公開聖書講演35:No.2【あなたは終わりの日を生き残る者となりますか?】

公開聖書講演:
No.2【あなたは終わりの日を生き残る者となりますか?】
2013-7/21 Ni/Syo Ka.Ni


自動車を運転している時、、、「スピード落とせ!」や「歩行者注意!」の看板が立っているのを目にする。


これは一種の警告となっている。

交通標識、信号、警告に従うなら、命が助かる。

薬品、危険物の容器に警告が書かれている。この警告に留意する事により、命が助かる。


聖書にも警告がある。
聖書を無視する事は危険。


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あなたとあなたの愛する人はどうだろうか?

この点で、西暦1世紀のユダヤ人を考える事が出来る。

当時のユダヤ人は、1世紀の終わりの日を生き残る事に関心があった。

バプテストのヨハネ、イエス、イエスの弟子達は、ユダヤ人に警告していた。

ルカ19:43,44
43あなたの敵が,先のとがった杭で+まわりに城塞を築き+,取り巻いて+四方からあなたを攻めたてる+日が来るからであり,44 彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ+,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう+。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです+」。


イエスは、ユダヤ人たちが敵(ローマ軍)によって、滅ぼされる事を警告している。

その理由として、ユダヤ人達は警告に注意しなかった為、滅びた。

西暦1世紀の出来事を調べて、そこから、私達に対する教訓を学ぶ。


ユダヤ人達は、警告を知っていた。

エホバは、ユダヤの終わりを明確に予告していた。


ダニエル9:25
25 そして,あなたが知り,また洞察するべきことであるが,エルサレムを修復して建て直せ+という言葉が発せられてから+指導者+であるメシア*+までに,七週,そしてさらに六十二週があるであろう+。それは元どおりにされ,公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが,それは苦境の時になされるであろう。



7週と62週がある。合計69週。

エホバは、ユダヤ人の終わりをメシアと結びつけて警告している。

26,27節を見ると、荒廃、絶滅という言葉がある。

ユダヤ人達は、メシアが救いにくる事を期待していた。

そして、メシアは西暦29年にきた。


ダニエル9:26,27
26 「そして,その六十二週の後にメシア*は断たれる+。自らのためには何も*持たないであろう+。
「そして,その都市と聖なる場所+とは,やって来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる+。それで,その*終わりは洪水によるものとなる。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である+。

27 「また彼は多くの者のために*一週のあいだ契約+の効力を保たねばならない*+。そして,週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる+。
「また,嫌悪すべきものの翼*の上には,荒廃をもたらす者がいるであろう+。そして,絶滅に至るまでは,定められている事柄が,荒廃に横たわるもの*の上にも常に注ぎ出される*であろう+」。



ユダヤ人達は、終わりの日に入っている事を当然、悟るべきだった。



マタイ23:37,38
37 「エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し+,自分に遣わされた人々を石打ち+にする者よ+―わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように+。しかし,あなた方はそれを望みませんでした+。
38 見よ,あなた方の家+はあなた方のもとに見捨てられています+。



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イエスは、ハッキリとユダヤ人の事物の体制が滅びる事、そして、警告を与えている。


マタイ24:1〜8


[1〜6節は省略。
ブログの許容文字数の関係上。]


7 「というのは,国民は国民に+,王国は王国に敵対して+立ち上がり*,またそこからここへと食糧不足+や地震+があるからです。

8 これらすべては苦しみの劇痛の始まりです。


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食料不足、戦争が起きる事が予告されている。

マタイ24章で、イエスが述べた事柄は、ペンテコステの日。

ペテロは、使徒2章で、ペンテコステの事について書いている。


使徒2:12
12 確かに,彼らはみな非常に驚き,また当惑して,「これはどういうことなのか」と互いに言い合った。


人々は、ペテロに尋ねている。

それに答えて、ペテロは、16,17節で、、、

使徒2:16,17

16 それどころか,これは預言者ヨエルを通して言われた事柄です。

17 『神は言われる,「そして終わりの日に,わたしは自分の霊*の幾らかをあらゆるたぐいの肉なる者の上に*注ぎ出し+,あなた方の息子や娘たちは預言し,あなた方の若者たちは幻を見,老人たち*は夢を見るであろう+。



ペテロは、その時代が終わりの日に入っていることを示している。


エホバ、イエス、ペテロの予告。

ユダヤ人達は行動して生き残るべきであった。


西暦66年に、ケスティウス・ガルス将軍の軍隊がエルサレムに来る。

そして、一度、撤退する。

西暦70年、ローマ軍は、再び戻ってきて、エルサレムを包囲した。

今度こそ、終わりの日となった。

多くのユダヤ人は、終わりの日の預言を無視した。

ユダヤ人達は、預言に対して行動すべきであった。

ここで、幾つかの質問を考える。

1世紀に起きた事は、今日にも当てはまる出来事だろうか?


この質問について考える。

マタイ24章の記述、、、つまり、イエスの述べた出来事は、小規模に成就していた。

しかし、世界的な規模の戦争、また、マタイ24:14節に記されてある、全地で宣べ伝える業。

1世紀当時、これらはまだ残っていた。

また、啓示6章に記されている、貪欲や不正、戦争、、、。


マタイ24章や啓示6章の詳細は、一致があり、イエスの述べた事柄は、さらに将来、見られる事になる。


では、マタイ24章の2回目の適用はいつだろうか?


マタイ24章は、今日、主要な成就を見ている。

二度の世界大戦、食糧不足、地震、宣べ伝える業。





これらは、今、見られていると、エホバの証人は理解している。


そして、、、、

終わりの日は、私達にとって何を意味しているか?


という質問がある。


テモテ第二3:1〜7
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には+,対処しにくい危機の*時代が来ます+。

2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な*者,冒とくする者*,親に不従順な者+,感謝しない者,忠節でない者+,

3 自然の情愛を持たない者+,容易に合意しない*者+,中傷する者*+,自制心のない者,粗暴な*者+,善良さを愛さない者+,

4 裏切る者+,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者+,神を愛するより快楽を愛する者+,

5 敬虔な専心*という形を取りながら+その力において実質のない者+となるからです。こうした人々からは離れなさい+。

6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み*+,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ+,

7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです+。



終わりの日には、対処しにくい危機の時代がくる。

自称クリスチャンや背教が起きる。

この預言、、、これは、本当に今の時代に当てはまると言えるのか?


