実は、私はまだ誰の違反報告もできていない。
なぜなら曹操様の命により、ネットの各地に散らばった魏軍諸将に伝書鳩を飛ばし、
ことの経緯と召集を呼び掛けていたからだ。
ある者は2ちゃんねるに、ある者はニコ動に、ある者は教えてグーに、
ある者はアンサイクロペディアに、またあるものはエロ動画サイトに、
それぞれ散らばっている魏軍の精鋭たちに対して、知恵袋雑カテの地に集結するように
曹操様の命を伝えた。
その数は数十におよぶが、とりあえず先着の12名を主力とした戦力一覧を書くことにする。
それと、私ごとで恐縮ではあるが、このような予定外の事態になってしまったので
私の当初の予定であったE−R社の件は後回しにしざるを得なくなってしまった。
またSKおもちゃに関しても、トトンの乱が収束後、いくつかの乱を鎮圧しながら
最後にその牙城を崩すという曹操様からの命なので予定を変更することになってしまったことを
ここに報告し、お詫びいたします。
■経緯
きっかけは、トトンなる者がありもしない事を「自分なりに要約」、つまり
自分の身勝手な妄想によりでっち上げを作り出し、曹操様を中傷したのが始まり。
卑しくもトトンは、それまで曹操様と面識もなければ絡みもなかった人物である。
面識のない人物が、突然しゃしゃり出てきて、本人に対して事実を提示したり、
本人に面と向かって事実に突込みをいれる中傷はよくあることだが、
実際にありもしない話をつくりあげた上で、本人のいないところで、
またBA後のコメントであるために本人が反論できない状態での卑劣極まりない中傷に、
曹操様はトトンをおもちゃに認定。
その後の詳しい経緯の詳細はこちらに掲載されている。
以上経緯によりトトンを「構う価値なし」という方針が決まる。
しかし、その後もトトンは各地で「曹操と郭嘉は逃げた」という嘘を吹聴。
今のトトンは「構う価値すらもない」ということ、トトンが成長して我々とつり合うようになってから
構ってやるということは、ここではっきりと書かれている。
それに、私も曹操様もトトンをブラックリストにすら入れてない。
すなわち、逃亡ではなく、以後のスルーを決めたのである。
このトトンなる者はスルーと逃亡の違いすら判断できないらしい。
それをトトンは、自分が論点をすり替えているのにも関わらず、
「論点をずらすな」と遠吠えしているが、そもそも論点は
「曹操様がヤリマンと言った発言は、この世に存在しないが、一体どこにあるんだ?」ということと、
「話を勝手にでっち上げるな」という部分。
しかしトトンは「私の、要約が気に入らないのなら、訂正文をスレで出すと言っているが、この言葉には知らん顔して逃げるのか!」と論点をズラして開き直る。
私と曹操様は、この時点で、「この男、男にあらず。潔くなし。話す価値すらなし。」と判断した。
なぜなら、「私(トトン)の要約が気に入らないなら」と書いているが、
そもそもトトンなりの要約であるなら、それはトトンが勝手に思ったことであり、
そんな勝手な要約にあるような発言は存在しないし、
曹操様は15みるくがヤリマンだとも思っていないのは、曹操様本人のこちらの発言から明らかである。
つまり、気に入る気に入らないの前に、この者は話をでっち上げていることになる。
それでいて訂正文を出すからどうだと言うのだろう。
曹操様は言った。
「私は口が悪いから、口の悪さを非難されることはもっともだ。
そして事実の発言に対する中傷を受けるのももっともだ。
しかし、この者はありもしない話を、自分の価値観で勝手に決めつけ私を中傷した。
この者は自分が先に悪いことをしておきながら私に謝れというが、
一体何をこの者に謝れというのだ?
それとも誰か第三者に対して謝れと言っているのか?
