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【あの人は今こうしている】

「ポーリシュカ・ポーレ」がヒット仲雅美さん

【芸能】

楽天SocialNewsに投稿!
2013年6月17日 掲載

「酒に溺れた生活が招いたんだろうな。肝不全が進行して、体を支えきれなくなってたんだ」


 1971年、木下恵介劇場「冬の雲」(TBS)でデビューし、挿入歌のロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」を歌って大ヒットさせたのが仲雅美さんだ。少女向け劇画から飛び出してきたような甘いマスクで女の子の胸を焦がしたものだ。今どうしているのか。

「10代でアイドル、30過ぎたらタダの人だね。34のとき、副業的にアメリカ映画の版権ビジネスを始めたんだ。それがつまずきのもとで、バブル崩壊に直撃され、抱えた借金3億円! 持ってた3軒のマンションを売り、有り金集めて……、気づいたら無一文になってた。と、同時に芸能界の仕事もどんどん減ってさ」

 地下鉄・人形町駅に近い喫茶店で会った仲さん、まずはこういった。美少年の面影は薄れ、着古したシャツにジーパン姿だ。

「ハハハ、この汚れたシャツこそ今のオレの勲章なんだ。いろんな工事現場に立って、交通誘導の警備員をやってるんだよ。週に5日、1日8時間から9時間働いて、月給10万円くらいかな。独り身だし、会社の寮住まいだから、ぜいたくしなきゃ楽勝だね」

 足立区内にある警備会社の寮の家賃は、光熱費込みで月3万5000円。

「1.5畳の猫の額ほどの部屋だけど、不満はない。病気して何度か死にかけた結果、物欲はすっかりなくなったね」

 最初は42歳のとき。

「酒に溺(おぼ)れた生活が招いたんだろうな。歩道橋を上がり切ったところで、地上まで転げ落ちた。肝不全が進行して、体を支えきれなくなってたんだ」

 また、肝不全の治療薬の副作用で腎不全を発症。

「あと2日の命、って場面もあったらしいよ。意識を失って51日目に奇跡的に目覚め、担当医は仰天したそうだ。それからしばらくはリハビリ生活を送り、妹の不動産業を手伝ったりしていた。4、5年前からだよ、もう一度芸能界で仕事したい、と思うようになったのは」

 3年前には「大マジメで」、東京ディズニーランドのダンサーオーディションを受けた。

「5歳から日舞を習い、朝丘雪路さんの踊りの会に出たこともある。自信満々だったのに、見事落っこちちゃった、ハハハ」

 そんな仲さんに仕事が舞い込んだのは去年。熊本・天草の港町が舞台の大竹しのぶ主演の映画「女たちの都~ワッゲンオッゲン~」で40年ぶりにスクリーン復帰を果たした。

「オレの役は町の産婦人科医。チョイ役だったけど、とにかく新鮮、気持ちが高ぶった。もっともっとやりたいねえ」

 今秋、東京・シネスイッチ銀座、大阪・梅田ガーデンシネマなどから順次公開予定だ。
 バツイチ。NTTドコモに勤める35歳の一人娘がいる。

「離婚したとき、“ごきぶりホイホイみたいな家に、パパが入ってないと面白くない!”って泣いてくれたかわいい娘でさ。還暦のとき、初めて持った携帯が、アイツからプレゼントされたスマホ。それで連絡取り合ってる」

 最後にアイドル時代のエピソード。マルベル堂のブロマイド売り上げで仲さんは5位。4位が自殺した沖雅也だった。

「沖君とオレはソックリだって騒がれたんだ。沖君が亡くなったとき、ウチに香典が届いた。あれには驚いたね」

 6月26日、歌手時代の音源がMEG―CDから復刻発売される。
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