イエスの語られた例えを考える。

それは、小麦と雑草の例え。


マタイ13:24〜30
24 [イエス]は彼らに別の例えを示してこう言われた。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになりました+。

25 人々が眠っている間に,その人の敵がやって来て,小麦の間に雑草*をまき足して去りました。

26 葉が生え出て実を生み出すと,その際に雑草も現われました。

27 それで,その家あるじの奴隷たちがやって来て言いました,『ご主人様,畑にはりっぱな種をおまきになったのではありませんでしたか+。それなのに,どうしてそこに雑草が生えてくるのでしょうか+』。

28 彼は言いました,『敵である人がそれをしたのだ+』。彼らは言いました,『では,わたしどもが行ってそれを集めることをお望みですか』。

29 彼は言いました,『いや。雑草を集めるさい,小麦も一緒に根こぎにすることがあってはいけない。

30 収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい。収穫の季節になったら,わたしは刈り取る者たちに,まず雑草を集め,焼いてしまうためにそれを縛って束にし+,それから,小麦をわたしの倉に集めることに掛かりなさい,と言おう+』」。



小麦と雑草、、、。


収穫の時まで、両方、成長させる。


マタイ13:37〜
37 [イエス]は応じて言われた,「りっぱな種をまく者は人の子です。

38 畑は世界です+。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者+の子たちであり,

39 それをまいた敵は悪魔です+。収穫+は事物の体制*の終結*+であり,刈り取る者はみ使いたちです。

40 それゆえ,雑草が集められて火で焼かれるのと同じように,事物の体制の終結のときにもそのようになります+。



イエスは、この例えを詳しく説明している。


「立派な種」は、油注がれたクリスチャン。

「雑草」は、邪悪な者たち。(偽クリスチャン)


十分に成長する事を許される。

収穫の時まで放置される。

収穫のときには、容易に見分けがつくようになる。(真のクリスチャンと自称クリスチャン)



この邪悪な体制の集結の時、この終わりの日に収穫がなされる。


講演の主題は、【あなたは終わりの日を生き残る者となりますか?】というもの。


ペテロ第二3:3,4
3 というのは,あなた方はまずこのことを知っているからです。つまり,終わりの日には+あざける者*たち+があざけりを抱いてやって来るからです。その者たちは自分の欲望のままに進み+,

4 「この約束された彼の臨在*はどうなっているのか+。わたしたちの父祖が[死の]眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか+」と言うでしょう+。



西暦70年の時もそうだが、あざける者が、この終わりの日には多くいる。


ペテロ第二3:10,11
10 しかし,エホバ*の日+は盗人のように来ます+。そのとき天は鋭い音とともに+過ぎ去り+,諸要素*は極度に熱して溶解し*+,地+とその中の業とはあらわにされる*でしょう+。

11 これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,



聖なる行状、敬虔な専心によって生き残る。


聖なる行状は、高い行動が求められる。

敬虔な専心は、王国の業に熱心にあずかること。



私達は、今、終わりの日が来る事を信じ、熱心に宣べ伝えているだろうか?


私は今、終わりの日であることが現在と将来の生活にどのように影響するだろうか?

と自問できる。



少し、例で考えてみよう。

ここにコップと水がある。

⑴コップにほんの少し水を入れる。

降ってもこぼれない。


⑵コップに6分目の水を入れる。

振ってもこぼれない。


⑶コップに7分目の水を入れる。

あまり振ると水がこぼれる。


⑷コップに、8分目、9分目と水を注ぐ。

少し降ると、水がこぼれる。


⑸これ以上、水を入れて、表面張力を超えると、、、水はあふれてしまう。



水が溢れてしまうといけないので、私が飲む。
(笑)^_^ ^_^ ^_^



コップの中にある水は、心の中にあるもの。

それが、霊的なもので溢れているなら、良い実を結ぶ。



雑誌をたくさん読んでいる。

「区域でこう宣べ伝えたい。」という言葉が出るかもしれない。



この世のもの、、、儲かりそうな儲け話、それが、心の中に表われるなら注意が必要。


イエスの言われたように、自分の心を確かめる。心の状態をいつも確かめる。


結びに、ペテロ第二3:14を読んでみる。


ペテロ第二3:14
14 それゆえに,愛する者たちよ,あなた方はこれらのものを待ち望んでいるのですから,最終的に汚点もきずもない+,安らかな者として見いだされるよう力を尽くして励みなさい+。



私達は、今でも、驚くほど豊かな祝福を得ている。

自分の行動、態度を吟味し、明確な行動をとる。

そして、終わりの日を生き残る。


ここにいる皆さんが、終わりの日に堅く立ち、生き残る者となるよう、努力してまいりましょう。



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公開聖書講演34:No.68【あなたは憤りを宿しますか?それとも、人を許しますか?】

公開聖書講演No.68
【あなたは、憤りを宿しますか?それとも、人を許しますか?】
2013-7/21

Ka/Ari Hi.Ike



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あんな事を言わなければ良かった。
あんな事をしなければ良かった。

そう思う時があるかもしれない。


また、誰かから、無下に扱われたり、不当に扱われる。


そんな時、私達はどうすべきか?

そうした時、腹を立てたり、憤りを宿すだろうか?

どうすれば、ぬぐい去る事が出来るだろうか?

この点で、エホバの見方に倣う。
全ての人に当てはまる共通の見方がある。



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伝道7:20
20 常に善を行なって罪をおかすことのない義なる者は,地にひとりもいないからである+。


全ての人は過ちを犯しやすい。不完全である。

完全な人はいない。他の人にも完全さを求めるべきではない。


また、他の人の言動につまずく可能性もある。

自分の落ち度を小さく見て、他の人の落ち度を大きく見る傾向にある。


フィリピ2:3
3 何事も闘争心+や自己本位の気持ち+からするのではなく,むしろ,他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち+,


このように聖書は、謙遜になり、他の人が自分より上であるように考えるよう勧めている。


高慢さ、誇りをもつと、どうだろうか?

