<韓国特集> 「在日コリアンの100年」 その4 【痛快!おんな組】
再び、『在日韓人歴史資料館内の映像』と姜徳相氏によるの説明です。
「これは博多。これ復員兵です日本の。この復員兵が降りた後に、朝鮮人がこの空船に乗って帰る訳ですね。
ですから最初日本政府は朝鮮人がこれだけたくさん連れてきたのに、計画的に帰そうという計画が何もなかった。
ですから、空船が帰るよということで、皆港に集まるわけです。ところが船がこの人たち半年くらいの間に250万位帰るんですよ。ですからなかなか乗れないんですよ。で、乗船待ちのために下関・仙台・博多、これはもう朝鮮人で埋まるんです。
ところが宿屋がないんですね。ですから道端で寝る。で、当然ご飯を食べる、排泄がありますよね。施設がないんです。だからもう本当にね、大変な生活を一ケ月も二ケ月もやる中に、病気になって死んだやつも出てきたりね、対策が無かったです。」
「これ、戦後の状況ですが、この旗は韓国の国旗です。だけど良く見てください。これはね元は日の丸なんです。
日の丸を半分色を塗って、、、これもそうです。最初はみんなそういう形で大極旗が再生するんです。」
「これは民族教育です。民族教育ってのは、やはり1945年まで朝鮮語を教えるってのは、犯罪なんです。砂川刑務所行きです。
だけど、そりゃもう言葉っていうのは民族ですからね。皇民化政策では、常に反抗するものという形でショハン?)されるわけですけど、在日が60数年の歴史の中で、戦後の、一番力を尽くしたのは教育。で、それは奪われたものを取り返すという、そういう事だと思いますね。
だから子供たちに民族を吹き込むというそういう為に、学校が出来るのはね1946年9月。一番先に出来たのはね、今の高田の馬場。
ですから、早稲田の方に行くと、明治通りとぶつかってるとこありますよね。交差点。スワ町っていうんですね。そこにお寺があったんです。お寺の一角で始まったのが、民族学校の始まりです。そして一年の間にね、全国に広がります。そして最大525校、中学校は4校、まだ高等学校は出来てなかったと思いますが、青年学校14校、そして48年には高等学校も出来るんです。で民族教育が、、で学生数が6万人。」
「で、この時に日本政府がやったことは、朝鮮人は日本人と同じであると。だから日本人である以上、義務教育は日本の学校に通わなければならない。こういう変な理屈をつけて、これを潰すんです。これが48年朝鮮人学校事件という大騒動になった事件です。
だから日本政府は戦後、一番先にやったことは、、朝鮮人は日本国籍持ってましたよね。
で、貴族院にも衆議院にも議員を出してます。日本にいる朝鮮人は選挙権があったんですね。市会議員は多分かなりいた、、地方議員は。
ところが45年の12月の衆議院議員改正法これを作ると当分の間、朝鮮人は選挙権、、戸籍法の適用を受けざる者は、当分選挙権を停止するという変なことで、選挙権を奪うんです。
で、サンフランシスコ条約までは日本国内にいる朝鮮人は日本国籍なんです。法的にもね。ところがそうやって終わります。そのことはね、なんでこういうことをやったのかと。いうと当時、日本政府が無条件降伏の際に例外をひとつ付けました。
『国体の護持』、これを条件にしてましたね。そして、これは天皇制の問題です。
で、米軍はそれについて確約も何もしないで、占領しました。だけど、対日理事会ってのが、アメリカだけでなくて、ソ連もいたし、イギリスもいたし、オーストリアもいたし、オランダもいた。そういう中で、中国もいたし、一致できなかった。で、天皇制が維持できるかどうか分からないっていうんで、色々難しい問題があったようです。
そのときにね、日本の議会から天皇制廃止を言う議員が出たのでは身も蓋も無い。そういう意味での緊急避難。当時の朝鮮人、200万人位いましたからね。単純計算しても議員は5,6人でるんです。だからその危険を切ってしまえっていうのは、どうも真相のようです。
