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「かわいそうなぞう」熊本にも 68年前の悲劇を今、語り継ぐ

(09/23 07:15)

熊本市動植物園に展示されているエリーの骨と金沢さん。月1回は訪れ「元気か」と心の中で語りかける

熊本市動植物園に展示されているエリーの骨と金沢さん。月1回は訪れ「元気か」と心の中で語りかける

 太平洋戦争中、全国各地の動物園で、空襲の際に逃げ出す恐れがあるとして、動物たちが次々と殺された。東京・上野動物園のゾウが餌を与えられずに餓死させられたエピソードは、絵本「かわいそうなぞう」で広く知られているが、熊本でも同じような悲劇があった。父親がゾウの飼育係だった熊本市の金沢敏雄さん(76)は、ゾウの殺処分を目の前で見た数少ない生き証人だ。金沢さんは地元で「忌まわしい歴史を二度と繰り返さないで」と、語り継いでいる。

 金沢さんの父太郎さん(故人)は戦前から熊本動物園(現・熊本市動植物園)でゾウの飼育を担当、一家はゾウ舎と一体の宿舎で暮らした。

 金沢さんが生まれた翌年の38年、まだ人の背丈ほどだった雌ゾウのエリーが園に来た。金沢さんと「きょうだいみたい」に育った。

 戦況が厳しくなった43年12月、熊本動物園でも、軍の命令でヒグマやオオカミなどの殺処分が始まった。園長や職員は「ゾウは猛獣ではない」と抵抗したが、45年、エリーにもその日がやってきた。

 電流を通したプールにサツマイモを浮かべ、誘い込んで感電死させようとしたが、エリーは異変を感じたのか「悲鳴を上げて後ずさりした」。最終的に太郎さんが電極の付いた竹の棒をエリーの口に押し込んだ。

 8歳だった金沢さんは正視できず、目を閉じていた。「ドッ」。大きな音で目を開けると、エリーの大きな体が横たわっていた。ゾウ舎の側溝は、解体されたエリーの血で赤く染まった。園に今も残る「動物台帳」に「殺処分」の文字はなく、「昭和20年4月27日西部21部隊へ寄贈」と記されているだけだ。

 戦後、太郎さんはエリーの死について固く口を閉ざした。エリーの死から約30年後、金沢さんの説得で、太郎さんは地元の熊本日日新聞の取材に初めて応じた。

 金沢さんは5年ほど前から、地域の集会でエリーの話をしている。「戦争で人間だけでなく、罪のない動物の命も奪った事実を知ってほしい」との思いからだ。(東京報道 山本倫子)<北海道新聞9月23日朝刊掲載>

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