みなさまーこんにちはー(#⌒∇⌒#)ゞ
休業宣言してから、たった2日!!!!
やっぱやめられなかったのでした(#⌒∇⌒#)ゞ
そうそう、わたしは孤独なのです。
実名を出さないブログでしか言いたいことが言えない人なのです。。。。
引きこもりしてた2年間の前も何年も
わたしは自分の気持ちを言葉に出すことを憚られる暮らしに追い込まれていました。
不動産賃貸業界は、テナントさんに憐れまれるほど落ち込んでいました。
そう、「失われた十年」から脱却できずにいたのです。
口に出すのは、下手くそなビジネストーク。
覚えなくてはいけないたくさんの専門知識のほとんどは
実戦にそのまま使えるものではありませんでした。
相手の話を充分に聞いても、
こちらの話は聞いてもらえない(やってもらえない、やれる実力がない)落胆感。
その中で、できそうなことを探って指示。
そして、融資先銀行や公務員の横暴。
いつの間にか疲れ果て、
何がなんだか・・・いったい何をしたいのか・・・。
そんなときに東日本大震災がありました。
わたしは仙台生まれで、父は秋田、母は山形出身です。
両親は、デパートに勤めていた母を目当てに、父が毎日通うという強引なアプローチをした末
結婚したらしいですwwww.
当時、父は転勤族でした。
福島県の郡山市、宮城県の気仙沼市に移り住みました。
そう><被害の大きかったところばかりです。
何度もの転校に、わたしはいつの間にか誰にも心を開かないクセをつけました。
だから、仕事で心を開かなくても慣れていたのですが。
その地を知り、今も不動産に重点を置いて仕事をしているわたしにとって、
震災のあれだけの被害、そして福島原発は、息を止めるだけの衝撃がありました。
津波で押し流され、火災にあう。
その前の日まで考えもしなかったとんでもない映像。
テレビで映し出された場所は
マスコミやネットに取り残されていた
わたしの記憶の中でも、封印に近い形で忘れていた土地でした。
そんなことで心が止まるなんて
現地でがんばっている方々に比べればなんて甘い話なのでしょう。
泣いていても始まらないから仕事をしようと思っても、
大工さんも資材も、どうしても震災の被害地に持っていかれる。
うん。それだけならいいんだ。
いつか立ち直る。
わたしは実直で口数が少ない東北の人々の力を知っている。
実は東京もそれなりの被害があるのですが、被災地に比べれば言える筋合いじゃないし。
わたしができたのは、
本当に一般の被災者の元に届くのだろうか
また公務員や有力者優先になのではないだろうかと疑いながら
わずかなお金を募金箱に入れることだけでした。
けれど原発事故。
震災直後の雨の日、みんなずぶぬれで被害を確認していました。
そのあと。東京電力の社外秘として。
えっと、一般人には内緒で、電力会社社員と家族にだけ
「その雨は危険だから、当たるな。」と回したという噂が流れました。
みんな寡黙になりました。
東北では、地震と津波と火災の直後でお風呂なんかはいれるはずもないのに、
たくさんの人が雨に当たったのに、
「雨に当たった人がいたら、服を捨てて、お風呂にはいってください。」
とラジオで流れたそうです。。。
わたしの周りは放射能について表のニュースに出ないニュースや資料をしがみつくように調べ。。。
答えを出したと思います。
そして、笑って
「ふみかちゃん、仕事しよ?」といいました。
「ただちに健康被害はない。」=「ただちには」です。
話を戻しましょう。
父が退職し、何のあてもなくわずかな貯金だけを頼りに
上京したのは、わたしが小学5年のとき。
それからずっと東京に住んでいます。
両親が亡くなり、仕事を継ぎました。
ひどいことがたくさんあっても
この街が好きです(*⌒∇⌒*) 。
匿名だからこそリアでは言えないことも言えるのですよ^^
今頃、やっと心の震災処理しています(//・_・//)