うつ病

2013年08月25日

 多分、私が一番怨念や憤懣に憑りつかれていたころの記事を紹介してみる。
 読むと吐き気するかもしれませんよ(笑)
 どんだけ昔の私が酷かったかが、ハッキリわかると思います。

 でも、読まないほうがいいかも……。以下リンクをクリックでどうぞ。

 2010年5月8日 その1
 2010年5月8日 その2
 2010年5月8日 その3
 2010年5月8日 その4 
 2010年5月8日 その5
 2010年5月8日 その6

 これは酷いわ。
 つまり、これが地獄の苦しみの中にある人間の叫びということですね。
 深夜、眼を鬼のように怒らせて、首吊れそうな木を探し歩いた。
 今でもよく憶えてますよ。
 でも、暗やみに何かが、誰かがいるような恐怖をいつも感じてた。
 公園だって街灯がある東京だから、たいして暗くなかったはずなんだよね。
 でも、とてつもなく暗く感じてほんとうに怖かった。
「もういやだ! こんなところで木を探してられるか!」

 心の中でそう絶叫して、自転車飛ばして帰ってきて、書きなぐった記事が、上にあげたものだ。
 部屋を飛び出してから部屋に戻り、約5時間、愚痴吐きまくってたということ。

 社会全体(つまり沢山の人間生命)に対して、また特定の個人に対して毒を吐きまくると、人間はこうなる。
 しっかりと見ておかれると良いと思う。
 ここ1年くらい、私が口を開けば批判するな、批判するなと書いてきた理由はこういうところにあるんですよ。
 
 自殺していった人々、たぶん、みんなこういう怨念や憤懣、恐怖から逃れる術がそれしかないとしか思えなかったんですよ。
 でもさ、亡くなってしまった人は、その辛さがいかほどかなんて語れないわけですよ。
 あーなるほど、今気づきましたよ。釈尊が無間地獄を説かなかった理由。
 無間地獄行く人は、自殺した人だから、釈尊でも想像の範疇でしかなかった。そういう捉え方できるからでしょうね。

 じゃ未遂者が語れよ。そう言うかもしれない。
 けどね、未遂した人間が当時のことを思い出すのがどれほど苦痛かはわかるまい。
 だから、多くの人は、ここまでは書いていない。
 戦争を経験した人が、固く口を閉じて語ろうとしない恐怖に似ているんだと思う。

 ですから、よく読んで頂けると嬉しい。
 地獄に堕ちるというこが、どれほど恐ろしいか、そして――
 そこから這い上がるのが、どれほど困難か、それがわかると思いますよ。

 何度もスーパーマーケットに乗り込んで、銃を乱射する夢も見ました。
 怒りってのは恐いんですよ。
 その怒りが自分に向ったとき、人は自殺しますよ。

 以下、その1に頂いたコメント。

1. Posted by おれ 2010年05月09日 03:33

 多分、俺のことを言ってるのだろうな。
誤解して欲しくないのは、俺は俺の都合で訪ねたわけではない。俺は君が社会復帰出来ればいいなといつも思っている。自宅で何か出来るようになり、少しでも自信が付けばいいなと思っている。そのために何が出来るだろうといつも考えている。そして君の力なら、疲れず、労せずこなせるだろうというレベルの話を持ち込むわけだが、内容に思慮を欠くためか、いつも否定されてしまう。俺の都合で、君を利用するつもりなど全くない。正直な話、ホームページを作る程度のことは、自分で出来るようになっているんだよ。
君が死にたいという時、自分では抑えようがなく、死にたくなるのだろうなというのは頭ではわかる。そこに理由なんかないのだというのは頭ではわかる。しかし経験したことがないから、実際の苦しさがわからない。何を言えばいいのかがわからない。どうすればいいのかがわからない。
あの晩から君のことが頭から離れない。呼吸の荒さや(こんな風になるんだと、正直驚いた)言葉がふとした瞬間に頭をよぎる。
どうすればいいのか聞こうと思い、翌日鬱の知人に(弟ではない)電話をした。何度かけても繋がらなかった。何もできない無力さを感じた。自殺なんかしていないだろうなと、不安だった。
電話をしたかったが、何を言えばいいのかが分からなかった。だから、落ち着いたというメールを貰った時には本当に安心した。
確かに俺は赤の他人かもしれないよ。
でもわかって欲しいのは、赤の他人だって、赤の他人なりに辛いんだ。何もしてあげられない自分が歯がゆいんだ。俺はただ、昔の楽しい君に戻って欲しいと思っている。絶対に死んで欲しくはない。必ずよくなると信じている。それは紛れもない事実だ。
多分、これも偽善だと思ってしまうんだろうね。

 このコメントをくださったのは、私が男子部時代、ずっと尊敬してきた先輩です。
 死にたくなって、動悸がする中、先輩に電話したことあるんですよ。
 で、たった一言だったかな、言ったのが――
 「死にたいです……」
 そしてハァハァという動悸の音。

 そんなものを聞かされた先輩の気持ち、今ならわかります。
 私、いまさっきこのコメント読んで、泣きそうになりましたよ。
 あー本当に申し訳ないことをしたんだ……とね。

 けどね、怨念と憤懣で重度うつになると、そういう風にさえ思えないんですよ。
 コメントにもありますでしょ、「内容に思慮を欠くためか、いつも否定されてしまう」と。
 先輩は思いやりのある人だったから、必死に配慮してくれてたんです。
 でも当時の私は重度うつ。脳機能にも異常があったんでしょうね、すべてを否定することしか出来なかったわけですよ。
 だから謗法は恐いんですよ。本当に恐いんですよ。

 久遠さん、これを読んでもまだ学会批判する気ですか?