これは京都大学の水野ナオキさんって方が、あの時の強制文書・・??ですかあれのを調査した結果、そういう風に言っておりましたね。
ですから、都合が悪いのには外国人ですね。で47年の5月2日に、覚えといてくださいよ。外国人登録令ってのを出すんです。
外国人登録令ってのはね、最後の天皇の勅令です。新憲法が出来ると国民主権ですから、国会の法律じゃないと日本の法律はないんです。だけど戦前の法律は国会の法律より天皇の命令が優先するんです。これを勅令と言いますね。この最後の勅令が外国人登録令です。
そして当分の間朝鮮人は外国人とみなすというわけです。そして翌日の新憲法には国民はこの憲法の、、享受出来ると。(私は)外国人ですからね、憲法の適用外。勝手なことをどーんどんやってくるわけです。
だから、戦後特にね、サンフランシスコ条約以降、日本は戦争被害による、、あるいは国の政策の過ちによって受けた多くの犠牲。これに対して60いくつかの補償法案を出します。
一番いいのは遺族年金。色々あります。障害者年金とかね。全部出来る法律には、但し日本国籍を有するもの。朝鮮人は全て除外されます。
これが、これが戦後の差別の始まりです。
で、このことはね、どういうことを意味するかっていうと、戦争中は朝鮮人に戦争協力させるでしょ!? ですから法律の上においてはね、差別はそれほど酷くないんです。階級も同じだったし、選挙権もあったしね。要するに出来るだけ日本人と同じ。法律の上では。
差別と法律は違うんです。ああ偏見は違うんです。日本人は朝鮮はけしからん国だ。日本にいつも不平を持っている。という偏見はあります。クサイとかね。ニンニククサイとかね。そういう偏見はあります。だけど、法的にはそれほど差別は出来ない。
ところが、戦後になると偏見はそのままあるわけでしょ!? 偏見持ったヤツが差別をもった制度を手に入れるわけですからね、これはもう酷いもんです。
戦後は、私の実体験からいくと、朝鮮人はもうほんとーうに大変でした。ほっんとうに大変でした。それはもう本当に実体験です。
・‥…━━━・‥…━━━・‥…━━━
はい、戦後は皆大変でした。純日本人もそうです。私も祖母や伯母達に聞かされました。
客観的に理解しようとしてみても、敗戦したのだから、日本もいっぱいいっぱいだったと、容易に想像できます。
日本政府も戦中は朝鮮人を、同等にしていたし、戦後、朝鮮は独立したのだから、外国人になるのは当然だと思うのですが、なんで、日本の天皇制や天皇陛下の勅令にまで不満を言うのか分かりません。
次は最後のレポートですが、ますます訳のわからない主張です。
・・・つづく
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「計画的に帰そうという計画が何もなかった。」>>これ確か帰ってもいいですよっていう政策があったはずですよねー。しかもお金だすので、帰ってもいいですよって。それから「変なことで、選挙権を奪うんです。」も笑いました。w
そもそも日本人じゃなくて、帰ってもいいといわれてるはずなのに、この人たちの勝手な解釈によって帰ってないだけであって・・・もう在日特権なくしたほうがいいですよね。プンプン!w
投稿: とも | 2009年5月26日 (火) 08時44分
●とも 様
「変なことで、選挙権を奪うんです。」もそうだけど、
「朝鮮人は日本人と同じであると。・・・教育は日本の学校に通わなければならない。こういう変な理屈をつけて、これを潰すんです」とか
新憲法を「勝手なことをどーんどんやってくるわけです。」とか・・・
もう、何がなんだか・・・。
ここは日本なんだから、当たり前のことで、なんでこういう考え方になるのか理解不能・・・(苦笑)
はい、私も異常に勝手すぎる解釈だと思いましたよー。
投稿: さくら | 2009年5月26日 (火) 09時38分