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勾玉100物語・17−19  ■入りコン沢青翡翠原石の写真 22:30
入りコン沢青翡翠
入りコン沢青翡翠原石は近日中に10数点をHP「新着製品」に掲載予定。
こんなにまとめて掲載できるのは、とても珍しいことです。


避けられない用件があって、9月7−8日(土・日曜)は臨時休業します。
ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。



■勾玉100物語・17
砂漠飛びバッタというのは動物好きな人ならたいがい知っている。
旱魃の終盤に異常繁殖して、かろうじて残った穀物を根こそぎ食いつくす。
そんなふうに害があるわけではない、
名前だけが似ている動物に砂漠飛び猫というのがいる。
名前に猫とついているが猫科ではなくリスなど齧歯類の仲間で、
常時歯を研いでいないと前歯がどんどん伸びてしまう。
 
彼らはモンゴルの砂漠にはえるマンドハイのおやつという樹木に実る
栗ほどに大きく硬い木のみを削って勾玉状にする。
この木のみは枯れても緑色のままで、
ジンギスカンの首飾りなどと語り継がれてきた。
砂漠に落ちている勾玉は随分長い間謎とされてきたが、
砂漠飛び猫のなせる技とわかったのは最近のことだ。
 
砂漠飛び猫は西部劇のタンブルウィードのような灌木の茂みに巣を作り、
砂嵐がやってくるとブッシュともども荒野を転がって遠隔地へと移動する。
砂漠を飛んで旅をするわけではないのだが、
地元の人たちはこの小動物を砂漠飛び猫と呼んできた。
確かにいくらかはミーアキャットに似てはいる。

■勾玉100物語・18 
山の家の台所に、いっときハタネズミが出没する形跡が見られた。
システムキッチンが古くなって、家の壁との隙間から出入りしているらしかった。
それが証拠に、ダイニングルームの出窓に飾ってあったインディアンコーンが
軸だけのこして、きれいに全部齧り取られたりした。
 
ハタネズミやトガリネズミのたぐいは小さくて可愛い。
ドブネズミを3分の1とか4分の1に縮めたほどの大きさだ。
インドの友人の家庭ではガネーシャのお使いと縁起をかついで、
居間にでてくるネズミに餌をやっていた。
けれど留守の間にハタネズミが団体でやってきて、
台所をトイレと勘違いされるのはちょっと困る。
侵入路をさがして蓋をした。 

それからいくらか経って、2階の自分の部屋の布団やベッドマットを日干しした。
するとどうだろう、マットの下、ボードとの間に、
インディアンコーンの粒々がメディスンホイールもかくやと思えるほど、
きれいな円形に整えて残してあった。
中央には行方不明になっていた日本翡翠勾玉があった。
 
人気のない家の中を、口いっぱいにインディアンコーンを頬張ったネズミが、
ちょこちょこと階段を上り下りして、どうやってその場所を発見したのか、
ベッドの隙間にトウモロコシの粒を蓄えている様子を想像すると
とても愉快な気持ちになれた。

翡翠の勾玉というのはねずみにとってもやっぱり心休まる宝物だったのだろうか。
あるいはそのネズミたちには古い時代のご先祖たちの霊が
乗っていたかもしれないと、思ったことだった。

■勾玉100物語・19
風が開いた窓からカーテンをゆらして病室に入ってくる。
ベッドサイドの読書灯に紐でひっかけた勾玉が揺れる。
壁にあたってさやさやとささやくような音をたてる。
ベッドには干物になってしまったかのような老婆が寝ている。

彼女は5年ものあいだ、そうやって寝たきりでいる。
元気だったころはとても聡明な人だった。
なのにいまでは自分が誰であるかを知らず、
どういう人生をすごしてきたかを覚えていない。
自分がいまどこにいるかも知ってはいない。
 