他の人に、配慮すら出来なくなる。

この点で、エホバは、良い手本を残している。

実際、どんな事が出来るだろうか?


エホバは、私達のとがのために憤る。

私達は、罪のため、逸れていく傾向にある。


詩編103:9
9 [神]はいつまでも過ちを捜しつづけることも+,
定めのない時に至るまで憤慨しつづけることもない+。



エホバは、いつまでも過ちを探し続けない。
エホバは、義憤を持つかもしれないが、憤慨し続ける事はない。と書かれている。


あの時はこうだった。とエホバは憤りを抱き続ける事はない。

エホバは、優れた特質を反映している。

私達の生存は、エホバにかかっている。

エホバは、どのように実行してきただろうか?

エホバが進んで許された聖書中の実例がある。

それは、マナセ王に関して。

歴代第二33:10〜13
10 そこで,エホバはマナセとその民に語り続けられたが,彼らは注意を払わなかった+。

11 ついにエホバはアッシリアの王+に属する軍の長たちをこれに攻め来させられたので+,彼らはマナセをくぼ地で捕らえ+,二つの銅の足かせでつないで+,彼をバビロンへ引いて行った。

12 けれども,これが彼を悩ませるや+,彼はその神エホバの顔を和め+,その父祖たちの神のゆえに大いにへりくだるのであった+。

13 そして,彼は[神]に祈り続けたので,[神]は彼の願いを聞き入れ+,恵みを求めるその願いを聞いて,彼をエルサレムに,その王位に復帰させられた+。こうして,マナセはエホバこそ[まことの]神であることを知るようになった+。


マナセは、甚だしい罪によって、エホバを怒らせる。それでも悔い改めた。

偽りの神のための祭壇を築く。
また、息子を犠牲にした。
心霊術を行ない、エルサレムに彫像を置く。

エホバに警告されても、それを辞めなかった。

しかし、マナセは、大いにへりくだり、神に許しを求め続けた。

こうした記述を考えると、エホバは、心よく許される神である事を知れる。



パウロは、どうだろうか?

パウロ自身、罪人の際たる者と述べた。
しかし、後に許され、エホバに大いに用いられた。

エホバは、憤りを宿す神ではない事を知る事が出来る。

それで、私達は、エホバに倣う事が出来る。

他の人の言う事にすぐに腹を立てる事がないようにしていく。

伝道7:20〜21
20 常に善を行なって罪をおかすことのない義なる者は,地にひとりもいないからである+。
21 また,人々が話すかもしれないすべての言葉に心を向けてはならない+。あなたの僕があなたの上に災いを呼び求めているのを聞かないためである+。
22 あなたの心は,あなた自身も幾度となく他の者たちの上に災いを呼び求めたことを知っているからである+。



22節を見ると、自分も時には他の人を怒らせてしまう。

悪質なものは、聖書的に動く必要がある。

しかし、小さな事は少し待つ。また、考える。

自分の事を間違えて伝えられても、腹を立てる必要はない。

その点で、イエスは、模範を残している。


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マタイ11:19
19 人の子が来て食べたり飲んだりすると+,『見よ,食い意地の張った,ぶどう酒にふける男,収税人や罪人たちの友』と言います+。しかしやはり,知恵はその働きによって義にかなっていることが示されるのです+」。



人々は、イエスの評判を落とそうとした。あたかも大食家であると述べていた。

しかし、イエスは、「知恵はその働きによって義にかなっている事が示されるのです。」と述べ、自分の行ないによって、明らかにされる事を証明していく事が出来る。


時間が経つごとに誤り伝えられる事、間違って伝えられる事も、やがて消えていく事になる。


ここまでで、幾つかの手本について考えることが出来た。


皆さんには、対人関係の問題があり、親しい人に打ちあけたりする。しかし、後に、他の人がその問題について知っている事がある。


そうした時、どうするだろうか?

絶交しようと思うだろうか?


箴言19:11
11 人の洞察力*は確かにその怒りを遅くする+。違犯をゆるすのはその人の美しさである+。



洞察力を抱くように勧められている。

考えが足りなかったり、もしかして誤解かもしれない。さらに、役立つアドバイスを求めていったのでは?

と考えることも出来る。

その事を伝えたのは、その人だったのだろうか?

と考える。

性急に判断せず、少し考えて、洞察力を示していく。

逆に憤り、怒りを募らせるならどうだろうか?

他の人に敵がい心を宿してしまう。

その人を嫌になってしまい、憎しみに変わる場合がある。

そのような状況におかれたなら、どうするだろうか?



憤りを宿すだろうか?

それとも、、、

許すだろうか?


自分の霊を制御していかないなら、いずれ罪を犯すかもしれない。

夫婦間、家族間、会衆内での親密さを崩壊してしまうかもしれない。



憤りを宿すのではなく、すぐに許す。

そのためにどうすべきか?

他の人に対する愛を表す。

すぐに許す事、心の広さを示す事には、真の愛が試される。

親しい人に対する、また、仲間に対する真の愛があれば、それを克服出来る。


結婚とは、許しあうことに長じた二人の人の結びつき。

思いどおりにいかない。配偶者が罪を犯す事はありえる。

しかし、許すなら、幸せな結婚生活をおくれる。


会衆間でも、些細な事は許す。

そして、その人との良い関係を保つ。

悪行を犯した人についてはどうだろうか?

その人に対しても、許す態度を示す。



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コリント第二2:5〜11
5さて,もしだれかが悲しみをもたらしたのであれば+,その人はわたしをではなく,あなた方すべてをある程度―わたしの言うことが厳しすぎないようにしているのですが―悲しませたのです。

6 そのような人にとって,大多数の人から与えられたこの叱責+は十分です。

7 ですから,今はむしろ,親切に許して+慰め,そのような人が過度の悲しみに呑み込まれてしまうことのないようにすべきです+。

8 それで,あなた方が彼に対する愛+を確証するように勧めます。

9 わたしはこのためにも,つまり,あなた方がすべての事において従順であるかどうか+,その証拠を確かめるためにも[こう]書くのです。

10 何かについてあなた方がだれかを親切に許すなら,わたしもそうします+。事実,わたしについて言えば,自分が親切に許したことが何であれ,もしわたしが何かを親切に許したのであれば,それはキリストのみ前においてあなた方のためになされたのです。

11 それは,わたしたちがサタンに乗ぜられることのないためです+。わたしたちはその謀りごとを知らないわけではないのです+。



真に悔い改めた人に対する接し方はどうか?

