海境・ニッポン:第13回 済州島/上 インタビュー 文京洙氏(立命館大学国際関係学部長)
毎日新聞 2013年10月01日 東京朝刊
48年、大阪と神戸で朝鮮学校の閉鎖に反対する阪神教育闘争事件が起きた。神戸では連合国軍総司令部(GHQ)が戦後唯一の非常事態宣言を出し、1人が死んでいる。当時の資料を見るとGHQは明らかに「四・三事件」を意識し、「日本での在日の運動が、済州島で反乱を起こしている異端分子と結びついている」と考えていた。この頃の東アジアでの米国の最大の政策課題は、韓国建国のための単独・分断選挙だった。それに反対する動きが朝鮮半島だけでなく日本にもあったと捉えていたのは確かだ。
−−影響は今も残っていますか。
韓国では87年の民主化宣言、金大中政権と盧武鉉(ノムヒョン)政権の成立で、社会に定着した冷戦的な反共意識を克服し、人権や民主主義が普通に守られる社会を作るという課題が、相当のレベルで達成されたと思った。だが、歴史は直線的に進まない。李明博(イミョンバク)政権で冷戦的な「排除の政治」が復活し、朴槿恵(パククネ)政権下でも続いている感じだ。
日本も同じではないか。グローバル化が進み、外国人が日本にたくさん住むようになって、日本人の閉鎖的な国民意識がだいぶ解消された。95年の村山富市首相の談話発表の頃には加害者認識がそれなりに高まったが、最近は右傾化や90年代の到達点を消去する深刻な動きになっている。歴史の清算がきちんとできていなかったことが、大きいと思う。日韓が互いを学び合う関係を作ることが、歴史認識の溝を埋めるのに重要だ。