介護士がおむつを取り替えにくると赤子と同じ笑みを浮かべる、
話しかけられなければ目を開けることはなく、
一日の大半を壊れた脳がつむぐ夢の中で過ごしている。
 
そうやって、現代的な生命倫理と医術のもとで、
生きもならず死ぬこともできない状態に置かれている彼女を見ると、
運命などあるわけがない、という気持ちになる。

慈愛が売りものの神も仏もいないだろうし、
霊界というものがあるなら、
先に亡くなった夫が迎えに来て当然なのに、
そうできない様子をみると、霊もいないんだろう。
 
夕方になると窓が閉められ遮光カーテンが引かれる。
それでも深夜には読書灯に引っかけられた勾玉が揺れて、
さやさやと音をたてることがある。
見えない世界からの風が彼女をあやしているかのようだ。
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勾玉100物語・14−16 ■日本翡翠丁字頭勾玉の写真 10:02
日本翡翠丁字頭勾玉
残暑お見舞申し上げます。
世の中的にはお盆休みでも、人が集まるところ、デパートやスーパーや
タクシーや宅急便や遊園地で働く人たちには、みんなと同じお盆休みはとりづらい。
暑さにめげずご健勝ください。

ベランダの朝顔にはもう盛夏の勢いがない。
青空のように美しい青や色水で染めたような赤、
今年は赤味を帯びた金茶色のゴージャスなのもいた。
平凡といえば平凡だが、彼らは風のさざ波にそよいだ。
紐で結ばれたクラゲのようだった。 
今日は窓の外の丘陵に蝉の声も少なく奇妙に静まっている。


■勾玉100物語・14
それはもう絶対絶命というに近かった。
契約間際になって取引先の担当者が変わり、新規契約は白紙撤回された。
海外支社へ赴任した先輩の後を継いでの仕事だった。
 
自分としては誠心誠意尽くした。通常の努力以上に努力した。
何度も相手先に足を運び、電話で幾度も交渉した。
けれど相手は接待しても気色悪い雰囲気で、何を考えているのかさっぱり掴めなかった。
 
このままでは、会社は大きな損害をこうむる。
可愛がってくれた先輩にも迷惑がかかる。
自分の評価はがた落ちになるだろう。

もうこれで最後という電話で、決裂するならそれもしかたがない、
自分は退社しようと腹をくくった。
職を失えば幼児ふたりをかかえて家族4人、露頭に迷うことになる。
それでも戦国時代の侍たちのように、自力ではどうこうできないこともある。
 
そう決意した刹那、Yシャツの下に付けていた勾玉から何かが出た。
それは火縄銃の撃鉄のように下腹部を叩いた。
ヘソの奥の方、丹田という場所からパワーのかたまりが飛び出た。
電話の相手とは50キロ以上離れているのに、
それが相手に飛びかかっていくのを実感できた。
その情景はアニメで毒蛇が獲物を狩る様相に似ていた。

太極拳を習って3年経つ。丹田の感触はわかる。
けれどそこから瞬時にパワーがでるということは体験したことがなかった。
 
電話の向こうで相手は突然に折れて、
あなたの熱心さには負けましたよ。契約を締結しましょう、といった。
 
あのとき自分の下腹から飛びだしたパワーはなんだったのか、
勾玉はそれとどう関係しているのか、あれから2年経ったいまでも、彼は考える。
相手はそれから急性胃かいようで入院して、
1ヶ月以上も職場に戻らなかった。
その間に契約は成立して彼の会社は多大な利益をあげた。

■勾玉100物語・15
霊界ボランティアという知る人の少ない団体がある。
メンバーは霊感が発達していて、霊気を感じられる人に限られている。
役人たちには理解できっこないんだからNPO登録してない。
規則というわけではないのだが、
メンバーたちは天然石の勾玉を紐で結んだペンダントを好んでつけている。
強い霊を勾玉に付(憑)けることで、浮遊霊とか地縛霊、
低級霊から自分を守ってもらうためだ。
 
