原発事故が引き起こした悲劇を日本人はもっともっと知らなければならない。15万人以上の避難者を生み、しかもその家族の多くを離散に追いこんだ。汚染水もれで漁業の打撃ははかりしれない。放射能が飛散した地域の酪農業は崩壊。除染さえすれば、本当に帰還できるのか――。
地域の演劇が過酷な現実を生きる人間ドラマを作りあげた。福島第一原発の水蒸気爆発によって避難区域に指定された農村に留まり、以前と変わらぬ暮らしをかたくなに守る老夫婦の物語。米を作り、畑を耕し、牛を育てる。それまでのあたりまえの暮らしを淡々と続けるのだが、出荷はできないし、牛は処分するよう指導される。住むことも禁止。にもかかわらず、この夫婦は仮設住宅の名簿にも現地の住民名簿にも記載されないいわば「幽霊」となって暮らす。
東京公演に先立って8月24、25日の両日、福島県のいわき芸術文化交流館アリオスで上演された舞台が真っ暗だったかといえば、むしろ逆だった。なんとまあ、喜劇的な面白さに満ちていたのである。生き生きとした演技で客席を圧倒した鈴木アサ子演じるムメばあさんは危険な土地から動こうとしない一徹者の夫、倉治と居残る道を選ぶ。夫の愛を確認しようと急にしおしおとなって標準語になるあたりの呼吸が絶妙で、倉治役の竹田一行とのやりとりが実に魅力的だった。
とはいえ次々と示される挿話は絶望的だ。どうやって生きていけばいいのか、天をあおぐような事態の連続。脱サラして牧畜業を始めた男が牛を連れ去られる場面の泣き笑いが痛々しい。北海道に流れていく息子夫婦の苦悩や岡山へ逃げる孫夫婦の姿には一家離散の苦難が色濃く映る。倉治は官房長官の「直ちに影響はない」との官僚的発言に怒り続ける。家族も村もばらばらになった。直ちに影響はあったではないかと語気を強めるのだ。
仮設に送られて孤独な死を迎えた近所のおばあちゃんを悼み、事故後の生活苦から空き巣に入ったこそ泥を見逃す夫婦はただただ家で死にたいとの思いで日を送る。その心はささやかな抵抗として居残る道を選ばせ、放射能を運んだ東風が本来はさわやかなものだったことを思い出させるのである。
東宝ミュージカルは、メジャーな作品は帝国劇場や日生劇場で上演するが、やや小ぶりな作品はシアタークリエで上演することが多い。
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