 であれば、あなた、本当にやばいですよ。
 ここらで改心して、口を閉じて、一般の関係ない人のブログへの書き込みもやめて、
 あなたはあなたの生活を楽しまれたほうが良い。
 あなたが書き込まれてるブログ主さん、嫌がってるの気づいてますか?
 別にブログ立てたの気づいてますか? それが嫌がってる証拠ですよ。
 ブログトップにコメント表示してたの、設定変えて非表示にしたの気づいてます?
 なぜ、その方が拒否らないか? 考えてみましたか?
 
 思いやりってなんですか? 考えてみたほうがいいですよ。

 ちなみに、このブログにある記事は、今現在、1355記事です。
 その大量の記事の中で、コメント欄を閉じたのは、この日と、もう一個の記事だけです。
 絶望はしてたけど、それでも心の扉は開けよう開けようとしてたってことですよ。
 人の話を聞けなくなったら終わりです。他者を完全否定するようになったら終わりです。

 んだば、そのもう一個のコメント欄を閉じた記事に埋めた曲でも聞きますか。
 こんだけボロボロ人生を送ってきても、意外と記憶力はいいんですよ(笑)



 というか、その6にある、
 
 カッコつけて
 お前のこと心配してるとかいう人より
 ランコみたいに「お前ばかじゃねーの!」って
 マジな顔していったあと、笑ってくれる存在のほうが
 百万倍もいいもん!

 ってさ、「お前ばかじゃねーの!」って台詞言ってくれそうなのはさ、今だと、ちよさがその筆頭ですね(笑)
 言って、言ってー、もっと言ってー! 僕、ドMなのぉ、みたいなねぇ(笑)ハイ・ゴメンナサイ失礼な奴で^^;

 今、私にはそういう友人がいる。
 幸せなことですね^^ 感謝・感謝ですよ。
 ちなみにランコというのは、私が書いた私小説『真紅の恋』の登場人物です。
 ま、実話ベースの小説ですけどね。読みたい方は、カテゴリからどうぞ。

 一応、リンクした記事は私自身も読み直しました。
 けどぉ、こんな明るいこと言ってられる、まあ、そういうことですね。

 余談ですがね、人間の死後の生命は、死ぬ瞬間の感情がしばらく続くらしいですよ。つまり、今現在がどんなに幸せであっても、苦しみの感情の中で息を切れば、その苦しみが長いこと続くということです。信仰というものは、臨終をどう向えるか、そのための準備という側面もあるんですよ。

 するってーと、あれだよ、自殺した人っていうのは、
 死にたい! という感情が無間ループするということですよ。
 そうそう、これを知ったから、私は死ぬのが無理だと思えるようになったんだけどね。
 けど、本当に死んでしまう人は恐らく衝動的だから、感情も理性も働いてないんだと思うんですよ。
 じゃなきゃ、死ねないですもん。

 未遂であっても、薬飲んだ時は、衝動的になってたの、私憶えてますからね。
 しかも、恐ろしいことにさ、
 俺が死ぬことで、俺を助けられなかった奴らは一生苦しめばいいんだ、という
 いわば――復讐してやるんだ!! っていう激情があったのも明確に憶えてるんだなぁ。
 恐いんですよ、怨念や憤懣は。仏法に、復讐はない。
 これを破るわけです、だからどんなに苦しくても、自殺しちゃいけないんですよ。

 とにかく、人を見下し、馬鹿にし、批判、非難はしないほうがよろしいですぞよ、まじで。
 最後はこの記事の私みたいになりますからね。そして最後は……になるんですよ。

 とりあえず一回コメント拒否解除しますよ。
 けどね、罵詈雑言、あるいは、明らかに嘘だという改心の態度のコメントされたら、
 バルバロッサ作戦始動させますからね。
 ドイツ軍もソ連軍も関係ねー。全戦力もって悪を責めます。焦土作戦です。
 全ての砲門がそっちを向きますからね。あしからずですよ。よろしいですね。
 コメントされるなら、その点、よーくお考えになられてから、どうぞ。
 

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2013年06月27日

 小学校でうつ病発症、そして何度も再発している私なんかの場合、もうすでに「慢性」の範疇です。
 でも、どんどん良くなってます。
 でも、注意すべきことは、まだまだあります。ということで、今回お勉強しなおした本が、緒方俊雄・著『慢性うつ病は必ず治る』です。

 以下、私にあって、注意すべき個所を書きだしておきます。防備録ですね。


 うつ病の人は無意識にうつ病が治ることと、うつ病が治らないことの間を揺れ動きます。どちらになるのも辛いのです。この心の揺れ動きが三寒四温ではないかと思います。
 休職をしているパターンなどは、こういう心の揺れが大きいと思います。治りたい、けど、治ったらまた職場でストレスを受けて、またうつになるかもしれないという恐怖。そうした双方の気持ちが湧く。それが躁になったり、うつになったりという波(三寒四温)を作るという推察ですね。
 私にも、そういう恐怖はありますね。ということは、まず「恐れない」という気持ちが「三寒四温」をぶち破るキーになるのでしょう。この世界には希望しかない! 俺の辞書にはキ行、キ段しかない! と頑なに思い込む。これでいきます! 