誰にでも気の緩みはある。気が緩んだとき邪霊たちから攻撃されやすいので、
霊的事象にたずさわる人たちにとって、
気が緩んでもいいようにしておくのはとても大切なことだ。 

盆踊りに誘われてこちらの世界に出てきたのはいいけれど、
どうやって帰ったらいいのか、
あるいは誰に送ってもらったらいいのかわからなくて迷子になった霊たちを、
霊界へ戻してやるのが彼らの仕事だ。
 
はぐれた霊たちをスピリットキャッチャーで捕らえて、
霊囲いに集める。向こう側の警備員に依頼して引きとってもらう。
 
霊を諭すな、祈るな、願うな、ということを霊界ボランティアたちは徹底して教わる。
善男善女は一皮めくれば我欲と妄執のかたまりみたいなもので、
善人そうな顔つきの内側では何を考えているのかわからない。
それに死者は死に際の観念にとらわれたままになっている。
彼らに説教しようものなら、どんなふうに逆恨みされるか知れたものではない。
それで、観音菩薩や地蔵菩薩の眷属からなる霊界警備員にお願いして、
迷子の霊たちをひきとってもらう。
 
筆者の知人のひとりに霊界ボランティアのメンバーがいて、
「あなただって、ちょっと訓練すればメンバーになれるんだから、
いっしょに人間界と霊界の潤滑油になりませんか」と誘いをうける。
ぼくはといえば、不特定多数の霊たちを助けたいなどとは、
朝顔の花芯にたまる朝露ほどにも願ったことがない。
丁寧に断りつづけて十数年経っている。

■勾玉100物語・16 
これは勾玉を食べた黒猫の後日談である。
勾玉は彼の胃におさまって排泄されなかった。
勾玉が居着いた彼の腹は昼に夜に光った。

毛皮もあるし外が明るいしで昼間はそんなにわからない。
けれど夕暮れには赤くボーッと光るのがわかった。
夜には緑色に変わり、夜が更けるにつれて、
ペリドットのような若やいだ色がロウカン翡翠の濃緑色に変わっていった。
黒い毛皮に覆われた猫の腹に緑色の光が宿るさまは、
黒翡翠の一部に明るい緑が混ざった翡翠原石を思わせた。
 
たまたま彼と出会うと、雄猫たちは敬意を表わすがごとくにうずくまった。
雌猫たちは発情期でもないのに尻をつきだして交尾をねだった。
若い雌猫もそうでない雌猫も甘く悩ましい声で鳴いた。
けれどほんとうに黒猫が愛して恋して、
彼女のためなら生命を投げ出してもかまわないと思いを定めたのは、
氏神さまの境内のはずれに立つ1本のドングリの巨木だった。
明け方などに彼女を訪ねて、幹の根元にぴったりと腹をこすりつけると、
えもいわれる心地好さが全身に広がっていくのだった。
やがて猫は木に変じる。自分の血が樹液に混じり、
天を支えるほどに高い樹冠へと上っていくのを楽しんだ。
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勾玉100物語・10−12 ■入りコン沢青翡翠原石の写真 09:33
入りコン沢青翡翠
日本翡翠のなかでもことのほか特殊な入りコン沢青翡翠が入荷しています。
夏期休業開けにはホームページに掲載の予定でいます。
入りコン沢は姫川の支流小滝地区にある沢の名前とのことです。
ここで採集される翡翠原石は、いわゆるコバルト翡翠とも違って、
原石の一部が明るい青色に色付いています。
ミャンマーでもめったに採れない珍しい翡翠です。
今回入荷分は表面に鉄錆がのって茶色の薄い被膜がついていますが、
中身はクラックの少ない上質品です。
ペンライトを当てるときめこまやかな石肌に明るい群青色が浮かび上がってきます。
出会えること自体が珍しい翡翠原石です。
写真は磨いた状態を想像できるよう、ごく少量ベビーオイルを塗って
ペンライトで照明してあります。


