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「東洋の魔女」主将 中村昌枝さん死去
10月3日 12時10分

「東洋の魔女」主将 中村昌枝さん死去
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1964年の東京オリンピックのバレーボール女子で金メダルを獲得した日本代表、いわゆる「東洋の魔女」の主将を務めた中村昌枝さん、旧姓、河西昌枝さんが、3日未明、脳出血のため都内の病院で亡くなりました。
80歳でした。

山梨県出身の中村さんは、当時の大阪にあった女子バレーボールチーム、日紡貝塚の選手として故・大松博文監督の下で力をつけ、1964年の東京オリンピックでは日本代表の主将としてチームを初めての金メダルに導きました。
当時のチームは回転レシーブや変化球サーブなどの技を編み出して海外のチームを次々と破り、東洋の魔女として知られました。
現役を引退したあとは、日本バレーボール協会の女子の強化副委員長を務め、後進の指導にも力を尽くしました。
先月、2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市に東京が決まったことについては、「1964年の大会と同様、日本中の皆さんに夢と希望を与える最高の機会になることと願います。今度はオリンピックをこの目で見て最大の声援を送るつもりです」とメッセージを寄せていました。
亡くなった中村昌枝さんの家族によりますと、中村さんは腰の骨を折って都内の病院でリハビリに取り組んでいたところ、1日の夕方脳出血になったということです。
そして、3日未明、都内の病院で亡くなりました。
バレーボール女子の日本代表の眞鍋政義監督は「大変驚いています。中村さんの思いやご活躍に恥じぬように若手育成に取り組み、『東洋の魔女』の再現を目指します」とコメントしています。
日本バレーボール協会の荒木田裕子強化事業本部長代理は、「私たちにとっては不死身の河西さんだと思っていたのでショックを受けています。去年12月に、『2020年の東京オリンピック・パラリンピックが私の生きる目的だから絶対に勝ってほしい、頑張ってね』と、涙ながらに話しておられたのがとても印象的でした。2020年は聖火ランナーの1人に入るというくらい、ずっと元気だと思っていたので、とても残念です」と話していました。
また、JOC=日本オリンピック委員会の竹田恒和会長は、「ついこの間までお元気だったのでとても驚いている。2020年のオリンピック・パラリンピック招致に関してもさまざまなイベントに参加していただいた。東洋の魔女のキャプテンとして大きな夢を与えて下さったからこそ、2020年も大きな夢を与えられると期待されていたと思う。こんなに早くお亡くなりになって残念だがご冥福をお祈りしたい」と話していました。

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