親切に接し、愛を確証する仕方で接する。

復帰してきたなら、心よく許す。そして行動で表わす。


許すこと、とりわけ、すぐに許すことを学んでいく。

○洞察力が必要。

○ただちに解決する。

すぐに行動しないなら、エホバが心よく思わない。

単に許すのではなく、忘れていく。

帳面につけているわけではないが、

「あの時はこうだったじゃないか?」

と言わず、

許したなら、すぐに忘れる。


許すなら、エホバの道を歩める。


さらに行なう事として、憤りを宿す人との交友を避ける。


そうした人との交友は、罪を犯すものとなる。

許す点でエホバの手本に倣う。

エホバなら、どう行動するだろうか?と考える。

ここまでで、憤りを宿すことなく、許すことを考えることが出来た。


これからも、隣人との良い関係を保つため、どのようにすべきか、互いに許すようあらゆる努力をはらっていく。



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公開聖書講演33:No.28【結婚生活の中で敬意と愛を表わしなさい】

公開聖書講演:No.28
【結婚生活の中で敬意と愛を表わしなさい】2013-7/28
Ni/Syo
Tsu.So


結婚している人は、配偶者が気がかりになる。

奉仕中、あるいは、仕事中、、、気になる。

夫婦は、配偶者同士の互いの関係だけでなく、エホバとの関係を培うため、懸命に努力する。


エホバ神は、結婚生活を成功させる鍵を聖書に示している。


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それは、敬意と愛。


敬意と愛は、結婚生活を成功させる上で重要。


夫あるいは妻は、配偶者からの敬意を得たいと思う。

しかし、敬意は、要求するものではない。

心からの敬意は、勝ち得るもの。

この点で、イエスを思いおこす。



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イエスは、立派な教え方によって、敬意を勝ち得ることが出来た。


では、私達個人は、敬意を得るため、どう行動出来るだろうか?


結婚生活に関連し、夫の役割を考える。


エフェソス5:33
33 とはいえ,あなた方一人一人も,それぞれ自分を[愛する]ように妻を愛しなさい+。一方,妻は夫に対して深い敬意+を持つべきです。


後半部分にあるように、妻は夫に対して深い敬意をもつべき。


夫の役割は、3つある。

①頭の権を正しく行使する事によって



聖書の中には、頭の権という権限がある。夫婦の中では夫に権限が与えられている。


家族の秩序を推し進めるため、正しく行使し、敬意を勝ちとる。


この点で、エホバ神とイエス・キリストは権威を正しく行使するよう勧めている。


エフェソス5:25
25 夫たちよ,妻を愛し続けなさい+。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡された+のと同じようにです。


頭の権威をどのように行使すれば、良いだろうか?

キリストの頭の権は、、、
⑴愛にあふれたものだった。

また、自分を差し出す、、、
⑵自己犠牲的なものだった。


夫は、物事を決定する前に、キリストに倣い、

⑴愛を示す。

妻に対して、、

⑵自己犠牲を示す。


次に考える分野は、、、


②一家の良い働き手となること。


テモテ第一5:8
8 当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者+に必要な物を備えない人がいるなら+,その人は信仰+を否認していることになり+,信仰のない人*より悪いのです。


夫は、生活物資を稼ぐ。しかし、単に稼ぎ頭となるだけのものではない。


テモテ第一6:8
8 ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです+。



物質主義に陥るべきではない。

17〜19節にあるように別の平衡を保たなければならない。

テモテ第一6:17〜19

17 今の事物の体制*で富んでいる人たち+に命じなさい。高慢に*なることなく+,また,不確かな富にではなく+,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神+に希望を託すように。

18 そして,善を行ない+,りっぱな業に富み+,惜しみなく施し,進んで分け合い+,

19 自分のため,将来に対するりっぱな土台+を安全に蓄え+,こうして真の命をしっかりとらえるようにと+。


夫は、物質も備えるが、霊的なものも備える。

そうするなら、良い働き手となり、妻の深い敬意を勝ち得る。



③弱い妻である女性に誉れを配する

ペテロ第一3:7
7 夫たちよ,同じように+,知識にしたがって+[妻]と共に住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい+。あなた方は,過分の恵みとしての命を[妻]と共に受け継ぐ者でもあるからです+。[そうするのは,]あなた方の祈りが妨げられないためです+。


この聖句は、弱い妻である女性に誉れを配するよう、勧めている。


これは、宅急便に例える事が出来る。

宅急便は、取り扱いを大切にしなければならない。

「取り扱い注意」のシールなどを貼ってある場合もある。

同じように女性は、弱い器として扱うべき。

女性の造りを理解し、扱う。

女性の造りは、繊細。

また、女性は、出産の賜物がある。

そして、力に限界があり、緊張したりする日がある。

どの日も同じように扱うのは良くない。

どの日も同じように扱うなら、まさに無知と共に住む事になる。


妻には、別の面の繊細さがある。

女性は、必要とされたい、話しかけられたい、愛されている。と願っている。

その必要を、夫は理解する。


「感謝しているよ。」
「愛しているよ。」

と言葉をかけているだろうか?


「今、何してる?」
「こういう事があったよ。」

と、メールを送ったり、言葉をかけているだろうか?