■勾玉100物語・10
彼女は28歳、女性たちの多くが靴を引きずったり、腰をかがめたり、
がにまた歩きするのと違って、肩までの髪を風に乗せてさっそうと歩ける。
とびっきりの美人というわけではないが、歩き方が美しいのでみんなが振り返った。
 
そんな彼女にも、同年輩の働く女性たちにほぼ共通する悩みがあった。
真摯にものごとに取り組み、熱心に仕事しているのに、
周囲の人たちはいまひとつ彼女を認めてくれない。
彼女が勤める出版社の雑誌編集部は発行部数がさがる一方で以前ほど明るくない。
夢に描ける未来もない。人間関係もギスギスしやすく、
同僚のなかには足をひっぱるものや、嫉妬ゆえのデマを流すものもいる。
歩き方の美しさとうらはらに、彼女の肩は年中こっていて、
ガラスの板を背負わされたかのような毎日だった。
 
そんな折、インターネットでみかけたページをきっかけに日本翡翠の勾玉を買った。
なんだか写真の勾玉が笑いかけたかのような気がしたからだった。
 
勾玉をバッグに入れて1週間ほどすると、それまでそんなことは一度もなかったのに、
上司が彼女が作った記事をほめてくれた。
同僚との付き合いもなめらかにこなせるような気がしてきた。
 
私はがんばる。もっとがんばれる。いつか編集長になるんだ、と思うようになっている。

■勾玉100物語・11
就寝前のひととき、勾玉をもて遊ぶように親指でなでていて、
ふいに向こう側とつながる感触がわかった。
川の水が海に注ぐように大きな力の世界に自分が入っていった。
 
彼は会社での仕事がうまくいっていなかった。
部下の能力に嫉妬する下衆(げす)な上司によって、
自分の企画のことごとくがつぶされた。
無念さにノイローゼになりそうだった。
苦悩のさなかに天然石の専門店に出会い、日本翡翠の勾玉を購入した。
 
店主は勾玉を介して向こう側の世界とつながるということをいったが、
その感触がわからなかった。
しかしわかってみるとその味わいは頼りがいがあってやさしかった。
 
そういう体験をすると人間的にゆとりができるのか、
上司との衝突にもいくらか余裕ができた。
みかけはいままでと変わらないようで、
そのくせ上司を自分のパワーで操っているように感じるときがあった。
ほどなくして上司は地方の支社に転勤してゆき、
彼は背中の重しがとれた安堵感を味わった。

■勾玉100物語・12
そんなにいつも、勾玉が道路に落ちているわけがない。
それを猫が飲み込むなんてことも滅多に起きるものではない。
けれどその野良猫は、道端に落ちていた勾玉を呑んでしまった。
地方都市の郊外の農道を広げたアスファルトの道路での出来事だった。
 
勾玉が胃に落ち着くとおなかが温かくなった。
鼠や土鳩を食べたときとは比べものにならなかった。
温かさは全身にひろがって夢見心地がした。
 
彼は忽然と高い所から飛び下りたくなった。
縄張りにしているマンションの駐車場の車の屋根から飛び下りてみたが、
ありきたり過ぎてものたらなかった。

見上げれば七階建てマンションの外壁にしつらえられた階段があるではないか。
2階から3階へ、3階から4階へと、野良猫の高飛び下りは日増しに高度を増していった。
空中三回転、垂直滑降斜めひねり、耳パタパタなど、難度の高い技を苦もなくマスターした。
 
野良猫の高飛び下りは界隈の猫たちの話題となった。
深夜には見物猫が彼をとりまくようになった。
そうやってついに彼は四肢を広げての野猫滑空を覚え、
まるでムササビと化したかのように、
見物衆の上空を一周して、駐車場の反対側の林へと消えていった。
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勾玉100物語・6−8■日本翡翠勾玉の写真 10:20
日本翡翠勾玉
夏季休業のお知らせ:
8月16−18日(金・土・日曜)は夏季休業します。
期間中はメールの返事もさしあげられません。よろしくお願いします。

