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消える灯火〜海文堂書店閉店〜

(2)1・17感じた本の力

 客足が減り続ける海文堂書店に、かつてのような熱気が戻った時があった。1995年1月17日。阪神大震災だ。

 当時店長だった小林良宣(63)は、火災の煙が立ちこめる中を、垂水区の自宅からバイクで海文堂へ走った。「もう店はないかもしれない」。午前9時ごろ到着すると、三方を囲む建物はみな倒壊していたが、海文堂は無事だった。

 通用口から店内に入ると、床は散乱した約15万冊の本であふれていた。余震が続く中、取次店が差し入れてくれた懐中電灯を片手に、従業員総出でひたすら本を棚に戻した。25日、営業を再開。神戸の書店で一番早かった。

 再開したとたん、海文堂は客であふれた。

 親戚や知人を捜すために神戸の地図を求める人々。避難所で不安がる子どもにとマンガや児童書を買っていく親。受験シーズン直前に家が焼け落ち、参考書を買い直す受験生。午後5時に閉店のアナウンスをしても、客はなかなか帰らなかった。いま店長の福岡宏泰(55)は20日間、近くの避難所に寝泊まりして店に通った。

 児童書担当の田中智美(51)は、絵本を何冊も買っていく男性の言葉が心に残る。「娘が家から逃げるとき、とっさに手に取ったのが絵本の『ひとまねこざる』だった」。本の持つ力を感じた。参考書担当の笹井恭(62)は、震災前の神戸の空撮写真が飛ぶように売れたことを覚えている。自宅が焼けた男性が「ここにうちの家があったんや」と買っていった。

 店の一角でギャラリーを運営していた当時の社長島田誠(70)は、震災の1カ月後、若手の画家や音楽家、詩人らに呼びかけ、芸術で被災者を励ます活動「アート・エイド・神戸」を開始。避難所でコンサートを開き、工事現場の囲いに絵を描いた。

 「神戸市や県、国は何をやっているんだ」。復興への歯がゆい思いも、書棚にぶつけた。店の中央に震災コーナーを設け、復興過程の問題点を追究した本を並べた。震災関連の新刊書が少なくなっても、地元NPO団体の出版物やDVDを置き続けた。

 16年後。「同じ本ばかりで回転もしていない。コーナーを片付けるかな」。福岡がそう思っていた矢先、東日本大震災が起こった。

 仙台市の出版社「荒蝦夷(あら・え・みし)」から連絡が入った。人文書担当の平野義昌(60)は「全点並べてフェアをしましょう。在庫を送って」と即決。「激励の言葉より本を売る」をキャッチコピーに、レジ前の新刊コーナーをとっぱらって本を並べた。神戸の書店だからこそ、東北の気持ちが痛いほどわかった。(敬称略)

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