そっと触れ、愛しているという以上の感情を表わす。


この点で、結婚して35年以上経っていたイサクを考える事が出来る。

イサクは、女性に対する愛情深い人だった。

イサクは、ある時、妻の美貌ゆえ、ある王に、妻を「自分の妹だ。」と言ったが、イサクの妻に対する深い愛情を見て、王は、「イサクの妻だ。」と言い当てた。

イサクのように妻に対する深い愛情を表わす。



次に妻について考える。


①良い助け手となる事によって。


妻は、夫の決定を支持する。

夫が、仕事を変える、住む場所を変える、その他、小さなもの、大きなものを支持する。

多くの場合は、小さなものだが、、、支持する。

夫が、「この時間に帰ってくる。」「いついつに帰ってくる。」という事も支持していく。


妻は、自分も訓練していく。
洗濯、料理、子供を育てる、家庭のやりくり、、、etc、、、。

1つ1つに精通し、勤勉である。


箴言31章には、有用な妻について述べられている。


箴言31:27
27 彼女は自分の家の状態を見守っており,怠惰のパン*を食べない+。

と書かれている。


②???


③外見に心を配るが、最も大切な飾りは、心の性質

箴言31:30
30 麗しさは偽りであることがあり+,美しさもむなしいものとなることがある+。[しかし,]エホバを恐れる女は自分に称賛を得る+。



妻は、内面を培っていく。

妻は、夫の場合と同様に、性に関する事に駆け引きするような事をせず、思いやりを示す。


妻が避けるべき落とし穴がある。

何が落とし穴になるだろうか?

この点、二人の女性の示した態度の影響を考える。



⑴泣きつく

裁き人14:16,17
16 そのためサムソンの妻は彼に泣きついて+こう言いだした。「あなたはわたしを嫌っているだけです。そうです,愛してなどはいないのです+。あなたがわたしの民の子らに掛けたなぞ+がありましたが,わたしにそれを教えてくれませんでした」。そこで彼は言った,「どうして,わたしの父や母にも話していないのに+,それをお前に話すべきなのか」。

17 しかし,ふたりのための宴会が続いた七日のあいだ彼女はずっと泣きついてくるのであった。それで七日目になって彼はついにそれを告げた。彼女がしきりに迫ったためであった+。それで彼女はそのなぞについて自分の民の子らに告げた+。



サムソンに泣きつく。7日の間、泣きつく。

サムソンは、こらえなくなり、秘密を明らかにした。

泣きつく行為は、夫からの敬意を失う。



⑵小言を言う

裁き人16:16
16 そして彼女が終始言葉で言い迫って+,しきりにせがんだため,彼の魂もこらえ切れないで死ぬほどになった+。



言葉で言い迫ってくる妻。

小言を言う妻は夫の愛を失う。



さらに考える事として、自分の話し方。

どんな話し方を避けるべきか?

冷たくケンカ腰、剣で刺すかのように無思慮に話す。あるいは、だんまり戦術、つまり無口になる。または、詮索好きな態度を表わす。

これらは避ける。


また、未信者の夫をもつ妻は、奉仕だからと考え、むやみに夫に語らない。

夫は、「それは良いから。」と述べるなら、妻は自分の良い行状によって、証言する。


ここまでで、夫、そして、妻は、どのように行動出来るか?

考える事が出来た。



次に、愛の点で互いに成長するために何が出来るか?

を考える。


コリント第一13:4〜8
4 愛*+は辛抱強く+,また親切です+。愛はねたまず+,自慢せず+,思い上がらず+,
5 みだりな振る舞いをせず+,自分の利を求めず+,刺激されてもいら立ちません+。傷つけられてもそれを根に持たず+,
6 不義を歓ばないで+,真実なことと共に歓びます+。
7 すべての事に耐え+,すべての事を信じ+,すべての事を希望し+,すべての事を忍耐します+。
8 愛は決して絶えません+。それに対し,預言[の賜物]があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます*+。



愛は、深みのある特質。

色々な特質と関連している。

愛の点で成長する余地がまだまだ残されている。

1つ残らず守れている人は、誰もいない。

愛の点で成長すべき。

辛抱強さを示しても、傷つけられたら根にもつだろうか?

考え深い人かもしれない。しかし、刺激されるといら立つだろうか?



愛は、筋肉に似ている。

使えば強くなる。使わなければ、退化する。

愛の様々な部分を体の各部に据えて、全身を鍛える。


愛は、他にも例えられる。

衣服に例えられる。

衣服は、無数の細かい糸の縫い目から成る。

幾つもの縫い目によって、簡単に破れない。

愛も同じ。

愛の9つの定義を日常生活の中で積み重ねる。

愛の定義を当てはめ、強力な愛を培い、示すようにしていく。


夫は、敬意を表わす。給料を持ち帰るだけではダメ。妻に対する感謝を表わす。欠点を見逃し、愛を示す。


妻は、夫を助ける。夫に感謝の念を表わす。


家族間、夫婦間、、、冷えきった中でも、深い愛を示す。


結婚生活の中で敬意と愛を表わし、幸福な家族生活を営んでいく。



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公開聖書講演32:No.46【あなたの確信を終わりまで耐え忍びなさい】

公開聖書講演:No.46
【あなたの確信を終わりまで耐え忍びなさい】
2013-7/14 Ka/Ari Hi.Ka


今の世の中で生活していると、様々な反対、圧力、失意を感じる。

私達クリスチャンも影響を受ける。



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啓示22:20

20 「これらのことについて証しされる方が言われる,『しかり,わたしは速やかに来る+』」。
「アーメン! 主イエスよ,来てください」。


この言葉に同意する事が出来る。
天においても、地においても成される。


この事物の体制の終わり、、、。

私達は、いずれにしても、終わりに対する確信を保つ。

ヘブライ人への手紙には、力強い助言がある。

数々の圧力を経験している者、無関心な者、霊的に弱い者、自信過剰な者、、、。

は、ヘブライ人の手紙、、、この助言に耳を傾ける。

その点で、ヘブライ3章と4章を考慮する。


ヘブライ3:1
そのようなわけで,聖なる兄弟たち,天の召し*にあずかる人たちよ+,わたしたちが[信仰を]告白する+使徒+また大祭司*,イエスを思い見なさい。



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確信を保つ力は、イエスから来る。

キリストを保つ力、、、。

❶キリストがもたれる役割、模範を黙想する。(ヘブライ3:1)


キリストの模範、自己犠牲、大祭司として、どんな役割を示しているか?

また、イエスを失望させかねない事柄について考える。


例えば、キリストの弟子達は、ある時、誰が一番偉いか?と言い争った。

彼らの古い人格が頭をもたげる。

その時、イエスは、確信がへってしまった事を示しただろうか?

