歴史を通して、「戦争」は人間の生命を奪うだけでなく、人間の尊厳を剥奪する機会を提供している。
ロシアの《ウネン紙》は、第2次大戦中のドイツ軍の後方部隊は、前線に対する供給を厳格に守ることに定評があった。さらにドイツの軍の指揮官達は、戦地慰安婦システムを確立して、兵士の士気を維持に役立てたと記している。
ドイツは第一次世界大戦の戦場で、大量の移動戦地慰安所を創立した。戦争勃発後にこのシステムは更に整備され、ドイツ後方勤務部門の重要な構成部分となった。
第2次大戦中には、ドイツ軍はすべての占領地域で戦地慰安所を創立した。これらの慰安所には、5人〜20人の慰安婦が配置された。彼女たちの作業はドイツの将校・士官と一般兵士を受け入れ、彼らの欲求に答えた。軍の規定では、慰安所の女性は毎週600人のドイツ軍将兵を受け入れるノルマを果たすと、ようやく給料の全額を支給された。
●3階級あった慰安所
記事には、ドイツの戦地慰安所は3つの等級に分けられたとある。規定では、1等の慰安所は将校・士官が対象で、慰安婦1人に平均50人の将校・士官を受け持った。2等の慰安所は普通の士官が対象で、1人75名の士官を受け持った。3等は一般兵士が対象で、1人100人の兵士を受け持った。また兵士は、慰安所での関係を持もたなければ、軍側の懲罰を受けたという。一般兵士は毎月慰安所に6回入る機会があった。
●慰安婦の現地調達と衛生管理
戦争の進展に従い、ドイツ軍は多くの領土を占領したが、ナチス政府は十分に愛国心のあるドイツ人慰安婦を供給できなくなってきた。そこでドイツの占領軍は、占領区の女性を戦地慰安婦にすることを試み、他国の女性を強制するようになった。
ドイツ軍の戦地慰安所の目的は兵士の士気の維持と、もう一つは軍隊での性病伝播の予防にあった。ドイツ軍指揮官は、戦地慰安所で予防措置をとれば性病の伝播を防止できると考えた。性病の伝播は軍の大きな問題の一つであった。たとえばハンガリーでは、性病のためドイツ軍の戦力を失い、戦場での死傷者の上位を占めた。
そのため、性病に対する防止措置に力を入れ、すべての戦地病院で管理を行った。もちろん、戦地慰安所での衛生管理も徹底した。兵士は慰安所に入る前に、健康診断を強制された。それから兵士はコンドーム3個と消毒粉を受け取る。そのあと入浴して、渡された消毒粉を生殖器に振りかける。これをすませるとやっと慰安所に入る許可が得られる。行為が終わると、兵士と慰安婦は番号札の上に名前と日付を記入して、今後の調査に備えた。
ドイツ軍の戦地慰安所は性病の予防に一定の効果を果たした。しかし第二次大戦中に、イギリスのスパイが戦地慰安所に侵入し、ドイツ兵士の使うコンドームを汚染させ、たくさんの兵士が性病に感染したという記録もある。
●ドイツ軍の売春施設
第二次世界大戦下のドイツ軍の売春宿は、第三帝国が占領したヨーロッパの多くの都市に建てられた。
これらの売春宿は一般に、既存の売春宿を使って設置された。
1942年までに、この種の軍の売春宿が、ナチに占領されたヨーロッパにおよそ500ケ所あった。
しばしば没収されたホテルに設置され、ドイツ国防軍によって警備されたこれらの施設は、旅行中の兵士と休暇で前線から離れた人々が利用した。
それらに加え、占領地のヨーロッパ人女性、少なくとも34,140人が売春婦として、強制収容所の売春宿に勤めることを強制された。
東ヨーロッパの多くのケースでは、被害者の女性はドイツ軍に占領された都市の通りで、ドイツ軍やドイツ警察によって誘拐されたものである。(写真1941年のワルシャワでの大量誘拐)
亡命中のポーランド政府の外務省は、1941年5月3日に文書を交付した。それには、ポーランドの都市で売春宿での性的奉仕のために、ドイツ兵士と警官が若い女性たちを大量誘拐する事実を記述した。
同時に、15才くらいの若いポーランドの女性は、ドイツの兵士の性的奴隷としてドイツに送られるか、兵士の戦場に送られた。
出典 「大家故事·天下事」(2007年第8期)、"German military brothels in World War II"(Wikipedia英語版2013.5)