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消える灯火〜海文堂書店閉店〜

(1)老舗にネットの荒波

写真:かつて倉庫だった場所に立つ岡田節夫社長。自分が生まれた場所でもある=神戸市中央区、諫山卓弥撮影 拡大かつて倉庫だった場所に立つ岡田節夫社長。自分が生まれた場所でもある=神戸市中央区、諫山卓弥撮影

 「本日、新刊の報告の必要はありません」

 8月5日、月曜日。海文堂書店2階のタイムレコーダーの横に、貼り紙があった。月曜は、従業員が朝礼で担当分野の新刊を紹介する。「何かあるな」。参考書担当の笹井恭(62)と海事書担当の後藤正照(60)は、顔を見合わせた。

 午前9時半。1階の中央カウンターを囲んだ11人に、社長の岡田節夫(63)から1枚の紙が配られた。関連会社集約のため、海文堂書店の営業を9月30日をもって終了させていただきます――。「書かれている通りです」。岡田はそれだけ告げると、うつむいた。

 7月の中頃から、本を出版元から直接買い付けることをやめるよう言われていた。「店を縮小するのかなと覚悟はしていたが、閉店とは」。笹井は振り返る。

 海文堂書店は、淡路島出身の賀集喜一郎が1914(大正3)年、当時の生田区(現中央区)で海事書の出版・販売の専門書店を開いたのがルーツ。23年、今の元町商店街の中に移り、岡田の父・一雄が引き継いだ。現在、1、2階延べ730平方メートルで約11万冊を扱う中規模総合書店だ。

 2階の海事書コーナーには、航海士の参考書や船の写真集、気象や貿易の専門書などが約1千種類。後藤は「品ぞろえは日本一のはず」。解体した船の舵(かじ)やライト、文具やTシャツなどのマリングッズも売る。

 2階フロアの約3分の1を近隣の古書店に貸し、新刊書と古本が並んでいるのも店の特徴だ。2000年まで社長を務めた島田誠(70)は在任中、2階の一角でギャラリーを開設。地元の無名画家の作品を展示するなど、神戸の文化発信の一端を担ってきた。

 しかし、経営は年々厳しさを増していた。福岡宏泰(55)が店長に就いた00年、ネット書店大手・アマゾンが日本に進出。本の取り寄せを頼む客が激減した。「ぎっしりだったレジ横の取り寄せ棚が、すかすかになった」という。

 本を1冊売って、書店の利益は定価の30%。再販制度で売れ残った本は返品できるものの、薄利多売の商売だ。大阪・梅田などの都心部では近年、数千平方メートル規模のマンモス書店が相次いでオープン。90年代後半に1日100万円を超えていた海文堂の売り上げは、下がる一方だった。

 岡田が交通事故で重傷を負った5年前、当時社長を務める兄・吉弘と話し合った。「どちらかが死んだら、海文堂を閉めよう」。11年2月、吉弘が尿管がんで亡くなったが、岡田は店を閉めなかった。東京の出版部門など関連5社の社長を引き継ぎ、東京と神戸を往復する日々が続いた。

 「1階フロアの真ん中、新潮文庫の棚があるあたりは昔、倉庫だった。産婆さんを呼んで、私はそこで生まれたんだ」。店の2階にあった住居で18歳まで、にぎわいを見て育った。

 しかし、売り上げ回復の見通しは立たないまま。阪神大震災を境に、周辺に6店あった新刊書店は、次々店を畳んだ。「せめて海文堂だけは、と思っていたが……」。今度こそ限界だ、と岡田は感じていた。

(敬称略)

    ◇

 30日で創業99年の歴史に幕をおろす海文堂書店。港町神戸の顔として親しまれてきた、老舗書店の閉店までを追った。(石川達也)

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