それどころか、失敗した弟子を励まし、強めた。

古い人格を示されて、傷つけられても、憤ったり、失望すべきではない。



❷モーセよりはるかに勝っていたイエスが建てたクリスチャン会衆という家に住んでいる。(ヘブライ3:2〜4)


ヘブライ3:2〜4
2 彼は自分をそのようにした方に対して忠実+でした。モーセ+もまたその方の家全体にあって[忠実で]あったのと同じです+。
3 を造る者+がその家+よりも誉れを受けるからには,その方はモーセ以上の栄光に値する+とみなされるからです。
4 言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です。



当時のクリスチャンは、ユダヤ人から迫害を受けていた。モーセを依り所としていた。

それで、キリストと比較し、キリストの方がはるかに勝っている事を確信する必要があった。


モーセは、家を造った存在ではなかった。

しかし、イエスは、クリスチャン会衆という家を設立した。

3節より、イエスの方がはるかに勝っている。




❸希望を見つめて確信を保つ

ヘブライ3:5,6
5 そして,モーセは従者+として,その方の家全体にあって忠実であり*,後に語られる*事柄の証しとなりましたが+,
6 キリストはその方の家の上に立つ子として+[忠実でした]。はばかりのないことばと希望にかかわる誇りとを終わりまで*しっかりと堅く保つなら+,わたしたちはその方の家となるのです+。


初期クリスチャンは、6節の後半にあるように、はばかりのない言葉と希望を終わりまで、しっかりと固く保った。


前途にある希望を見据えて、確信を保つ。


ここまでで、確信を保つ力が何処から来ているかを考える事が出来た。



ヘブライ3:7
7 それゆえ,聖霊+が述べるとおりです。「今日,もしこの方の声を聴いたら+,


『今日』と呼び掛けられている。
今、この時が受け入れられる時である。

クリスチャンの努めを毎日、果たす。

エホバの日が盗人のように来る。

今日しなければ、明日来るかもしれない。

今日、この時、エホバのご意志を行なう。


ヘブライ3:8〜11
8 あなた方は,苦々しい怒り*を引き起こした時のように+,荒野で+試した日のように+心をかたくなにしてはならない。
9 そこであなた方の父祖たちは試みをもってわたしを試した。しかもそれはわたしの業+を四十年のあいだ見たのちのことであった+。
10 そのためわたしはこの世代に嫌悪を覚えて,こう言った。『彼らの心は常に迷い+,彼ら自身はわたしの道を知るに至らなかった+』。
11 それでわたしは怒りのうちに誓った,『彼らにはわたしの休み+に入らせない+』と」。



イスラエル人は、不平、不満を述べる。そして、エホバを試す事を行った。


私達も、不平、不満を述べる事に、各自、細心の注意をはらう。

この態度を避けるため、どうすれば、良いだろうか?


それは、3つある。

①自分自身の心の状態を自己吟味する。

ヘブライ3:12
兄弟たち,あなた方のうちのだれも,生ける神から離れて*,信仰の欠けた*邪悪な心を育てることがないように気をつけなさい+。


邪悪な心が育つのを避ける。
自己吟味する。
必要なら調整する。


②互いに励まし合い、仲間との密接な関係を築く

ヘブライ3:13
むしろ,「今日+」ととなえられる限り日ごとに勧め合い+,あなた方のだれも,[人を]欺く+罪の力*のためにかたくなになることのないようにしなさい。


日ごとに進め合う。
仲間と共に、密接な関係を築く。
人の不完全さ、微々たるもの、、、
それらを許していく。


③最初の事を振り返り、問題を探って対処する。

ヘブライ3:14
14 初めに抱いた確信を終わり*までしっかりと堅く保ってはじめて+,わたしたちは本当にキリストにあずかる者+となるのです。



知識を増し加えていく。
得た知識を駆使して、対処する。
自分の弱くなってしまった部分に対処していく。



ヘブライ3:15
もっともそれは,「今日,もしこの方の声を聴いたら+,あなた方は,苦々しい怒りを引き起こした時のように心をかたくなにしてはならない+」と言われている間のことです。


今、この時、この聖句を通して、、、そして集会を通して、、、確信を持っているか?
語りかけている。

もし、聖書を神の言葉として聞き入れないとしたら、どんな結果になるだろうか?

続く16〜19節に目を留める。

ヘブライ3:16〜19
16聞いたのに苦々しい怒りを起こさせたのはだれでしたか+。実に,モーセのもとにエジプトを出たすべての人たちではありませんでしたか+。

17 また,[神]*はだれに対して四十年のあいだ嫌悪を覚えられたのですか+。罪をおかして,その死がいが荒野に倒れた人たち+に対してではありませんでしたか。

18 また,[神]は,ご自分の休みに入らせないということを,不従順に行動した人たち以外のだれに対して+誓われたでしょうか+。

19 こうしてわたしたちは,彼らが信仰の欠如のゆえに入れなかったことを知るのです+。



イスラエル人は、最初は熱心だった。
しかし、後に不平、不満を述べ、信仰の欠如を示した。


では、ヨシュア、カレブといった、ごく少数のレビ人が生き残ったのは何故だろうか?