 「三寒四温」かぁー。どっちかというと、「前三後一(慎重かつ全力)」のが好きな言葉だなぁーとか、勘違いなことを言ってられる私なら、まぁ大丈夫でしょうネ☆
 うつ傾向に向かおうが、躁傾向にあろうが、「前三後一」でGO! 獅子は蟻の子一匹猟るにも、一歩下がって、確実を期して前に三歩出る! でもさぁ、獅子は蟻ん子は猟らないんじゃないの? とか屁理屈言ってるのは誰ですか!?
(ハイ・ワタシデス・ゴメンナサイ)


 なぜ心は疲れるのか? それは、怒り、悲しみ、憎しみなどの感情を自分で抑制しているから。全身での感情・情動の気づきを大切に! なぜ今、この感情を抱いているか自問することを大切に!
 これは、患者さんがカウンセラーから受けた言葉です。
 まったくもって、その通り。全身での感情・情動を発散することも大切ですが、まずは感情・情動が何なのか? ということを、自分自身で知ることが最重要だということですね。
 感情・情動を知れば、発散の仕方は、方法論で済むわけです。激怒しない自分を作る第一歩は「自分の感情・情動の気づき」にあるということですね。
 怒りや憎しみの感情・情動に気づいたら、唱題しながら、そのことが感謝の念になるまで祈る。そのことを徹底的に思索して考える。これですね。
 発散の方法論はいろいろあると思います。カラオケで絶叫するとか、公園で狂ったように踊るとか(笑)。縫いぐるみを買ってきて、殴る蹴る、噛みついて、激怒するとかね(笑)
 私はぁ、公園に行くと、声にしないで、熱唱します。エア・ボーカルしまくりです(笑)
 こないだは、「何してるのぉ?」とワンコに不思議そうな顔で見られましたヨ☆
 「えへへ、内緒☆」とかいって話しかけときましたとさ。あのワンコの好奇心に満ちた眼差しが気持ちいいんです。
 (この人、なんかおもしろーい)って顔してましたヨ☆


 呼吸は自分で調整することが出来る唯一の自律神経なのです。
 うつ病になると、大概の人は、自律神経の調和が崩れます。いわゆる、夜型になるのがその典型といえますでしょう。私の場合でいえば、偏頭痛、膨満感、下痢、倦怠感、不眠などがあります。
 こうした症状は、意識では制御できない、交感神経(車でいうアクセル)と副交感神経(ブレーキ)の機能や調和が崩れることで起こります。ようするに、酷いうつ症状が出ているときは、多くは、自律神経失調症も併発していると考えてよいでしょう。
 車でいえば、アクセルとブレーキの両方がまともに機能していないということ。
 何かに熱中しはじめると、交感神経が働きすぎて、目が冴えて寝れないとか、同じ悩みや考えが無限ループして、止まらなくなる。
 またその逆に、ブレーキが利きすぎる(副交感神経が優位になる)と、異様な倦怠感で起きていられないとなったり、本を読もうとしても、3分と読めないほど集中力が続かないようになるわけです。
 実際問題、眼の光彩なども自律神経の働きなので、ブレーキが踏まれてしまうと、景色が暗くぼやけて見え、視野も狭くなるのです。

 そんな中で、唯一自分で調整できるのが、呼吸であると知ると、これを生かすのは有意義だと思うわけです。
 苛々する。ならば、腹から深呼吸すると、副交感神経が働き、苛々が治まるという寸法。
 その逆に、ヤルキになれない時は、胸呼吸をして、交感神経を働かせて、ヤルキを呼び起こすことが出来る、という訳です。
 これは活用しない手はないでしょう!
 と同時に、自分で出来るツボ押しなんかも活用するといいですね。
 ネット検索すれば、症状にあったツボは簡単に見つけられるので、探してブクマしておくといいですよ^^

 信心にあっても、呼吸は大切ですから、こうした点は、是非生活にいかしていきたいですね。
 唱題していて、息継ぎから息継ぎの間でご祈念をする。言い間違えてしまったら、息継ぎのところからやり直し。
 ずいぶん前から、私はそうした実践をしています。
 呼吸や息継ぎを意識すると、ご本尊との一体感を得られやすいというのも、体感しています。
 戸田先生の指導もそうなっています。
 息継ぎから息継ぎの間でご祈念をする。
 そしたら次は、何も考えずに「只、南無妙法蓮華経」と唱える。
(ここで、題目の音声リズムなどを確認します。耳根得道なので、ご本尊に当たって、跳ね返ってきた題目の音声に耳を澄ますことは、非常に重要だと私は思っています)
 そしたらまた、息継ぎから息継ぎの間でご祈念をする。
 以下、無限ループ(笑) 死ぬまで無限ループ(笑)

