「宇宙開発の新潮流」

宇宙の開発には「出口からの発想」が不可欠

関係者の証言:その2 西本淳哉氏(内閣府 宇宙審議官・宇宙戦略室長)

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2013年6月5日(水)

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 動き出した日本の宇宙新体制では、従来の文部科学省に代わって内閣府が大きな役割を担うこととなった。内閣府は各省庁の管轄を横断するような広範な課題に対応するための官庁であり、内閣総理大臣がその長である。

 日本の宇宙開発は、宇宙科学研究所を擁する文部省と、宇宙開発事業団(NASDA)を主管する科学技術庁の、2つの官庁が長らく担ってきた。2001年の省庁統合により、この2つの官庁が統合されて文部科学省となった。その結果として2003年、宇宙に関係する宇宙開発事業団(特殊法人)、宇宙科学研究所(国公立大学の共同利用機関)、航空宇宙技術研究所(科技庁所管の研究所)という性格の異なる3機関が統合されて、宇宙航空研究開発機構(JAXA:独立行政法人)が誕生した。

 今回の改革では、JAXA所管官庁に新たに内閣府が加わった。また、政令レベルで所管官庁を増やすことが可能になり、各官庁が実施機関としてのJAXAを利用しやすい制度が作られた。内閣府は今年度から、準天頂衛星システムの予算を確保した。現在、H-IIA/Bロケットの次の世代のロケットの開発予算も、文部科学省ではなく内閣府経由で支出するという案が持ち上がっている。宇宙関連予算の流れは、確実に文科省経由から内閣府経由に移りつつある。

 今回は、その内閣府に2012年7月12日に設立された宇宙戦略室で初代室長を務める西本淳哉氏に、新体制が目指す方向性について伺った。

技術開発には「出口からの発想」が必要

新しい体制は、「宇宙技術を開発する」ではなく「宇宙を利用する」という方向性を強く打ち出しています。その背景にあるのは1990年代以降の、技術開発偏重体制に対する反省なのでしょうか。

西本淳哉氏
1957年生まれ。京都大学大学院修了後、1982年に通商産業省入省。1990年、米国コーネル大学へ留学、2001年に製造産業局宇宙産業室長、2003年には製造産業局航空機武器宇宙産業課長を歴任し、2005年に大臣官房参事官(技術担当)、2008年に大臣官房審議官(産業技術・環境担当)。2011年に経済産業省大臣官房技術総括審議官を経て、2012年から現職。

西本:技術開発には、「出口からの発想」がなくてはいけないのです。開発した技術をどう使い、どのように産業化していくかを考えた上で進めなくてはいけない。かつての日本には「出口からの発想」がありました。1969年に宇宙開発事業団(NASDA)が設立された時の目標は、「通信衛星、放送衛星、気象衛星とそれらを打ち上げるロケットの国産化」でした。それぞれの衛星にはユーザーがいて、きちんと要求を出していました。通信衛星は電電公社、放送衛星は日本放送協会(NHK)、気象衛星は気象庁です。つまり政府内にユーザーがいて、ユーザーからの要求に応じる形で技術を開発する健全な体制があったのです。

 これが変調を来したのは、1989年のアメリカとの通商交渉の時です。あの時アメリカは、米包括通商法の対外制裁条項の通称「スーパー301条」に基づき、日本に対して不公正な貿易慣行の是正を要求しました。対象品目は木材にスーパー・コンピューター、衛星です。

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