きょうの天鐘
●天鐘(2013/10/01掲載) | |
八戸市の演劇的な土壌は肥沃(ひよく)である。戦後間もなく、職場や青年団の活動が復活した。1946年には複数の劇団が八戸演劇研究会に結集して公演し、多くの観客を集めた▼同時期、文化サークル「青年公社」も文芸誌の発行や演劇に取り組んだ。メンバーには、後に「座頭市」「必殺仕掛人」などを手掛けるシナリオライターや、地元で郷土史家として活躍する人物など、そうそうたる人材がいた▼高校演劇も盛んで、53年には5校合同で高校演劇祭を開く。翌年、リーダー的な教師のいた八戸商業に、新採用の教師が着任する。高校、大学で演劇に魅せられた小寺隆韶さんがその人▼10年後に八戸北高校へ移り、演劇部の顧問に。同部は小寺さん脚本の「かげの砦(とりで)」と「てのひらの雪ひとつぶの消えるまで」、OBが書いた「演劇とはなにか…」で、全国高校演劇の最優秀賞に輝く▼他に例のない3度の日本一。小寺さんにとっては格別の喜びだったようだ。「生徒たちはここまでの苦しさをよく乗り越え、力を合わせていい作品に仕上げてくれた」。インタビューに答えた声は興奮気味だった▼青森市生まれだが、自らを「新八戸人」と語り、南部地方の方言で多くの作品を残した小寺さんが亡くなった。自作の小説『風と土と』は、「風が土を渡って、静かに、包み込むように山を鳴らし始めていた」と結ぶ。風は小寺さん自身でなかったか。多くの教え子が今、地域の演劇を支える。 |

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