 
 私は、このご指導のとおりに実践してます。これ、凄く気持ちいいですし、集中出来るんですよ。
 是非、試してみてください。プライスレスなスッキリを体感できるはずです^^
 つまり、それぐらい、呼吸というのは、大切であり、生活の中でいかしていけるものだということですね。

 

 「いろいろなことを切り捨てると、喜びや嬉しさが生まれる。そうすると感謝の心が生まれる。最近、必要なものは本当に少しだと思い始めた。服もほんの少しあればよいし、周りの品物もほんの少しで大丈夫だ。過去の思い出や苦労したことも必要ない気がする。いつまで生きられるかということは気になるが、一番重要なことではない。今を大切に生きることが一番大切だ」
 この言葉は、30代半ばで癌になり、かつ再発の恐怖などから、うつ病にもなって亡くなった患者さんの言葉です。私、読んでいて泣きました。
 この方のいってることが真実なんですよ。執着を捨てることで感謝できるというのも、生きるために必要なものは少ないも、今が一番大切も、全部真実です。

 私も、少ない体験でそれを知ったつもりです。
 引きこもりになって、人との接点がラジオだけになった。冷蔵庫も電子レンジもない。テレビもない。電話も通じない。そうなっても生きれました。今の部屋に引っ越したあとも、状況はあまり変わってないのですが、いらない物持ってき過ぎた、とか思うんです。
 思い出も苦労も、センチメンタルになって郷愁に浸ってしまい、「いま・ここ」を生きれなくなるので、あんまいらないのです。あるべき思い出は「今生人界の思い出」という感謝と喜びだけでいいんですよ。あとはポイ! しても生きていけます。
 「いま・ここ」を生きるということは、今さら言うまでもない仏法者として当然の生き方の理想です。

 ですが、人間はこの患者さんのように、生命の危機だとか「どん底」に行き当たらないと、そうは思えないんですね。だからこそ、「難」が必要なんです。
 難がきたら喜ばないといけないんです。まぁ、その時は苦しいですし、悶絶するようなことにもなりますけどね。 
 ビートたけしとかもさ、バイク事故で死にそうになってから変わったじゃないですか。
 私もそうです。自ら生を閉じようとして変わったんです。
 でもね、そこまで「どん底」に行く前に幸福になる方法を知って欲しい。
 私の思いはそれだけです^^




母は俺にこう言ったよ
あの世に旅立つ前に
息子よ、私がいなくなっても
祈ることは忘れちゃいけないよ

これからの人生にもつらいことがあるから
ああ神よ、人生の厳しさを
自分ほど知っている者がいるだろうか・・・

すぐに俺にもわかったよ
彼女が何を言おうとしていたかが
服を質にいれなければならないほどだった
部屋代を払うために

つらかったと言えば
ああ神よ、人生の厳しさを
俺ほど知ってる者が他にいるだろうか・・・

俺にも女がいた
彼女はいつもそばにいてくれた
でも金がなくなったら
彼女はオレを見捨てたんだ

つらかったと言えば
人生のつらさを、そう、
俺ほど知ってる者が他にいるだろうか・・・

神様、いつの日かきっと
悲しみのなくなる日がくるはず
それはこの身が死にゆく日…

そしたらもう辛いことはなくなる
もうつらいことはない
そう、人生の厳しさについて、俺より知ってるヤツは他にいないよ・・・


んまぁ、こういう人生も悪くないし、悪いなんて思ってないけどね〜♪
懲りない男@イプシロンなのですぅ(笑)
でも、絶対に良くなってみせますけどね^^

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ipsilon at 05:51コメント(20)トラックバック(0) 

2013年06月24日

 この世界にある存在はすべて相対的です。簡単にいえば、私が単独で存在してきたのではないということ。
 私にも、両親がいたり、兄弟がいたり、友達がいたりしたということ。
 つまり、私は私単体で存在しえないということ。私という存在が主体であれば、必ず客体という存在があるというのが、普通のことです。例え、無人島で孤立したとしても、草木や動物があるのですから、主体だけでの存在なんてありえないのです。

 そして、この主体と客体の関係性によって、人は様々な葛藤を抱えることになるのです。
 例えば、私の場合、酒乱の暴力的な父親のいる家庭で育ってきたので、
 父は支配者
 母と私と姉は依存者(被支配者)
 という関係にあったということです。

 本来、理想的な家庭であれば、
 父母と子供の関係は対等であることが理想です。
 しかし、実際にはそうはいかないのです。

 端的に言えば、私の家族は、父の支配下に、
 ほかの人が依存していたということです。

 依存という表現がしっくりこないと思いますが、それは感覚の問題なのです。
 別の言い方をすれば、これは共依存という関係になるからです。

 つまり、父は、母や子供が服従するという姿勢に依存して(自分を確立して)いたのであり、
 母や子共は、そうした父の支配体質に依存して(自分を確立して)いたということになります。

