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【連載】浜矩子の経済常識を斬る 第1回

「世界節税戦争」―税金から逃げる企業、逃げる個人…そして国家は消滅する!?

2013.10.01
同志社大学教授 浜 矩子 氏
同志社大学大学院ビジネス研究科教授。1952年生まれ。一橋大学経済学部卒業。1975年、三菱総合研究所入社。ロンドン駐在員事務所所長、同研究所主席研究員を 経て、2002年より現職。専攻はマクロ経済分析。

誰が誰から税金をとる権利があるのか?

世界的に租税回避地を利用した、企業や個人の課税回避が問題となっている。徴税権は国家主権のひとつだが、グローバル時代となり、人、物、金は国境を越えて自由に動く。今や国家というものの存在感の象徴である徴税権が脅かされつつあるのだ。誰が誰に課税する権利があり、その権利の根拠はどこにあるのかということが、従来とは違う形で問われ始めている。

消費税の場合、必ずしも一国の国民に課される税金ではなく、たまたまその国境の中で活動している人たちの消費行為にも課税される。海外からやってきた駐在員や移民労働者にも課税されるので、これは国家と国民との対応関係ではない。

 

なぜ、国が国民から税金をとるのかといえば、国民に対して公共サービスを提供するための必要経費をカバーするためだ。その財源として、税金を徴収するという関係になっているはず。その想定が徴税権のベースになっている。

ところがグローバル時代となり、従来的な感覚では課税の対象となるべき国民は、あまりその国の中にはいなかったりする。一方、当該国家の国民ではない人がたくさん国内にいるがために、消費課税という形で間接税をとられる形になったりしている。

こういう状況を、どのように理解したらよいのか。それぞれの国の租税制度のあるべき姿や、財政の役割をどのように認識したらよいのか。従来はあまり考える必要のなかったテーマが浮かび上がっている。

個人も税金から逃げる「リッチスタン」の登場

アメリカの個人富裕層の中では今、「リッチスタン」という概念が広がっている。これは米ウォールストリート・ジャーナル紙の記者の造語で、「資産100万ドル以上の新富裕層たちが集まる仮想国家」を意味する。これは国民国家ではなくて、世界中の金持ちたちが形成する集合体だ。リッチスタンの人々はみなタックスヘイブンへ行き、税金はまったく払わず、ひたすら自分の資産を守る。そういう人々が増えている。

こんなに自分は働いて、その労働の果実として巨万の富を得た。その富の8~9割を税金で取られて、それなのに自分の医療費は自分で払わなければならないし、ぜんぜん税金の恩恵に浴していない。「これはおかしい」と言って、ニカラグアやエルサルバドルなどに行ってしまう人も出てきている。

日本人の場合は言葉の壁があるので、そんなに誰でも海外に出ていくわけにはいかないが、一部にはそういう動きもすでに出始めている。出て行く人を止めることはできない。「去る者は追わず」というスタンスでいくしかない。すると、国内にとどまったものだけの重税感が増していく。ただし、そういう人たちは自分にとっては重税でも、そんなに高い税金を納められるわけではないので、結局、国庫の状況は悪化していく。

ますます財政がひどい状況になっていって、公的医療や年金制度など、歴史の中で作られてきたセーフティネットにボコボコと穴があいていく。これらの問題にどう対応していくかということを、このグローバル時代に生きる国民と国家は、もうそれなりの答えを出さねばならない。

お金持ちの中には、もっと税金を払ってもいいと思っている人もいるだろう。しかし、「自分のものは自分のものという考え方しかできない人は、どうぞ出ていって結構です」というスタンスを示すしかない。金持ちなのにあまりにも納税率が低いことは「格好が悪い」「そういう人はあまり信用されないですよ」という雰囲気を作っていくことも重要なことかもしれない。

そういう社会的なプレッシャーが、この時代はあってもよいと思う。視野の狭い、欲に振り回されている人は「はしたない」ということが、グローバルな風土として出来上がれば、国家のサービス事業者としての機能も復活してくるかもしれない。

これらの課題への対処は「モラル」「倫理観」「意識の高さ」「世のため人のためを考える心意気」というようなものに、一義的に依存する。とても答えが出てきにくい問題だ。しかし、そういう人間の「まともさ」が発揮されないと、経済社会のシステムは崩壊してしまうような世界に今、われわれは生きている。

法人税は世界的に0%に向かう?

ケイマン諸島やモナコなど、以前からある典型的なタックスヘイブンだけでなく、自国に企業活動を誘致するために、外資系企業に対しては法人税をゼロにする、たとえばルクセンブルグのような国もある。アイルランドも外資優遇的な税制をとっているし、そういう国々は少なくない。世界の国々が今、総じて租税回避地化する措置をとっている状況がある。法人減税合戦的な「タックス・ウォーズ」が起きている。国々が争って「疑似タックスヘイブン化」している。このまま争いが続けば、世界的に法人税がゼロになりかねない。論理的帰結としてはそうなる。

これは不思議な感じだ。財政赤字が膨らんでみんな悩んでいるくせに、税金をとれなくなってきている。税金をとれないということは、本来の政府のサービス事業者としての機能を果たすための金銭的裏打ちがなくなっていくということ。公共サービスを提供できない政府、あるいは国家というものは、だんだんと存在意義が薄れていく。この問題は結局、国家の消滅にもつながっていきかねないテーマだ。国家が別に永遠不滅だと考える必要はないので、最後は国家がなくなるかもしれない。

別に国家はなくなっても、安泰に生きていければそれでよいのだが、公益的サービスが危機に瀕していくところに、国々の財政が破綻することの最大の問題がある。重要なことは、人々が失業しても、貧困者となっても生きていくことができる機能を確保することだ。弱者救済を中心とする公益を保障する機能が国家の最終的な役割として残るとすれば、その安泰を保証するための資金基盤は必要だ。それをこの時代に、どう確保するかが大きな問題だ。

国家と徴税権の関係は、だんだんつじつまが合わなくなってきている。これは国民の側から見れば、納税モラルの問題とも絡んでくる。昔は人、物、金がそう簡単には国境を越えられなかったので、生活基盤を支えてもらいたいのであれば、「四の五の言わずとりあえず税金は払う」という考え方が普通だった。国境の内側にとどまっている限り、その国が提供する公共サービスの受益者でもおのずとある、という状態が普通だった。あまり考える必要がなかったし、ほかに選択肢がなかった。

しかし、グローバル化が、国境をいとも簡単に取り払ってしまい、内と外との仕切り線がはっきり見えなくなってしまった。昔は一部の大金持ちや大企業だけの問題だったが、今はそれが非常に一般化している。一部に限定されたテーマではなくて、今は極めて一般的な広がりを持つ問題になっている。

自分は日本国民ではあるが、日本国家からひとつも恩恵を受けていないのに、日本国家に対して多額の税金を納める必要があるのだろうかという疑問も出てくる。たとえば、スイスやモナコ、シンガポールに住んでいる日本人が日本に税金を払わないのは、はたして租税モラルに反しているのだろうか。そういう、一概に結論の出ない問題に向き合わねばならない時代状況になっている。
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