ヘブライ4:1,2
それゆえ,[神]の休みに入るという約束は残されているのですから+,あなた方の中から,それに達していないと思える人がいつか出るようなことはないだろうか,という点を気づかいましょう+。

2 彼らの場合と同じように+,わたしたちも良いたよりを宣明されたのです+。しかし,聞いた言葉は彼らの益とはなりませんでした+。彼らは,ほんとうに聞いた人たち+と信仰によって結ばれていなかったから*です+。



個人として、神に不平を述べる理由はない。

2節にあるように、私達は、同じように霊的食物を得て、、、同じ良いたよりが宣明されている。


特に、長老達は、1節にあるように、「達していない人が出る事はないだろうか?」と考える。

神の約束に成員が達するように援助する。



ヘブライ4:2の中ほどでは、、、

聞いた言葉は彼らの益とはなりませんでした+。彼らは,ほんとうに聞いた人たち+と信仰によって結ばれていなかったから*です+。


とある。

聞いた言葉、本当に聞いた人たち、、、。

分けられて表現されている。

見えているもの、また知識として入っただけでは不十分。

重要な事として、信仰を培っていく必要がある。


例えで考えてみよう。

ある夫婦は、映画館にいる。

妻は映画に見入る。
夫は目が開いているが、あまり見ていない。たまに目が開いていないときがある。

上映が終わった後、妻は映画の内容をいきいきと語る。

妻:「あなたはどうだった?」

夫:「うん。良かった。主人公が活躍していた。」
しかし、まぶたに映像は焼き付けていない。

夫は映画を見ていたが、単に聞こえていただけ。


集会、大会に集う人も、これと同じように考える事が出来る。

本当の意味で、プログラムを聞く。



ヘブライ4:11
それゆえわたしたちは,その休みに入るために力を尽くし,だれも同じような不従順に陥ることがないようにしましょう+。


終わりが近いので、不従順に陥る事がないように注意する。

この点で、古代イスラエルの警告の例がある。

ヘブライ4:12
12 神の言葉+は生きていて+,力を及ぼし*+,どんなもろ刃の剣よりも鋭く+,魂+と霊+,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向*とを見分けることができる*のです+。


エホバが私達をご覧になる時、私達は確信を行動に表していく。自分がどんなものかを表す。

今後、学んだ事を1つ1つ当てはめる。

熱心に学び、黙想のともなった研究を行なう。そうするなら、エホバに対する確信を強める事が出来る。


ヘブライ4:13
13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく+,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません+。


エホバに対して、自分の奥深い事柄を祈りによって述べる。


ヘブライ4:14〜16
14 それゆえ,わたしたちには,もろもろの天を通られた偉大な大祭司+,神の子イエス+がおられるのですから,[この方]についての告白を堅く守りましょう+。
15 わたしたちは,わたしたちの弱いところを思いやることのできない方ではなく+,すべての点でわたしたちと同じように試され,しかも罪のない方+を,大祭司*として持っているのです。

16 それゆえ,時にかなった助け+として憐れみを得,また過分のご親切を見いだすために,はばかりのないことばで+過分のご親切のみ座に近づこうではありませんか+。



自分に確信の弱い所がある事に気づいたなら、確信を強める。

14節にあるように、イエスに関する告白、、、。良いたよりを宣べ伝え、熱心に行なう。

イエスは、大祭司としてエホバとの仲介を行って下さった。

イエスを仲介者として、エホバに助けを祈り求める。

神への愛を表わす事が出来るよう努力していく。

ヘブライ人への手紙の中には、「この方の声を聞いたら、、、。」とあった。

聞いた事柄を行なう事によって、確信を表わすようにしていく。



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公開聖書講演31:No.8【自分のためにではなく、神のために生きる】

公開聖書講演
No.8:【自分のためにではなく、神のために生きる】

H25/7/14
Ni/Syo 訪問Hi/Hi-Fu(深川) Hi.Shi



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講演の主題「自分のためにではなく、神のために生きる」、、、。


「自分のため」、、、この言葉は、「独立心」の事を指しているのではない。

自分のため、、、とは、「自分のしたいことなら、神の事を気にかけない、身勝手な生き方」を指している。


聖書は、神の奴隷となるよう勧めている。

これは、幸福な生き方だろうか?

すべての人が、ある奴隷になっている事を聖書は示している。


ローマ7:14

14 わたしたちが知っているとおり,律法は霊的なものであるからです+。しかしわたしは肉的であって,罪のもとに売られているのです。


この聖句より、律法は霊的なもの、しかし、私は、罪のもとに売られている。

「自分の主人は、罪、肉」と述べている。

いわば、私達は、罪の奴隷状態にある。

罪は、強力な主人。
私達自身の自尊心も偽る主人と言える。


人類最初の親は、アダム。

自分を喜ばせようとする時、アダムは罪の奴隷となった。

私達もそれを受け継いでいる。

私達は、自分の時間に、そういう時間を見い出すことが出来る事に気づいている。


ローマ6:16
16 あなた方は,自分を奴隷としてだれかに差し出してそれに従ってゆくなら,その者に従うがゆえにその奴隷となり+,死の見込みを伴う+罪の[奴隷+]とも,あるいは義+の見込みを伴う従順+の[奴隷]ともなることを知らないのですか。



私達には、この傾向がある。

うそ、盗み、それ以上の悪行、、、。

した事のない人を断言出来る人は、1人もいない。


*自分の状態を、まず認める。

エホバは、この状態から助ける事が出来る。

この講演の主題の後半部分について考える。

「、、、、、神のために生きる」について考える。


私達は、「神に全く依存していることを認める」ことを意味している。

また、このように、自問出来る。

『私の生き方は、神のご意志を意識した生き方をしているだろうか?』


例えで考える事が出来る。

反抗期の子供であっても、親に全く依存している。

この事は、神に全く依存している事を認めながら、神のご意志に反抗した生き方をするのと同じ。

また、私達は、イエス・キリストにも属している事を認める必要がある。


マタイ20:28
28 ちょうど人の子が,仕えてもらうためではなく,むしろ仕え*+,自分の魂*を,多くの人と引き換える贖い*として与えるために来た+のと同じです」。



贖い、、、それは、解放のための代価。

私達は罪を受け継いでいるため、罪から買い戻すための代価が必要。

それで、エホバ神は、イエスを、、、人類から買い戻すために与えられた。

不義者の復活、、、つまり、エホバやイエスに信仰を持たなかった人も帰ってくる。

これは、キリストを公の主人として認めることと関係している。


この事も例え話しで考える事が出来る。

何年か前の東日本の大地震。あの場にいたらどうだっただろうか?

高さ6メートルの津波か来た。その前に「避難して下さい。」と放送される。

放送を聞いた人々は、高台に避難して助かる。

しかし、放送した女性は、命を失った。

助かったあなたは、どう感じるだろうか?