 父がお酒を飲んでも機嫌がいい。
 このとき、母子は、機嫌がいい状態に依存し、安堵感を得ています。
 なので、お酒をやめろとも思いません。
 対等の関係があれば、機嫌の良しあしにかかわらず、飲み過ぎないように注意すべきです。

 父がお酒を飲んで暴れた。
 このとき、母子は、父への恐怖から逃げ出します。
 これもいわば依存なのです。
 対等の関係であれば、「暴れるな、やめろ」と言えばいいのです。

 こうしたように、どちらの状態にあっても、――つまり、父の挙手に合わせて一喜一憂しながら、
 母子はそれに依存しているのです。
 そして父は、母子を支配することに依存しているのです。
 これが共依存です。

 本来なら、対等であるべき。
 しかし、経済的なこと、肉体的なこと、年齢的なもの、などなどで、
 多かれ少なかれ、たくさんの家庭では、こうした支配と依存(共依存)という力関係があるのです。

 とくに、経済的にも精神的にも、能力的にも、自立できない子供は、知らず知らずのうちに、こうした依存傾向に陥っているのです。

 で、そうした依存をするとどうなるかというと、ゆくゆくは心の病になります。
 依存したことで――
 他人に合わせて主体的判断をするようになる。
 本当は自分にはやりたいことがあるのに、そういう主体性を自ら抑制する。
 喜怒哀楽の感情を自ら抑制するという傾向を身につけるということです。

 こうした依存状態は、子供時代であれば、まださほど問題はありません。
 日本の子育ての基本は、出来る限り自由気儘にさせる面があるからです。
 ですが、子供が小学校にあがって数年経つと、状況は一変するわけです。
 義理、忠孝、恩、恥、団体行動、世間体、ありとあらゆる枠組みに縛られ、それまであった自由を奪われることで、子供はなおさら自分の気持ちを抑圧せざるを得なくなるのです。

 こうした抑圧が最大になるのが、社会に出た瞬間です。
 ですから、日本の社会の場合、社会人になるということは、不自由になるという構造になっているのです。
 ところが、アメリカなどは違います。
 子供時代から、厳しくしつけをされますので、子供時代に不自由を味わうのです。
 ですから、米文化は、社会に出ること=自由になることなのです。
 これが日本と欧州やアメリカとの違いです。

 つまり、日本人は、こうした子育ての慣習や環境によって、ありとあらゆる感情を抑圧するという、依存癖を身につけやすいのです。うつ、自殺大国になるのは、ある意味で当たり前なのです。社会に出る=感情の吐露すらできなくなるのですからね。恐ろしい社会構造です。
 教育の重要さが、この点からも、おわかりかと思います。

 つまり、現状の日本という国の教育や躾とは、どんどん、うつ病を作り出している子育てをしているわけです。
 私にいわせれば、一億総アダルトチルドレン化だということです。

 して、この依存型の人はというと、元気のあるときは、依存癖を隠そうとして、「自分は優秀な人間だ」と振る舞うわけです。うつになる人の傾向がそれです。完璧主義。生真面目。感情表現しない。我慢するなどなど。
 これは、以前記事にした、心の二重構造ですね。
 で、元気がなくなると、うつ症状が出るのです。


 で、依存型の反対のタイプが、支配型ということになります。
 この方は、元気なときには、支配欲を隠そうとして「自分は誰にでも優しい存在です」と振る舞い、自ら良い人を装うのです。うちの父がまさにそうでした。機嫌がいいと、自分の財布の中身が空になるまで、小遣いをばらまく。母子が嫌だといっても、旅行に連れ出したりしたものです。食えないくらい寿司を注文したりとかもしてました(笑)

 ですが、元気がなくなると、地肌が表れて、不平不満を吐き散らし暴れるわけです。
 なので、支配型の場合、怒りの感情を吐露できるので、基本的にはうつ病にはなりませんが、怒りを吐くことで、自他ともに生命を傷つけて、しまいには自分の怒りで自己破壊を起こします。
 うちの父もそうでした。
 こうした症状が激しいのが、人格障害であり、多重人格です。

 ですから、基本、うつ病になる人は、「依存型」の人だといえます。
 むろん、心の二重構造は依存型の人も持っていますので、人格障害にも多重人格にも、なりえます。
 依存型だからどうの、支配型だからどうのなんていう、単純な線引きなどできないのです。

 しかし、依存型であろうが、支配型であろうが、対等の関係を築いていない以上、まともではないのです。
 出会った頃はあんなに幸福だったのに、今はどうして……なんていう、青色吐息な関係に陥る恋愛などが、そのパターンです。
 無意識に、支配、被支配の関係を作ってしまうということです。
 で、多くの場合、問題が大事にならないと、この関係を脱しようとはしないのです。
 なぜなら、共依存しているからです。共依存はそこそこ気持ちが安定してしまうからです。
 ゆえに、自立した個人と自立した個人でなければ、恋愛はすべきではない。
 そういう指導は正しいのです。間違ってないのです。