ならその本人が私の面前に出てきて理由を述べて、「謝れ」と本人が私に言えばいい。
トトンが事実について中傷しているなら納得もできるが、
私はトトンなどというものに、話をでっち上げられてまで中傷される筋合いはない。」
つまり、訂正する以前に「私(トトン)のでっち上げによる発言でした。ごめんなさい。
しいては、謝罪文と訂正文を載せたいのですが、許していただけるでしょうか?」
という言葉がないから、曹操様も私もスルーすると言っているのが、
この大人には理解できないらしい。
それを理解できないままトトンは、その後も各地にて
「曹操と郭嘉は逃げた」と嘘をつき、関係のない者や
よこやま軍のスレにわざわざ出向き中傷などをくりかえした。
よって曹操様はこう言われた
「トトンは潔くなく、論点をすり替え、矛先をズラし、嘘を重ね、
無様に騒ぐ雑魚ではあるが、百害あって一利なし。
郭嘉よ、わが軍をもってトトンを鎮圧する。号令をかけよ!」
曹操様がそう決意されたということは、トトンを完全抹殺、いや完全鎮圧しようということだ。
トトンは過去において何度となく乱をおこした者である。
「このおもちゃ、もういらない」という曹操様に代わって
私は伝書鳩を各地に飛ばした。
魏軍が雑カテに侵攻するのは初となる。
これによって乱世を迎えることは、いまや必至となった。
一網打尽の前哨戦として、いま「トトンの乱」の鎮圧は始まろうとしていた。
■おもちゃ軍
曹操様の「おもちゃ」として認定された軍。
おもちゃには、トトンおもちゃ、刹那おもちゃ、15おもちゃ、つばきおもちゃ、SKおもちゃ、とんまおもちゃ
などがあるが、今回はその内のトトンおもちゃの乱となる。
総勢不明。
・トトン (リーダー)
趣味は、論破されること。負け犬の遠吠え。料理、酒、将棋、映画など。
特技は論点のすり替え、矛先の変更、潔くない言動、妄想、でっち上げ、嘘、身勝手な思い込みなど。
好きなものは女。自分だけがロマンチックだと思い込んでる愛を語るが、
世間からみればかなり意味不明で恥ずかしい。
女性に自分を見せて「どうだ自分は凄いだろ」「カッコいいだろ」とアピールするための戦いしかしない。
その為に議論や論争におけるトトンの話の内容はほとんど中身が空っぽでどうでもいいような、
論点とまったく違うことばかりを並べたものがほとんどである。
戦う目的が見せるための戦いなので、次になんと言ってくるかが手に取るように分かり、
ゆえに簡単に論破できるのもトトンの特徴。
郭嘉には毎回論破され、かっこいいどころか無様、哀れ、潔くない、卑怯などと
世間から言われ始めており、かなりみっともない。
最近、別サイトに「知恵袋で見つけた変な人」ということで紹介され始めた。
そのためか、自分を論破し続けた郭嘉になみなみならぬライバル心を燃やしているが、
郭嘉は作戦のために(トトンの質問を逆に利用したSKの言動の暴露。
皮肉にもトトンが質問することによって記録として世間に広めてくれている)
トトンに対してかなり手加減していたことに、本人は気づいていない。
・その他、不明
■魏軍
ふだんは各地に散らばっている曹魏の精鋭たち。
郭嘉はその中堅となる。つまり郭嘉以上の名うての猛者揃いが魏軍である。
しかし、雑カテ侵攻は初となるため、実態は謎につつまれている。
総勢、主力12名。その他数十名。
・曹操 (リーダー・そうそう)
曹操とは、後漢末期の英傑の一人で字は孟徳。諡は武帝。魏武帝と称することもある。軍事大国・魏の礎を築いたひと。その冠を称したのがこの曹操である。
ここでの多くの発言は先を見越した「あえて」の発言である。
調略、攻略するためには時間をかけてエサをまき、時期を見逃さず一気に攻める猛者。
過去に削除隊との因縁があり、死を恐れない暴れっぷりは乱世の梟雄にふさわしい。
・郭嘉 (かくか)
