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【グラニュース】カリスマ監督激動の6年<上> 低迷招いたマンネリ2013年10月4日 紙面から
名古屋グランパスのストイコビッチ監督が6年間の長期政権に終止符を打つことが決まった。高い潜在能力を持ちながらリーグの中位に安住するクラブを立て直し、就任3年目の10年にJリーグ初優勝に導いた。その後も優勝争いの常連チームに引きあげたが、政権後期は停滞した。カリスマ指揮官が退任をしいられた背景は何か。チームにもたらしたものは何か。「カリスマ監督激動の6年間」と題し、3回にわたって連載する。 ぶざまな敗北がピクシー政権にとどめを刺した。9月8日、名古屋市港サッカー場。天皇杯初戦でグランパスは格下のJFL・長野パルセイロに0−2で完敗した。怒号とため息が飛び交うスタンドの真下で、ストイコビッチ監督は吐き捨てた。「どっちがJ1か『J3』かわからない」 この試合では主力を休ませるためにスタメン起用されたFW永井、MFヤキモフスキー、田口ら若手がことごとく振るわなかった。メンバーを固定して戦うことに固執してきた指揮官。そのツケが一気に吹き出した。以降はJリーグでも3連敗。クラブは決断した。 ピクシー体制は限界にきていた。ストイコビッチ監督は就任した08年、フェルフォーセン前監督のもとで出場機会に恵まれなかったFW玉田をレギュラーで再生し、入団2年目のMF小川を中盤の要に据え3位に躍進。10年には自らが獲得を強く希望したDF闘莉王を加え優勝を果たした。 大胆な戦力刷新でチームを頂点に導いた指揮官だったが、以降は優勝メンバーへの必要以上の固執が生まれた。後期の3年間で定位置を奪ったのは元日本代表MF藤本のみ。久米GMは「最近の采配(さいはい)には義理人情、温情に引きずられるようなところが見えてきた。優勝した後の11、12年に思い切ってチャレンジするべきだったが、保守的になってしまった」と語る。 フロントは昨オフも前線や中盤で3、4人の獲得をピクシーに打診していた。実際に指揮官が同意したのはFW矢野のみ。皮肉にも、獲得を見送った選手には今シーズン手痛いゴールを何度も食らった。グランパスは新陳代謝を欠いたまま巨大なマンネリの渦にのみ込まれ、年齢を重ねるだけのベテラン集団へと変わってしまった。 福島副社長はストイコビッチ監督の契約を延長しなかった理由について、「足元の状況、今年の成績を見て総合的に判断した。6年間トータルで見れば最大の功労者だ」と説明した。長年の功績を踏まえての“円満退社”を強調したが、退任劇の実情は更迭に近い。任期満了での退任という形を取ったのは、今も絶大な人気とネームバリューを誇り、海外とのパイプも太いレジェンドへの評価の高さ。 「(今年鹿島で8年ぶりに監督に就いた)トニーニョ・セレーゾの例もある。また力を借りることがあるかもしれない」と福島副社長は続けた。後味の悪い解任を避けたことで将来的に第2次ピクシー政権が誕生する可能性も残った。 (木村尚公) PR情報
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