 うつ病。それは幼少期に出来てしまった、病前性格がもたらすものです。
 つまり、そうした人は、うつの種子を持っており、アダルトチルドレンなのです。
 でも、安心してください。依存していた人が、依存から抜け出して自立すると、支配していた人も、支配から抜け出さざるを得ないからです。
 つまり、どちらか一方が、共依存から抜け出すことで、双方が共依存から抜け出せるということなのです。
 端的に言えば、依存している人なりが、「NO!」と声を上げれば、相手(支配している方)も変わらざるを得ないということです。

 仏法の、自分が変われ周囲が変わるということは、嘘じゃありません。
 それは、こうした共依存の面からも、はっきり事実だと証明できます。

 私は思っています。うつ病になって良かったと。
 確かに、苦しい思いをしました。けれど、うつ病になって学んだことは、全て仏法に相通じているからです。

 過去と未来ばかり見てしまって、今を生きれない。
 これはうつ病の特徴です。
 自分の感情を抑圧して「ありのまま」の自分でいられない。
 これもうつ病の特徴です。
 感情の波(躁うつ)が激しくて、火の信心になる。
 これもうつ病(病前性格の人)の特徴です。
 こうした、様々なうつ病の持つ症状からの脱出法は、全て仏法の正しい実践法とぴったり重なるのです。仏法の方程式どおりなのです。

 だから、私は幸せなんです。
 だって、うつ病になったことで、実体験でどんどん仏法を身で読めたわけですからね。
 こんな素晴らしいことはないのです。身で読みたくても、なかなかそうは出来ない。
 なのに、私は、それをたくさんしてこれたんですからね。
 もうね、病気に感謝しかないんですよ。これを感謝しなくて、何に感謝すんの?
 そういう感じです。

 でも、確かに、苦しい時はね、そんな気持ちにはなれないんです。とくに自殺願望のあった時期は、それどころじゃなかったですよ(笑)
 けど、その先にあるものを、体験で知っているだけに、同じような心の病で悩んでいる人の支えになりたいんです。
 うつ病になったのは、決して不幸なんかじゃない。その病気に負けてしまうのが不幸なんだよ。
 それを、一人でも多くの苦しんでいる人に、気付かせてあげることが出来たなら。そう思うのです。
 まあ、それが私の使命なんですよ。

 ここに書いたことは、ほとんどすべて実体験です。
 本を読んで考えた。そういう部分もありますよ。
 でもそれも、自分の体験を、自分の身に引き当てて感じたことを書いています。
 それでも、参考程度にしかならないとは思いますけどね。
 なにしろ現実は色々と複雑な状況が入り混じっていますからね。

 なににしろ、うつになる人は依存癖が多いだとか、一言で片づけられることを私は嫌悪します。
 人間の関係はすべて相対的なのです。
 子供時代にどうしようもない状況で、依存癖を身につけざるを得なかったのが主原因なのですから。
 その対極に支配癖のある人がいたことも、また確かなのです。
 その、どちらか一方が救われればいいというわけではないのです。
 依存の人も、支配の人も救われなければ、意味はないのです。
 まあ、こうした、依存するしかない親のもとに生まれたのは、願兼於業なので、それも自分で選んだことなので、文句を言えることじゃないのです。すべては自分の責任なのです。

 もちろん、こうした、依存と支配の関係は、単純に二元論にできる話ではありません。
 とある部分では依存型がって、とある部分では支配型である、そういうことだってあるのです。
 ですから、それを知るためには、苦しくても、自分自身と向き合うなり、信頼のおけるカウンセラーの手助けを受けて、自分を知るしかないのです。自分を知って、無意識層に抑圧されている感情を吐露して、少しずつでも、受け入れていくしかないのです。どちらにしても、自分と向き合う結果になることはだけは確かです。
 それが、病気を治す、最善の方法だと、私は思います。
 それをしないで、対処療法を行うということは、一時的に、うつになったストレスの原因(仏法でいう縁)から離れて寛解しても、また似たようなストレス(縁)に触れることで、再発するということです。
 病気になる因果を断ち切らない限り、根本的な治癒(再誕生)はありえないのです。

 自分と向き合うために、一番必要なのは「生命力」です。
 だから、最後は、題目をあげるしかないのです(笑)
 どこからどこまでいっても、しょせん、最後は題目です。他にはなにもありません。

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ipsilon at 11:50コメント(23)トラックバック(0) 

2012年11月27日

この記事は猛烈な暴言だし、他人への罵倒ですから、多分気分が悪くなると思います。
なので、そういう気分になりたくない方は、この先は読まないで、さっさと他の楽しそうなブログにでも飛んでください。

私がナルシストで馬鹿で阿呆なのは、自分で良く知ってます。
だけどね、私にも我慢の限度もあれば、怒る時もあるんですよ。
でもってさ、その怒りが相当強烈なことも自覚済みなの。
だから怒らないように努力してるんです。
でもね、ものごとには限度ってのがあんだよ。
俺は怒ると凶暴なの。まぁそれだけだ。














じゃあ始めるぜ。

拍手メッセな。
多少の悪口は許すよ。実際許してたし、そういう冗談めいた切り口で拍手メッセありですとも表示してたよ。
だけどそれが冗談だなんて、普通の大人なら分かるだろ。
だから、そういう悪質なメッセに怒りの反応で返信したことはないの。
だからって調子に乗んなよ。
おい、お前だ、分かってんのか?

