菜月ブログ

好きなことを思い切り書いちゃうかもしれません。
身のほど知らずな言いたいことを思いきり言っちゃうかもしれません。
そんでもって、まれにみるど素人です。
かわいくないときも、多々あります。
よろしく~~


テーマ:
ピコちゃん見てるかな?

昨日お話したこと、ずっと考えてたよ~。

んとね。

多分、切なくなるのは。。。

「のんびり好きなことしなよ。」

って、言ってくれるやさしい旦那様の言葉通りに

好きな絵を選んだ結果、本当に素人じゃないピコちゃんから見たら

甘い世界じゃなかったから。。。かもしれないよ。

趣味っていう名目でも、同じだもんね。

それが報酬を得られるものであっても、そうでないものでも

人目に触れたら、口でごまかせない世界だものね。

 技術をレベル1から積み上げていかなくちゃいけないものと向き合うのに、

人生はもうレベル1ではない。それどころか思い通りに積み上げてきた自負もある。

 絵は趣味だからいいの~て言い聞かせても、

見ない振りしているどこかに、本当はもっとできるはず。とかさ

闇の中に、若いときからこれに集中していればもっと描けたはず。とかさ。

少なくとも今より才能を開花できたはずだという葬り去りたい真実もあって、

そうしなかったことを、いいわけする言葉もたくさん知っていたりする。

そして、そのいいわけが、とても世の中の理にかなっているから、

闇を組み立てる理屈が続かない。


 わたしからしてみたら、ピコちゃんの生き方は羨ましいよ?

きちんと家庭を守って、お仕事もして、お子様もおとなになったから、

もうゆっくりしてね。っていわれて、うれしいってゆってたもんね。

どこが切ないの?てやっぱり思ったよ。


けれど、きっと、自分がそうなったら、ネガティブでは

 弱くなった体で、今まで家族とか仕事を優先して
顧みなかった自分自身の内面と、今頃、向き合えって言うの?

それにまだ、家庭の主婦としての役割は終わってないのに?

