入りコン沢青翡翠原石は近日中に10数点をHP「新着製品」に掲載予定。
こんなにまとめて掲載できるのは、とても珍しいことです。
避けられない用件があって、9月7−8日(土・日曜)は臨時休業します。
ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。
■勾玉100物語・17
砂漠飛びバッタというのは動物好きな人ならたいがい知っている。
旱魃の終盤に異常繁殖して、かろうじて残った穀物を根こそぎ食いつくす。
そんなふうに害があるわけではない、
名前だけが似ている動物に砂漠飛び猫というのがいる。
名前に猫とついているが猫科ではなくリスなど齧歯類の仲間で、
常時歯を研いでいないと前歯がどんどん伸びてしまう。
彼らはモンゴルの砂漠にはえるマンドハイのおやつという樹木に実る
栗ほどに大きく硬い木のみを削って勾玉状にする。
この木のみは枯れても緑色のままで、
ジンギスカンの首飾りなどと語り継がれてきた。
砂漠に落ちている勾玉は随分長い間謎とされてきたが、
砂漠飛び猫のなせる技とわかったのは最近のことだ。
砂漠飛び猫は西部劇のタンブルウィードのような灌木の茂みに巣を作り、
砂嵐がやってくるとブッシュともども荒野を転がって遠隔地へと移動する。
砂漠を飛んで旅をするわけではないのだが、
地元の人たちはこの小動物を砂漠飛び猫と呼んできた。
確かにいくらかはミーアキャットに似てはいる。
■勾玉100物語・18
山の家の台所に、いっときハタネズミが出没する形跡が見られた。
システムキッチンが古くなって、家の壁との隙間から出入りしているらしかった。
それが証拠に、ダイニングルームの出窓に飾ってあったインディアンコーンが
軸だけのこして、きれいに全部齧り取られたりした。
ハタネズミやトガリネズミのたぐいは小さくて可愛い。
ドブネズミを3分の1とか4分の1に縮めたほどの大きさだ。
インドの友人の家庭ではガネーシャのお使いと縁起をかついで、
居間にでてくるネズミに餌をやっていた。
けれど留守の間にハタネズミが団体でやってきて、
台所をトイレと勘違いされるのはちょっと困る。
侵入路をさがして蓋をした。
それからいくらか経って、2階の自分の部屋の布団やベッドマットを日干しした。
するとどうだろう、マットの下、ボードとの間に、
インディアンコーンの粒々がメディスンホイールもかくやと思えるほど、
きれいな円形に整えて残してあった。
中央には行方不明になっていた日本翡翠勾玉があった。
人気のない家の中を、口いっぱいにインディアンコーンを頬張ったネズミが、
ちょこちょこと階段を上り下りして、どうやってその場所を発見したのか、
ベッドの隙間にトウモロコシの粒を蓄えている様子を想像すると
とても愉快な気持ちになれた。
翡翠の勾玉というのはねずみにとってもやっぱり心休まる宝物だったのだろうか。
あるいはそのネズミたちには古い時代のご先祖たちの霊が
乗っていたかもしれないと、思ったことだった。
■勾玉100物語・19
風が開いた窓からカーテンをゆらして病室に入ってくる。
ベッドサイドの読書灯に紐でひっかけた勾玉が揺れる。
壁にあたってさやさやとささやくような音をたてる。
ベッドには干物になってしまったかのような老婆が寝ている。
彼女は5年ものあいだ、そうやって寝たきりでいる。
元気だったころはとても聡明な人だった。
なのにいまでは自分が誰であるかを知らず、
どういう人生をすごしてきたかを覚えていない。
自分がいまどこにいるかも知ってはいない。
介護士がおむつを取り替えにくると赤子と同じ笑みを浮かべる、
話しかけられなければ目を開けることはなく、
一日の大半を壊れた脳がつむぐ夢の中で過ごしている。
そうやって、現代的な生命倫理と医術のもとで、
生きもならず死ぬこともできない状態に置かれている彼女を見ると、
運命などあるわけがない、という気持ちになる。
慈愛が売りものの神も仏もいないだろうし、
霊界というものがあるなら、
先に亡くなった夫が迎えに来て当然なのに、
そうできない様子をみると、霊もいないんだろう。
夕方になると窓が閉められ遮光カーテンが引かれる。
それでも深夜には読書灯に引っかけられた勾玉が揺れて、
さやさやと音をたてることがある。
見えない世界からの風が彼女をあやしているかのようだ。