天龍の艦これポスターと横須賀鎮守府の史跡探訪せよ!
「俺も横須賀工廠で建造されたんだぜ!龍田のやつもちゃんとやってるかな?」
9月末から期間限定で全国の鎮守府に貼られた艦隊これくしょんのポスター。その中で天龍のポスター探しと横須賀鎮守府の史跡めぐりへ。
横須賀駅はかつて旧日本海軍の横須賀鎮守府及び横須賀海軍工廠へのアクセスを担い、物資輸送のためか全国でも珍しい階段が一切ない駅となっている。
天龍さん、なかなかの腰つきである。
艦隊これくしょんのポスターは、東北のレストラン列車の告知や大人の休日倶楽部といったポスターが貼られた横須賀駅改札付近の一角に。
横須賀駅の担当は龍田との組み合わせで人気の高い天龍だが、観光地や住宅地から若干離れているせいか人はまばらで、足を止めて天龍を見る人は他におらず静かに横須賀鎮守府めぐりが始まった。
横須賀駅からすぐのところに、横須賀海軍施設ドックなどの建設で日本の近代化に貢献したヴェルニーの名前を冠したヴェルニー公園があり、アメリカ海軍の施設と海上自衛隊横須賀基地の艦船を見ることができる。
ヴェルニー公園には、横須賀海軍工廠で製造された戦艦・山城と、呉で製造され横須賀鎮守府所属となった戦艦・長門の石碑が置かれている。
欠陥戦艦としてすっかり不幸少女が板についた山城。41センチ主砲で世界のビッグセブンと呼ばれ太平洋戦争を生き抜いて戦後の水爆実験で沈んだ長門の激動の時代を偲ぶことができる。
YOKOSUKA軍港めぐり
かつて横須賀鎮守府があった場所は現在は在米海軍横須賀基地となっており、旧横須賀鎮守府庁舎や横須賀海軍施設ドックは突発で行っても見ることはできない。
そこで横須賀港を一周して海上自衛隊やアメリカ海軍の艦船を間近で見られるクルーズ船へ。
左側に見えるのが伊勢型戦艦2番艦・日向から名前を受け継ぎ、現在はヘリ空母となった護衛艦「ひゅうが」。
左から、護衛艦おおなみ、補給艦ときわ、護衛艦いかづち、試験艦あすか、護衛艦たかなみ。
いかづちは、吹雪型駆逐艦「雷」(2代目)から名前を引き継ぎ現在4代目。
アイドルマスター的にはやはり「ちはや」は外せないか。
千早だけにフラットな空母かと思ったら潜水艦救難艦だそうで隣に潜水艦も。
クルーズの解説でもかなり珍しいと言われた韓国の潜水艦がちょうど出港中だったため通常ルートとは逆回りに。
通常のクルーズでは最後の方に通る新井掘割水路。
元々、横須賀本港と長浦港の間には半島があったところ、明治初頭に水路を掘って繋げたもので、当時は人の手で掘ったとか。そのため写真の右手は人工の島になっている。
長浦湾には退役して処分待ちとなった潜水艦「わかしお」が。
これだけ近づけるのも退役した艦ならではで現在は海鳥が何羽か留まるのみ。
長浦には海上自衛隊自衛艦隊司令部の管制塔があり、全国の艦船の指揮を取っている。
横須賀港に戻る潜水艦と、イージス艦きりしま。
金剛型四番艦 戦艦・霧島から名前を受け継いだ、こんごう型護衛艦の2番艦。イージス艦とはすごく対空防御力のあるイージスシステムを搭載した艦のことらしく、日本が保有するのは6隻。亀の甲羅のような八角形をしたレーダーが特徴的なのですぐわかる。
三笠公園。
YOKOSUKA軍港めぐりを終えて次は三笠公園へ。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊の旗艦である戦艦・三笠が記念艦として残されている。
太平洋戦争をベースにした艦隊これくしょんとは活躍した時代が違うが、戦艦・金剛は三笠と同じイギリスのヴィッカース社で製造されているので、そういう意味では三笠は金剛のお姉さまなのである。連合艦隊司令長官の東郷平八郎は提督の大ボスみたいなものなので銅像に思わず敬礼。
入口付近にはなぜか大和型戦艦46センチ主砲弾が。
東郷平八郎や参謀・秋山真之らが描かれた有名な「艦橋の図」。
「たまゆら~もあぐれしぶ~トークイベントin記念館三笠」というイベントも開催されるようで。
横須賀では「たまゆら」のスタンプラリーやコラボメニューのタイアップイベントも開催中。
猿島要塞。
三笠公園の隣の三笠桟橋から10分。この辺まで来るとほとんど艦隊これくしょんとは関係なくなってくるが、猿島は幕末から陸海軍の首都防衛拠点として要塞化された。太平洋戦争では時代が航空戦へとシフトし高角砲も設置されたが結局実戦はなく終戦を迎えている。
砲台跡、赤レンガのトンネルに弾薬庫や兵舎などの要塞施設を見ることができる。
横須賀鎮守府司令長官官舎。
海上自衛隊横須賀地方隊田戸台分庁舎で、京急の県立大学駅から徒歩10分ほどで簡易裁判所の隣にあった。桜の名所として知られ、桜シーズンや京急のウォーキングイベントでごく限られた日のみ公開。
横須賀中央駅の艦これポスター。
京急の横須賀中央駅であったが、乗り降りの多い快特停車駅にも関わらずやっぱり足を止める人はおらず。
海軍工廠造兵部本館。
最後に天龍の生まれた横須賀海軍工廠関連の史跡を。京急田浦で降りて現在の東芝ライテック横須賀工場を海沿いに回ると海軍工廠造兵部本館の建物を見ることができる。
反対の長浦湾の方を向くと海上自衛隊補給所の場所に艦船を建造するためのガントリークレーンがあったのだが、土台だけ残してなくなってしまっていた。
JR田浦駅方面へ歩いて行くと海上自衛隊第二術科学校。
隣の関東自動車工業に海軍水雷学校跡碑があったらしいのだがトヨタ自動車になってからこちらに移設されたのか、写真の近くの柵の中にそれっぽい石碑を見ることができた。天龍の乗組員も当時あった水雷学校で勉強したのだろうか。
ただ天龍は艦これでも序盤でドロップすることからもわかる通りにかなり古いので乗組員からケチをつけられていたのかもしれない。
更に田浦駅方面へ行くと、旧海軍軍需部の倉庫だったF号倉庫などの倉庫群を見ることができる。
海上自衛隊艦船補の給所食糧庫としてや民間企業が現在も使用している。
ガントリークレーンがあった付近や倉庫群付近には横須賀海軍工廠の引き込み線が今でも残されている。
海軍標柱。
軍艦の建造によって必要になった水を川から引っ張ってくる海軍水道の敷地の境界を示す「海」と書かれた石柱。長浦4丁目で見つけたが住宅地なので注意。
こんな感じで横須賀は突発で行っても呉や舞鶴と比べてお手軽に鎮守府感を味わうことは難しいが、艦隊これくしょんに出てくる軍艦から名前を引き継いだ自衛隊の護衛艦を数多く見たり、石碑や46センチ主砲弾などを見れば艦むすへ思いを馳せるには十分で、横須賀鎮守府や横須賀海軍工廠に関連した史跡をめぐって当時を偲ぶこともできる。
ちょうど10月12日(土)には艦これオンリーイベント「横須賀鎮守府」も開催されるので、参加する提督はこうした史跡めぐりもいかがだろうか。