勾玉100物語は、ただ一夜、
小野小町といっしょの寝所で過ごしたい熱意にかられて、100日間に渡って、
芍薬の苗を小町のもとに運んだなんとか中将の物語に似ていると、ふと思う。

■勾玉100物語・6
彼女にはちょっと浮いたところがあった。
艶(あで)やかに自分を飾るすべを心得ていた。
化粧の技は資生堂のメイクアップ・アーチスト並だった。
けれどちょっとしたことで浮き足だってしまい、我をわすれてしまうのが難だった。
つまりドラマのヒロインのように気高くふるまうことができたのに、すぐぼろがでた。
 
ところがその翡翠の勾玉を手にしてからはそういうことが極端に減った。
レストランに入ってもメニューに迷わなくなった。
上司からミスを指摘されると、どこに問題があるのかわかるようになった。
男たちの心の動きを読めるようになった。
 
彼女がボーイフレンドから贈られたのは4センチ近い大きな勾玉だった。
古代史に詳しいボーイフレンドは、こういうのは昔はヤサカニの勾玉と呼ばれていて、
いよいよ栄えるようパワーアップしてくれるのだといった。
 
勾玉は皮紐で結んで衣服の下に付けた。
ときおりは勾玉が妙に熱を持つようで、左右の乳房の間、胸の中心が熱くなった。
するとこころなしか官能的になる感じがした。
気持ちにゆとりができて、心が落ち着くのを実感できるようになった。
ボーイフレンドとは恋人のように親しい関係になって、
もうすぐプロボーズしてくれると思っている。

■勾玉100物語・7
ブリンギング・アニマルが語るのなら勾玉が話してもおかしくない。
心のおくのほうで自分をふたつに別けて、
ひとりが他のひとりの語りに耳を傾けるようにする。
そうすればアニマルが語る。守護霊とか守護神も語る。
同じように勾玉にも、向こう側の何かが宿り、それが話しかけてくる。

「片方にはおおいなるものへと融合していく自己放棄の道がある。
もう片方には、我欲の成就を人生の目的と信じる自己執着への道がある。
そうやって自我にしがみつく人たちは、どこかに完全な幸福があると盲信している。
精神世界というとき、たくさんの人たちが両者を混同している。奇妙だな、おい」
とそれはいった。

■勾玉100物語・8 
山の倉庫には、世界の神話伝説でいっぱいの書棚があって、
そこに7、8センチの大きさで、蛇紋岩と翡翠が練り合わさったような、
でっぷりと太った勾玉が飾ってある。

ある夜のこと、書架の最上段に飾ってあるガネーシャを眺めていたら、
その勾玉の腹の部分から少量の煙がわいて、彼女が出てきた。
 
まるでアラジンのランプからでたジンのようだったが、
筋骨隆々のジンと違って彼女ははかりがたいほど老いていて、
歯は抜け、顔はしわくちゃで、背中が曲がり、全身は縮んで小さかった。
 
アラジンのランプではないのだから当然のこと、
彼女はぼくをご主人様とよばなかった。
不機嫌な声で、なんでこの老婆を起こしたのじゃ、といった。

ぼくは、あんたを呼んだわけではない、
ガネーシャに祈っていたら、あんたが勝手にやってきたのだと切り返した。
 
それから彼女は、とくに何かを教えてくれるというのではないけれど、
霊的知人のひとりとなって、いまも同じ勾玉のなかで暮らしている。
とはいってもそこが彼女の家というわけではない。
ぼくが彼女を感じるとき、彼女はそこにいるというだけのことで、
ふだんは霊界を勝手気ままに散策しているらしい。
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暑中お見舞い申し上げます ■日本翡翠勾玉の写真 12:34
日本翡翠勾玉