それは、次の状況とよく似ている。

コリント第二5:14,15

14 キリストの持たれる愛*がわたしたちに迫るのです。わたしたちはこのように判断しているからです。つまり,一人の人がすべての人のために死んだ+,だからすべての人は死んでいたのである,

15 そして,彼がすべての人のために死んだのは,生きている者たちがもはや自分のために生きず+,自分たちのために死んでよみがえらされた+方のために[生きる+]ためである,と。



私達の変わりにイエスが死んで下さった。

この事から、エホバとイエスに奴隷として仕えたいと思うはず。


キリストの贖いについて考えると、、、、、。

⑴自分のために生きてはならない。

⑵エホバとイエスのため、責任を果たすために生きる。


先ほど開いた聖句ローマ6:16をもう一度、見てみる。


ローマ6:16
16 あなた方は,自分を奴隷としてだれかに差し出してそれに従ってゆくなら,その者に従うがゆえにその奴隷となり+,死の見込みを伴う+罪の[奴隷+]とも,あるいは義+の見込みを伴う従順+の[奴隷]ともなることを知らないのですか。



感謝の気持ちゆえに、エホバとイエスの奴隷となる。


それは、束縛、窮屈になる生き方ではない。

むしろ、次の聖句に注目出来る。


詩編84:10〜12
10 あなたの中庭における一日は,[ほかの場所における]千[日]にも勝るからです+。
わたしは邪悪の天幕の中で動き回るよりは+,
わたしの神の家の敷居の所に立つことを選びました+。

11 神エホバは太陽+,また,盾であり+,
恵みと栄光をお与えになるからです+。
エホバは,とがなく歩む者に良いものを何も差し控えられません+。

12 万軍のエホバよ,あなたに依り頼んでいる人*は幸いです+。



これは、古代イスラエル人の中のレビ人の歌。

レビ人は、一年に2週間しか神殿で奉仕出来なかった。

これは、たった2週間のために歌った歌。

その奉仕の一日は、千日に勝ると述べている。


私達も、どのようにレビ人に倣うことが出来るだろうか?



生活の中で、神のご意志を第一にする事を意味する。


ここに出席している方の中には、新しく学んでおられる方がいるかもしれない。

使徒2:38
38 ペテロは彼らに[言った],

「悔い改めなさい+。そしてあなた方ひとりひとりは,罪の許し+のためにイエス・キリストの名+においてバプテスマを受けなさい+。そうすれば,無償の賜物+として聖霊を受けるでしょう。



神が自分に何を求めておられるのか?

前の部分の37節で質問している。


37節
さて,これを聞くと,彼らは心を刺され+,ペテロやほかの使徒たちに言った,
「皆さん,兄弟たち,わたしたちはどうしたらよいのですか+」。


その答えが38節に書かれていた。



ある人にとって、学んでいるだけでは、神の奴隷となる事は出来ない。

バプテスマを受ける事が、神の奴隷となる重要な段階。


この勧めに、謙遜にこたえ応じる。

また、道徳に関する指示も当てはめる。

① 性、交わりに関する事も聖書が述べている事に従う。


②宣べ伝える業に熱心に参加する。



先ほど述べた、東日本の大震災の例え。

もう一度、考えてみる。

津波の警報が出されたのに、まごまごしている人がいる。

そんな人を見つけると、「この高台に早く登って来なさい。」と声を掛けるのではないだろうか?


同様に、声の続く限り、私達も救いの業を続ける。

野外がどんな状況でも、熱心さを保つ。



③会衆の中において

ヨハネ13:2〜5
2 それで,晩さんが進んでいる間に*,悪魔はそのときすでにシモンの子ユダ・イスカリオテの心に+彼を裏切る[考え+]を入れていたのであるが,
3 [イエス]は,父がすべてのものを[自分の]手中にお与えになったこと+,そして自分が神のもとから来て,神のもとに行こうとしていること+を知って,
4 晩さん[の席]から立ち,自分の外衣をわきに置かれた。そして,ふき布を取って身に帯びられた+。
5 それから,たらいに水を入れて弟子たちの足を洗い+,身に帯びたふき布でふき始められた。


12〜17
12 さて,彼らの足を洗い,外衣を身に着け,再び食卓について身を横にしてから,[イエス]は彼らに言われた,「わたしがあなた方にしたことが分かりますか。13 あなた方はわたしを,『師+』,また『主+』と呼びます。そう言うのは正しいことです。わたしはそのような者だからです+。14 それで,わたしが,主また師でありながらあなた方の足を洗ったのであれば+,あなた方も互いに足を洗い合うべきです+。

15 わたしはあなた方のために模範を示しました。あなた方も,わたしがあなた方にしたと同じようにするためです+。16 きわめて真実にあなた方に言いますが,奴隷はその主人より偉くはなく,また,遣わされた者*はそれを遣わした者より偉くはありません+。17 これらのことを知っているなら,それを行なうときに,あなた方は幸福です+。



足を洗う行為そのものではなく、イエスの示された精神態度。

これを最も当てはめるべきは、監督達。

エホバとイエスは、謙遜さを示された。

罪の状態は、過酷だった。そこから出てくる人達を過酷に扱うべきではない。

トイレ掃除、草引き、他の人のために仕える。

祈りの中に、他の人の事を含める。


エホバとの関係を様々な決定や行動の重要な基盤とする。

独立したものではなく、神の奴隷として自分を押し出す。

不完全さを押しださず、自分を引っ込めて、エホバに仕える。

最後に次の聖句を考える。

啓示19:5
5 また,声がみ座から出てこう言った。
「[神]を恐れるそのすべての奴隷たちよ+,小なる者も大なる者も+,わたしたちの神を賛美せよ」。



文脈を見てみると、人々は大いなるバビロンから出てくる。

救われるのは、神の奴隷達。

救われる者として振る舞うのは、どのようにすべきかを考える。

この難しい時代に、私達は、判断を誤らず仕える。

今日は、【自分のためにではなく、神のために生きる】という主題で考えた。

私達は、神とキリストに全く依存している事を考えた。


①〜③について、考えた。


①生活の中で神のご意志を第一にする。
②宣べ伝える活動に熱心にあずかる。
③会衆内において、謙遜に他の人に仕える。


では、自分のためにではなく、神のご意志を行なうために生きるよう努力してまいりましょう。



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