曹操軍の軍師。知恵袋ではつねに曹操様と対をなし、阿吽の呼吸で連携する。
しかし、それは裏に隠された作戦があってのこと。
それに気づかないトトンは見事に乗せられてみずから乱をおこす。
・夏侯惇 (かこうとん)
なぜかアバターがよこやまやっさんにそっくりであるが、この際細かいことは気にしない。
地道にSKを責めるが、トトンが乱を起こすと見越してた者のひとり。
・于禁 (うきん)
魏の五将軍のひとり。かつて2ちゃんねるの楽天プラザ戦争において曹操の下で無数の軍功を立て、
曹操から「いにしえの名将に勝る」とまで評価された者。
于禁は包囲された後に途中降服した者でも許さないと涙ながらにこれを斬る胆力を持つ。
・李典 (りてん)
謙虚な人物で、学問を好み、儒学もたしなみ、功を焦ることもなかったため、魏将から広く信頼される。
史実において215年の合肥の戦いでは、不仲であったとされる李典・張遼・楽進が
孫権率いる10万の軍勢を800の兵で迎え撃ち、撃退したと同様に、
多勢に無勢をもろともしない攻撃力をもつ。
・楽進 (がくしん)
魏の五将軍のひとり。一番槍を信条とし、常に特攻するために戦闘力はかなり高い。
しかし、その特攻力の高さから数十のIDがライフ没収にあっている。
一方議論では要点しか語らないために、彼と議論した場合は論点のすり替えは無理だろう。
特攻はやめて議論した方がいいのにという郭嘉の意見に対し、「それは、めんどくせ」という。
・許緒 (きょちょ)
曹操様の護衛。
史実の許褚は度々曹操の危機を救っている。
曹操の暗殺を企んでいた徐他を殺し、馬超・韓遂の乱には一騎打ちで馬超と互角に渡り合い、単騎で曹操が彼らと会話する際でも常に目を光らせていた。
護衛ゆえの秘密か、ここでのその実力は謎である。
・夏侯淵 (かこうえん)
夏候惇のいとこ。曹操が旗上げした時からの付き従った最古参にして主力の一人で、
急襲・速攻を中心とした機動戦に長ける。実力は謎につつまれる。
・典韋 (てんい)
曹操の護衛役として活躍する。
史実では、濮陽で呂布と曹操が戦ったとき、典韋は数十人の突撃隊を率いて、
短戟を駆使しつつ矢の雨の中で奮戦して最強の呂布軍を防ぎ止めた。
以降、殷の紂王の家来・悪来から、『悪来典韋』と呼ばれるようになった。
悪来らしく、その「口撃」はかなり熾烈だが、的を射てるために速攻でBLされることが多い。
・司馬懿 (しばい)
司馬仲達のこと。史実では曹操の代に取り立てられ、以後曹操・曹丕・曹叡ら魏王・魏帝の
軍師として重用される。主に対蜀戦略に辣腕を振るい、孫呉を巻き込んで
蜀の北伐(魏への侵攻)をことごとく防ぎ、諸葛亮死後の蜀漢の没落を決定的にした。
諸葛亮は一度も司馬懿に勝つことができなかった。
諸葛亮を名乗る者がいると聞いて参戦を表明するが、
いきさつを聞いて「雑魚退治にわざわざ私を使うとは、バカめが!」とがっかりしてた。
したがって出てくるかどうかは微妙。
・徐晃 (じょこう)
魏の五将軍のひとり。
人柄としては決して奢らず、人に親身に接した人望の厚い武将である。
戦においては間者を用いた情報戦を重視し、常に敗戦時の対策を念頭に置いた上で戦を進める堅実ぶり。
故に最後まで大敗を喫することがなかった。
また、好機と見るやいなや、配下に食事を与えぬほどの猛烈な追撃を見せたという。
「己を知り相手を知れば百戦危うからず」「慎重かつ大胆」を体言したような魏を代表する名将である。
・卑弥呼
言わずと知れた邪馬台国の女王。当時の中国は日本より数百年は進んでいたため、
史実では魏に朝貢する臣下国の女王になる。
ここの卑弥呼はなぜかピカチュウが好き。おもちゃの傍若無人ぶりに遥か邪馬台国から参戦。
鬼道をもちいた作戦は魏軍も一目おくほど。
・その他 数十名
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