暑中お見舞い申し上げます。
今日は立秋。暦の上では今日から残暑なんだけれど、
これは明治時代の始めに西欧かぶれした学者たちが
太陽暦と太陰暦を混ぜ合わせて放置したからで、
「暑中」といえる暑い日々はまだまだつづきます。
ご自愛ください。

■勾玉100物語・3
京王線で新宿に向かう電車の中で、座席に座って文庫を開いたぼくの前に立ったのは
50代にみえる二人連れの中年女性だった。
地味な色のスカート伝いに目をあげると、茶色っぽいブラウスを着た女性の胸元に、
チエーンにつけられた勾玉があった。
話からするに二人は病院の介護士または老人介護のヘルパーらしかった。
 
老人ぼけして罵詈雑言まき散らす人がいるというような話を、
茶色のブラウスが、ストレッチの効いたジーンズに語る。

年をとるのは仕方がないけれど、
あんなふうに人間としての尊厳を老化で奪われてしまうというのは、
ほんとうにやりきれない。
 
ぼくはまじまじと、彼女を見上げ、賛同の意を伝えるとともに、
胸の勾玉の由来を聞きたかった。
けれど日本では通常、電車の中では見知らぬ他人と会話しない。
互いに相手を木偶の坊と思い、無視することで混雑のなかでの正常さが保たれている。
 
この人にとって、勾玉は自分の気持ちを落ち着けて、
考えをまとめるのに役立っているのだろうと考えて読書に戻った。
 
フォーサイス描く国際戦略の小説のなかでは、
ただその時代、その場所で生まれ育ったというだけで戦争に巻き込まれてしまう、
虐殺されてしまう、あるいは生活手段を破壊されて難民になる、
ものすごくたくさんの人たちが、主人公の背景画に描かれる。
 
運命はない。神の配慮もないんだろう。
みんながみんなゆきあたりばったりに生まれ、
ちょっとしたことで運がよかったり、悪かったりする。
サンダルでふみつぶされるアリのような人生もあれば、
女王バチのように周囲に飼われる人生もある。
人間としての尊厳を保って、平凡でありながらも気高く生きて、
きっちりと死んでいくのはとても難しい、と思ったことだった。


■勾玉100物語・4
どこでどうしてそうなったのか、さっぱりわからないのだが、
そのカワウは片足に勾玉付きの皮紐ネックレスを絡み付かせていた。
用水路の大きな転石の上に立って、
胸を押し出し、肩をいからせ、翼を広げて、雌を呼ぶディスプレーをすると、
いつもより数倍上手にできる気がした。
胸はいっそう大きくそらすことができた、肩は2倍3倍といからせられた。
翼は川幅よりも大きく広がってゆくようだった。
 
彼はドードを知らなかったが、自分がドードのような大きな鳥になったことを知った。
一声大きく鳴いて左右を見渡すと、どうしたことだろう、
かつてそんなことは一度もなかったのに、川下や川上のほうから、
何十羽もの雌カワウが羽ばたきの音も優美に、
いっせいに自分目掛けて飛来してくるのを目にした。
(勾玉っていろいろなことに効くんだ)


■勾玉100物語・5
人間の身体の3つの重要なパワー中枢を、古代の日本ではクラと呼んだと、
神道系の武術家からきいたことがある。
クラは穀物や財宝を納める場所であり、
神霊が降りて納まる場所を岩座(いわくら)という。
稲魂(いなだま)が宿る木がサクラだ。
 
身体のパワー中枢は、インドのラージャヨーガではチャクラ(輪)といい、
道教ではパワーを蓄え養う田の意味で丹田とよんだ。
下腹部のチャクラは臍下丹田、胸のチャクラは中丹田、額のチャクラは上丹田になる。