大体さ、自分のやってること自分で客観視できてる奴なら、普通そういうことはしねーんだよ。
何度もしつこく人格攻撃とかな。
いちいち俺のやってることに文句言いやがってさ。
お前は俺の親にでもなったつもりか?
ていうかさ、お前自分がどんだけ腹黒いか分かってるか?

非公開のメッセでさ、匿名で人に嫌味言うのがそんなに楽しいか?
お前は俺のなにを理解して判断して書いてんだ?
俺は鬱病もっててよー、自律神経おかしくなっててさ、おまけにACだって書いてあんだろ、タイトルの下に。
読んだか? ちゃんと読んで理解してんのか?

まぁさ、百歩譲ってこんなもん、俺がスルーすればいいとしよう。
でもそれでいいのか?
そんな不公平ないだろ。
それでも3度までは我慢したよ。俺はガキじゃねーからな。
1度で激怒するガキじゃねーからな。

お前さぁ、さんざん俺に嫌味ゆって平然としててさ、
俺だけ嫌な思いするとかおかしいだろ?
だから俺は言いかえすことにしたの。
お前の行動が腐った人間のすることだってことを多くの人に知ってもらうためにもね。
そういう人間になってはいけませんよって訴えたいからね。
ここには心ある人が来てくれてることも充分知ってるからね。

大体考えてみろよ。
拍手メッセで匿名で悪口とかさ。
お前はどんだけチキンなんだよ、おい。

少なくとも俺はお前ほどチキンじゃないぜ。
てめーの恥なんてこれまで死ぬほど晒してんだよ、ここにな。
生まれてきてからこれまでの恥を全部晒してきてんだよ。

それをなんだ。
お前はそういうことすら出来ねぇーチキンじゃねーかよ。
言われて悔しかったらさ、
固定HNつけてコメント欄で正々堂々と言ってこいよ。
いいか? わかったか? 
この卑怯者めが!
俺は別にあんたがそこいらじゅうで非公開ってのいいことに、
悪口言いまくって、それがめぐり廻ってあんたが不幸になろうと知ったことじゃねーんだよ。
だけど、そういうこともあるっていう一般論を伝えられる機会でもあるから
吠えてんだよ。



だから拍手コメとか嫌いなんだよ。
それでも俺は人の意見に耳を貸す方だから、
それはそれで意味があるんだからっていうアドバイスを受け入れて拍手メッセ開けてきたの。
まぁ確かに心ある人から頂くメッセには、言われた通り意味はあったよ。

でもさ、そういうこと言ってながら、言った本人はなに?
言いっぱなしだろ? 
心配してるとか言ったことあったけどさ、
メールで連絡がつかなくなろうが、電話が止まろうが、
ブログの更新が止まろうが、なんだろうがシカトじゃねーかよ。

言葉で「心配してます」なんて言うのは誰にだって出来んだよ。
ようは、どういう行動を起したかだろ?
そういうとこ考えろっての。
だから俺はあえて天涯孤独だって、ここで言い放ってんだよ。
まぁ実際ほぼそれに限りなく近いから、そんな細かいことなんて問題にもなんねーけどな。

ともかくさ、俺が口先だけだとか思ってるなら、そう公開のコメントで堂々と書けよ。
そうじゃねーこと教えてやっからよ。

あのな、誰だって他人になることは出来ないんだよ。
だから、何も俺は俺の苦しみを全て理解して欲しいなんていう
そんな図々しいことは考えてないの。
同情もいらねーんだよ。

だけどな、分からないなら分からないなりの対応すんのが大人ってもんだろ。
それが出来ねー奴はここ見なくていいからさ。

俺に色々言われて悔しかったなら、
鬱病になって自律陣形失調症になって、AC抱えて天涯孤独になってから言ってこい。
少なくとも3年くらい完全な孤独を経験してから言ってこい。
しょせんチキンな連中には無理だろうけどな。
2週間も孤独でいたら、気が狂いそうになるだろうからね。
分かりもしないくせに、偉そうなことほざくなってことだ。
それも匿名でしつこくな。

てことで、拍手は閉じる。
そんなもん昔から大嫌いだって言ってきたんだよ俺は。
たかがネットで自分を晒せないとか、どんだけチキンなんだよ。
リアルのが余程こえーだろうが。
そういう記事はとうの昔に書いた。読みたいなら探して読めよ。
俺のネット上のスタンスも説明済みだ。
読みたきゃ記事検索して読めよ。

あんま調子のんじゃねーぞ、チキン野郎めが。
言っとくけどさ、俺は天涯孤独なの。てことは守るもんがないの。
つまり恐いものなしってことだよ。
別に訴えられようが、ぶっ殺されようが平気なの。
それでも正しく生きようと努力してんだけどな。
まぁお前にはそういうこと理解できんだろうけどな。

結果的にだ、善意で拍手メッセをくださった人も沢山いたわですよ。
でもさ、こういう悪質な卑怯者1人のせいで、そうした交流の窓口も閉じないといけなくなるんだよ。
まぁ、こういうことする奴はさ、そういう迷惑を周囲に与えちゃうかも? ってなことを
自分の行動の中で顧みないからそういうことすんだろうけどな。
少しは自分のやってること自分で見ろや、チキンめが。

