今回ご紹介するのは'52 BMW327-2cabriolet です。まさにミュージアムコンディション。
歴史的にも大変価値がある車輛ですね。 正式名称はEMW327-2と言います。 なぜEMWかと言いますと・・・・。 車両の説明の前にBMWの歴史のご説明が必要ですのでとりあえず、時系列にて。
1916年グスタフ・オットーが航空機エンジンメーカーとしてバイエリッシェ・フルークツォイク・ヴェルケ株式会社(BFW AG、 バイエルン航空機製造)設立。BMW社自身はこの年をBMW誕生の年としている。
1917年 - 社名をBMWに改称。エンジニアのマックス・フリッツを雇用し、その設計によりBMWとしての最初の航空機エンジ ン「タイプIIIa」を生産。10月 - 回転するプロペラのエンブレムを帝国特許事務所に登録。
1920年 - エンジニアのマーティン・ストールがダグラス500のフラットツインエンジンを分解し研究した。この成果はモーターサイクル用エンジン、タイプ「M2B15」に結実、ニュルンベルクのビクトリアから受注した。
1922年 - 航空機の製造を禁止されタイプ「M2B15」を購入してモーターサイクル「ヘリオス」を生産していたバイエルン航空機製造会社(Bayerische Flugzeug Werke 、略称BFW)と合併しモーターサイクルメーカーとなった。社名は引き続きBMW。
1923年10月 - マックス・フリッツ設計によるモーターサイクル「R32」の製造を開始。
1926年 - 航空機製造部門をBFWとして分離(同社は1938年にメッサーシュミットと改称)。
1928年 - ゴータからアイゼナハ車両製作所を買収し、BMWアイゼナハ工場とする。
1929年 - 4輪車"3/15
PS"(BMW Dixi)の製造を開始。英国オースチン・セブンのライセンス生産。
1932年 - 自社開発4輪車"3/20 AM 1"の製造を開始。
1939年 - 世界初のジェット戦闘機、メッサーシュミット
Me262用ジェットエンジン、BMW003開発開始。
1940年 - 戦闘機フォッケウルフ
Fw190用エンジン、BMW801 の大量生産開始。
1942年 - BMW003開発。ただしさまざまな問題の解決にあまりにも長期間を要し、メッサーシュミット
Me262には使用されなかった。後にハインケルHe162のエンジンとして採用されたが、問題はつきず実戦での実績はほとんどない。
1945年 - 連合国から第二次世界大戦中の航空機やロケットの生産を理由に3年間の操業停止処分を受ける。アイゼナハ工場はソ連の占領機関に接収される。
1948年 - 操業再開、単気筒2輪車R24を発売。アイゼナハ工場が東ドイツ国営企業のVEBアイゼナハとなりBMWブランドの車両を製造(1948 - 1951年)、BMWブランドが使えなくなるとのちEMW(1951 - 1953年)、そして最終的にAWE(1953 - 1991年)となった。
1951年 - 501にて戦後4輪車の製造を再開。
1955年 - イタリアのイソのマイクロカー・イセッタをライセンス生産し、発売する。
1959年 - 経営不振による倒産の危機。ダイムラー・ベンツによる吸収合併計画は、実業家ヘルベルト・クヴァントの増資により実行寸前に回避された。
1962年 - 小型乗用車1500を発売。モノコック構造のボディーを採用した。一足先に登場していたリアエンジン大衆車、700とこの1500の成功により経営は改善、販売規模が拡大する。
1965年 - BMWエンジン売却。以後25年間航空機エンジンの生産を中断。
1966年 - ジュネーブショーにてBMW1600-2を発表。これ以後、02シリーズを拡充していく。
1971年 - BMW3.0CSを発表し、BMW特有のスポーツクーペを確立させる。
BMWは1896年創業のアイゼナハ車両製作所を買収、BMW・アイゼナハ工場としたのですが 第二次世界大戦でナチス・独が敗れると、アイゼナハ工場はソ連軍占領統治下に入り、敗戦国企業のBMWは自身の商標権の主張ができないだけではなく、この時期は自動車生産自体も禁止されており、1945〜51年のBMW車はそれ以前のBMWと同じアイゼナハ工場での生産ではあるのですが、生産主体はBMWではなかったのです。その状態で’45年末から戦前の旧型BMWモデルの再生産を開始。"BMW・321"が戦後最初のモデルとなリ、フロント等のモデルチェンジ後、"BMW
326"となり、"BMW・340-2"(後に"EMW・340-2")として続き、’55年まで生産されました。その間、’52年には、ソ連は東独に会社を譲渡、EMW社となり東独の国営企業として活動を開始しました。この時点でやっとBMWは商標、ロゴ、フロントグリルデザインの権利と自動車の生産も復活したのです。 アイゼナハの工場は社名を(アイゼナハで作ったBMW車)という意味の「アイゼナハー・モトーレンヴェルク(EMW)」に変えたのです。BMW(EMW)327は 1937〜41年までも1396台生産されていたモデルを、’52年から復活しBMW(EMW)327-1,-2,-3が合わせて505台生産。’55年生産終了しました 。
面白いですね。メッツサーシュミットとか、フォッケウルフとかプラモデル好きには懐かしい名前が出てきます。 現代においても発動機にこだわるメーカーであることの原点がここにあるのですね。 また、敗戦国としての歴史的背景の中で苦労して現在に至ったのがよくわかります。
さてブランドがBMWではなく当時なぜEMWだったのかお分かりになりました?
EMWは時代に翻弄された歴史的にも価値のあるヒストリックカーなのです。もちろんレプリカなのではないことを付け加えさせていただきます。
現車はアメリカでミュージアムコンディションにフルレストアしたのち日本国内に輸入、改めて国内で再整備された稀有な個体です。(もちろん車検もございます。H26/4まで)
日本国内に327-2のカブリオレが何台あるかは不明ですが、貴重な個体ですのでタイミングが合えば是非お手元に置かれたらと思います。
今回は画像を中心にご紹介いたします。ご自身の目でご判断ください。
尚、ご興味のある方はぜひご見学にお越し頂けたらと思います。
車は東海地方にございます。 ご連絡お待ちいたします。(追加画像ご希望の際はご連絡願います)
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