て、なっちゃうのかもしれないって思った。

 不安定になるのは、まだそこの立ち位置が確立されていない時代だからで、

やっぱりピコちゃんはセレブなんだよ。

そこに立てたことはすごいことだと思うよ。

当たり前の流れにのってる人は、実は少ないと思うよ。

 ピグでもリアでも、自分自身しか大切なものがない人もいるけど、

ピコちゃんはそうじゃなかった。大切にしたい人たちに恵まれてきた。

多くの「おばさん」とか「ばばあ」といわれている大人の女性がそうだと思う。

たまたま、今の時点で、その世代の普通の女性の立ち位置が、プロデュースされていない

だけだと思う。

 多くの女性が、子育てを終えて、自分自身と向き合う時点がきても、

質のいい職業や能力を磨く場所に恵まれないまま、老後に突入していくのが

現実だと思う。社会がついてきていないんだと思う。

本当は女性にとって、いちばんいいときなのにね。

人間として、生き物として、恵まれていた結果それなら、やりきれないよね。

若いだけが認められるなら、18のキャピキャピたちは

0歳児に敬語使わないとねwwww。


 私には持病があって、そのときね。

人生を逆算するくせをつけたの。

自分が大きくなるまで20年。

それから、結婚して子育てに20年はとられる。

時間差を入れると、大人としての自分に正面から向き合えるのは50になってるって

ことになるんじゃないかと思った。

そして、絶対くる老後。たぶん70過ぎだと思う。

否が応でも人生のまとめに向かわないといけない。

自分は元気でも、その年代になると家族の健康も心配になる。

主婦なら、やっぱりまた家族に気持ちも時間もとられる。

てことは、50から70までの20年間。

そこが大人としての一個人としての本領発揮する期間ってことになる。

そこに行き着くまで、結婚や子育ても一通り、きちんとしてて、

仕事もしていて、社会的なスキルも充分だとしたら

豊かなものになるのは絶対だよね。

 ピコちゃんの年代は、大人の一年生だよ^^

わたし見ているよ。その20年を素敵に過ごせる人がたくさん増えれば

世の中はまたひとつ幸せになるような気がする。

 優しくて、懐が深い、人間になってね。

今まで耳にしたできない言い訳を軽く吹き飛ばしながら

きれいな心で自分の絵に正面から向かい合ってね。

「中途半端なの。」って、切なくなるきれいな心忘れないでね。

ゆっくりしてね。って意味はレベル1から向き合ったら、

ゆっくりに見えるって意味だよ。

止まれって意味じゃないもんね。


 「風と共に去りぬ」の2巻でね。

バリバリの実業家になったスカーレットが、仕送りをしている親戚のおばさんから

お小言をくらう場面があるの。

その叔母さんたちは、スカーレットには口うるさいけど、

スカーレットの仕送りで生活してるの。

いつもめっちゃお洒落してて、華やかなお茶会が大好きで

レッドバトラーとかのメンズの前では可愛らしくて、都合が悪いときは失神するのね。

 それでね。あるとき手紙の返事を書かないスカーレットを問い詰めにやって来るの。

スカーレットの邸宅に来て、豪華な食事会を開かせて

「この間、手紙で書いてあげた忠告は届いたのかしら?」

ていうの。

スカーレットはね。

「おば様たちの手紙は読まなくてもわかっています。

どうせ、もっと仕送りを。ですよね。」

って、言っちゃうのwwwwwww.

おば様たちは失神して、メンズたちがおば様を支えて気付け薬を嗅がせて

スカーレットの悪名は高まるばかり。。。

って場面があるのね。

でもね。

わたしも実は、女性に対して、似たようなことを感じるときがある。

この人は「たかる。」と「けなす。」の二つの機能で人生回してるなぁって。

なんていうかな。

いいとこ取りだけを狙って、他人と接してくるっていうか。

交流は、相手がたかれるか見定めるためっていうか。

若い子でも年配の方でも、年は関係なく、子供がいるとか、結婚してるとか、縁に恵まれないとか関係なく、そう感じてしまう人に出会うときがある。

 働けないから、そうなるのは仕方ないかもしれない。

自分の働いたお金で得る生活や、自分の魅力相応の評価より
豊かな生活をするにはそうするしかないのかもしれない。

自分のお金だけで暮らしている人「だけ」がエライって意味じゃないよ。

そうできる人はエライと素直に思うけど、暮らしを与えてくれる人に恵まれるのは

本当は素敵なことだと思う。

ただ、それを狙うのが見え見えだと、やっぱり、引いちゃう><

 浅ましさを恥と感じなくなったら、悲しいってわたしは思う。

みんながいいとこ取りを狙うのが当たり前で、できないのはドンくさいのかもね。


スポットライトに当てられてなんぼの時代に、

スポットライトが当たって当然の経歴があるのに

自分の中の未完成な部分に向き合うのは誰だって切ないよ。

切なくなるのは、浅ましく誰かに転嫁しようと思っていない証拠だと思うよ。


 スカーレットのおばさんも、スカーレットに感謝する奥ゆかしさがあれば、

滑稽さはなかったと思うの。

でも、おばさんの理屈では、「淑女」として生きていた自負があって。

髪を振り乱して働くスカーレットは自分より下劣で。

仕送りをもらわないといけなくても見下す存在で。

おばさまにとっては見下すべき年下の姪に仕送りをねだるという浅ましい行為を
することは当たり前でも
指摘されることは失神に値したのね。

あの時代には、逆ギレとか、そんな理論はないかもしれない。

でもね。

いちばん厄介なポイントは

自分がひどいことしてるのに、スカーレットが悪いって素直に思えたことだと思うの。

「叔母」なのに、スカーレットの気持ちを

少しも考えることはしなかった。

そこよね。

姪に生活をたかっている自分が切なくなったことはないと思う。


今でもそういう人はいるよね。

そういう人はきっと切なくなるヒマはないよ。

逆ギレを正当化したり、けなしたり、
たかれなくなった人を引きずり落すことに勢力使うか、
もしくは次にたかれる人を探さないといけないから、
忙しくなるだけだよね。

切なくなるって言うのは、きっと大事なことだと思うよ。

  

 年配の女性のキラキラ度は、まだまだだと思う。

若い子と同じレベル1のスタートラインに立ったとき、

若い子のがむしゃらさなんて、薄汚く見える。

そんなエレガントな大人の女性が増えていくと時代は変わると思う。

 でもきっと、失った部分も含めて等身大の自分に向き合うことにがむしゃらにならないといけないんじゃないかな。

追求するって言うか。

それが、エレガントの土台なんじゃないかなあ。


 

応援しているからね。

 これから女性がキラキラになる時代が、もうひとつ確立していくと思うよ。

後に続きたい人はたくさんいるんだから。


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