げた。「固体ロケットの聖地(せいち)」とも呼ばれる。小惑星イトカワから粒子(りゅうし)を持ち帰った探査機(たんさき)「はやぶさ」もここから旅立った。
糸川博士の時代から、日本は独自に固体ロケットの技術を開発してきた。一方、液体ロケットは60年代に米国から技術導入したのが始まりだ。
それ以来、日本の宇宙開発では、液体と固体のロケットがともに打ち上げられてきたが、固体ロケットは、2006年のM5を最後に、打ち上げが途絶(とだ)えていた。
それ以来7年ぶりに内之浦から打ち上げられたイプシロンの成功で、固体ロケットが日本に復活(ふっかつ)した。固体ロケットは液体ロケットに比べて、運べる荷物は少ない。だが、素早(すばや)く発射できたり、発射が延期されても、液体ロケットのように燃料を抜く必要がなかったり、小回(こまわ)りの利く運用が可能だ。
世界では、新興国(しんこうこく)を中心に安い小型の衛星の打ち上げ需要(じゅよう)が増えると見込まれている。イプシロンは3号機以降、東南アジアの国々の人工衛星を打ち上げることを目指して、受注(じゅちゅう)の交渉(こうしょう)を続けている。小さな衛星を高頻度(こうひんど)に上げるという流れの中で、固体ロケットの強みを生かせる、と国やJAXAは説明している。(波多野陽)