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働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり - 剰余価値を見る
安倍晋三が10/1に消費税の8%増税を発表して、その夜と次の朝、マスコミと官僚は増税決定を祝賀する儀式で狂喜乱舞し、画面と紙面の<ビールかけパーティー>で盛り上がったが、それが終わった途端、増税(8%)や経済対策(5兆円)やインフレ(+4%)の問題を一言も報道で触れなくなった。10/1の閣議決定と官邸発表が、長年、増税実現のために動いてきた官僚とマスコミにとって特別な日であり、最後の締めくくりの日であり、勝利宣言を轟かせて暴れて騒ぐ日であり、つまりは打ち上げの祝宴日だったことを、このことは示している。われわれ国民は敗者であり、勝者たる官僚とマスコミと財界の前で、無力感に打ちひしがれ、うなだれ俯いて歯噛みする役回りなのである。早速、マスコミ各社が10/1の増税決定について世論調査を上げている。しつこく念入りに画面と紙面で「説得」したものだから、国民も物わかりよく「納得」したらしく、共同通信では、増税に賛成が53.3%で、反対の42.9%を上回った。無論、これも官邸とマスコミが予め周到に仕組んだ細工で、この「数字」でなければ4月から安んじて増税ができない。反対多数の世論が露わになってしまうと、10月中旬からの国会が面倒になり、半年間の増税移行の事務に支障が生じる恐れがある。1年半後にはまた引き上げなくはならず、マスコミは、ここで正直に正しい世論を見せるわけにはいかないのだ。マスコミが消費税増税の推進主体なのだから。


長年の悲願を達成してもらえて、官僚は安倍晋三に頭が上がらないだろう。マスコミも気を緩めて安倍晋三の悪口などは書けない。1年半後なんてあっと言う間だ。そこでもう一度、国民の抵抗を押し切らないといけないから、いま安倍晋三の支持率を落とすことはできないのだ。当然、消費税増税についても、「決まった以上は賛成」の世論に(鉛筆を舐めて)仕立てないといけない。マスコミと官僚は、1997年以来17年ぶりの増税なのだと言い、間隔の長さを強調する。その間の政治家の怠慢と無能を言い、国民のNIMBY(わがまま)を罵って非難する。欧米諸国の国民が15%の税率に耐えて財政を支えているのに、5%のぬるま湯に浸かったまま、借金を重ねて甘え続けてきた日本の国民の自堕落を批判する。マスコミの論調はそうなっていて、その構図で問題が説明され、他に異論を唱える者がいないから、国民全体がマスコミの刷り込みでマインドコントロールされ、1000兆円の財政赤字の責任は自分にあると思い込んでしまっている。財政を誰が仕切っていたのか、財政政策の責任主体は誰なのかに思いが至らない。17年間も税率を据え置いてきてやった、そのため財政が悪化したと官僚は言う。しかし、この17年間、消費税は上がらなかったが、一体どれだけ国民負担が増やされてきたことか。住民税、所得税、固定資産税、健康保険料、厚生年金保険料、介護保険料、年金支給引き下げ、電気・ガス・水道代、ガソリン代。

消費税のような大きな衝撃の値上げはなかったが、毎年毎年、役人が庶民の懐に手を突っ込み、毟り取る金額をじわじわ増やして行った。真綿で首を絞められるように負担が増やされた17年間は、同時に、働く者の年収が減る一方の17年間でもあった。2012年の非正規の平均年収は168万円、2年連続で減っている。多くの者が、ある日突然リストラされ、正社員から非正規に身を落とされ、年収を3分の1に減らされ、そして、国民健康保険税を払え、国民年金保険税を払え、もっと働いて税金を納めろ、フリーライドするなと、そう厳しく責め立てられ続けたのが、この17年間の日本社会だった。われわれは何事も忘れやすく、17年間は長いから、本当に負担増で苦しまされてきたのか、少し証拠を探して確認をしないといけない。今から7年前、民主党がこんなCM映像を製作していた。7年前だから、17年間を振り返って全体を総括する上では、有意な時点のサンプリングと言えるだろう。30秒の映像の中で、「景気が上向いても暮らしは一向によくならない。税金は増え、年金や医療の負担は重くなる一方です」と言っている。この映像は見る者の心を打ち、メッセージは共感を広げ、2007年と2009年の選挙で民主党を圧勝へ導いた。2006-07年の頃、第一次安倍政権の時代だが、マスコミと論壇で小泉改革の成功が喧伝され、景気回復が称揚されながら、多くの国民は負担増と収入減で苦しみ喘いでいた。アベノミクスの現在と似ている。

