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【プロ野球】

前田智が引退試合 赤ヘル人生に別れ

2013年10月4日 紙面から

◇中日5−3広島

引退セレモニーでナインに胴上げされる広島の前田智=マツダスタジアムで(浅井慶撮影)

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 中日は2回に堂上直の犠飛で先制。3回は5安打で3点、4回には田中のプロ初本塁打のソロで加点した。小刻みな継投でリードを守り、雄太が今季初勝利。広島は12年連続のシーズン負け越しが決定。福井が3回途中で降板の乱調。

      ◇

 今季限りで引退を表明した広島・前田智徳外野手(42)が3日の中日戦で引退試合に臨み、8回代打で登場。投ゴロに倒れたものの、9回には2008年以来の守備に入り、真っ赤に染まるマツダを最後まで沸かせた。引退のあいさつでは涙ぐみ、最後はナインの手で胴上げされた。度重なる故障を乗り越え、2119安打を放ったラストサムライが、24年の赤ヘル人生に別れを告げた。

 天才と呼ばれ、球史に時代を刻んだ男・前田智の24年が幕を閉じた。試合後、今季最多3万2217人が総立ち。「前田、前田」の大コールの中、引退のあいさつでは涙ぐんだ。場内を一周し、最後はナインの手で一度、胴上げ。場内アンコールの声に応え、もう一度舞った。

 カープナインが、コイ党が、みんなが別れを惜しみ、ラスト侍を目に焼き付けた。8回2死、代打・前田のコール。真っ赤に染まるマツダに最後の「マエダァ〜、マエダァ〜」の大音量が響いた。

 通算7785回目の打席に向かった。涙はなく対する小熊に真剣勝負だった。2球目、140キロをファウルして追い込まれると、3球目、141キロ直球をはじき返した。打球は投ゴロ。一塁ベース付近でヘルメットを取り、大コールに手を振り応えた。

 9回にはサプライズがあった。2008年7月25日、横浜戦(旧広島市民球場)以来、マツダで初めての守備となる右翼に入った。クッションボールをさばき、ファウルで走っては、沸かせ続けた。

 「あいさつは何と言っていいか分からなかったけど、ありがとうという気持ちを伝えたかった」。セレモニー後は、やっと終わって安堵(あんど)の表情を見せた。

 無安打に終わったことには「コツコツ段階を踏んでないと難しい」とサバサバ。最後の打席は「邪飛」を予告していたが「だいたい僕の思惑とは裏腹になる。小さいころから僕の願うことはうまくいかない。これも僕の使命というか役割。そういう面で選ばれた選手と思ってる」と自身の野球人生と重ね、笑った。

 入団1年目の1990年から順風満帆だった。「ガツガツしたものがあった。すべて吸収してやろう」と走攻守で思いどおりに伸びた。

 だが95年に右アキレスけんを断裂。そこからは両アキレスけん、ふくらはぎ、太ももと故障に次ぐ故障。「前田智徳は死にました」「あれは弟」との迷言を残すなど自暴自棄にもなった。それでも何度もはい上がり2000安打を達成した。

 10年以降、代打専任も新境地となった。試合中、ベンチでは目慣らしのために「野球協約」を読んだ。どんな苦境でも、最善の努力を尽くした。

 「投げやりになった自分が過去にいた。情けないですけど、終わるんじゃなくはい上がって来られた。24年のうち野球ができたのが3分の1くらい。リハビリしてトレーニングして後は寝るだけ」。つらく苦しい戦いが終わったことを実感した。

 自宅にある段ボールいっぱいの湿布もテーピングももう必要ない。「もう湿布、はらなくてもいいんですよ。ピリッと来てもいいんですよ。どう思います?」。そう言ってうれしそうに笑った。

 「カープでいちずに野球ができたことを誇りに思う。これから強いカープになることを願って、きょう引退します」。背負ってきたものは新時代カープに託した。 (荒木司)

 

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