神道式には3つのパワー中枢は下から、剣のクラ・勾玉のクラ・鏡のクラとなって、
古代の神事に榊に取り付けた三種の宝器に対応する。 

ラージャヨーガで胸の中心に真珠粒ほどの光点を瞑想するように、
同じ場所である勾玉のクラに勾玉のイメージを想起して、それを光り輝かせる。
光は甘露となって全身に行き渡ると瞑想するなら、病んだ心は癒される。
新陳代謝は活性化し、身体の恒常性を快復できる。
だれもがスター・チャイルドに会える。
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勾玉100物語・創業二十六周年記念前夜祭特別企画 18:01
オパーライト本勾玉
これでブログでの弥生・古墳時代の勾玉巡りは一段落。
これから「日本翡翠情報センター」HP用に記事をまとめる。
その後に日本列島翡翠文明消滅の謎にとりかかろう、と思っていた。

翡翠文明消滅は女の霊力を頼りにした文化が抑圧されていった過程でもある。 

ところがふいに「勾玉100物語」を書くようアイデアが閃いた。
こういう潜在意識の奥の方からの声は、
沼の底でイモリが赤い腹をみせて身をひるがえすのにも似て、
まったくもってふいに出てくる。
それゆえ、天啓とどう区分けしたらいいのだろうと冗談半分に考える。
心のうちから出てくる声に過去の偉人・英雄とか、神々の名前をつければ、
それはもうそっくりと守護霊の霊言になってしまう。

「勾玉100物語」は見出しマニアの戯言で
「勾玉100物語・創業二十六周年記念前夜祭特別企画」と書くと、
なんとか対策本部とか、なんやら執行部みたいな、
お役所風漢字を並べまくったタイトルとなって、より衒学風になる。

「勾玉100物語」といったって、勾玉に関連した物語を100個書くわけではなく、
数が多いという意味で、これまでの経験からすれば途中で飽きてしまうこともある。
ともかくも「勾玉100物語」とタイトルが決まると、
その日のうちに十数個の短い物語ができた。


■勾玉100物語・1 
猫は3センチほどの大きさの白っぽい翡翠の勾玉を食べた。
雨上がりのアスファルトの道路にそれは落ちていた。
勾玉を見つけたのはまもなく成獣になろうとする若い黒猫だった。
彼はその勾玉を食べるつもりはなかった。
前足で押さえようとした弾みに、どういうわけか勾玉は滑り、宙に跳ねて猫の口に入った。
ハッと身構えた時には、もう飲み下していた。
 
勾玉は顆粒状マタタビをトッピングしたソフトクリームのように甘かった。
快楽中枢を刺激する脳のドーパミン回路が開いて雄猫はこのうえない多幸感に満たされた。
 
両肩からは天使に似た翼が生えた。
そうして彼は、盛夏を迎えて色濃く繁った雑木林の上をトビさながらに舞った。
飛ぶにつれて身体はコウモリに変化した。
意識がわきたつ湖の上空に達すると、故郷(ふるさと)に帰ったのだと思った。


■勾玉100物語・2
午前11時前後の都心に向かう電車はさほど混んでいない。
座席に座ったぼくの前に、40代で中肉中背のサラリーマンふたりづれが立った。

彼らはなんだかんだの話をして、話題は車内でのマナーへと移っていった。
ひとりの男性が「いまどきイヤホンからの音漏れがうるさい奴がいてね、つい注意したよ」
と言った。べつの男性が「からまれないように気を付けなければ」と言った。
「いや、男はまだいいよ。怖いのは女だね。こっちは何もしていないのに、
痴漢だ、と叫ばれたら、それで人生終わりだからね」
「もし、そんなことになったら、係員を呼ばず、
とにかくその女性とだけ話を付けるよう聞いている」
 
ぼくは思わず振り仰いで彼らを見た。
女が怖いと言った男性の吊り革を握る腕には水晶の勾玉付きのブレスレットがあった。
 
相手の男性もそれに気付いて
「そういうブレスレットって、いま、はやっているんだってね」と言った。
「妻からの誕生祝いなんだ。人間関係がうまくいくから商談にいいとか。
それがね、これを付けてから、それまで嫌だった相手とも気軽に話せるようになって、
水晶パワーって効くんだと思っている」
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勾玉に古代の意識が凝集されている■日本翡翠勾玉の写真 11:51
日本翡翠本勾玉