あのね、俺が感情的になって罵詈雑言いってるだけだと見えるんでしょ。
残念ながら違います。
怒りが自分の中から湧いてるくらいちゃんとわかってるからね。
でも、それとこれとは別物なの。わかる?
あんたみたいな奴らのやってることが「悪」だから俺は怒ったわけ。
何にでもすぐにキレると思ったら大間違い。
「悪」を見て見ぬふりしたら俺も「悪」になんだよ。
感情に駆られて怒るのと、「悪」をぶっつぶす怒りは違うんだよ。
そこんとこ、よく理解したほうがいいぜ。

俺はどこまでいっても相手そのものを否定するようなことは書かんよ。
俺が言いたいのはやってる行動に人間性が無いってことだ。
あくまでも行動を見て言ってんだよ。わかるか?
人間性の悪の部分を責めるのと、その人の個性を責めるのは別なの。
わかる? まず、そのへんがわかんねーと何も伝わらないだろうけどな。

何にしても最悪の誕生日だ。






だけどな、それだけじゃ終わらせねーんだよ。





ipsilon at 14:05コメント(2)トラックバック(0) 

2012年10月03日

情報というのは、常に更新される。
ということで、「うつ」について再度情報を収集してみた。
もう何冊も本を読んできたし、ネットでも嫌というほど調べた過去はあれど、
かなり役に立つ記事を見つけたので、リンクしておきます。
ちなみに、タイトルには「8人にひとり」とありますが、
2012年現在だと「5人にひとり」くらいのはずです。

24項目に渡るボリュームのある記事だが、
興味のある部分を読むだけでも、目から鱗な部分がある。

例えば、昼夜逆転してしまうのは自己防衛的な正常な症状だとか、
イライラ感は寛解している最中に起こる正常な生体反応だとか、
治癒とは「生まれ変わること」という捉え方には
物凄く納得がいく。

特に「死にたい」という思う気持ちについての記事は、
うつ病のことを本当に理解していると思う。
本当にどん底だと自殺する元気すらないとか、少し元気になった頃が一番危険とか、
死にたいは生きたい気持ちの裏返しだとか。
その通りですからね。

こうしたことは、私自身何度も再起をはかっては倒れ、再起をはかっては倒れを繰り返し、
自分自身と向きあってきたことで気づいたのだが、
まぁ、その苦痛は並大抵ではなかったことだけは確か。

そういう観点で見ると、この記事の筆者、 精神科医の泉谷閑示さんという方は、
患者の心の声に耳を澄ませられる、大変な人格者だと私は思う。


前記した、「昼夜逆転」「イライラ感」「治療=生まれ変わる」という理解は
私が体験したこと、及び体験から導かれる治癒の定義と一致する。

心の病については、もう沢山記事を書いてきたので、
最近は面倒なので「うつ」というひとつの言葉でくくっている。
でも、実際は違う。

私の場合で言えば、
うつ病であり、
自律神経失調症であり、
ACであり、
多分、自己愛性人格障害であろうという診断ができる。
要するに、こういう症状が複雑に絡み合っているということ。

まぁこういった病名は、沢山の医師に診断を仰げば仰ぐほど、増える(笑)。
なぜって医師によって主観が違うから、そういうことが当たり前に起こるということ。
だから、病名に拘ると自分を見失う危険性がある。

泉谷さんの記事にもその点を示唆する内容がある。
「うつ」と割り切って見てしまうと、見落とすことがある、と。


つまり、心の病の診断には、
その人自身をあますことなく見て行かないと、正確な診断や理解は出来ないという困難さがあるということだ。

でもこれは別に病気の人であろうが、正常な人であろうが
実は通用する理論なのですね。

往々にして、多くの人はその人の一部のみ知ってその人自身を判断しがち。
私にもそういう部分観偏重の傾向はあるでしょう。
ですが、それでは本質的な変革は出来ない。
私は自分の病気(実際には宿業)を通して自分の全体を見ないで再起をはかろうとしても、
中途半端な治療や寛解に陥ることを体験から知った。

だから、私はこの仏法という生命の全てを解き明かした法を基に治療しようと、
随分前に決めたのだ。

結局は病気であろうが正常であろうが、
自分自身や他者と真剣に向き合った者だけが勝者になるということだろう。

文字面や表面上の議論の為の議論に、大した意味などない。
大切なのは先生が仰るような「魂と魂が火花を散らすような触発」なのだ。

しかし残念ながら、そうした触発をしあえる人が少ないのが現実だ。





まぁ何にしても、何度も何度も打ちのめされても勝たなきゃいけないってことだ。
それ以外のことは全部枝葉末節だということ。
その結果、大事な愛を失うとしてもね。
たかが愛。ただそれだけだ。


Yeah, you can live without the aggravation
Ya gotta wanna win - ya gotta wanna win

You keep lookin' back in desperation
Over and over and over again


ipsilon at 17:47コメント(2)トラックバック(0) 
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