「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」。石川啄木はそう作品を詠んだ。われわれは、こんなに働いて働いて、身も心もボロボロにして、本当に借金以外に何も残してないのだろうか。官僚とマスコミから、「おまえら甘えすぎだ」「もっと税金を負担しろ」と恫喝され、何も言えずに肯首しなくてはならないほど、われわれは働いてないのか。何も稼ぎ出していないのか。「資本論」では剰余価値という概念が登場する。G’=G+ΔG。このΔGが剰余価値(surplus value)だ。第1巻第4章の「貨幣の資本への転化」に詳しい説明がある。貨幣G(Gert)は商品W(Ware)と交換され、生産過程に入り、新しい商品W’となり、W’は貨幣G’と交換される。G-W、W’-G’、この二つは等価交換。G-W - P+A -W’-G’。そして、G’=G+ΔG。すなわち、WがW’となるときに価値増殖が行われる。資本が自己運動で増殖する。なぜ、どこで価値増殖するかと言うと、生産過程において、Wの一方である労働力商品A(Arbeitskraft)が、Wのもう一方である生産手段P(Produktionsmittel)に付加価値を与えるからだ。生産手段(P)の資本形態は不変資本C(constant capital)、労働力商品(A)は可変資本(valuable capital)として説明される。モノはそれ自体では価値を増殖させることはない。原材料にせよ、生産設備にせよ、それらは元々の価値を新しい生産物に移転させるだけだ。しかし、生産された新しい商品W’は、元の商品Wよりも大きな価値(G’>G)となっている。ΔGを発生させている。ΔG(剰余価値)を生み出した資本が、可変資本(V)であり、労働力商品(A)である。

マルクスはこんな具合に説明する。Blogの文章の形式だと表現が散漫になって分かりにくくなるが、議論の中身はきわめて単純で、誰でも分かるセオリーだ。労働価値説の経済学。この国の40代後半以上は、大学の経済原論でこの講義を聴いている。常識でもある。さて、剰余価値(ΔG)の話を持ち出して何が言いたいかだが、資本論が、生産過程一般、資本の増殖過程一般のミクロの原理として説明するG’=G+ΔGの範式を、われわれの日本経済のマクロの実態として捉え直すとどういう図式に描けるかである。つまり、私が言いたいことは、マルクス以上に単純素朴で、あの280兆円と言われる巨大な内部留保が、すなわち日本の労働者(一般国民)が汗水流して働いた結果のΔGだという真実だ。驚くことに、面白いことに、言われる内部留保の総額は年を追って増えている。リーマンショック以降、経済全体は低迷し、大手メーカーは国際競争力を失い、製造業は海外に出て行き、所得と消費の落ち込みで地域経済は荒廃し、石油など輸入原材料の高騰に悩まされと、四重苦五重苦が言われ、瀕死状態でのたうち回っているはずのマクロ経済なのに、内部留保の推移のグラフは元気よく、まるでバイアグラを処方した老人のように右肩上がりのままだ。2011年は262兆円、2012年は280兆円、順調に華麗に剰余価値を蓄積している。これは、日本の労働者が働いているからだ。ギリギリに搾取され収奪されながら、必要以下的水準の生活を余儀なくされつつ、立派に健気に、皆で280兆円の剰余価値を溜め込んだ。「楽にならざり、じっと手を見る」、その手の先に、280兆円の札束の山が積み上がっている。

それだけじゃない、もう一つある。こちらの方が本論だ。280兆円の内部留保だけではない。「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」。そう言いながら、日本人は働いて働いて、稼いで稼いで、搾られて搾られて、恐るべきシロアリのアリ塚を築き上げてしまった。それは、特別会計(2013年度で130兆円)であり、天下り法人の金庫であり、当初予算や補正予算を編成の度に(数兆円分の)財源となる剰余金である。これについては、定量的な分析と検証をできる十分なデータが手元になく、また、一日一回記事を書く今のBlogの形式で説得力のある議論をするのは難しい。内部留保のように、広範に問題が議論され、専門の研究者が数字の推移を並べるようになれば、内部留保と同じ認識(剰余価値)が国民の中に定着するだろう。財務官僚が隠している特別会計の剰余金、財務官僚でさえ全体が不明だと言っている各現業官庁が天下り法人の金庫に隠している準備金や積立金、それらは、全体を漏らさず掻き集めて合計すると、一体どれほど莫大な金額になるのか。どうやら、社会保障の毎年の伸び分程度 - 毎年1兆円とか2兆円 - の支出は、特別会計の剰余金から捻り出せるのだ。社会保障の財源のために消費税増税が必要という政策言説は、官僚が作ってマスコミが刷り込んでいる嘘、作り話である。官僚の天下り機構というのは、今、全体でどれほどの規模で回っているのだろう。人員はどれだけで、予算はどれだけなのか。どれだけの人件費や退職金が流れ、海外出張費が出て、銀座で飲み食いしているのか。

このシロアリのアリ塚問題について、いつか数値モデルを図示して明解な問題提起をしたいと思いつつ、残念ながら果たせないままでいる。だが、大事なことは、忘れてはいけないのは、これが国民のマクロの剰余価値(ΔG)だということだ。国民の税金が集められ、会計から会計へ循環して運用益で増殖したものである。官僚は自ら価値を生産できない。「働けど、働けど」と身悶えしながら、汗水垂らして稼いで吸い上げられた国民の税金、所得税、住民税、固定資産税、自動車税、健康保険料、介護保険料、年金保険料、等々が積み上がった巨大な剰余価値なのだ。それは、大企業の内部留保と同じく、毎年毎年、確実に増えているのである。確実に増えているから、官僚はゼネコンに公共事業をバラ撒き、大企業と外資系に法人税減税をバラ撒き、新しいアリ塚(天下り法人)を築くことができるのである。


by thessalonike5 | 2013-10-04 23:30 | Trackback | Comments(0)
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