夏季休業のお知らせ:
8月16−18日(金・土・日曜)は夏季休業します。
期間中はメールの返事もさしあげられません。よろしくお願いします。
週3日間の営業だから、さらに休暇をとることもないと思えなくもないけれど、
店を休んで「日本翡翠情報センター]HPの記事作りに邁進する所存です

 
弥生・古墳時代における日本翡翠の勾玉を追って、1年越しの旅をつづけてきた。
なつかしい風景がたくさんあった。
あとは古代の勾玉がどのようにして終焉していったか、
日本翡翠を愛好した文明がついえていく過程を追うのみとなったが、その前に、
この1年間のブログを「日本翡翠情報センター」HPにまとめなくてはと思っている。
 
勾玉を巡る弥生・古墳時代の考古学の成果と、
記紀、つまり『古事記』と『日本書紀』の逸話をひとつにまとめて、
1枚の布の絵柄として織りなすのは容易ではない感じがする。 

頭の中でかたほうは左脳の側にあって、他は右脳の側にあるようだ。
みんなのひとりひとりが、両者を脳幹にひきこんでミキシングすれば、
映画『スターウォーズ』のような今は昔のヴィヴィッドな物語となるだろう。
 
基点のひとつは箸墓古墳にあって、築造年代は3世紀中頃、ないし後半。
記紀の物語では、ここに崇神天皇の叔母で、
三輪山のオオモノヌシの神妻だったヤマトトトヒモモソ姫が葬られている。
この墳墓は昼は人が作り夜は鬼が作ったとされているが、
伝説には前方後円墳由来の説明はない。
 
崇神天皇は古代史的に大和王朝最初の天皇と推定されていて、
崇神天皇の治世と箸墓古墳の築造あたりを境に弥生時代は終わり古墳時代が始まる。
 
記紀では大和王朝は紀元前660年、初代天皇・神武によって始まったことになっている。
中国や朝鮮半島の歴史書に比べて見劣りしないよう、
日本の歴史書も年代を古くする必要があったからだと説明されている。
第一代・神武天皇から第8代・孝元天皇までは、
一般には実在しなかった天皇の意味で「欠史八代」という。
古代史のスーパースターの日本武尊や神功皇后も実在を否定されている。
 
アマテラスやスサノウ、オオクニヌシが活躍する神代の物語は、
時間的には弥生時代の物語ということになるが、
日本神話から弥生時代を想像するのは難しい。
 
一世代隔たるだけで人々はとても多くを忘れていく。
奈良時代の記紀の編纂者たちは銅鐸を知らず、前方後円墳の意味を覚えていなかった。
勾玉をパワーオブジェクトと見る視点もおぼろで、
現代人がそれに抱くのと同じように古い時代の遺物でしかなくなっていた。 

弥生時代とおそらくは初期古墳時代のご先祖たちが
江南のほうから南のクニの神話を運んできた。
中期古墳時代の大王はシベリア、モンゴルのほうから北のクニの神話を持ち込んだ。
両者が日本列島でまざりあって日本神話のベースとなったと仮定すると、
神話や説話、風習に整合性が生じるように思える。
 
ぼくらは古代というとき、中世より前の時代という歴史的意味とは別に、
心根の奥のほうに宿る時間を超越した呪術的で神話的な時代を思う。
古代史に触れてよみがえってくるのは後者のほうの古代で、
ここではいまもアマテラスとスサノウはウケヒしあい、
オオクニヌシは自分をなかに入れてほしいとヌナカワヒメの家の板戸を叩いている。
 
勾玉を手にそうした時代を思う。それから、勾玉のイメージを胸に置くなら、
身体全部が神秘的でやさしくあたたかいパワーに満たされるのを感じることができる。
| 日本翡翠情報センター | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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