【あの人は今こうしている】
ザ・ゴールデン・カップス一番のモテ男だったマモル・マヌーさん
【芸能】
2012年3月5日 掲載
「ライブの予定? 7月まで決まってない。正直、この空白はつらいね」」
<マモル・マヌーさん>
GSブームだった60年代、タイガースやテンプターズなどが人気を競う中、実力派として存在感を放っていたのがザ・ゴールデン・カップスだ。ヒット曲「長い髪の少女」に「銀色のグラス」をカラオケで熱唱するオジサンは多い。きょう登場のマモル・マヌーさんはカップスのドラムス兼ボーカルだった。日本人離れした甘いマスクで女性たちの視線をクギ付けにしたマモル・マヌーさん、今どうしているのか。
「介護に疲れ果て、親を殺しちゃう事件が時々あるだろ。その気持ち、よ~くわかるね」 JR横浜駅に近いホテルのロビーで会ったマモル・マヌーさん、覇気のない暗い表情でこうつぶやいた。
「82歳になる母親が寝たきりでね。もう2年以上、付きっきりで介護してる。食事の支度はもちろん、下の世話から年老いた飼い猫の面倒まで見てるよ。妹はアメリカに住んでて、母親は介護士を嫌がるから、結局、面倒見るのはボクしかいないんだ。ホント、飲みにも行けないよ」
母親の世話をするようになったのを機に赤坂にあった事務所兼自宅を引き払い、横浜の自宅に戻ってきたそうだ。
「痴呆症が進行してるのか、食事したこともすぐ忘れ、同じことを何度も言う。大事な母親でも、それが毎日となれば、さすがに気がめいるよ。で、ある日、気がついたら、大声で怒鳴り散らしてる自分がいた。あっ、ヤバいなって自覚して病院に行ったところ、うつ病と診断されたんだ」
身につまされる話だ。
「毎日、安定剤や抗うつ剤を飲んでるよ。自分でも気持ちのコントロールが利かないのがわかるし、浮き沈みが激しいね。仕事をやめたいと思ったことも何度もある。でも、いざステージに上がれば、何もかも忘れて没頭できる。唯一、ハイになれる瞬間なんだよ。すぐ現実に引き戻されるけどね」
66年、デイブ平尾ら5人と「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」を結成。翌年、ザ・ゴールデン・カップスに改め、「いとしのジザベル」でデビューした。
以後、「長い髪の少女」「銀色のグラス」などヒットを連発するも、マモル・マヌーさんは69年に脱退。ソロ歌手になった。
「驚いたことに、演歌調の曲を出したんだよ、このボクが。当然、売れなかった、ハハハ。歌だけじゃ苦しくなって、宝石鑑定士の資格取ったり、空間プロデューサーで食ってた時期もある」
03年、グループはドキュメンタリー映画「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」完成をきっかけに再結成され、毎年数回のライブを開いている。
「各バンドが解散後、個人で活動してる連中が集まってやってるGSイベントにも参加するけど、ボクにとって楽しいのはやっぱりゴールデン・カップスの仲間との活動だね。それだけに、4年前、リーダーだったデイブが食道がんで死んだのはショックだった。まだ63歳。若過ぎるよ」
また、07年には昭和のヒット曲10曲をテーマにしたオムニバス映画「歌謡曲だよ、人生は」の伊藤咲子が歌ってヒットした「乙女のワルツ」編に喫茶店のマスター役で出演。俳優デビューも果たした。
「今は母親の年金でどうにかやりくりしてる状態。声がかかれば、俳優だって素人なりにやらせてもらうよ。ライブの予定? 7月まで決まってない。正直、この空白はつらいね」
GSブームだった60年代、タイガースやテンプターズなどが人気を競う中、実力派として存在感を放っていたのがザ・ゴールデン・カップスだ。ヒット曲「長い髪の少女」に「銀色のグラス」をカラオケで熱唱するオジサンは多い。きょう登場のマモル・マヌーさんはカップスのドラムス兼ボーカルだった。日本人離れした甘いマスクで女性たちの視線をクギ付けにしたマモル・マヌーさん、今どうしているのか。
「介護に疲れ果て、親を殺しちゃう事件が時々あるだろ。その気持ち、よ~くわかるね」 JR横浜駅に近いホテルのロビーで会ったマモル・マヌーさん、覇気のない暗い表情でこうつぶやいた。
「82歳になる母親が寝たきりでね。もう2年以上、付きっきりで介護してる。食事の支度はもちろん、下の世話から年老いた飼い猫の面倒まで見てるよ。妹はアメリカに住んでて、母親は介護士を嫌がるから、結局、面倒見るのはボクしかいないんだ。ホント、飲みにも行けないよ」
母親の世話をするようになったのを機に赤坂にあった事務所兼自宅を引き払い、横浜の自宅に戻ってきたそうだ。
「痴呆症が進行してるのか、食事したこともすぐ忘れ、同じことを何度も言う。大事な母親でも、それが毎日となれば、さすがに気がめいるよ。で、ある日、気がついたら、大声で怒鳴り散らしてる自分がいた。あっ、ヤバいなって自覚して病院に行ったところ、うつ病と診断されたんだ」
身につまされる話だ。
「毎日、安定剤や抗うつ剤を飲んでるよ。自分でも気持ちのコントロールが利かないのがわかるし、浮き沈みが激しいね。仕事をやめたいと思ったことも何度もある。でも、いざステージに上がれば、何もかも忘れて没頭できる。唯一、ハイになれる瞬間なんだよ。すぐ現実に引き戻されるけどね」
66年、デイブ平尾ら5人と「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」を結成。翌年、ザ・ゴールデン・カップスに改め、「いとしのジザベル」でデビューした。
以後、「長い髪の少女」「銀色のグラス」などヒットを連発するも、マモル・マヌーさんは69年に脱退。ソロ歌手になった。
「驚いたことに、演歌調の曲を出したんだよ、このボクが。当然、売れなかった、ハハハ。歌だけじゃ苦しくなって、宝石鑑定士の資格取ったり、空間プロデューサーで食ってた時期もある」
03年、グループはドキュメンタリー映画「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」完成をきっかけに再結成され、毎年数回のライブを開いている。
「各バンドが解散後、個人で活動してる連中が集まってやってるGSイベントにも参加するけど、ボクにとって楽しいのはやっぱりゴールデン・カップスの仲間との活動だね。それだけに、4年前、リーダーだったデイブが食道がんで死んだのはショックだった。まだ63歳。若過ぎるよ」
また、07年には昭和のヒット曲10曲をテーマにしたオムニバス映画「歌謡曲だよ、人生は」の伊藤咲子が歌ってヒットした「乙女のワルツ」編に喫茶店のマスター役で出演。俳優デビューも果たした。
「今は母親の年金でどうにかやりくりしてる状態。声がかかれば、俳優だって素人なりにやらせてもらうよ。ライブの予定? 7月まで決まってない。正直、この空白はつらいね」