レッドソックスの上原浩治投手(38)がメジャー3度目のプレーオフに挑む。2011年のレンジャーズ時代は今季の上原からは想像できない散々な結果に終わった。昨年はワイルドカードゲームに投げ1回を三者三振だった。今季の成功の陰にはコツコツ積み上げたことに加え、11年の失敗や苦い経験がある。4日(日本時間5日)から本拠地フェンウェイ・パークで始まる地区シリーズを前に、絶対守護神・上原に緩みはない。
上原浩治「中継ぎピッチャーズバイブル」(特別編)
上原はオリオールズ時代の2010年、メジャーに適応する一環として体重をアップさせた。しかし、右肘痛、ハムストリング痛などを招いて故障者リストへ。「一度は引退を考えた」ほど、精神的にも行き場を失いかけた時期もあった。
11年7月末のトレード期限を前に、オリオールズからレンジャーズへ電撃移籍。複数の米メディアが、数球団が上原を獲得リストに載せていると報じていたため、上原も「名前が挙がるのは必要とされている証拠。うれしいことやね」と多少の覚悟はあった様子だったが、移籍後に思わぬ事態に直面した。
上原はこう振り返る。「シーズンの終わりを設定していたんですよね。8月を迎えようとしていて、(ア・リーグ東地区最下位を独走していた)ボルティモアの(地区)優勝の可能性がない状況やったんで」。レンジャーズでは、公式戦22試合18イニングで与四球1個と制球力は際立っていたが、5本塁打され、防御率4・00。本来の投球を発揮できないまま、プレーオフを迎えた。
地区シリーズのレイズ戦とリーグ優勝決定シリーズのタイガース戦では、救援投手としてプレーオフ史上初の3試合連続被弾という不名誉なメジャー記録を樹立。プレーオフ3試合で1回1/3を投げ、3本塁打を含む5安打5失点、2四球1三振、防御率33・75。ワールドシリーズではベンチ入りメンバーから外れるという屈辱も味わった。
レンジャーズに在籍していた東海大仰星高校のチームメート、建山義紀投手(37)がサポートしてくれたものの、練習メニューの違いなどもあり適応は簡単ではなかった。それに加え、9月末に設定していたシーズン終了を、いつ終わるか分からないプレーオフに再設定するのは困難だった。
巨人時代に数々の修羅場を経験している上原といえども、気持ちを入れ直すことはできなかった。だからこそ、上原はこう話す。「今年に限っていえば、シーズンがどうこうよりも、まずは一日一日。それを162試合続けた。プレーオフはまた一日一日やればいい」
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